第8話 役立たずの王子は、剣を取る
男子、三日会わざれば刮目して見よ。
子どもだけではなく、大人もそうでありたいです。
シュバルツ卿の部屋へ手紙を差し入れた翌日から、
私たちはそれぞれの戦いを始めた。
ラピスは朝になるたび、あの古い扉を訪れた。
二日目も。
三日目も。
返事はなかった。
それでも手紙だけを置き、深く頭を下げて戻ってくる。
そして、昼は協力者たちと村人の避難に走り回った。
老人と子供から先に荷馬車へ乗せ、家畜は森の奥へ移す。
一度に動けば目立つため、日が落ちてから少しずつ村を空にした。
ほんの二日とはいえ住み慣れた家を離れるのに、
村人たちは驚くほどたくさんの物を持ち出した。
布団。
鍋。
祖父の肖像画。
角の欠けた椅子まで。
「それも必要なの?」
私が尋ねると、椅子を抱えた老女は真顔でうなずいた。
「主人の特等席ですから」
「そう」
(私なら、何を持って出たかしら)
ジークはそんな彼らの手助けをし
ラピスも彼らに荷物を一度も咎めることがなかった
夜になると、ラピスはジークに剣を教わった。
最初の日は三合も持たなかった。
次の日は、五合目で剣を落とした。
その次の日は、剣は落とさなかったが、ラピスは体ごと地面に落ちた。
「姫様。笑うところではございません」
「笑ってないわ」
「顔に出ております」
「アナさん。次は、もう少し上手に転がります」
「倒れ方から覚えるのね」
ラピスは泥を払い、再び剣を握った。
勝てないことは、本人もジークも分かっている。
それでも彼は、毎晩地面へ転がった。
私は私で毎晩、自分の影と喋嘩をしていた。
伸びろ。
止まれ。
待て。
最初は命じてもまともに動かなかった。
それどころか、突然ジークの足元へ伸びたこともある。
「姫様。私を餌にするのはお控えください」
「命じてないわ」
「なお困ります」
四日目になって、ようやく三回に一回は言うことを聞くようになった。
ただし、腹が減っている時に限る。
随分と私に似た能力だった。
そして、視察前日の夜。
ラピスは雨の中を歩いたような姿で戻ってきた。
外套も靴も泥だらけだった。
けれど、その青い瞳だけは明るい。
「村人の避難が終わりました」
「一人も残っていない?」
「はい。家畜も含めて」
「特等席は?」
「主人諸共、無事です」
椅子の心配までしてくれるらしい。
(変なところで律儀ね)
「シュバルツ卿は?」
一転、ラピスの表情が曇った。
「最後まで、返事はありませんでした」
部屋の空気が少しだけ重くなった。
彼が来なければ、グレイルは負けを認めない。
証拠を突きつけても、騎士団の力で押し潰されるかもしれない。
「あなた、明日死ぬかもしれないのよ」
「分かっています」
「本当に?」
ラピスは少し考え、泥だらけの手を見つめた。
「本当は、怖いです」
「そう」
「兄に逆らうことも、命を落とすことも」
「そう」
「でも、何もしない自分に戻る方がもっと怖い」
静かな声だった。
強がっているようには聞こえない。
怖さを数えたうえで、それでも前へ進む人の声だった。
「森でアナさんたちを見つけた時、僕は初めて自分で何かを選びました」
ラピスが顔を上げる。
「あなたを助けたつもりでした。
でも、あの時救われたのは、僕も同じだったのかもしれません」
「まだ、私とジークしか救われていないわ」
「はい」
「王族なら、救うべき人間を救うのよ」
ラピスは微笑んだ。
弱々しくはない。
何度転んでも、また立つと決めた顔だった。
「男子、三日会わざれば刮目して見よとは、よく言ったものね」
「姫、何か言いましたか?」
「何も。さあ、寝るわよ!」
(もう一人、刮目しないといけない男子がいたわね)
窓の外で、夜の雨が止んだ。
決戦まで、あと数時間。
ジークがラピスへ乾いた布を差し出す。
「今夜はお休みください。倒れる練習は十分です」
「立つ練習だったつもりです」
「では明日、成果をお見せください」
ラピスは布を受け取った。
「はい」
その返事だけは、不思議と力強かった。
***
翌朝。
村は、静かだった。
静かすぎた。
一週間ぶりに村へやって来たグレイルは入口で馬を止めた。
供回りの騎士たちも顔を見合わせている。
人がいない。
一人も、いない。
家々の扉は閉ざされ、井戸端にも広場にも人影はなかった。
鶏の鳴き声さえ聞こえない。
(よく間に合わせたわね)
村を見下ろす丘の茂みから私はその光景を眺めていた。
隣ではジークが剣の柄に手を添えている。
グレイルが馬から降りた。
「どういうことだ。年貢を払えないから逃げたのか?」
答える者はいない。
「逃げれば許されると思っているらしいな」
グレイルは無人の広場へ歩みを進める。
聞いている者などいないのに、その声は次第に大きくなった。
「土地も作物も、民の命も王家のものだ。
どこへ逃げようと、私から逃れられると思うな」
(観客がいなくても演説はするのね)
ある意味、立派だった。
閉店後のお店で、延々と献立を読み上げる料理人くらい立派だ。
「村ごと焼け」
グレイルが騎士たちへ命じた。
「逃げた愚民どもが戻った時、何に逆らったのか分かるようにな」
騎士たちは動かなかった。
「聞こえなかったのか!」
「聞こえております、兄上」
広場の反対側からラピスが現れた。
泥のついた外套を脱ぎ、静かに地面へ置く。
その腰には一本の剣があった。
グレイルが目を細める。
「お前の仕業か」
「民は安全な場所へ移しました」
「今すぐ戻せ」
「お断りします」
柔らかな声だった。
けれど、昨日までとは違う。
磨かれる前の宝石にも、割れないための芯はあるらしい。
(いい顔になったじゃない)
「兄上。私と勝負をしてください」
「……何?」
「私が勝てば、王位継承権を放棄してください。そして、焼いた村々への裁きを受けてください」
沈黙。
束の間、グレイルが笑い声が響いた。
「お前が? 私に? 剣で?」
「はい」
「勝負にすらならん」
「怖いのですか?」
グレイルの顔から笑い声も笑みも消えた。
弱いと決めつけた相手に挑発されるのは、随分と口に合わないらしい。
「いいだろう」
グレイルが剣を抜いた。
「お前が負ければ、村人の居場所を吐け。あの辺境娘も私がもらう」
「彼女は物ではありません」
ラピスも剣を抜く。
「私が負けた時は、私の命だけを差し上げます」
「役立たずの命など、最初から要らん」
「でしたら、勝ってからお考えください」
ラピスの一人称が変わっていた。
僕ではない。
私。
弟としてではなく、この国の王族として立つ者の声だった。
男子、三日会わざれば刮目して見よ。
私は三日で5キロ太ったことがあります。
さあ、いよいよ1つ目の毒との対戦です。
ラピスの勝算は何処にあるのでしょうか?
本当は結末まで書きたかったのですが、申し訳ないです!
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次回は7/22更新です。




