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夏への道のり  作者: みつおちゃん
第二幕
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16/17

第十五章 保護者会

七月に入っていた。

梅雨が明けかけていた。空が、少しずつ高くなっていた。

はるかの学校から、保護者会の案内が届いたのは、先週のことだった。

賢治はリビングのテーブルに案内を置いたまま、三日間、何も言わなかった。

あかねがそれに気づいたのは、四日目の朝だった。

テーブルを拭いている時に、封筒の下に紙が見えた。日付。場所。保護者会のご案内。

あかねは、紙を見た。

日付は、来週の木曜日だった。平日の午後二時。


――


その夜。

賢治がリビングでコーヒーを飲んでいた。

あかねが、封筒をテーブルに置いた。

「これ、保護者会のご案内ですか」

賢治の手が、一瞬止まった。

「……ああ」

「出席されますか」

「……難しい。木曜の午後は、どうしても抜けられない」

賢治は、コーヒーを見ていた。

「毎回そうなんだ。あかねが——本物のあかねが生きていた頃は、全部あいつが出ていた。俺は一度も行かなかった」

あかねは、黙っていた。

「あかねが死んでからも、行けなかった。はるかに聞いたら、『来なくていい』と言われた。それきりだ」

「……わたしが出ましょうか」

賢治が、あかねを見た。

「お前が?」

「はるかさんのことを、学校の先生方に聞く機会になります。はるかさんが学校でどんなふうに過ごしているか、わたしにはわからないので」

賢治は、しばらく考えていた。

「……はるかに聞いてくれ。あいつが嫌だと言ったら、やめてくれ」

「わかりました」


――


翌朝。

朝食の後、はるかが部屋に戻ろうとした時、あかねが声をかけた。

「はるかさん」

「なに」

「保護者会のこと、聞いてもいいですか」

はるかの足が止まった。

「……見たの」

「はい。お父さんは、お仕事で出られないそうです」

「知ってる。毎回そう」

はるかの声は平坦だった。慣れていた。

「わたしが代わりに出てもいいですか」

はるかが振り返った。

少し驚いた顔をしていた。

「あかねが?」

「はい」

はるかは、しばらくあかねを見ていた。

それから、視線を逸らした。

「……別にいいけど」

「本当に?」

「うん。というか——誰かが来てくれた方が、いい」

最後の方が、小さかった。

あかねは、それを聞き逃さなかった。

 誰かが来てくれた方が、いい。

四年間、保護者会に誰も来なかった。はるかは毎回、空席の横の自分の名前を見ていたのだろう。

「行きます」

あかねは、静かに言った。


――


木曜日。午後一時半。

あかねは、衣装ケースから白いカーディガンを出した。

前に賢治と外出した時に着たものだ。ベージュのスカートも。革のベルトも。

鏡の前に立った。

二十歳の顔。三十代の服。相変わらず、肩が少し余る。

でも——これが、一番まともな格好だった。

あかねは玄関を出た。


――


千歳烏山の駅は、平日の昼間だった。

改札を抜けてホームに上がると、各停の電車が来た。クリーム色の車体に臙脂のライン。京王線の車両は、どこか柔らかい色をしている。

つつじヶ丘で降りた。はるかの高校は、駅から歩いて十分ほどだった。住宅街の坂を上ると、生垣の向こうにグラウンドが見えた。

門をくぐると、他の保護者たちがちらほら歩いていた。四十代、五十代の女性がほとんどだった。スーツの男性が一人。

あかねは、教室に向かった。

廊下を歩いていると、すれ違う保護者が、あかねをちらりと見た。

若かった。明らかに、他の保護者と年齢が違った。二十歳にしか見えない女が、保護者会に来ている。

教室に入った。後ろの席に座った。

前の方に、担任の女性教師が立っていた。五十代。落ち着いた表情。

保護者会が始まった。

成績の話。進路の話。夏休みの予定。

あかねは、静かに聞いていた。はるかの成績は上位だった。授業態度も問題ない。

途中で、担任が「何か質問がある方」と言った。

一人の保護者が手を挙げた。

「桜木さんのお宅から、今日はどなたが」

担任が、あかねの方を見た。

あかねは立ち上がった。

「桜木はるかの父の代理で参りました。仕事の都合で来られないためです」

教室の空気が、少し変わった。

保護者たちの視線が、あかねに集まっていた。

若すぎる。姉にしても若い。親戚? 家政婦?

一人の保護者が、隣の保護者に何かを囁いた。

保護者会が終わった後、担任が教卓であかねに声をかけた。

「少しよろしいですか」

「はい」

「桜木さんのお宅とのご関係を、もう少し詳しく教えていただけますか。お母様は——」

「四年前に亡くなりました」

「ええ、それは把握しています。あなたは——」

担任の目が、あかねの顔を見ていた。

丁寧だったが、探るような目だった。

あかねは、少し迷った。

嘘をつく能力はあった。親戚だと言うこともできた。

でも——嘘は、つきたくなかった。

「わたしは、アンドロイドです」

教室の中が、静まった。

まだ数人の保護者が残っていた。

全員が、あかねを見ていた。

担任の表情が、固くなった。

「……アンドロイド」

「はい。桜木家で家事全般を担当しています。はるかさんの保護者会に出席できる人間がいないため、わたしが参りました」

担任は、しばらく何も言わなかった。

それから、プリントの束を整えながら、言った。

「そうでしたか。……今後は、できればご家族の方に出席していただけると」

声は丁寧だった。

でも——意味は明確だった。

あなたは、保護者ではない。

「……はい」

あかねは、頭を下げた。

教室を出た。

廊下を歩いていると、後ろから声が聞こえた。

「あの若い人、アンドロイドだったの」

「桜木さんのところって——」

「奥さん亡くなったんでしょう。それで機械に代わりを——」

「ちょっと、子どもの保護者会にアンドロイドを寄越すって……」

あかねは、振り返らなかった。

足を止めず、まっすぐ歩いた。

校門を出た。

駅に向かう道を歩いた。

七月の日差しが、白いカーディガンの肩に当たっていた。

 今後は、できればご家族の方に。

 あなたは、保護者ではない。

あかねは、歩きながら、その言葉を噛みしめていた。

正しかった。

正しいことが、なぜこんなに——

あかねは、自分の胸に手を当てた。

動いていなかった。いつも通り。心臓はない。

でも——そこに、重いものがあった。

怒りではなかった。悲しみとも、少し違った。

もっと静かで、もっと冷たいものだった。

 はるかさんが、来てくれた方がいいと言ったから、来た。

 でも——わたしが来ることは、間違いだったのだろうか。

つつじヶ丘の駅に戻った。

上りホームに立つと、線路の向こうに住宅街の屋根が続いていた。遮断機の警報音が鳴り、踏切が閉まる。

電車が来るまで、三分間。

その三分間、あかねは立ったまま、目の前の線路を見ていた。夏草の匂いがした。線路脇の側溝に、雑草が青く茂っていた。

何も考えていないように見えた。

でも——胸の中で、何かが静かに傷ついていた。


――


帰宅すると、はるかが待っていた。

リビングのソファに座って、スマートフォンを触っていた。

あかねが玄関を開けた音で、顔を上げた。

「どうだった」

「成績は上位でした。授業態度も問題ないそうです」

「そっか」

はるかは、あかねの顔を見ていた。

「……他には」

あかねは、靴を脱ぎながら、少し間を置いた。

「先生が、次回は家族の方に出席してほしいと」

はるかの目が、少し細くなった。

「……なんで」

「わたしがアンドロイドだと伝えたので」

はるかが、スマートフォンを膝に置いた。

「嫌なこと言われた?」

あかねは、靴を揃えた。

「いいえ。皆さん、丁寧でした」

嘘だった。

廊下の声は聞こえていた。全部、記録していた。でも——はるかに、それを聞かせる必要はなかった。

はるかは、あかねの顔を見ていた。

長い間、見ていた。

「……嘘つき」

静かな声だった。

あかねは、顔を上げた。

はるかの目が、まっすぐだった。

「あかね、嘘つくの下手だよ」

「……」

「顔に出てる」

あかねは、自分の顔に手を当てた。

はるかは、少し黙った。それから、窓の方を見た。

「……わたしも、毎回そうだった」

「……え?」

「保護者会の後。クラスの子に、『お前んち、今回も誰も来なかったな』って。毎回。四年間ずっと」

あかねは、動けなかった。

はるかが、立ち上がった。

「だから——ありがとう。来てくれて」

あかねは、廊下に立ったまま、はるかを見ていた。

「次も——来てくれていいよ。先生が何言おうと」

はるかは、それだけ言って、自分の部屋に向かった。

ドアが閉まった。

あかねは、しばらく廊下に立っていた。

 次も来ていい。

はるかの言葉が、さっきまで胸にあった冷たいものの上に、温かく落ちてきた。

消えたわけではなかった。

学校の廊下で聞いた声は、まだ記録の中にあった。

でも——はるかの「ありがとう」が、その上に、静かに重なった。

傷は消えなかった。

でも——傷の上に、何かが育ち始めていた。

あかねは、白いカーディガンを脱いで、丁寧に畳んだ。

 でも——また着たい。

たとえ、世界がそれを認めなくても。


――


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