第十話 給食の戦い
さっきから、ずっと腹の虫が鳴りっぱなしだ。
オレは、二十年ぶりの給食に、すっかり心を躍らせていた。
幸い、オレの地域は、それぞれの学校に給食室が備わっている。毎日、できたてのアツアツが食べられるのだ。
これがどれだけ贅沢なことか、大人になった今なら分かる。
4つの机が一つの島になるようにくっつける。
そのあと、給食着に着替え、マスクをつけていく。
……待てよ。
オレのサイズの給食着なんて、あるのか!? まさか、子供用のあれを、この巨体に着ろと――
あった。普通に、あった。
「天谷くんは、みんなより少し身長が大きいから、これを着てね」
戸田先生が、にこやかに個別の給食着を手渡してくれる。
少し大きい、どころではないと思うが……まあ、いい。
さすが神山さん、こういうところは抜かりない。
どうやら、オレの体格に合わせて、ちゃんと辻褄を合わせてくれているらしい。
戸田先生が先導して、みんなに役割を割り振っていく。
オレの担当は、白米が詰められた大きな箱を運ぶ係だった。
「すごく重たいけど、がんばってね!」
先生が、心配そうに声をかけてくれる。
……いや。
体が大人のオレにとって、ご飯の箱くらい、どうということはない。
子供たちが二人がかりで運ぶそれを、オレは片手でひょいと持ち上げた。
「あ、天谷くん、すごい力持ち……!」
先生が驚いていた。……しまった、つい本気を出してしまった。
「おれも、もつよ!」
そう言って、真弘が手伝ってくれた。オレと真弘で、ご飯の入った箱を教室まで運ぶ。
力仕事は得意なオレと、元気だけは有り余っている真弘。
二人で運べば、あっという間だ。おかげで、教室には一番乗りだった。
ほどなくして、すべての献立が揃う。
配膳台に横並びになって、いよいよ配膳が始まった。
一人目の男の子がトレーを持ってやってくる。
オレは茶碗にご飯をよそい、はい、と手渡した。
……が、男の子は、なぜかキョトンとした顔で固まっている。
ん? どうした?
そこへ、戸田先生が慌てて間に入ってきた。
「天谷くん、多すぎるよ!」
笑いをこらえながら、先生が言う。
男の子も、うんうん、と大きく頷いていた。
茶碗を見て、ようやく気づく。
……やってしまった。腹が減りすぎて、つい、大人の感覚でよそってしまった。
オレの感覚では「普通」、だが小学一年生にとっては、見上げるような白米の山だったようだ。
「ご、ごめんな」
オレは平謝りしながら、そっと茶碗からご飯を戻した。
教室のみんなにメニューを配り終え、残るは、給食当番の自分たちの分だ。
ご飯、ハンバーグ、きゅうりのサラダ、カレースープ、そして牛乳。
順番に、器へと盛っていく。
今度は、抜かりない。
さっきの大盛り事件で学習したオレは、みんながよそう量をしっかり観察し、ちゃんと「小学生の胃袋サイズ」で揃えた。
……我ながら、適応が早い。
それぞれ、自分のトレーを持って席に戻る。
全員が席につくと、戸田先生が手を合わせた。
オレたちも、それにならう。
そして、先生に復唱する形で、声を揃えて
「感謝を込めて、いただきます!」
いよいよ、待ちに待った給食だ!
オレは、子供のようにがっついた。
口に運んだ瞬間、懐かしい味が広がる。ハンバーグの、あの給食特有の味付け。
うまい。なかなかどうして、いける。
バクバクと、がむしゃらにかき込む。
二十年待った給食だ、もう止まらない。
そして、ものの数分で、トレーは空になった。
ふと隣を見ると、真弘が、オレの食いっぷりに目を丸くしている。
「こ、こじろう、おまえ……すげえな!」
そして、対抗心に火がついたのか、
「おれも! たべる!」
と、自分の給食を、バクバクとかき込み始めた。
がんばれ、真弘。
ちなみにオレは、もう食べ終わった。
……だが。
ダメだ。圧倒的に、足りない。
大人の胃袋に、小学一年生サイズの給食。腹の虫は、まだまだ鳴き止みそうにない。さて、どうしたものか。
しばらく、空になったトレーを前に落胆していたオレに
希望の狼煙が、上がった。
「おかわり、欲しい人ー!」
……そうか。その手があったか!
見れば、カレースープがまだ鍋にたっぷり残っている。
オレは、クラスの誰よりも速く、天に向かって手を突き上げた。
ほかにも数人、手が挙がる。
隣の真弘も、これでもかと腕を伸ばしている。
「はーい、じゃあ、こっちに来てねー」
呼ばれた数人の器に、スープが注がれていく。
……助かった。が。
思っていたより、よそわれた量が、少ない。
おい、待ってくれ。今日のオレは、この給食のためだけに朝飯まで抜いてきてるんだ。
こんなフランス料理みたいな量で、足りるわけがないだろう!!
心の叫びも虚しく、スープは数秒で胃に消えた。
と、そこへ次なる神の声が降ってくる。
「ハンバーグが一つ余りましたー! 欲しい人、手を挙げてくださーい!」
なんと!!!
これは……絶対に、手に入れねばならない。
社会人だった頃のオレは、飲み会で最後に残った一個の唐揚げには、絶対に手をつけない男だった。
空気を読み、遠慮し、自分を押し殺す。
そういう大人だった。
だが、今は違う。オレは、子供だ。
遠慮も忖度も、全部、置いてきた。
思う存分、わがままを言わせてもらおうじゃないか!
「はいはいはいっ!」
オレは、勢いよく手を挙げた。
……が、周りを見れば、クラスの半分が、同じく手を挙げている。みんな考えることは同じらしい。
「それじゃあ、ジャンケンで決めましょう! 先生に勝って、最後まで残った人がもらえまーす!」
絶対に、負けられない戦いが、今始まった。
最初はグー、じゃんけんぽん!
半分が消え、また半分が消えていく。脱落者が次々と崩れ落ちる中、気づけばオレは、最後の三人に残っていた。
「じゃあ、残った三人で、勝負してみよっか!」
先生が、ルールを変えてきた。
残るは、オレ、真弘
そして、小学一年生にしては、まるまると恰幅のいい男、向康之。
通称、ヤス。
「いくぞー! さいしょは、グー!」
真弘の掛け声が響く。
国立大学を卒業したこのオレが、これまで培ってきた知識と経験、その全てを総動員し、ありとあらゆる可能性を検討した末に、満を持して繰り出した渾身の一手.....
それは、パーだった。
結果。
ヤスの、一人勝ち。
オレは撃沈した。
ジャンケンとは、かくも平等なものだったのか。
学歴も、年齢も、人生経験も、ここでは一切が無意味。
大人も子供も、完全に対等に殴り合える。なんと残酷で、なんと美しいゲームか。
オレは、敗北を噛みしめながら、勝者ヤスに、惜しみない拍手を送った。
隣で真弘も、悔しそうに手を叩いている。
その後も、ヤスは涼しい顔で、余ったおかずを片っ端からおかわりしていった。
とても小学一年生の所業とは思えない、堂々たる食いっぷりである。
……そういえば、思い出した。こいつのいるクラスは、毎年「給食を残さなかったで賞」を受賞していたっけ。
立派なものだ。心の底から、感服する。
これから一年、オレの最大のライバルとなるであろう男
ヤスに、もう一度、心の中で拍手を送ったのだった。




