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第四話 『その意味』

皮肉なことに、通学路は、かつて通勤で毎日歩いていた駅までの道と同じだった。


二十年以上ぶりに、オレはその道を“通学路”としてゆっくり踏みしめながら歩く。


木造住宅を改装した小さな駄菓子屋。

よく友達とかき氷を食べに行った店だ。


爺さんなのか婆さんなのか、最後までよく分からなかった壮年の店主が一人で切り盛りしていた。


そして、父の行きつけだった定食屋。

オレもよく連れて行ってもらった。


首元がヨレヨレになったTシャツを着た店主のおっちゃん。

半分居酒屋のような、大人びた雰囲気の店だったが、子どもだったオレのために特別メニューを作ってくれていた。


.....美味かったな。


ふと、おっちゃんの作る甘いカレーの味を思い出す。


目に入るもの全てが懐かしかった。

だが同時に、気づかされる。


通学路と通勤路は、同じ道でありながら全く違うものだった。



  街並みも。

  そして、その意味も。



子どもの頃、この道は特別な場所だった。


昨日見たテレビ番組の話。

読んでいた漫画の話。

学校へ着いたら誰と遊ぶか。

放課後は何をするか。


そんなことばかり考えながら、軽やかな足取りで歩いていた。


道沿いには様々な店があり、友達の家があり、個性豊かな人たちがいた。


子どもの頃のオレにとって、この通学路は楽しいものが詰まったデパートのような場所だった。


だが、いつしか変わってしまった。


社会人になったオレにとってこの道は、会社へ向かうためだけの、ただ重い足を嫌々運ぶだけの退屈なアスファルト。

そんな場所になっていた。


駄菓子屋も。

定食屋も。

もうない。

どちらもずっと前に店を畳んでしまった。


子どもの頃はあんなに大切な場所だったはずなのに。

こうして実際に目にするまで、思い出すことすらなかった。


あの頃のオレには、余裕がなかったのだ。


父から定食屋が閉店したと聞かされた時もそうだった。


「そうなんだ」


ただそれだけ。


思い出に浸ることもなく、感傷に耽ることもなく、社会に疲れ切ったオレ気絶するかのように眠りにつくだけだった。



街が変わったのか。

それともオレが変わったのか。


考えるまでもない。

変わったのは、オレの方だった。


ただ一つ変わらなかったものがあるとすれば、この道を歩く視線だった。

懐かしい通学路を、大人の高さの目線で歩く。

なんとも不思議な感覚だった。




幸いなことに、道ですれ違う人々は、オレの容姿に対して特に疑問を抱いている様子はない。


分かってはいた。

神山さんの言葉を信じていた。


それでも、実際に確認できると少し安心する。

小次郎はホッと息を吐いた。



そして――。

ついに校門が見えてきた。


小次郎は立ち止まることなく歩みを進める。

自分に喝を入れるように、気持ちを切り替える。



校門を前にして、小次郎は思わず背筋を伸ばした。

胸の奥では、ワクワクとドキドキがせめぎ合っている。

そして、その奥底には拭いきれない不安もあった。


小学生の頃は毎日のように見ていた校門。

それなのに今日は、まるで初めて見る景色のように新鮮だった。


桜は散り始めており、地面は花びらの絨毯で淡いピンク色に染まっている。


ふわりと心地よい風が頬を撫でた。

風に舞い上げられた花びらが、くるくると空を踊る。


その光景は、まるで小次郎の入学をささやかに祝福してくれているかのようだった。


新品の制服に身を包んだ少年少女たちが、次々と校門をくぐっていく。


母親に手を引かれている子。

友達を見つけて駆け寄る子。

緊張した面持ちで足早に歩く子。


みな、小次郎と同じように期待と不安を胸に抱いているように見えた。


「小次郎! こっちこっち!」

母が手招きしている。


「ほら、記念に写真撮るわよ!」


オレと母は、校門脇に置かれている、デカデカと『入学式』と書かれた大きな看板を挟んで並んだ。


「あなた、写真お願いね」


母は父に使い込まれたデジタルカメラを手渡した。


父は任せろと言わんばかりに胸を張り、プロのカメラマンのようなポーズでレンズを覗き込む。


――デジタルカメラか。


懐かしいな。

現代なら全部スマホだ。


ふと隣を見ると、母は満面の笑みでピースサインを掲げていた。

オレはどうしていいか分からず、とりあえず真似をしてピースサインを作る。


パシャ。


シャッター音が響いた。


……ちゃんと笑えていただろうか。


少し不安になる。


その時、後ろで順番を待っていた親子の母親が声をかけた。


「よかったら、お父さんも一緒にどうですか? 私が撮りますよ」


父は照れくさそうに笑う。


「じゃあ、お言葉に甘えて……」


そう言って父がオレの隣に立った。


左から、


父→ オレ → 看板 → 母


という構図が完成する。

看板の次に身長が高いのはオレだった。


どう考えても違和感しかない。

つい、表情が引き攣ってしまう。


それを察したのか、カメラの主は、バッグに付けていた子ども向けアニメ『ねりものマン』のぬいぐるみチャームを取り出した。


そして、それをカメラの横に構える。


付属の鈴をカラカラと鳴らしながら、満面の笑みで声をかけてきた。


「ほら〜! ボクちゃーん! ねりものマンだよ〜!」

カラカラカラ。

「こっち見て〜! 笑って笑って〜!」


「…………」

小次郎は無言だった。


ボクちゃんて。

場合によっては、あなたより年上なんだがな。


それに。

ねりものマンって。

確かに彼は国民のヒーローだし。嫌いな子供はいないだろう。


でも、ほとんど幼児向けじゃないか。


せめてもう少しあるだろ。

戦隊ヒーローとか。

仮面ライダーとか。


これじや、完全に赤ちゃん扱いじゃないか。


だが、その時だった。


「ねりものマンだー!」


周りにいた子供が目を輝かせる。


「ほんとだ!」

「かっこいい!」


周囲の新入生たちが一斉に食いついた。


大人気だった。

ねりものマン。

圧倒的人気だった。


小次郎は悟る。


「ねりものマン...おそるべし」



オレはカメラの主の要望に応えるように。

精一杯、ぎこちない笑顔を作った。


世にも奇妙な家族写真、単純の瞬間である。


現像された写真が待ち遠しかった。

きっと笑える。

神山さんにも見せてやろう。


スマホのカメラでは味わえない感覚だった。

デジタルカメラが妙に愛おしい。

懐かしくて、少し胸が温かくなる。

しばらく忘れていた感情だった。


ふと視線を移す。

写真を撮ってくれた母親の傍らには、同じ制服を着た少年が立っていた。


爛々と輝く瞳。

新しい世界への期待に満ちた眼差し。

小次郎は思わず目を逸らした。


----彼の目には、今のオレはどう映っているんだろう。


ごく普通の新入生。

少し緊張していて、少し不安そうな小学生。

仲の良さそうな家族。


「どんな子なんだろう」

「友達になれるかな」


そんなことを考えているのだろうか。

オレが小学生だったなら、きっとそう考えただろう。


……いや、オレも小学生だった。


社交辞令として、今度はこちらが相手の親子の写真を撮ることになった。


父はデジタルカメラを構えながら、


「はい、バター!」


と、しょうもないギャグを飛ばした。

思わずオレは吹き出しそうになる。

父がそんなことをする人だとは思っていなかった。


ギャグ自体は正直つまらない。


だが、相手の母親がしてくれたかのように、子供を笑わせようとした、父なりの精一杯の恩返しなのだろう。


どうやら、その気持ちは伝わったらしい。

少年はクスッと笑い、それをみた母親も笑顔になる。


場は和やかな空気に包まれた。


父の意外な一面を見たオレは、照れくさいながらも少しだけ誇らしい気持ちになった。


再び春風が吹き抜ける。

舞い上がった桜の花びらが、オレたちを優しく包み込んだ。



小次郎は母の後ろについて歩き出す。


受付が近づいてきた。


校庭を歩いていた時、何人もの子供たちとすれ違った。

その中には、見覚えのある顔もちらほらあった。


それも、そうだ。


今までの出来事に気を取られて忘れていたが

ここは、オレが実際に通っていた小学校だ。

そしてその入学式。


特別、友達が多かったわけじゃないけど、それでも知っている顔が十人や二十人いて当然だった。


当時の友達たちの顔を、1人ずつ思い浮かべていると。


忘れかけけていた記憶が、泉のように溢れ出してきた。

色褪せ、セピア色になっていた思い出たち。

その一つひとつに、再び色が宿り始める。


鬼ごっこ。

ドッジボール。

くだらない悪ふざけ。

時にはケンカもした。でもすぐに仲直りした。


放課後になると、みんなで秘密基地を作ったり、知らない道を探検したりもした。


何も考えず。

ただ楽しいことだけを追いかけていた日々。


胸の奥が熱くなる。

気づけば少しだけ目が潤んでいた。




『あの日々を、もう一度』




ふと、校門前で写真を撮ったあの子の顔を思い出した。


無邪気で、曇りのない完璧な笑顔だった。


.....オレもまた、あんな風に笑えるようになるだろうか。


いや。

なれるはずさ。


いつの間にか、不安はすっかり消えていた。

今はただ。

これから始まる日々に、胸を躍らせるだけだった。








その時、誰かが背中を叩いた。オレはギョッとして後ろを振り向いた。


「よぉ!コジ」


唐突にかけられた言葉は小次郎にとって、どこか耳馴染みの良い声だった。

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