第5話 国を蝕む、3つの毒
その瞳は金を見るか。民を観るか。
食堂を出た途端、ジークに叱られた。
「なぜ、毒を盛られたとおっしゃらなかったのですか」
「口にした時は気づかなかったのよ」
「では、苦しくなった時に」
「声が出なかったの」
ジークの口が閉じた。
怒っていた顔から、すっと血の気が引いていく。
(白パンに逆戻りね)
「でも、もう平気よ」
「平気かどうかを決めるのは、姫様ではありません」
「私の体なのだけど」
「そのあなたに任せたら、死にかけてるじゃないですか」
返す言葉がなかった。
この騎士は、時々とても正しい。
正しいジークは、少し面倒だった。
「……悪かったわ」
小さく謝ると、ジークが目を見開いた。
「何よ」
「いえ。姫様でも謝罪なさるのだと」
「あなたが言ったんでしょ?私の性格が変わったと」
「これは想定外でした」
「なら、前言撤回するわ」
「おやめください」
後ろから、ラピスの笑い声が聞こえた。
振り返ると、慌てて口元を押さえている。
「ご、ごめんなさい。でも、お二人は本当に仲がいいんですね」
「どこを見たらそうなるの?」
「そうですね。騎士は寡黙であるべきですね。」
(騎士も同盟相手も間違えたかしら)
***
その日の午後。
私たちは客室の卓上に、古びた地図を広げていた。
城を中心に街道と村の位置が細かく書き込まれている。
地図の端には、小さな焦げ跡のような印が五つあった。
その上へ、ラピスが三枚の書類を並べる。
一枚目は、端の焼け焦げた嘆願書。
二枚目は、王家の支出が並ぶ帳簿の写し。
三枚目は、宰相の印が押された布告だった。
「これが、三つの毒?」
「その毒が残した痕です」
ラピスの指が、地図にある五つの焦げ跡をなぞった。
「父上は三年前から病床にあります。
政務を執れる状態ではありません。その隙に三人が横取りしました」
最初の嘆願書が開かれる。
紙には、何度も書き直した跡があった。
"助けてください。
年貢を納められません。
子供たちだけでも、お助けください。"
そんな言葉が、震えた文字で並んでいる。
「一人目は、第一王子のグレイル兄上です」
ラピスの声が硬くなった。
「騎士団を掌握し、逆らう者を力で押さえています。去年だけで五つの村が焼かれました」
「この印の場所ね」
「はい。年貢を納められなかったという理由だけで」
腹の底に、冷たいものが落ちた。
泥にまみれたパン屑を拾った手を思い出す。
飢える苦しさを知っている。
それを罰として与える者の顔も、よく知っていた。
(気に入らないわね)
ラピスが二枚目の帳簿を開いた。
酒宴。
賭博の負債。
宝飾品。
同じ名へ向けて、国庫から金が流れ続けている。
「二人目は、第二王子のオスカー兄上です」
「豪快な使い方ね」
「褒めてはいませんよね?」
「まさか」
「安心しました」
ラピスは疲れたように息を吐いた。
「悪意があるわけではありません。
ですが、酒と賭博に溺れ、国庫から金を引き出し続けています」
「悪気なく国を傾ける。王族ゆえ、一番叱りにくい種類ね」
最後に、宰相の印が押された布告を見る。
税率の変更。
騎士団への追加予算。
反対した地方領主から土地を取り上げる命令。
全て、国王の名で出されていた。
けれど、国王は病床に倒れているはずだ。
「三人目は、宰相ヴァルド卿です」
昨夜のスープを思い出す。
(薄味だったわね)
「王家を支えるふりをして、全ての決定権を握っています。帝国とつながっている疑いもあります」
疑い。
ヴァルドが私へ向けた目と食事を思えば、限りなく黒に近い。
「王族を操る宰相。民を焼く第一王子。国庫を空にする第二王子」
私は三本の指を立てた。
「三種盛りね」
ラピスが、きょとんとした顔をした。
ジークは額を押さえている。
「姫様。料理に例えるのは、いかがなものかと」
「私にとっては食べ物よ。全部、飲み込むつもりだもの」
「そのお言葉を聞くと、比喩かどうか分からなくなります」
それは私にも分からない。
***
「一つずつ処理しましょう。順番が大事よ」
私は三枚の書類を並べ直した。
ヴァルドは最後だ。
策士は、逃げ道を残したまま追い詰めてはいけない。
周りの手足を奪い、味方を減らす。
それから、ゆっくり皿へ載せる。
「まずは民を苦しめている第一王子からね」
グレイルの名がある嘆願書へ指を置いた。
ラピスが、まっすぐ私を見る。
「僕に、考えがあります」
「聞かせて」
「城の外に、僕を信じてくれる人たちがいます」
グレイルに村を焼かれた農民。
不当に家族を捕らえられた商人。
ヴァルドに土地を奪われた地方領主。
ラピスは城を出るたび、
そうした者たちの話を聞いてきたらしい。
「何人いるの?」
「今すぐ集められる者だけで、五十人ほどです」
ラピスは懐から薄い手帳を取り出した。
使い込まれた頁には、名前と村の位置がびっしり書かれている。
家族の人数や必要な薬まで、小さな文字で添えられていた。
「すぐには助けられませんでした。だから、せめて忘れないようにしていたんです」
何もできなかったと言いながら、この子は一人ひとりを覚えていた。
見捨てられた人間にとって、自分を覚えている者がいることは小さくない。
役立たずの第三王子。
城の中では、誰の目にも映らなかった少年。
この子の目には常に民が映っていた。
(やっぱり、磨けば光る)
「ただ、武器も訓練もありません。
騎士団と正面から戦えば、誰も生き残れないでしょう」
「正面からぶつける必要はないわ」
私は地図を指先で叩いた。
「武器がなくても、人は動ける。役割を間違えなければね」
ラピスの目に光が灯る。
宿屋で見た、小さいけれど消えない光だった。
「任せてもらえますか」
「当たり前でしょう。あなたの国よ」
「アナさんは?」
「あなたの後ろで、大口を開けて待っているわ」
「大口を開けるというのは……」
「姫の比喩です。多分。」
ジークが小さくため息をついた。
その刹那。
彼の手が剣の柄へ伸びる。
ジークは音もなく扉へ近づき、勢いよく開いた。
廊下には誰もいない。
ただ、石床に小さな砂粒が落ちていた。
誰かが、扉の向こうで聞いていたということだ。
「……続きは場所を変えましょう」
ジークが声を落とした。
ラピスもうなずき、地図を畳み始める。
その手が途中で止まった。
「一つ、伝えておくことがあります」
「何?」
「グレイル兄上が、一週間後に城下近くの村へ来ます。視察という名目で」
視察。
焼かれた五つの印を見た後では、その意味を聞く必要もなかった。
私は地図の上に残された村へ指を置く。
「一週間ね」
最初の毒を盛り付けるには、十分な時間だった。
さあ、まずは1つ目の毒にターゲットを絞ったアナ一行。
宝石国随一の武力を手にするグレイルに対して
アナはどう対応するのか。
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