表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/9

第三話『歩み』

「小次郎ー! 小次郎ー!」


朝から母の声が響く。


「早く起きなさい! もう、いつまで寝てるのよ〜!」


小次郎は布団の中で目を開いた。

ぼんやりとした視界の先には、若い頃の母の顔。

昨日から何度も見ているはずなのに、まだ慣れない。


「……懐かしいな」


思わず呟く。


そういえば昔は、毎朝こうやって起こされていた。

社会人になってからは違う。

どれだけ眠くても起きるしかなかった。


飲み会の翌日だろうが体調が悪かろうが関係ない。

会社に遅刻するわけにはいかなかったからだ。


毎朝起こしてくれる人がいる。

そんな当たり前だったものが、今になって妙にありがたく感じる。


意外にも昨夜はぐっすり眠れた。

人生がひっくり返るような出来事が続いたせいで、精神的にかなり疲れていたらしい。

目覚まし時計が鳴ったことすら気付かなかった。


「ほらー! 早くしなさい!」


母の催促が飛ぶ。


小学生の朝も意外と忙しい。

だが不思議と苦ではなかった。

少なくとも満員電車へ向かう朝よりは、ずっと気楽だ。


小次郎は慌てて支度を始めた。


朝食を食べ終えると、母が満面の笑みで何かを掲げた。


「みて、小次郎!これが 制服よ」


そこにあったのは新品の小学校の制服だった。


母は嬉しそうに言う。

「ほらほら、早くお母さんに着てる姿、見せてほしーなあ」


その姿を見て、小次郎は思わず吹き出しそうになる。


母の手には、自分の服のサイズよりも遥かに大きなサイズの制服。

オレの身長から推測すると、大人用のL〜LLサイズだろう。


だが認識改変の影響なのか、母にとってはなんの変哲もない小学生用の制服らしい。


違和感がすごい。


「それが小学生用かよ……」


思わず呟く。


「神の力って何でもありだな」


制服を受け取り、着替え始める。


しかし。

久しぶりの制服は思った以上に勝手が違った。

ボタンは多いし、構造も妙にややこしい。


気付けば数分が経過していた。


「もう! 何やってるの!」


母が部屋へ入ってくる。


「モタモタしてたら遅刻しちゃうわよ!」


そして当然のように言った。

「ほら、お母さんが手伝ってあげるから」


「いやいやいや!」


小次郎は全力で拒否した。


「自分でできるから!」


三十歳男性。

母親に着替えを手伝ってもらう。

あまりにも破壊力が高すぎる。

精神的ダメージが予測できない。


「もう、小次郎ったら、いつからそんなにお兄さんになったのかしら!?」

母はニコニコと笑っている。


我ながら、嫌がり方がだいぶん子供っぽかったな....。

小次郎は少し顔を赤らめる。


なんとか制服を着終え、小次郎は母と一緒に玄関へ向かった。


姿見の前で足を止める。

鏡の中には自分が映っていた。


しばらく無言。

そして一言。


「……ひどいな」


どう見ても三十歳。

どう見てもオッサン。

なのに着ているのは小学生の制服。


客観的に見れば、小学生のコスプレをした変態である。


職務質問どころか通報案件だ。


だが母は満足そうに頷いた。

「あら〜!」


満面の笑み。


「よく似合ってるじゃない!」

「かっこいいわよ〜!」


「どこがだ....!」


思わず心の中でツッコむ。


本来なら警察案件だぞ。


だが。

母の言葉に嘘はなかった。

本気でそう思っているのだ。

その事実が少しだけくすぐったかった。


社会人になってから褒められることなんてほとんどなかった。

『かっこい〜!』なんて言葉は、小次郎にはほとんど聞き馴染みが無かった。


だからだろうか。

たったそれだけの言葉なのに。

胸の奥が少しだけ温かくなった。


母が玄関の扉を開けた。

眩しい朝の光が差し込む。


いよいよ外に出るらしい。

小次郎の喉がごくりと鳴った。


正直、かなり緊張していた。


家の中はまだいい。

父も母も妹も、自分を当たり前のように小学生として扱っていた。


だが外は違う。


近所の人。

通行人。

知らない誰か。


本当に全員がこの姿を見て違和感を抱かないのか。


まだドッキリの可能性だって捨てきれていない。

もし普通に通報されたらどうしよう。


小学校の制服を着た三十歳男性。

客観的に見れば完全にアウトだ。

そう考えると足が重くなる。


しかし、いつまでも玄関に立っているわけにもいかない。


小次郎は母の後ろに隠れるようにして外へ出た。

とは言っても、オレの身体は母より余裕でデカい。

全く隠れられてはいないであろう。


そんな様子を見た母は何も言わなかった。

ただ、そっと小次郎の手を握った。


温かい手だった。


優しくて。

力強くて。


そして少しだけ汗ばんでいた。


小次郎は気付く。

緊張しているのは自分だけじゃない。

母もまた緊張しているのだ。


今日から始まる息子の新しい生活に。

期待と不安を抱きながら。


「……」


何も言わない。


けれど、その手から伝わってくる。

『大丈夫。お母さんがついてるから。』


そんな言葉が聞こえてくるようだった。


小次郎は小さく息を吐く。


覚悟を決めた。


そして一歩ずつ前へ進む。


大丈夫だ。

何もおかしくない。


オレは小学一年生。

オレは小学一年生。

オレは小学一年生。


何度も心の中で唱える。

もはや自己暗示だった。


その時だった。


ぽん。


突然、頭の上に何かが乗せられた。


「忘れ物だぞ〜」


振り返る。


父だった。

頭の上に乗せられたのは、黄色のかわいらしい通学帽だった。


どうやら被り忘れていたらしい。

父は自然な仕草で小次郎の頭に帽子を被せてくれた。


大きな手。

ごつごつした指。

母とは違う。


けれど同じくらい優しい手だった。


そこに込められている感情もまた同じだった。


心配。

期待。

応援。


そして愛情。


父は軽く帽子の位置を直す。


「よし」


満足そうに頷いた。


小次郎は現在の自分の姿を想像した。

小学生の制服。

肩紐がギチギチに食い込んだランドセル。

そして、黄色い帽子。


それに全く似つかわない、三十歳の男。


思わず吹き出した。

完全変態セットの完成である。

通報、待ったなし。


そう思うと、また笑いが込み上げてきた。


母も父も不思議そうな顔をしている。


だが小次郎は笑うしかなかった。


同時に。

胸の奥が少し熱くなる。


....家族。


小さい頃は当たり前すぎて分からなかった。


毎朝起こしてくれることも。

送り出してくれることも。

心配してくれることも。


全部。


当たり前だと思っていた。

だけど違った。


母も父も。

こんなにも自分のことを気にかけてくれていたのだ。

社会人になってからは忘れていた。


だからこそ。

今さらになって気付く。


オレは愛されていたんだな。


そう思った。


「よし」


小次郎は小さく呟く。

しっかりしなきゃな。

両親を心配させたらダメだ。


……まあ、中身の年齢は今の父と母と同い年くらいなんだけどな....。

そう考えると少しおかしかった。


小次郎はランドセルの肩紐を握り直す。


そして。


久しく忘れていた家族の温かさを胸に刻みながら、一歩、また一歩と歩みを踏み出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ