第6話 第一の毒、グレイル登場
男は気になる女性がいるだけで、少しだけ勇敢になれる
翌日の昼。
宝石国の城にいた全員の背筋が、あの一言で一斉に伸びた。
「兄上が戻られました」
廊下を歩いていたラピスが足を止めた。
窓の向こうでは、騎士を引き連れた男が大きな馬から降りている。
年は二十代半ばほど。
体格がよく、顔立ちも悪くない。
ただ、何もかもが過剰だった。
鎧は必要以上に輝き、
馬は必要以上に大きい。
供回りの数も、
城を攻めに来たのかと思うほど多かった。
(見栄まで鎧で固めているのね)
「第一王子、グレイル兄上です」
ラピスの声から、いつもの柔らかさが消えていた。
「姫様。あの方の剣は飾りではありません」
ジークが中庭を見たまま、声を落とした。
「腰の置き方に隙がない。実戦を知る剣士です」
見栄だけで膨らんだ男ではないらしい。
強さがあるからこそ、誰も逆らえない。
地図の上で知った、一つ目の毒。
五つの村を焼いた男。
「随分と派手なお兄様ね」
「兄上は、目立つことがお好きなので」
「あなたとは正反対ね」
「よく言われます」
ラピスが笑おうとした。
けれど、その口元はうまく動かなかった。
それだけで、緊張感が伝わってきた。
***
玄関広間には、使用人たちが並んでいた。
グレイルが扉を開けて入ってくる。
背筋を伸ばしているのは、
敬意からというよりも、怯えから来るものなのだろう。
グレイルは誰の顔も見ず、
当然のように広間の中央を歩いていく。
その足が、ラピスを見つけて止まった。
「……まだ生きていたか」
挨拶より先に、それだった。
「今度はどこをほっつき歩いていた?」
「少し旅をしていました」
「旅?」
グレイルが鼻で笑った。
「役立たずは暇でいいな。
王家の名を持ちながら、何一つ国の役に立たない
まだ旅で死んでくれた方が、国のためになるんじゃないか?」
ラピスは反論しなかった。
俯きもせず、静かに立っている。
その姿が、かえってグレイルの癇に障ったらしい。
「その澄ました顔も気に入らん。私が王になったら、真っ先に城から——」
途中で、グレイルの目が私を捉えた。
「……それは何だ?」
(それ、ね)
誰かではなく、それ。
人を物として数える男の目だった。
「私の客人です」
ラピスが答える。
グレイルは私へ近づき、上から下まで眺めた。
「名は?」
「アナと申します」
私は丁寧に頭を下げた。
「どこの生まれだ」
「帝国との国境に近い、小さな村です」
嘘は、少しだけ本当を混ぜた方が信じられやすい。
私が帝国から来たことだけは、間違っていなかった。
「辺境か。役立たずには似合いの連れだな」
グレイルが私の顎へ手を伸ばした。
その指が触れるより先に、ラピスが一歩前へ出た。
「兄上」
細い体が、私とグレイルの間に入る。
「彼女は、私の大切な客人です」
広間の空気が止まった。
使用人たちが息を呑む。
ラピス自身も、ほんの少しだけ震えていた。
それでも退かなかった。
(へえ)
これが彼なりの覚悟なのだろう。
どうやら私の見立ては、間違っていなかったらしい。
グレイルはラピスを見て、それから声を上げて笑った。
「役立たずに大切な客人とは。笑わせる」
ラピスの肩を乱暴に押す。
よろめいたラピスを、ジークが後ろから支えた。
グレイルはもう興味を失ったように歩き出す。
「父上の病が長引いているから、お前は城にいられるだけだ。
私が王になったら居場所、いや命はないと思え」
供回りの騎士たちが後へ続いた。
誰一人、ラピスを見ようとしなかった。
静けさが戻る。
「……申し訳ありません」
ラピスが小さく言った。
「どうしてあなたが謝るの?」
「兄上が、失礼を」
「構わないわ」
私はグレイルの消えた廊下を見る。
声。
顔。
ラピスへ伸ばした手。
(全部、覚えた)
「いつも、ああなの?」
「兄上は、僕が何を言っても聞きません」
「聞くかどうかではなく、なぜ言い返さないのかと聞いたの」
ラピスが黙った。
廊下の端では、使用人たちがまだこちらの様子をうかがっている。
「僕が逆らえば、兄上の怒りは使用人や民へ向かいます」
「だから、あなたが黙って受けてきた?」
「受けたつもりになっていただけです」
ラピスは自分の手を見る。
「結局、村は焼かれました。
僕は誰の盾にもなれていなかった」
悔しさが、青い瞳の奥で揺れていた。
怒りより静かで、諦めより熱い光だった。
「なら、今日から黙るのをやめなさい」
「簡単に言いますね」
「難しく言うと長くなるでしょう?」
「姫様は、難しいことほど短くおっしゃいますから」
ジークが当然のように加わった。
「あなたは少し黙っていて」
「承知しました」
返事だけは、いつも素直だった。
「それに、さっきはできたじゃない。
これまでで一番、王族っぽかったわよ」
見間違えかもしれないが、少し耳が赤くなっていた。
***
夕食の席にも、グレイルは現れた。
もちろん、一番最後に入室し一番最初に手をつける。
上座へ腰を下ろし、運ばれた料理を一口だけ口にする。
次の瞬間、皿が床へ落ちた。
「冷めている。作り直せ」
白い皿が割れ、肉と野菜が床へ散らばる。
使用人が青い顔で膝をついた。
泥をつけられたパン屑が、記憶の底から蘇る。
口にできるものを踏みにじる人間は嫌いだ。
自分が飢えたことのない顔をしているから。
(骨の髄まで毒々しいわね)
「そこの辺境娘」
グレイルが杯を差し出した。
「こちらへ来て、酒を注げ」
ジークの椅子がわずかに鳴る。
私は小さく首を振り、酒瓶を手に立ち上がった。
今はまだ、喉元へ牙を立てる時ではない。
「それでいい」
杯へ酒を注ぐと、グレイルは満足そうに飲み干した。
「ラピス。お前の連れは、お前よりよほど役に立つ」
「兄上は、一週間後に村へ視察に行かれるそうですね」
ラピスが穏やかに問いかけた。
先ほどまで震えていたことを感じさせない声だった。
「ああ。また年貢を引き上げる」
「昨年、すでに三割引き上げています。
これ以上は民が耐えられません」
「耐えるかどうかを決めるのは私だ。
民のことを考える前に、国のことを考えろ」
グレイルは酒をあおり、空の杯を私へ突き出した。
「土地も、作物も、民の命も王家のものだ。
出せないなら、また村を焼けばいい」
ラピスの手が、卓の下で固く握られた。
それでも、表情は崩さない。
「兄上は、本気でそうお考えなのですね」
「目の前のことしか気にかけない役立たずには、
至らん考えだろうな。」
グレイルが立ち上がる。
通り過ぎる直前、私を横目で見た。
「……お前。本当に、ただの村娘か?」
「ただの村娘に見えませんか?」
「目が気に入らん」
「よく言われます」
短く鼻を鳴らし、グレイルは食堂を出ていった。
扉が閉まる。
ラピスが、ようやく握っていた手を開いた。
掌には爪の痕が残っている。
「アナさん。今夜、人を集めます」
「ええ。あなたの好きになさい」
「一週間で、兄上を止めます」
今度の声には震えがなかった。
私は空になった杯を卓へ戻す。
「それだけあれば十分よ」
最初の毒は、よく囀る。
おかげで調理法まで、自分から教えてくれるのだから。
最初の毒はラピスと似ても似つかない、真反対の長男です。
あなたの周りにもブランドで身を固め、人脈を見せつけ
札束で頬を叩いてくるようなやつはいませんか?
そんな人を想像しながら読んでもらえたら、
ちょっとは溜飲を下げるお手伝いができるかもしれません。
さて、気になる調理法はどんな手法なのか?
面白い、続きが気になると思っていただけましたら、
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次回は7/20 20時更新です




