第六話 入学式-ファンファーレ-
オレは、一年三組に配属された。
「あっちだよ、いこ」
優世に手を引かれ、『1ねん3くみ』と書かれたプラカードを掲げる先生の列へと並ぶ。
担任の呼びかけに従って、同じクラスの面々がぞろぞろと集まってくる。
先生は慣れた手つきで、新入生を次から次へと整列させていった。
「はーい、五十音順にならんでくださーい! 『あ』から始まる子はこっちー!」
オレの苗字は、天谷。
対して優世は、松本。出席番号はずいぶん離れている。
しばしの別れだな、ゆーくん
少し不安げな優世に声をかけて、オレは列の先頭についた。
背後では、見知った顔が次々と並んでいく。
オレのすぐ後ろ、出席番号二番は、岩瀬真弘。
当の本人は、ぽけーっと口を開けて、ただ天を仰いでいた。相変わらずだ。
こいつもまた、オレの大事な親友のひとり。出席番号が近かったおかげで、すぐに打ち解けた仲だった。
さらに後方、緊張気味の優世の斜め前に陣取っているのが、坂東矢彦。
この、歌舞伎役者みたいな名前の男も、親友だ。
さっそく周りの新入生たちを相手に、身振り手振りでぺらぺらと何かを語り聞かせている。
……入学初日から、ずいぶんと達者なことで。
小次郎、優世、真弘、矢彦。
この凸凹四人で、オレはこれから、二度目の小学校生活を駆け抜けていくこととなる。
かつてそうだったように。
やがて、一組から順に会場へ入場していく。
華々しい音楽が、体育館に高らかに鳴り響いている。
さあ、いよいよ3くみの番だ。
担任の先生を先頭に、オレたち三組の新入生が、ぞろぞろとそれに続く。オレは、我ながら勇ましい足取りで、堂々と歩を進めた。
――が、ここで問題がひとつ。
何度でも言うが、オレは身長百七十センチ超えの、立派な成人男性である。
そして三組の担任は、見るからに若く、小柄な女性の先生。その先生のすぐ後ろに、オレがぴったり付いて歩いているのだ。
どこからどう見ても、これは新入生ではない。よくて副担任。いや、並んだ貫禄でいえば、むしろオレのほうが担任に見えかねない。
うら若き女性教師と、その背後にそびえる大男。
傍から見れば、3くみだけ、明らかに編成のおかしな珍妙な行進だった。
やがて入場を終え、オレたちは席につく。
ほどなくして、校長先生の挨拶が始まった。
ふと横を見ると、真弘が早くも退屈そうな顔で、大きなあくびをしている。
……まあ、分かる。子どもの頃のオレにとっても、校長先生の挨拶といえば、長くて退屈なだけの時間だった。
だが、待てよ。今のオレは中身が大人だ。
校長先生ともあろうお方が、わざわざ壇上で語ってくださるのだ。さぞ含蓄に富んだ、ためになるお話に違いない。子どもの頃には分からなかった深い意味が、今のオレなら受け取れるはず.....
そう思い、オレは襟を正し、真摯に耳を傾けた。
……傾けた、のだが。
うん。
大人になっても、校長先生の挨拶は、やっぱり退屈だった。
続く来賓の紹介。これも、輪をかけて退屈だった。
じわり、と込み上げてくるものがある。あくびだ。
普段なら噛み殺すところだが、いや、待て。
今のオレは小学一年生。あくびくらい、子どもの特権というものだろう。よし。ここはひとつ、遠慮なく、思いっきり―──―。
と、口を開きかけたところで、式は次の式次第へと移っていた。
各クラスの担任の先生の紹介に続いて、新入生たちの名前が、順に読み上げられていく。
名前を呼ばれた子は、それぞれ元気よく「はいっ!」と返事をして、立ち上がっていった。
1くみ、2くみと滞りなく進み、やがて二組の最後のひとりが着席する。
次は、3くみの番だ。
担任の先生の紹介が終わり、いよいよオレの番が回ってきた。
「天谷小次郎くん!」
「はいっ!」
オレは、精いっぱい元気な声で返事をした...つもりだった。
が、大きな声を張り上げるのなんて何年ぶりだろう。すっかり錆びついた喉が、情けなく「はいぃっ!」と裏返る。
うっ……。少々、恥ずかしい。
だが、まあいい。周りから見れば、なんてことはない。緊張した一年生の、微笑ましい失敗だ。気にすることはなかろう。……たぶん。
そうこうしているうちに、点呼はすべて終わり、式は次の式次第へと移っていく。
「続きまして、新入生代表のことば。
一年三組、新入生代表坂東矢彦くん」
名前を呼ばれ、矢彦が一歩前へ出た。マイクの位置が合わず、先生が慌てて高さを下げる。
保護者たちが微笑ましげに目を細めた。可愛らしい新入生の、たどたどしい挨拶。誰もがそれを期待していた。
――が。
「りっしゅんの候、うららかなようきにつつまれ、はるかぜ小学校のいちいんとして、しんしょうひつぎ、かんがいむりょうのしょぞんでございます」
おい待て。
まるで辞書の言葉を無理やり並べ連ねたような、大仰な挨拶。
「われわれは、これよりせっさたくま、かったつむげ、ふんこつさいしんのかくごをもって、がくぎょうにしょうじんするしょぞんであり……」
会場がざわめく。
そりゃそうだ。四字熟語の意味、半分も分かってないだろお前。“豁達無碍”なんて大人でも使わんぞ。
まあ、それも矢彦らしい。
「けつびに。このきっきょうかいどうなる日を生涯わすれることなく、われわれ一同、ゆうしゅうのびをかざるべく、しんしんきえいのこころざしをもって、まいしんするしょぞんでございます。以上、新入生代表、坂東矢彦」
言い切った。
一語も噛まず、つかえず、最後まで。
意味が通っているかはさておき、とにかく完璧に、堂々と読み上げてみせた。
会場は、しん、と静まり返っている。
拍手をしていいのか、誰も判断がつかないらしい。
保護者も、先生も、ぽかんと口を開けたまま固まっていた。
そんな中、当の矢彦はというと。
実に、余裕綽々だった。
ふっ、と口の端を持ち上げ、片眉をくいと上げる。我ながら名演説であった、とでも言いたげな表情だ。
そして、誰の拍手も待たずに、悠々と壇上の階段を降りていった。
やがて、ぱらぱらと拍手が湧き起こる。次第に大きな喝采へと変わっていく。
「あらあら、面白い子ねぇ」「ふふ、なんだか難しい言葉ばっかり」保護者たちは、口元をゆるめて微笑ましげに手を叩いている。
一方で、ざわめき立っていたのは先生たちのほうだった。
「今の、一年生……?」「あんな言葉、どこで覚えたの」と、顔を見合わせて驚いている。
中には、感心を通り越して呆気にとられたような表情の教師もいた。
……いや、たいしたもんだよ。
そもそも六歳児が、新入生代表として大舞台に立つだけでも大したものだろうに、矢彦ときたら、緊張するどころか「どうだ!」と言わんばかりに、堂々とかましてみせた。
末恐ろしいやつだ。
そうだ、思い出した。
これが、後に大人になったオレたちの間で、鉄板ネタとして語り継がれることになる、あの『神童・矢彦伝説』の幕開けだったのだ。
何年経っても、集まればこの話で笑った。
「矢彦さあ、入学式のあれ、マジで一個も意味分かんなかったぞ」と、真弘がからかう。
「失敬な。あれは新入生代表に相応しい、格調高い名演説だ」と、矢彦は今でも胸を張る。
そんな二人のやり取りに、オレもつい吹き出してしまう。
……何度繰り返したか分からない、いつもの光景。
これが、オレたちの鉄板だった。
……ふと、いたずら心が湧く。
今度あいつに会ったら、いや、今のオレは毎日あいつに会えるんだったな。
よし。あの伝説のスピーチ、いつか本人の目の前で、そっくりそのまま再現してやろう。
完璧な口調、完璧などや顔、完璧な片眉。寸分たがわず真似てやれば、さすがの矢彦も、自分のスピーチを客観的に見せられて、きっと耳まで赤くするに違いない。
それはそれで、ちょっと見てみたい気もする。
そんな神童・矢彦の、鮮烈なデビューだった
そんなことを考えているうちに、いよいよ、入学式も佳境に差し掛かっていた。
『プログラムナンバー五番、校歌斉唱』
両翼に配置されたスピーカーから、けたたましく、我が「はるかぜ小学校」の校歌が流れ出した。
子どもの頃は、よく分からない歌詞の、退屈な音楽でしかなかった。
だが、校長先生の挨拶とは対照的に、不思議と耳が引き寄せられた。
音楽というものは、思い出に強く作用するようだ。
大人になってからは、歌詞などほとんど忘れていた。それなのに、イントロが流れ始めると、不思議と少しずつ蘇ってくる。
オレは記憶を頼りに、校歌の歌詞をなぞっていた。
そして気づけば、歌唱に合わせて口ずさんでいた。
それも、割と大きな声で。
よくよく考えてみれば、だ。
斉唱とはいえど、オレの周りはほとんどが新入生。入学したばかりで、校歌なんて歌えるはずがない。斉唱とは名ばかりの、いわば校歌の”お披露目”といったところだろう。
ふと、周りを見回してみると、教員や保護者の視線が、ことごとくオレに向いていた。
……しまった。
思いっきり、聞こえていた。
つまりこれは、突如始まった、天谷小次郎による校歌独唱である。
かくしてオレは、神童・矢彦に並び
入学前に校歌を覚えてきた『神童・小次郎』として、その名を連ねることとなった。
……それはさておき。
校歌というものは、よく作られている。我が「はるかぜ小」の校歌も、なかなかどうして、乙なものだ。
子どもの頃には素通りしていた一節が、今は妙に、胸に残る。
まあ、よい。
ここまで来たら、とことん聞かせてやろうじゃないか。
これは、ただの校歌独唱ではない。
やり直しを赦された三十歳が、今日、もう一度この場所から始める、その幕開けを告げる、オレだけのファンファーレだ。
【はるかぜ小学校 校歌】
東雲の 丘に陽は差し
若葉萌ゆ この学び舎に
迷う日も 朝は来たりて
野はふたたび 新たまる
幾度も 始まりはここに
ああ われらが はるかぜ小學校
ああ われらが はるかぜ小學校
─第一章 はるかぜ ─
完




