第二話 『目覚め』
そして迎えた朝。
けたたましく鳴り響く、目覚まし時計の音で、目を覚ました小次郎は昨夜の出来事を思い出していた。
神。
人生のやり直し。
小学生からの再スタート。
酔っ払いが見る夢にぴったりだ。
でも、夢だったと思えないほど鮮明だった。
「……何やってんだ、オレ」
自嘲気味に笑う。
当然だが、期待などしていない。
昨夜は相当疲れていた。
酒も飲んでいた。
変な夢を見る理由なんていくらでもある。
早く仕事の支度をしないと。
小次郎はベッドから起き上がり、いつものように部屋を出た。
そして、違和感を覚える。
リビングから聞こえてくる声。
父と母の声だ。
それ自体は何もおかしくない。
だが。
聞き慣れているはずなのに、どこか若々しい。
小次郎は首を傾げながらリビングへ向かった。
そして、足を止めた。
そこにいた父と母は、明らかに若かった。
十数年の時間を巻き戻したかのように。
記憶の中に残っている『子供の頃』の姿に近い。
白髪混じりだった父の髪も、黒々としている。
母の顔も目尻のシワは消え去り、肌艶がよく、ピチピチだった。
妹の夏樹はどうなんだ!?
視線の先には、椅子に座るどころか、母に抱かれている赤ん坊の姿があった。
小次郎の思考が止まる。
あり得ない。
夏樹はもう社会人だ。
結婚だってしている。
それが今、言葉も話せない赤ん坊になっている。
見慣れているはずの家。
見慣れているはずの家族。
なのに、すべてが違う。
「おはよう、小次郎」
父が自然に声をかける。
「どうした?何か怖い夢でもみたのか?」
言い得て妙だ。
母も笑う。
何の違和感も抱いていない。
まるで当然のように。
そこにいる小次郎を、自分たちの息子として見ている。
胸の奥がざわついた。
まさか。
本当に....?
考えるより先に体が動く。
小次郎は洗面所へ駆け込んだ。
鏡の前へ立つ。
そして。
映り込んだ自分の姿を見た瞬間。
息が止まった。
「…………は?」
鏡の中にいたのは。
三十年間見続けてきた自分だった。
疲れた目元。
寝癖のついた髪。
うっすらと残る無精ひげ。
どう見ても大人。
どう見ても三十歳。
どこにも小学生の姿など存在しない。
小次郎は鏡に顔を近づけた。
額をさわる。
頬を触る。
剃り残した髭がチクチクと指先を刺激する。
何度確認しても変わらない。
大人だ。
完全に大人だった。
「いや、待て待て待て……」
頭の中が混乱する。
ドッキリか?
テレビ番組か?
だが、そんな説明で納得できるわけがない。
若返った両親。
赤ん坊になった妹。
そして何より。
自分を見ても誰も驚いていない。
現実と記憶が噛み合わない。
噛み合わないのに、どちらも現実に見える。
小次郎はしばらく鏡の前で立ち尽くしていた。
その時。
母が呼び戻しにきた。
「朝から、そんな鏡ばっかり見つめて、もう!おませさんなんだから」
びくりと肩が跳ねる。
「早くご飯食べな、冷めちゃうわよ〜!」
母は続けた。
「明日から入学式なんだから、そんな調子じゃやっていけないわよ〜!」
小次郎は固まった。
入学式。
その言葉が妙に重く響く。
冗談ではない。
母は本気で言っている。
まるで小次郎が小学一年生であることを疑ってすらいない。
恐る恐るリビングへ戻る。
食卓には朝食が並んでいた。
焼き魚。味噌汁。卵焼き。
どれも懐かしい。
子供の頃、毎日のように食べていた朝食だ。
「ほら、早く座りなさい」
母が言う。
小次郎は無言で席についた。
どういう状況だ。
何が起きている。
理解しようとするほど分からなくなる。
目の前の現実があまりにも異常だった。
食欲などあるはずがない。
味だって分からない。
それでも。
箸だけは動かした。
何かしていないと、頭がおかしくなりそうだったからだ。
味のしない朝食を口へ運ひ続けた。
唐突に、インターホンが鳴った。
母が玄関へ向かう。
しばらくして、小さな箱を抱えて戻ってきた。
「神山さん?っていう方から、入学祝いみたいよ」
母は送り状を見ながら首を傾げる。
「あなたの会社の人?」
父も覗き込む。
「神山? いや、知らないな」
「親戚でもないわよね?」
「聞いたことないなぁ」
二人は不思議そうに顔を見合わせる。
そして母は、まあいいかというように箱を開けた。
中に入っていたのは、文房具のセットだった。
鉛筆。
消しゴム。
筆箱。
そして一冊の真新しい自由帳。
「誰か分からないけど、忘れてるだけかもしれないし」
母はそう言って笑った。
「もらえるものはもらっておきましょう。ほら、小次郎、ランドセルに入れておきなさい」
『ランドセル』
その単語に引っかかりを覚えながらも、小次郎は何も言えなかった。
そもそも今の状況をどう説明すればいいのか分からないし、到底信じてもらえないだろう。
食事を終えた小次郎は、もらった文房具を持って自室へ向かった。
ドアを開ける。
そこには懐かしい景色が広がっていた。
机。ベッド。本棚。
カーテンの色まで。
すべてがあの頃の記憶のままだ。
「……懐かしいな」
思わず呟く。
小次郎は文房具を机の上に並べてみた。
筆箱。
自由帳。
鉛筆。
どれも久しく触れていなかったものばかりだ。
さっきまで混乱していた頭も、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
自由帳か。
懐かしいな。
真っ白なノートなんて、何年ぶりだろう。
何気なく自由帳を手に取る。
そして表紙をめくった。
その瞬間。
小次郎の動きが止まった。
新品のはずのページに、すでに文字が書かれていた。
ゆっくりと視線を落とす。
そこには――
『この前の、神です。そう、君を子供に変えた神。覚えてる?』
「…………」
小次郎は無言で続きを読む。
『いや〜、ワシとしたことが、ちょいミスってしもてな。』
『君の身体を子供にするの、すっかり忘れてしもうたわ。(ごめんちゃい)』
「ごめんちゃいじゃねぇよ!」
思わず声が漏れた。
続きを読む。
『でもな〜、ここで訂正したら面倒なんよ。先輩の神には小言言われるし、後輩の神には示しがつかんしでな。』
『神の世界も、いろいろ大変なんですわ。ほんまに』
『せやけど安心して。世界の認識の方はちゃんといじってあるから、その大人の姿のまんまでも、周りは君のことをちゃんと子供として扱うで』
小次郎は思わず顔を覆った。
だからか。
父も、母も
妹、、、も。
誰一人として違和感を覚えていなかった。
『契約は小学校卒業までの六年間!やったんやけど、まあ、わしのミスやし1年生だけやってくれたらええわ!とりあえずその姿で、なんとか一年やり切ってくれや!』
最後には大きく。
『ほな、また!』
と書かれていた。
ページを閉じる。
「……ふざけやがって!」
小次郎は天井を見上げた。
だが現実は、そのふざけた内容通りに動いている。
若返った両親。
赤ん坊の妹。
小学生扱いされる自分。
どれも説明がつかない。
静かな部屋の中で、小次郎は深く息を吐いた。
「神だからって何でもありかよ……」
机に額を打ち付けたくなる。
「いくらなんでも無責任すぎるだろ……」
ふと視線を落とす。
するとページの下に、小さな文字が書かれていた。
『P.S.』
小次郎は嫌な予感を覚えながら読み進める。
『なんか困ったことあったら、この自由帳に書いといてくれたらええで、暇なときあったら、返事くらいは書いたるわ』
『それに、ワシのことは神様って呼ぶのも味気ないしな。神山さんって呼んでくれたらええわ!』
「神山さんて……安直すぎるだろ」
『まあ"自由帳"いうてもほどほどにな。罵倒とか怒りぶつけるんはナシやで?ワシかて万能ちゃうし、どうにもならんこともあるんや!』
『あんまり調子乗りすぎたら、、神の力でちょちょいのちょいやで!』
どうやら、逃げ場はないらしい。
最後には、
『ほなよろゅうね!』
と書かれていた。
いくらなんでも、軽すぎるだろ。
コイツ、人をイラつかせる天才なのか??
だが。
小次郎はふと気付いた。
「あの神様……あの時と、キャラ違いすぎるだろ」
昨夜は威厳に満ちた神だった。
声も神々しかった。
存在感も圧倒的だった。
それが今では、
『ごめんちゃい』
である。
「もしかしてあれ、頑張って神様演じてたのか……?」
そう考えると少し笑えてきた。
先輩の神。
後輩の神。
神様社会。
想像すると妙に生々しい。
「神の世界も案外サラリーマン社会みたいなもんなのかね……」
気付けば、口元から笑いが漏れていた。
クスクスと。
久しぶりだった。
こんな風に自然に笑ったのは。
少しだけ肩の力が抜ける。
頭が妙にスッキリしていた。
小次郎は立ち上がる。
こうなったらもうどうにでもなれ。
昨夜、そう決めたじゃないか。
意味不明な状況ごと。
全部まとめて楽しんでやる。
そう決意して、小次郎は勢いよくランドセルを背負った。
そして勇ましくリビングへ向かう。
その姿を見た母は呆れたように言った。
「ちょっと! 入学式は明日って言ったでしょ!」
「そんなに学校が楽しみなの?」
「困った子ねぇ」
小次郎は苦笑する。
その様子を。
まるでどこかから見ていたかのように。
自由帳のページに、いつの間にか新しい文字が浮かび上がっていた。
『ありゃま……』
『こりゃ先が思いやられますな』
こうして。
大人のまま小学生として生きる、奇妙すぎる一年間が幕を開けた。




