第七話 始まり
入学式が無事に終わり、オレは近所の優世たちと連れ立って、家路についた。
別れは、意外とあっさりしたものだった。優世も「じゃ! また学校でな」と、軽く手を振るだけ。
本当は、優世ともっといろいろ話したかった。あの頃のこと、これからのこと。
だが、ぐっと我慢して、オレも軽く挨拶を返し、小さくなっていく背中を見送った。
これからは、毎日会えるんだ。
そう。何も、急ぐことはない。
家に帰ると、オレは母の料理を手伝った。
「あらあら、さすが小学生のお兄さんね~」
母は嬉しそうに、オレの頭をくしゃくしゃと撫でてくれる。
まだ少し、照れ臭さは残る。けれど今は、それ以上に、くすぐったいような嬉しさのほうが勝っていた。
そしてその夜。
オレは机に向かい、自由帳に今日あったこと、感じたことを書き記した。
入学式のこと。優世のこと。母のこと。
書いているうちに、胸がじんわりと温かくなる。
すると、すぐに返事があった。
『お疲れさんやで! ワシが思うてたより、ええ感じに小学生できてたやんか』
『自分、才能あるんとちゃうか?』
相変わらず、軽いトーンだ。
そんな才能、生まれて初めて聞いたぞ。
三十年生きてきて、まさか”小学生の才能”を発掘されるとはな。
『ほんなら、その調子で頑張ってや! ワシも忙しいさかい、今日はこの辺でかんにんやで』
そうして、神山さんからの返事は途絶えた。
明日は、いよいよ初登校。
大きな期待と、ほんの少しの不安を胸にオレは、静かに眠りについた。
朝が、やってきた。
早々に準備を済ませ、ギチギチのランドセルを背負ったオレは、母に「いってきます!」と一言告げ、勇ましく玄関のドアを開けた。
――が、すぐ後ろから、母が追いかけてきた。
「ちょっと、小次郎、はりきりすぎよ」
クスクスと笑いながら、母が言う。
「登校班の場所、わからないでしょう。初めての登校は、お母さんも一緒に行くの」
登校班。
……すっかり忘れていた文化だ。そういえば、そうだった。
集合場所に着くと、地域のいろいろな学年の小学生が、ぞろぞろと集まってきた。近所の優世も、もちろん同じ班だ。
保護者会の決まりとやらで、この春から六年生になった、真面目そうな女の子、「新田さん」が、新しい班長に任命された。
まだ11歳かそこらの子供に、こんな大役を背負わせていいものか。
少々、心配にもなる。
が、まあ、案ずることはなかろう。
これから一年、この班にはオレがついている。
傍から見ればただの小学生だが、オレの中身も腕っぷしも、れっきとした大人のままだ。
よかろう。最強の小学一年生たるこのオレが、この班の殿を務めてやろうではないか。
そうして最後尾についたオレは、隣を歩く優世と話しながら、通学路を進んでいった。
「学校、たのしみだね」「きのうのテレビ、見た?」
交わすのは、他愛もない話ばかり。それでもオレは、その一つひとつに、真摯に耳を傾けた。
なにせ、この時間がどれだけ得難いものか、オレはもう知っているのだから。
そうこうしているうちに、学校が見えてきた。
登校班は校門前で解散し、それぞれの教室へと散っていく。
オレと優世は、事前に教えられていた通り、懐かしい廊下を歩いて、一年三組の教室へと向かった。
教室に着くと、担任の先生が、みんなを見守るように立っていた。
三組の全員が席につき、やがてチャイムが鳴る。先生が、明るく声を上げた。
さあ!二十数年ぶりの、授業が始まるぞ。
「こんにちはー! 私の名前は、戸田真由美といいます! これから先生として、みんなにいろんなことを教えていくので、よろしくお願いします!」
ハキハキとした、よく通る声だ。
「それじゃあ、みなさん。一度、呼んでみてください。せーの」
いっせいに、声が上がる。
『とだせんせー!!!』
「はーい! みんな元気に、よくできました」
オレも、つられて大きな声で先生の名を叫んでいた。……我ながら小学生に馴染みすぎて、ちょっと笑える。
「じゃあ、さっそくクイズです! 先生が何歳か、当ててみてくださーい」
すると、すぐ後ろの席、出席番号二番の真弘が、勢いよく叫んだ。
「10さい!!」
……真弘のことだ。たぶん、本気で十歳だと思っている。
そんなわけあるか。
戸田先生はニコニコしながら、「ありがとう! でも、ちがうよー」と返す。
「18さい!」「20さい!」「50さい!」と、あちこちから声が飛ぶ。
「みんな、ありがとう! じゃあ、次はこうしてみよっか」
先生が、すっと高らかに手を挙げる。
「先生みたいに、手を挙げてください。手を挙げてくれた子から、順番に答えてもらいまーす」
次々と手が挙がっていく。
……見事な誘導だ。さっきまでの無秩序な叫びが、一瞬で統制された。
さすが、子供の扱いに慣れている。感心しつつ、オレも手を挙げてみた。
「はい、じゃあ……天谷くん!」
当てられた。
「に、24歳!」
どうだ。我ながら、いい線をついたはずだ。
「あー! おしい!」
……撃沈した。
「はい、じゃあ……坂東くん!」
「では、22歳」
「わっ、すごい! 正解でーす!」
矢彦が、当たり前だろう、とでも言うように、ふん、と鼻を鳴らす。
だが、オレが驚いたのは矢彦のドヤ顔より、その年齢のほうだった。
二十二歳。
ピッチピチの、新任ではないか。つい少し前まで、大学生だったクチだ。
その彼女が、その若さで、もう立派に「先生」をやっている。
教壇に立ち、三十人の子供をまとめている。たいしたものだ。
……分かってはいたが。
オレの、八つも下。
そう思うと、なんだか少し、ぐさっとくるものがあった。
年下の担任か。……これは、これで、面白くなりそうだ。
そういえば、この戸田先生は、一年生のときだけの担任だった。
さすがに細かいエピソードまでは覚えていないが、これといった問題が起きた記憶もない。
わんぱく盛りの一年生を、一年間、立派に見守りきってくれたのだろう。
きっと、ずいぶん世話になったはずだ。
とはいえ、まだ新任。
きっと、不安なことも多いに違いない。
ならば、いざというときは、このオレが、うまいことサポートしてやろうじゃないか。
中身だけは誰より大人なオレにしか、できないこともあるはずだ。
小次郎は、ひそかにそう胸に誓った。
それから戸田先生は
挨拶や返事の仕方、ランドセルのしまい方、トイレの使い方、学校から配られるお便りやプリント類の整理の仕方など、小学校で過ごすための基本的なことを教えてくれた。
久々の小学生である、オレとって良い復習になった。
「はーい、それじゃあ次は、学校めぐりです!」
戸田先生が、ぱんと手を合わせる。
「先生が、学校のいろんな場所を教えるので、ついてきてくださーい」
学校めぐり……!
そうだ、そんな行事もあった気がする。
オレは、心の底から楽しみだった。あの懐かしい場所を、もう一度この足で巡れるのだ。
「それでは、列になって、先生の後ろについてきてくださいね」
戸田先生は、見事な手際で、わんぱくな子供たちをすいすいと列に並べていく。
オレも、列の後ろについた。
ふと周りを見渡すと、みんな、目をキラキラと輝かせている。
これから過ごす「学校」という未知の場所に、それぞれ思いを馳せているのだろう。
さながら、冒険に出かける前の高揚だ。
そうして、その小さな勇者たちは、先生のあとを、わくわくと追いかけていった。
かくいうオレも、その隊列の最後尾で、負けじと目を輝かせている。
これから始まる、学校生活。その幕開けを飾る、ささやかな冒険に胸を高鳴らせながら、オレもまた、小さな勇者の一人として、その背中を追いかけた。




