8 セレスティアン・コート3
ブクマ、評価いただきありがとうございます。
まだまだ序盤ですが、ご期待に添えるように頑張ります!
舞踏会の開かれていたホールは1階だ。
そして、ムーンとエル・クラドールらしき男がいたのは2階の窓。
エマは建物の中に入ると、すぐに階段を探した。慣れないドレスの裾をたくし上げて、駆け登る。
2階は客室になっているらしい。広い廊下には、似たようなドアが左右に等間隔に並んでいた。
エマが知っているホテルよりは、ドアとドアの間隔が遠い。廊下の壁や柱の装飾も美しく、格式ある豪華なホテルという感じだ。
ムーンたちのいた部屋は、どこだろう。
ゲームなら、こういう時はたいてい、鍵がパズルみたいになっている部屋がいくつかあって、それらの部屋は解ければ中に入れるのだ。
もし、そうなら片っ端から試して突入するのに。現実では、そういうわけにはいかない。
せめて、何かヒントでもないかしら。
エマは手近なドアに近寄って、軽く聞き耳を立ててみた。
すると、いきなりドアが内側から開いた。
中からニュっと腕が伸びてきて、エマの口を塞ぐ。抵抗する間もなく、部屋の中に引きずり込まれた。
部屋の中は明かりが消えていた。この部屋はどれくらいの広さなのだろう。暗くて見えない。よく分からない。
もしかして、とても狭かったら……
想像した途端、喉の奥がヒュンと締まるのを感じた。
暗闇が迫ってくる。ドクン、ドクンと心臓が跳ねる。冷たい汗が背中に滲んだ。
閉まりかけのドアの隙間から、僅かな明かりが線上に漏れている。早く……早く、それを掴まなきゃ。
けれど、口と身体に誰かの手が巻き付いて、光に届かない。遠い。
闇に引きずり込まれる。捕まってしまう。
エマは必死で藻掻いた。
だが無常にも、その一筋の明かりは消えた。扉が完全に閉まると、ここは暗くて狭い密室。
エマの身体が、大きく後ろに引っ張られた。
「い、イヤッ……!」
誰かがエマに馬乗りになっている。でも、それすらもどうでもよかった。それ以上の恐怖が暗闇にあった。
助けて!
誰か、助けて!!
怖い、怖い、怖い………
どん、と何かが倒れる音がした。細い腕に首を摑まれた。
エマはその腕を振り解こうと力をこめた。細い割に、びくともしない。今度は腕の先の誰かを押した。
「やめろ、暴れるな!」
子どものような声が叫ぶ。構わずハチャメチャに手を振り回していたら、部屋の明かりがついた。
LEDのようなハッキリとした白い明かりではない。解像度の低い、オイルランプの燈火。それでも、暗闇でなくなったことに、ホッとした。
恐怖が和らぎ冷静になると、周りが見えてくる。エマの正面に、背の高い男がいた。
エマ自身は尻もちをついた姿勢のまま、後ろから、誰かに抱きかかえられている。
身体を捻って見上げると、長いまつ毛の大きな瞳が目に入った。綺麗に結ってあったはずの金髪は乱れて、あちこちから毛が飛びしている。
「ル…ルーシーさん?」
エマを抱えていたのは、夜会会場で注目を浴びていた『宮廷の白い薔薇』ことルーシーだった。
なぜ、ルーシーがここにいるのか。
ルーシーは相手の男を睨んでいる。状況からすると、自分は彼女に守られているようだ。
対峙していた男が「チッ」と舌打ちした。
その男のほうにも、エマは見覚えがあった。
夜会の場所で一番最初に挨拶をしてきたディスボワ親子の息子、エドマンドだ。指には太いシルバーの指輪が光っている。真ん中に、血を垂らしたような赤いルビーがポツンと埋まっていた。
「邪魔が入った。今宵は失礼する」
エドマンドは睨みをきかせたまま、ジリジリと窓の方へと後退していく。
「待て! 逃さないぞ、エル・クラドール」
また子どもの声した。どうやら、ルーシーが発したものらしい。
「エル・クラドール? エドマンドさんが?」
するとエドマンドが「フフフ」と不気味に笑った。グッと指輪の嵌った左手を握り込むと、どこからともなく黒い大きな布が現れた。その布がくるくるとエドマンドを包み込む。
黒布がバサリと翻ると、エドマンドの顔が変わっていた。
顔色の悪い無愛想な青年貴族ではなく、顔の半分を白い面で覆われた男。さっき、窓に映っていたのと同じ男だ。両目は仮面で覆われているが、尖った顎と不気味に笑う口元は顕になっている。
黒い布はマントとなり、靡く。
マントの下には真っ黒なスーツ。いや、スーツだけじゃない。中のシャツも、首回りにつけたクラバットタイも、全て真っ黒。
エル・クラドールは、夜会で挨拶する貴族よろしく、優美に腰を折った。
「アーデンベイルのお嬢さま。ティアラの鍵は改めていただきにあがります。それまで大事にお待ちください」
そういうと、彼は窓を開けて飛び降りた。
「あっ!逃げられる!」
ルーシーがエマを離した。離したというより、ポイッと押しのけられたというのが正しい。
「チクショウ!」
ルーシーは窓に走り寄り、身を乗り出した。エマも一緒に顔を出す。
エル・クラドールの姿は見えない。その代わり、隣の窓から誰かが飛び降りた。
「あれは?」
「ムーン先生だ」
階下は公園に面しているのか、木が生い茂っている。庭園のような明かりはない。ルーシーは何かを探ろうと目を凝らしている。
漏れる夜会の音楽に混じって、カンカンと金属を打ち合うような甲高い音がした。
しばらくすると音は止み、ザザザと葉擦れの音がする。
「あっ! チクショウ」
ルーシーが悔しそうに歯噛みした。
「何やってるんだ! せっかく先生が追い詰めたのに……あのワンコロ警察め!!」
ワンコロ警察。誰のことを言っているのか、何となくわかり、思わず笑いそうになった。多分、ランドール・ビアス警部補だ。彼の大型犬のような人懐っこい姿が頭に浮かぶ。
また、ルーシーが叫んだ。
「逃がしやがった! 役立たずの ✕△★◯ヤロウ!!」
フランス人形のような可憐な顔から、強烈な放送禁止用語が飛び出した。聞き間違いかと、思わず耳を疑う。
ルーシーはエマのことなど気にも留めず、おおよそ美少女には似つかわしくない罵詈雑言を叫んでは、地団駄踏んでいる。
辺りが元の静かな公園に戻ると、ルーシーがようやく窓から離れた。
下唇を噛んで、悔しそうな表情を浮かべている。
エマは改めて、ルーシーをじっくりと見た。
金髪は乱れ、結い上げた髪は半分解けて、歪んでいる。手も腰も細いが、胸板も子どものように薄い。声もよく聞けば、少年のようだ。
エマはハッとした。ルーシーの正体が分かった。
「ルシアン? あなた、もしかして名探偵ムーンの助手のルシアンじゃない?」
ルシアンは、ムーン探偵事務所で、住み込みで働く助手の少年だ。
ルシアンは、時には女の子に間違えられる程に可愛いという設定だった。キャラクターデザインは、クリッとした目にふわふわした金色の髪。確かに可愛い雰囲気の子どもだった。
一方、目の前のルーシーことルシアンはといえば、女装にも拘らず『宮廷の白い薔薇』と謳われるほど、整った顔立ち。白い肌に、ふっくらとした頬、目は大きく、ツンとした鼻とピンク色の小さな唇。まるで宗教画の天使みたいに中性的な美形だ。
間違ってはないないが、思っていた『可愛い』と方向性がやや異なる。
「あん?」
ルシアンは、それがどうしたと言わんばかりに、こちらにガンを飛ばしてくる。
「なんだ。ムーン先生、俺のことを話したのかよ」
正体を見破られ、ルシアンの不機嫌が加速した。
口をへの字に曲げて、眉根を寄せる。話すも何も、こんな態度じゃあ、とても女の子には見えないというのに。
ちょうどその時、客室の扉が開いた。
シャツの首元を緩めたムーンが「すまない。待たせたね」と部屋に入ってきた。
「部屋の明かりが消えていたようでしたけど、アーデンベイル嬢は大丈夫でしたか?」
ムーンは、エマの暗所恐怖症を知っている。怖い思いをさせて申し訳なかったと、案じるようにエマの顔を覗き込んでくる。
「えぇ、なんとか」
「何が『えぇ、なんとか』……だよ。パニックになって暴れていくせに」
どうやら、ルシアンは暗闇でエマを助けようとしてくれたらしい。エマが恐怖で暴れたおかげで、ひどい目に遭ったと悪態をついた。
「ルシアン。レディにはもう少し紳士に振る舞いなさい」
ムーンに窘められて、ルシアンは不満げに頬を膨らませた。
「先生が女装して忍び込ませたクセに、紳士なんて言われても……」
ブツブツと言う様は、完全にただの子どもだ。どうやら、女装は本人にとって不本意らしく、彼の不機嫌を加速させる原因でもあるらしい。
不貞腐れているルシアンには慣れているのか、ムーンは彼を放っておいて、エマに話しかけた。
「すでに分かっていると思いますが、先程、現れたのはエル・クラドール。正真正銘、本物です」
「……はい」
「エマ嬢は、何故ここに来たのですか?」
エマは、婚約者であるヘンリーに誘われ、庭園に出たこと、ホールに戻ろうとしたところで窓にエル・クラドールに襲われるムーンの姿が映っていたのを見て慌てて駆けつけたところ、部屋に引きずり込まれたことを、ムーンに話した。
「ムーン先生がエル・クラドールになんて、やられるわけねぇだろ? 大方、男にうつつでも抜かして見間違えたんじゃねーの?」
先程、ムーンが無視したのが気に食わなかったのか、ルシアンの横槍が入る。
「そんな! 確かに、二人がいるのを見たのよ」
エマはヘンリーに言い寄られ、むしろ困っていたのだ。うつつを抜かしていたなんて言われるのは心外だ。
「じゃあ、アンタ、嵌められたんだよ。先生のことを信じてたら、慌てて突っ込んで来ることなんて、なかったのにな」
「もう、よしなさい」
ムーンに睨まれ、ルシアンが黙る。口をへの字に曲げて、プイッとそっぽを向いた。
「エマ嬢を誘き出すためのエル・クラドールの策略でしょう。私を助けに来てくれて、ありがとう」
ムーンが着ていた燕尾服を脱いで、エマの肩からかけてくれた。
「せっかくの美しいドレスと髪が乱れています。怖い思いをさせましたね」
ムーンに促され、エマは髪やアクセサリーをサッと直した。
「ティアラの鍵は、無事ですか?」
「あ、えっと……はい。無事です」
「それはよかった」
フッと目元が緩んだ。柔らかい笑顔に、妙に安堵する。
「今日はもう帰って休んだほうがいいでしょう。馬車でお送りします」
アーデンベイル家の首都の邸宅は、セレスティアン・コートから馬車で5分くらいのところにある。普段は誰も使ってないが、この夜会の参加に合わせて、エマが滞在できるように、ミセス・エバンズが整えてくれたのだ。
「ルシアン、後を頼みます」
ムーンが、ダンスに誘う時のように手を差し出した。エマがおずおずと手を重ねる。
ムーンとは数日を、共に過ごしていたからか、ヘンリーに手を握られたときのような居心地の悪いな緊張感はない。
名探偵アリステア・ムーンにエスコートされながら、エマはセレスティアンコートを後にした。




