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1/96〜男女比1:96の貞操逆転世界で生きる男刑事〜  作者: Pyayume
最終章「影法師」

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第167話「問責」

俺は、息を思い切り吸った。


すると、さっきまで喉に引っかかっていた空気が、驚くほどすんなり肺に入った。


不思議と恐怖は消え、代わりにあったのは、奇妙なほどの静けさだった。


刑部は机の向こうで、変わらない姿勢のまま俺を見ている。


観察対象を見る研究者の目。


感情ではなく、評価の目。


「国家がなくても生きていけるか、ですか。」


自分の声が、やけに落ち着いて聞こえた。


「ええ。国家は社会の最小単位です。法も、秩序も、安全も、すべて国家の上に成り立っています。」


そう答えながら、刑部は短く頷いた。


しかし、机の上で組まれた指が微動だにしない。


「国家が崩壊すれば、まず最初に失われるのは弱者の権利です。男性の人生の選択など、真っ先に消える。」


刑部は淡々と断定を言い放った。


「それでもあなたは、国家より個人が上だと言うのですか。」


またも刑部は、問いに見せかけた確認をした。


俺は一瞬だけ目を閉じると、頭の奥にいつもの空白があることを確認した。


絶対に思い出せない18年間、それは何も存在しないから。


そして現実感のある過去は、御厨からの借り物の記憶。


そこまで思って、俺は目を開く。


「はい。国家がなくても、人は生きます。」


答えた瞬間、室内の空気がわずかに張り詰めた。


刑部の眉がわずかに動いたが、俺は続けた。


「でも…」


そう言いかけて、一旦言葉を切る。


この先の一言で、もう後戻りはできないと分かっていた。


俺は隣に座っていた山崎の顔を一度見て、すぐに刑部に向き直った。


「国家があっても、人は生きていないことがある。」


部屋の空気が、音を失った。


刑部はすぐには答えず、ただ、数秒の沈黙を置いた。


その沈黙は、反論を探している時間ではなく、目の前に座った俺の価値を測定している時間に思えた。


「……続けてください。」


静かな促しに、俺は頷いた。


「国家があるのに生きていない人間を、俺は何人も見てきました。」


自分でも驚くほど、言葉が止まらなかった。


「制度に守られているはずなのに、逃げ場がない人間。法があるのに助けを求められない人間。守られているはずなのに、選択肢を奪われている人間。」


頭に浮かんだのは、最初の110番臨場で保護した石田や、LUXEで保護した橋本の顔だった。


恐怖の色を浮かべた瞳、助けを求める声すら出せなかった声。


「確かに、秩序も、法も、国家も、全て必要です。でも、それが目的になった瞬間、人は部品になります。」


刑部は俺から瞳を離さず、ひたすら見つめている。


「あなたは男性を守ったと言った。でも、それは効率的に国家に必要な部品になった男性です。」


俺は刑部を真っ直ぐ見返した。


「必要とされない男性はどうなります。資源として評価されない男性。国家にとって非効率な男性。役に立たないと判断された男性。」


俺の喉が熱くなり、胸の鼓動はさらに早まる。


「その人たちの人生は、守られていると言えますか。」


最も長い沈黙が続いた。


数分にもわたる沈黙の後、刑部は初めて視線を外し、ほんの一瞬だけ窓の方へわずかに目を向けた。


「……理想論ですね。」


ようやく発した刑部の声は、これまでで一番低い声だった。


「国家は理想で動きません。現実で動きます。……私は嫌と言うほど、現実を見てきました。」


その声は、先程までの演説の声ではなかった。


机の上の刑部の指がほどける。


「国家が守れなかった結果を。…守られなかった人間。……守れなかった命。………そして、守らなかった社会。」


御厨が、一瞬視線を落としたように見え、その顔には確かに迷いの色が滲んでいた。


「数えられる程度の前時代、社会的地位の高い女性が男性を攫い、警察も政治も動けなかった時期があります。しかし表に出ればこの国家の信頼が崩れる。だから誰も触れなかった。」


刑部は一度だけ視線を落とした。


「それは次々に波及し、その結果、地下で男性奴隷ともいうべきものが広がったのです。」


俺の隣で山崎が力いっぱい拳を握り、その視線がわずかに揺れた。


「国家が動かなければ、無秩序が制度になる。私はそれを見ました。……だから私は、選んだのです。……個人ではなく、国家を優先する道を。」


そう言った刑部の視線が、再び俺に戻った。


「あなた方が潰したLUXEも甘南備も、その受け皿でした。国家が触れられなかった問題を、代わりに処理する装置です。」


刑部はゆっくりと言った。


「では、聞きましょう。佐藤悠真警部補。……個人を優先した結果、国家が崩壊したとして、……あなたは、その責任を取れますか。」


言葉が俺の腹に重く落ち、すぐには答えられなかった。


責任という言葉は、これまで何度も聞いてきた。


捜査責任、指揮責任、説明責任、だが今、目の前で突きつけられているのは、そのどれでもない。


国家の存続に対する責任。


個人が背負えるはずのない重さに、喉の奥が乾く。


それでも俺は、刑部との視線だけは逸らさなかった。


「……取れません。」


自分でも驚くほど、はっきりと言葉が出た。


山崎の呼吸が止まり、御厨の視線がわずかに動いた。


刑部は何も言わず、ただ続きを待っている。


「国家の責任なんて、個人が取れるはずがありません。」


俺は胸の奥で何かが熱を持ち、ゆっくりと言葉を続ける。


「でも、……国家が個人の人生の責任を取ることも、出来ないはずです。」


刑部の目が、わずかに細くなったのが分かる。


「だからこそ、国家と個人は同じ責任を負えない。……負うべきではないと思います。」


俺が言い終えた瞬間、自分の鼓動がはっきり聞こえた。


その静寂の中で、刑部は小さく息を吐いたが、ため息にも、笑いにも聞こえなかった。


「……なるほど。」


刑部は誰に言うでもなく、ゆっくりと呟く。


「やはり、異分子……危険な異分子……個人に、国家と同じ問いを投げさせてしまう。」


刑部の視線が机の上の鳴っていない内線電話へと落ちた。


それを数秒見つめた後、静かに告げた。


「この話は、ここまでにしましょう。」

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