第八話 じこしょうかい!
学校めぐりだ。
先生の後について、校内の施設を案内してもらう、あの行事。
オレも、みんなも、わくわくしていた。
この学校という大きな学舎を、小さな身体で冒険する。
先生を先頭に隊列を組んで進む様子は、まるで子供の頃に熱中した『ドラゴンクエスト』の一行のようだ。
……なんだか、余計に気分が乗ってきた。
次々と、施設が紹介されていく。
「ここがトイレでーす! トイレは、授業の前にすませておこうね!」
階段を下りる。
「ここは三年生の教室です。みんな授業中だから、静かにねー」
「で、こっちが職員室。先生たちがいるお部屋だよ」
職員室か。
……小学生の頃は、聖域だったな。扉の前に立つだけで、妙な緊張感が走ったものだ。
チラッと中を覗いてみる。
ドラマで見るのと、構成は同じ。質素なデスクに、事務椅子がずらりと並んでいる。
だが、決定的に違うものがあった。
机の上の、書類の量だ。
プリント、ファイル、提出物の山。普通なら確実に溢れかえる量を、それぞれの先生が、絶妙なバランスで机に収めきっている。
……先生という仕事は、オレが思っているより、ずっと複雑で大変なものなんだろうな。
社会人を経験した今だからこそ、その机の重みが、なんとなく分かる気がした。
少し歩くと、図書室があった。
中に入ると、さまざまな本が、棚いっぱいに並んでいる。
その瞬間、矢彦がぽつりと呟いた。
「ここは……僕の聖域だ」
言うが早いか、高学年向けの分厚い本を一冊抜き取り、夢中で眺めている。
六歳が読む本じゃないだろ、それは。
そんな矢彦を横目に、ふと見ると、図書室の入り口に小さな水槽が置かれていた。
中では、名前は忘れてしまったが、可愛らしい熱帯魚が泳いでいる。
優世が、興味津々で覗き込んだ。
「おれ、おさかな好きなんだよ。かわいいよな。ほら、みてみて」
その様子に気づいた戸田先生が、本棚からすっと一冊、魚の図鑑を抜いて渡してくれた。
「そのおさかなさん、なんていう名前かな? 図鑑から探してみよっか」
優世は目を輝かせて、ぺらぺらと夢中でページをめくる。オレも、隣で一緒に探した。
図鑑の後ろのほうで、ようやくその魚を見つけた。名前は――「グッピー」。
……オレが子供の頃、ちょっとしたブームになった魚だ。懐かしい響きだった。
図書室を後にする。
優世は、よほど気に入ったらしい。
「おれも、グッピー飼いたいなあ。おかあさんに、きいてみよっかな」
どこもかしこも懐かしく、非常に楽しい時間だった。そうして、ぐるりと巡り終えて、教室へと戻ってくる。
あっという間だった。気づけば、二時間目はとっくに終わっている。
しばしの休憩だ。
オレは、後ろの席の真弘に話しかけてみた。
「どうだった? お気に入りの場所、見つかったか?」
真弘は、きょとんとした顔で答えた。
「わからん。おれ、トイレしかおぼえてない」
「トイレ?」
「おしっこ、いきたすぎて……ほかのこと、ぜんぶわすれた!」
なぜか、少し自慢げだった。
「そ、そうか」
……ダメだこいつは。まったく話にならん。
真弘は、控えめに言ってもバカだ。勉強はからっきしだし、いつも、どこかとぼけたことばかり言っている。
だが、底抜けに明るい。いつだって、オレたちを笑わせてくれる、最高のムードメーカーだった。
思えば、こいつが落ち込んでいるところを、オレは一度も見たことがない。
トイレの話で得意げになっている真弘に、オレは構わず、とりとめのない話を続けた。
ふと、優世のほうに目をやる。
優世は、矢彦と話していた。
というより、矢彦が一方的に、何やら熱心に語り続けている。
さっき図書室で読んだ本の話だろうか。優世は、うんうんと頷くばかりだ。
こちらの視線に気づいたのか、優世がぱっと顔を上げ、ニコッと笑って手を振ってくれた。
オレも、手を振り返す。
ガラガラッ。
教室の扉が開き、戸田先生が入ってきた。
「はーい、それじゃあ今から、三時間目の授業を始めまーす!」
先生にならって、オレたちも声を揃える。
「はじめまーす!」
「みんなには今から、この『じこしょうかいちょう』を書いてもらいまーす! プリント、後ろに回してくださいね」
プリントが配られていく。オレは自分の一枚を取り、残りを後ろの真弘へ回す。
手元のプリントを見ると、真ん中に可愛らしい宇宙飛行士のイラスト。その周りに、いくつかの吹き出しがついている。
なまえ。たんじょうび。すきなたべもの。すきなあそび。しょうらいのゆめ。みんなにひとこと。
それぞれの吹き出しに、そんな項目が割り振られていた。
オレは、ひとつずつ真面目に書き込んでいく。
久しぶりに握った鉛筆は、意外なほど手に馴染んで、書き心地が良かった。
「みんなー、書けましたかー?」
戸田先生の問いかけに、子供たちが口々に返事をする。
「それでは、後ろの子と、机をくっつけてください!」
オレは、真弘と向かい合わせになった。
「じゃあ、後ろを向いてる人から、自己紹介してみてね!」
どうやら、オレが先らしい。
オレは精一杯、子供らしい喋り方を心がけて読み上げる。
「あまや……こじろうです。すきなたべものは、エビフライ。たんじょうびは、八月六日で……」
真弘は、オレが一項目読み上げるたびに、
「こじろうな! よろしく!」「エビフライ! おれもすき!」
と、いちいち全力で返事をしてくれた。いいやつだ。
……ちなみに、本当に好きな食べ物はビーフシチューだ。
だが、六歳が「ビーフシチュー」は、さすがに大人っぽすぎる。無難に、エビフライにしておいた。
そして――将来の夢。
ここで、少し言葉に詰まった。
オレの、将来の夢。
……そうだ。オレは昔、料理が好きだった。高校生くらいになるまで、本気で、料理人になりたいと思っていた。
だが、大人になるにつれ、現実というものを思い知る。
安定とか、世間体とか、いろんなものを天秤にかけて。結局、その一歩をなかなか踏み出せないまま、いつのまにか、ただのサラリーマンになっていた。
夢を、いつから見なくなったんだったか。
……いや。
今は違う。晴れて小学生に戻ったオレは、無敵だ。
夢なんてものは、デカければデカいほどいい。誰に遠慮することもない。
オレは、ちょっと得意げに、発表してやった。
「しょうらいのゆめは……りょうりにん、です!」
「りょうりにん!? おまえ、すげえんだな! かっこいい!」
真弘が、目を輝かせて食いついてきた。
「こんど、おれにもなんかつくってよ! おれ、おうえんする!」
全力で褒めて、応援してくれる真弘。その屈託のなさが、なんだかくすぐったい。
……よし。約束だ。いつか必ず、こいつに何か作って食わせてやろう。
さて。次は、真弘の番だ。
「いわせ、まひろ! すきなたべものは、からあげ! たんじょうびは、4がつ! すきなあそびは、おにご!」
一項目ずつ、元気いっぱいに読み上げていく。声が大きい。
ふむ。好きな遊びが鬼ごっこ、というのが、いかにも真弘らしい。
元気が有り余っているんだろう。
そして、将来の夢。
オレは、こいつがどんな夢を語るのか、ちょっと楽しみにしていた。料理人と語ったオレに、負けじと何か大きな夢を....
「しょうらいのゆめは……ぼう!」
「…………ぼう?」
聞き間違いかと思った。
「うん! ぼう!」
真弘は、自信満々に頷いている。
棒。
ぼう、とは、いったい。あの、地面に落ちてる、木の棒のことか。それとも何かの略か。職業か。比喩か。
「……まひろ。その、ぼう、ってのは」
「ぼうは、ぼう!」
宇宙飛行士とか、サッカー選手とか。そういう、いかにも子供らしい夢を期待していたオレは、すっかり呆気にとられた。
「なんで、棒なんだ?」
思わず理由を尋ねたオレに、真弘は胸を張って、一言。
「なんか! かっこいいから!」
どうやら、これが真弘の口癖らしい。
棒の、いったいどこがかっこいいのか。オレには、さっぱり理解できない。
……まったく、こいつは。
オレは、思わずふきだしてしまった、料理人だの何だのと、ちょっと格好つけて夢を語った自分が、急に馬鹿らしくなる。
将来の夢にいちいち小難しい理由をつけるなんて無粋だ。
夢が「棒」。
上等じゃないか。それくらい自由でいいんだ、本当は。
なんだか肩の力が抜けて、オレは久しぶりに、腹の底から笑った気がした。




