5. 門まで抱いて
朝の庭で、公爵が昨日の箱を卓に置く。私は向かいの椅子によじ登り、濡れた靴で座面を汚さないよう、足を縮めた。芝の露はまだ冷たく、白い花の咲く垣根の向こうで小鳥が騒いでいる。家令の手元には、底の印の写し。卓の端には、料理長が朝に焼いた菓子の皿もある。宮廷から戻った使いが、公爵へ向き直った。
「王妃さまは、菓子はお贈りしたが、箱は実家の菓子屋が荷置場で詰めたもので、底の作りも印も存じない、実家の荷を詮索せずオディリアさまを王宮へお移しするように、と仰せです」
椅子の下で揺らしていた靴を、私は止める。王宮へ、という言葉に背中が強張った。けれど、言伝には荷置場とある。箱を詰めた人のいる場所だ。私は卓の縁から顔を上げる。
「それなら、運ばれてきた場所を確かめたいです。わたしがこの家を離れても、箱のことは分かりません。移すのはわたしではなく、調べる場所にしてください」
昨日の菓子は、箱の中に残ったままだ。公爵が蓋を押さえ、私と目の高さを合わせる。
「詰めた場所を先に確かめよう。箱はここに置く。お前は、場所に心当たりがあるのか?」
一周目、王妃として王宮で薬草の供給を改めようと調べた搬入図。王都外れの畑と、隣の荷置場が同じ線で結ばれていた。フリデリケの実家を通る荷の経路は、その図で見たところまでしか知らない。
今の卓へ身を乗り出し、私は写しの余白を示そうとする。
「畑の隣で、運ぶ物を確かめてください」
腕をいっぱいに伸ばしても、紙には届かなかった。公爵が紙を寄せ、家令の筆を私の手に持たせる。私はその筆を握り直し、目印の線を引いた。細く描きたいのに、筆の先が思うように動かない。滲んだ墨を避け、私は道の続きを描く。
「王都外れの薬草畑です。水路が曲がるところの隣に、荷置場があります。そこへ来る物を見てほしいです。わたしに分かるのは、場所までです。中で何をしているかは知りません」
公爵は使いを一度見てから、紙を家令へ渡した。曲がった線にも目を留め、道筋を示す。
「近くに場所を借りよう。持ち主の承諾を得て、今の荷を確かめてくれ。使いの前で決めておけば、あとで詰め替えたとは言わせずに済む」
家令が写しと私の描いた紙を重ねる。
「位置と持ち主を現地で確かめてまいります。借りられる場所を探し、承諾を得てから荷を見るようにいたします」
家令を乗せた馬車が門へ向かった。私は椅子の縁まで滑る。公爵も使いも庭にいる。それでも、車輪が遠ざかるにつれて、座っている膝が落ち着かなくなった。
「わたしも行けば、早く見つかるかもしれません。待つのは……怖いです。場所が違っていたら、どうしましょう? お手間だけ掛けて、ここでじっとしているなんて」
公爵が卓越しに手を伸ばし、私の椅子の背を押さえる。
「場所を確かめるのは家令に任せる。ここで一緒に結果を聞こう。椅子から下りるな。落ちるぞ」
座り直しても、目は門へ戻った。馬車の音が途切れる。私は肘掛けをつかみ、言葉まで持っていかれないように声を張る。
「では、わたしだけ知らないまま、お話を終わらせないでくださいね? あとで決まったことだけ聞くのは、嫌です。怖くても聞きますから、ここにいさせてください」
公爵は箱から手を離し、私へ向き直る。
「分かったことは、お前にも話す。家令には、この卓へ戻って報告させよう」
私は肘掛けをつかむ手を緩めた。手のひらに、木の縁の跡が残っている。そこを見ながら、言い残したことを押し出す。
「……見つからなかった時も、教えていただけますか?」
公爵の眉がわずかに緩む。
「その時も一緒に聞く。当てた時だけ、お前を呼ぶのではない」
うなずくつもりが、うつむいてしまった。返事をしようとしても、唇がうまく開かない。椅子の端に残していたお尻を、私は奥まで戻す。
門ばかり見ていた顔を、公爵へ向けた。卓の向こうでは、声が聞こえても遠い。私は椅子の脚と、自分の短い足を見比べる。
「では、椅子を、そちらへ……」
靴を持ち上げると、公爵が椅子を引き寄せた。外套の裾がすぐ隣で揺れる。
「椅子は私が動かす。ここなら聞こえる。立つ前に、私を呼べ」
返答を待つ使いにも椅子が出る。日が高くなり、卓の影が短くなった。昼を過ぎても空いたままの家令の席を眺め、私は皿の菓子の欠片を集める。小さな欠片を食べ終えても、昨日の箱は閉じたまま。日が傾く前、庭の砂利が鳴り、戻ってきた家令が私のいる卓で紙を広げる。
「荷置場の隣に空き倉がございました。持ち主である王都の商人の承諾を得て、借りております。そこから見えた荷の印が、こちらでございます」
私は肘掛けから背を起こした。公爵が箱と写しを、私からも見える向きに並べる。どちらにも、底で見つけた形がある。
「同じ印だ。今度は、この場所で荷を確かめられる」
紙の上の印を目でなぞり、私は紙の上の空き倉へ身を乗り出した。
「そこからなら、誰が何を運ぶかも見られますか? 中に入れなくても、続けて見ていられますか? 箱が来た時だけではなく、そのあとも?」
家令は紙の上で空き倉の位置を示す。畑の中には線を引かず、借りた場所の縁をなぞった。
「荷の出入りは、借りた場所から見届けられるかと存じます。中身までは分かりかねますが、確かめ続けるようにいたします」
使いが箱を見つめる。開きかけた口を閉じ、使いは紙へ視線を戻した。
「……その結果も、王妃さまへ持ち帰ります。荷置場の隣でお確かめになる、とお伝えいたします」
箱を詰めた場所は、知らない場所のままではなくなった。曲がった線の先に、借りられた場所がある。家令が紙をこちらへ寄せ、私へ笑いかける。
「お嬢様、お示しの目印から見つけられました。こちらが借りた場所でございます。どうぞ、ご覧ください」
お嬢様、と呼ばれて、私は紙から顔を上げる。離れた席へ移されることもなく、みんなと同じ紙が目の前にあった。
「ありがとうございます。わたしにも、同じ紙を見せてくださって……」
夕方の光で紙が赤くなる。庭へ来た門番が、公爵の前で足を揃えた。
「リーベナウ伯爵がお越しです。お嬢様を連れ帰ると、門前でお求めでございます」
座面の縁が、急に高く感じられる。公爵が立つと、私も椅子を滑り下りた。公爵は門番へ向く。
「門で話そう。案内してくれ」
私は黒い外套を追いかける。声を掛けるより先に足が出た。けれど、歩幅が足りない。靴の先が砂利に引っかかり――――。
「あ痛ぁ……」
膝へ地面がぶつかり、手のひらに小石が刺さった。まだこの身体に慣れていないことに思わず唇をかんだ。
「置いていかないで!」
公爵が戻って屈んだ。立とうとする私の脇へ、腕が入る。
「分かった。抱いていこう」
「……え?」
足が地面を離れる。私を抱えたまま、公爵は歩き出した。門番の肩まで見える高さだ。外套の中は、茶会の膝と同じ温かさだった。擦れたところが布に触れると痛む。それでも私は、汚れた膝をほんの少し浮かせるだけで、下りるとは言えない。
「お召し物に、土がつきます。膝が汚れてしまって……」
公爵は私の背を支え直した。砂利を踏む歩調が緩む。
「ははっ、そのままでいい。膝はあとで洗おう。痛ければ言いなさい」
私は外套を握った。庭では家令が箱を片付けている。
門の向こうに、父の馬車がある。門の外から、父がこちらへ顔を向けた。
「オディリア! 父が迎えに来たのに、なぜ抱かれたままだ? お前が心配で来たんだ。私と帰るぞ」
用意していた返事が出ない。膝の傷より、父の声の方が痛い。公爵が門内で足を止めた。私は腕の中で固まる。下ろさないで、と言いたい口が動かない。父がこちらを見上げ、口を開く。
「娘を返せ!」




