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消し炭皇女、毒も魔力も国ごと飲み込まさせていただきます ~ミセス・アナコンダ~【改稿版】  作者: 大背戸智


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第2話 帝国最強の暗殺部隊、奇襲

本人が絶望の淵だと思っても、側から見たら歓喜の入口なのかもしれない。

「……え?」


ジークが、止まった。

呆然と私を見つめている。

その目だけで「今、何と?」と訴えていた。


「だから、お腹が空いたと言ったの」


立ち上がろうとしたけれど、足に力が入らない。


体の中で何かが暴れている。

脱皮したばかりの新しい体は、まだ私の命令を半分しか聞いてくれなかった。


(生まれたての蛇みたいね。気持ちは分かるけど、今は困るわ)



「姫様。どこか、お痛みが?」

「お腹よ。空腹でひっくり返りそうなの」

「今は食事より、ここを離れるのが先です」

「分かってるわ。でも本当にお腹が空いているの。これはどうしようもないでしょ」



ジークが深く息を吐いた。

この状況でため息をつける神経が、少しだけ羨ましい。



「……承知しました。まずは、ここを離れます」


彼は私の前に膝をつき、迷わず背負い上げた。


問答無用だった。


「歩けるわ」

「立つこともできていませんでした」

「細かい男ね」

「大事なことです」


言い返す隙もなく、ジークが私の腕を自分の首へ回す。


「急ぎます。しっかり捕まっていてください」


私は渋々、その背中にしがみついた。


血と泥の臭いがした。

それでも、地下牢の冷たい床よりはずっと温かかった。


けれど、その背中はひどく熱い。

私を城から運び出したせいで、まだ呼吸も整っていないのだ。


「ジーク。あなた、休んでいないでしょ」


「姫様が目を覚まされるまでは、休息など取れません」


「そういうところよ」


何が、とは言わなかった。


言えば、この不器用な騎士は反省するのではなく、もっと上手に無茶を隠そうとする気がした。


***


廃屋の扉を開けた瞬間だった。


「いたぞ」


低い声が、夜の森に落ちた。

木々の間から黒装束の影が現れる。


一人。

二人。

三人。


気づいた時には、七人に囲まれていた。


あのまま小屋でぬくぬくご飯を食べようものなら

針の筵になっていただろう。


(さすがね。)


心の中でジークを褒め称えてあげた。



私には、足音一つ聞こえなかった。

木の葉が揺れる気配さえ、扉を開けるまで感じ取れなかった。

暗殺部隊の名は、伊達ではないらしい。


(七人。憎きバイパー直属の暗殺部隊がいると聞いたことがあるわ)


五年も地下牢に閉じ込められていた私でさえ、その名は知っている。


帝国宰相バイパー直属の暗殺部隊——七牙。


先頭に立つ男だけ、他の六人とは空気が違った。


頭一つ分ほど背が高い。

仮面の奥の目が、獲物を値踏みするように細められている。


「第七牙……カイン」


ジークが低く呟いた。


「私たち二人に、幹部を出してくるとは。バイパーも本気ですね」


「光栄に思え。貴様らなぞのために、私が直々に来てやった」


カインの声は静かだった。


勝つことを疑っていない。

私たちを殺すことなど、仕事のうちにも入らないと言いたげな声だった。


(末席でこれなら、上は相当ね)


「姫様、揺れますよ——」


と言い切る前にジークの逃げ足が一段も二段も上がった。


が、六人の部下たちは難なく行く手を塞ぐ。


ジークの剣が闇を裂き、正面の二人を弾いた。


倒すための剣ではない。

私を連れて逃げるために、敵の刃と体勢だけを捌いている。


一人を斬るために足を止めれば、

その瞬間に残りの六人が追いつく。

ジークはそれを分かっていた。


開いた隙間は、ほんの一瞬。

彼は私を背負ったまま、そこへ飛び込んだ。


枝が頬をかすめる。泥が跳ね、夜気が肺を刺した。


「追ってきてる?」


「……全員です」


ジークが、息を整えた。

私は、ため息をついてしまった。


こんな状況でため息をつける。

私はまだまだジークを信じているのだ。


***


走り始めて、どれほど経っただろう。

森は深く、夜は暗い。

道らしい道など、どこにもなかった。


それでもジークは止まらない。

泥を踏み、枝を払い、私を背負ったまま走り続けている。


けれど、その呼吸は少しずつ乱れていた。


後ろから迫る気配は、もう百メートルもない。


(燃料が切れてきてる。体が動かない。お腹が空いてる)


三つを同時に解決できる方法があればいいのだけど。



「姫様」



ジークの声が変わった。

低く、静かな声。覚悟を決めた者の声だった。


「申し訳ありません」


「何が」


「お守りすると、お約束したのに」



ジークが徐々に走るのを止め、私を地面へ下ろした。

立てるか確かめるように両肩を支える。

それから、名残を惜しむようにゆっくりと手を離した。



「姫様だけでも、お逃げください」


「でも——」


「いいから、早く逃げろ! アナ!」


呼び捨てだった。

生まれて初めて、ジークが私を名前で呼んだ。



胸の奥が、痛いほど大きく鳴る。



(珍しいこともあるものね)


「……何よ。ジークのくせに」


「説教は、後で聞きます」


「絶対、聞きに来るのよ」


「はい」


私は背を向け、走り出した。


走ったつもりだった。


足が重い。膝が震え、枝に何度も取られる。


覚醒してから、まだ何も口にしていない。

脱皮したばかりの体が、完全に燃料切れを起こしていた。



(動け。動いて)



自分の足に命令しながら、それでも前へ進んだ。


後ろを見てはいけない。


分かっていた。


けれど、聞こえてしまった。


剣戟の音。

金属が悲鳴を上げる音。


それから——ジークの、くぐもった声。


『逃げろ……アナ……生きろ……ッ!』


お父様の最期の声が、頭の中で重なった。


同じ言葉だった。


私を生かすために、大切な人が一人で残る。

私だけが言いつけを守って、その人は二度と戻らない。


私の人生は、大切な人の死の上に成り立つの?

そんなものを、もう一度繰り返せというの?



(冗談じゃないわ)



足が止めてしまった。

振り返ってしまった。



「ごめん。」



ジークは木へ叩きつけられていた。

口の端から血を流し、膝をついている。

それでも剣だけは手放していなかった。



六人の部下が、そんなジークを囲んでいる。

そしてカインだけが、私の方へ歩いてきていた。



ゆっくりと。

焦りなど、欠片もなく。



私はただ立ち尽くすしか無かった。

それは勝てるはずのない相手への絶望なのか。

それとも、動くための燃料が無くなっただけなのか。



(さすがに、これは)



私はため息を吐くしかなかった。


「皇女よ」


カインが十歩ほどの距離で止まる。


「抵抗しなければ、苦しまずに済む。バイパー様は、貴様の死体さえあればいい」


「私、生きているのだけど」


「すぐに死体になる」


話が早い男だった。


魔力はない。

剣もない。

足も、ろくに動かない。


歩もうと、逃げようと道がない。

まさに死の淵。

ただ立っているだけの、役立たずの皇女。



(皇女という肩書きも、随分怪しくなってきたけど)



カインが一歩、踏み出した。


逃げようとした足がもつれ、膝が地面につく。


カインが手を上げた。


終わりだと思った。


その瞬間。


足元の影が、ぐにゃりと動いた。



「……なに?」



カインの声が、初めて揺れた。


私の影が、生き物のように身を起こしている。


腹を空かせた獣が、目の前の獲物に気づいたように。


(ああ、これは誰に感謝したらいいのだろうか)


その時、死の淵に立ったと悟るべきだったのは——。

カインの方だった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

絶体絶命の中、揺らいだアナの影。

一体何が起きるのでしょう。


第3話は、遂に異能が発動します。

そして、もう一人の「役立たず」との出会いです。


アナたちの続きを見届けたいと思っていただけましたら、

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