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6 セレスティアン・コート1


 時計塔が六度、鐘を打つ。

 川沿いのガス灯に火が点ると、水面にキラキラとした光が踊った。


 王都グライトンは、ロンドンを模した都市だった。


 中心には大きな川が流れ、その川沿いには、シンボルともいえる時計塔。セレスティアン・コートは川沿いの王立公園に隣り合わせた場所に建てられた由緒あるホテルである。


 そのホテルの前に、先程から、ひっきりなしに馬車が停まる。着飾った老若男女を降ろしては去り、一つ去っては、すぐに新しい馬車がやって来た。


 そしてまた、新たな馬車が1台停車した。


 先に出てきた燕尾服の男性が、エスコートのために手を差し出す。その手に、淡い水色のドレスを身に纏った淑女が手を重ねた。胸元にはエメラルドのネックレス。ミルクティーブラウンの髪からのぞいた耳にも同じエメラルドのイヤリングが揺れている。


 清楚で美しい装いを目にした者は皆、「どこぞの姫がいらしたのか」と嘆息したことだろう。


「エマ嬢。足元に気をつけてください」

「ありがとうございます」


 ムーンのエスコートで、エマは白い大理石の玄関に降り立った。


 今までの人生でエスコートで馬車から降りるなど経験したことがない。足を踏み外さないかと心配だったけど、ムーンのエスコートが上手いのか、スムーズに降りることができてホッとした。


「それにしても、すごいホテルですね。まるで宮殿のよう。……少し気後れしてしまいそうです」


 荘厳な造りのホテルは、画面で見るのとは桁違いの迫力だ。


「『セレスティア』というのは、実在していた王女の名です。このホテルは元々、セレスティア王女の離宮でしたから、本当に宮殿だったんですよ」

「へぇ、そうなんですね」


 ムーンから直に説明された裏設定に、エル・クラドールとの接触という一大イベントが控えているのも忘れて、ちょっとドキドキ盛り上がってしまう。


 この立派なホテルに相応しい今夜の夜会は、王家と繋がりの深い公爵家の主催だという。


 エル・クラドールからの手紙を得て、すぐに、ミセス・エバンズがエマとムーンの分の夜会の招待状を手に入れてくれた。どういう伝手を使ったのかは分からないが、ミセス・エバンズ曰く「アーデンベイル家であれば、容易いこと」らしい。


 アーデンベイル邸に一泊したムーンは、翌早朝、エマの知らぬ間に王都に発った。準備を整え、昨日ようやく王都にやってきたエマが、ムーンに会うのは4日ぶりだ。


 ミセス・エバンズによると、今夜の夜会に出席できるのは爵位を持つものだけだという。


「名ばかりの爵位というのも、たまには役に立つものですね」


 探偵稼業なんてやってくせに、ムーンはちゃんと子爵位を持っていた。

 本人によると、子爵と言っても名ばかりで、実質的に現在の子爵家は叔母が切り盛りしているそうだ。


 ムーン自身は爵位にも、領地にも、とんと無頓着。なんなら、自分にとっては無用の長物なのだから、いつでも叔母にくれてやるつもりなのに、この叔母がなかなかのクセモノで、ムーンはいつも口八丁に丸め込まれて、大人しく譲られてくれない。馬車の中で、そう嘆くムーンは、いつもの冷静沈着な探偵とは少し違ってみえた。


「でも、おかげでムーンさんも夜会にご一緒できるので良かったです」


「私にとって爵位など特にたいした意味もありませんが、せっかく押し付けられた以上、使えるものは上手に使わせていただかなくてはね」


 ムーンらしいな、と思った。

 権威や身分に関心はないけど、必要なら利用する。そういう合理的な思考の持ち主。


「あぁ、そうだ。会場に入る前に、紹介したい人がいます」


 玄関ホールで足を止めたムーンは、キョロキョロと辺りを見回した。「警部補!」と声をかけると、付近を歩哨していたらしき男性が近寄ってきた。


 ムーンめがけて小走りに駆けてくる姿に、エマは、それが誰だか、すぐにピンときた。


「グライトン市警のランドール・ピアス警部補です」


 ランドール・ピアスが「はじめまして」と敬礼をした。


「ランドール・ピアスと申します。お会いでき…て……その、光栄です」


 焦げ茶色のふわふわとした巻き毛。愛想の良い笑顔。ゲームでは、少し頼りない印象を持っていたが、本物のランドールの第一印象は「可愛らしい」だ。

 身長はムーンより少し低いが身体つきはがっしりしている。大人の男性に抱く感想ではないが、何となく、人懐っこい犬みたい。ラブラドールレトリバーみたいな大型犬。


「はじめまして。エマ・アーデンベイルと申します」


 令嬢らしく、優雅にみえるよう気をつけながら、膝を折って挨拶をした。

 目が合うと、ランドールは何故か口をポカンと開けた。


「ランドールさん?」

「あ、はい。えっと……スミマセン」


 エマの顔を凝視したままアタフタとしているランドールに、ムーンが呆れたように言った。


「ランドール。いつも言っているだろう? 君は何でも顔に出すぎだと。素直なのは君の美点だが、それが過ぎるのは君の欠点だ」

「……はい。申し訳ありません」


 ムーンに注意されたランドールが雨に濡れた犬のように、しゅんと悄気ている。茶色い巻き毛の隙間から垂れた耳でも見えそうだ。


「ピアス警部補は、半年程前からエル・クラドールの捜査について、指揮を執っている。今回、ここに現れるという情報を得たから、彼に来てもらったんです」


 エマにだけ聞こえるような小声で、「ティアラや鍵のことはランドールには話していませんから、安心してください」と付け足した。


 アーデンベイル家が警察ではなく私立探偵を頼ったのは、亡き公国のティアラについて(おおやけ)にしたくなかったからだ。

 ムーンはそれを分かっている。


「ムーン探偵の情報網は流石です。私が来たからには、必ずエル・クラドールは捕まえてみせますし、ムーンさんのお連れのアーデンベイル嬢には指一本触れされませんから、ご安心ください!」


 ランドールが胸を張って、ドンと叩いた。

 ゲーム通りの台詞ではあるけれど、この後の展開を知っているエマからすると、何だか居た堪れない気持ちになった。



 ランドールとの挨拶を終えると、エマとムーンはセレスティアン・コートの中へと足を踏み入れた。エスコートをしながら、ムーンが言った。


「ピアス警部補はあくまで保険です。他にも護衛はいますので、安心してください」

「護衛、ですか?」

「私も会場内では、いろいろと調べたいことがありますので、エマ嬢に付きっきりというわけにはいきません。ですが、私の代わりにエマ嬢をお守りする者が会場内におりますので」


「……どんな方ですか?」


 そんなキャラクターいただろうか。

 ムーンは茶目っ気をみせた顔で「それは内緒です。貴女の態度が変わっては困るからね」と言って、教えてくれない。


「馬車の中で、ホテルが近づくにつれて、エマ嬢はかなり緊張していたように見受けられます。でも、ご安心を。約束通り、貴女のことはちゃんと守りますから」


 確かにエマは、緊張している。なぜなら、自分がここでエル・クラドールに遭遇することを知っているから。


 それは避けられないし、避けてはストーリーが進まない。覚悟はしていても、上手くやれるか、本当に危険はないのか、怖い気持ちもあるのだ。


「ピアス警部補の仰るような『指一本』までは約束してくださらなくて結構ですよ。でも……」


 ムーンの腕に添えた手に、エマはギュッと力をこめた。


「私は大丈夫です。何かあったら、すぐにムーンさんが駆けつけてけれると信じていますから」


 ムンっと気合を入れると、ムーンがフッと笑った。


 未だにムーンは、エマが持っているティアラの鍵について、詳細を知らない。それはストーリー通りではある。でも、こういうムーンを見ていると、守ろうとしてくれている彼に対して、それはとても不誠実な気がしてきた。


「あの、ムーンさん。ティアラの鍵のことですが…」


 ムーンが「シッ」と遮った。長い人差し指が唇に当てる。


「持ってきたのでしょう?」

「それは勿論。でも……」

「ならば、この話はやめましょう。誰がどこで聞いているか分かりません」


 ムーンの雰囲気が変わった。さっきまでの柔らかさが消え、社交的だが隙のない顔つき。


「ホールに入りますよ。十分に気をつけて」

「……はい」


 ホールの中は、着飾ったたくさんの男女で溢れていた。

 燕尾服の男性も、ひらひらとしたドレスの女性も、皆、楽しく飲み食いしたり、歓談したり、踊りに興じたりしている。


 鳴り響く音楽と交わされる会話。少し気後れしてしまいそうだ。


 ゲーム中ではムーンを動かして、招待客たちに聞き込みをしていたっけ。

 ただ周りの人に話しかけて、情報収集をしているうちに、エル・クラドールと接触する。そういうイベントだと思っていた。


 でも、よく考えたら、ここは舞踏会なのだ。


「……まさか私たちも踊ったほうがいいのでしょうか?」


 恐る恐るムーンに尋ねると、彼はあっさりと「御免被りたいですね」と断った。


「私は、踊りには興味ありません。それより、ここで一旦、別行動にしましょう」


 ムーンはさっとエマから離れ、どこかに消えていった。

 一人になると、手持ち無沙汰だ。

 プレイヤーはムーンを動かすから、この間、エマが何をしていたのか、知らない。多分、適当に時間潰していたんだろう。


 まさか、踊っていたということはあるかしら。万が一誘われても、踊り方なんて知らないから困ってしまう。

 そんなことにならないように、壁際で大人しくしておくのがいいだろう。


 なるべく人の少ない端の方を目指して、早足で人波を抜けていくと、ふいに「エマ・アーデンベイル嬢?」と呼び止められた。


 声をかけてきたのは2人組の男性だ。一人は中年男性。もう一人はエマより少し年上の青年。


 年格好からすると親子だろうか。どちらも顔に覚えがない。

 エマに声をかけてきたのは、父親の方だった。

 男は思わず呼んでしまったのか、慌てて「申し訳ありません」と非礼を詫びてから、尋ね直した。


「あの、失礼を申しますが、もしやアーデンベイル伯爵家のご令嬢、エマ・アーデンベイル様ではございませんか?」


 ちょうど音楽の切れ目だったのか、男性の言葉が思いの外、辺りに響いた。

 周囲が一瞬、不気味に静まりかえった。静寂は、すぐにヒソヒソとしたざわめきに変わる。


「アーデンベイル伯爵家のご令嬢だって? あの幻姫の?」

「言われてみれば、確かにエマ様のようだわ……お身体は大丈夫なのかしら?」

「長らく伏せっていたというけど、夜会に出てこられるほど元気になったのか」


 突き刺さるような好奇の視線とともに、皆が口々に自分の噂話をしているのが聞こえてくる。


 どうやらエマ・アーデンベイルという令嬢は、社交会において珍獣のような存在らしい。

 しかも大半は、あまり好意的な視線ではない。


 中には「生きていたのか」、「お隠れになったと聞いていたが……」という失礼なものまで混じっていて、さすがに少々嫌な気分になった。


「左様です。あの……?」

「准男爵に叙せられております、トマス・ディスボワです。昔、アーデンベイル伯爵にお世話になったことがございます」


 丸顔にやや恰幅の良い腹回りのディスボワ准男爵は、隣の男を指して、「こちらは息子のエドマンド。お初にお目にかかります」と紹介した。


 息子も背は高いが、准男爵とは違い、痩せている。エドマンドはあまり社交的ではないのか、黙って頭を下げただけだ。


「エマお嬢さまのことは長らくお耳にしておらず案じておりましたが、ご息災のようで何よりです」


 自分が話しかけたことで注目を浴びてしまったのが居心地悪く思ったのだろう。

 ディスボワ准男爵は、早口で一方的に言うと、エマの返事も聞かずに「それでは、また」と会話をきり上げて、そそくさと去っていった。

 迂闊なことを話せないエマにとっては、助かったけれど。


 これ以上話しかけられないように、さっさと壁際に避難したほうが良さそうだ。背を返すと後ろから「田舎者令嬢よ」と、クスクスと笑う女たちの声がした。


 好奇心に晒されるのは、いい気がしないけれど、おかげで分かったこともある。


 夜会の準備をしているときに、ミセス・エバンズから、「お嬢さまは長らく領地に引っ込んでいらして夜会は久しぶりですから、噂話が好きな貴族の者たちがいろいろと言われるかもしれません」と注意された。


 どうやらエマ・アーデンベイルは身体が弱く、長年、空気の良い領地で療養していたらしい。

 噂で誇張されている部分は多少あるだろうけど、首都の社交会と疎遠だったのは間違いないだろう。


 ノコノコ出てきたせいで、アレコレ言われてしまった。本物のエマ・アーデンベイルに申し訳なくて、心の中で「ごめんなさい」と謝った。


 でも恵麻としては助かる。それなら、多少こちらの常識に疎くてもいいということ。少し気が楽だ。

 とはいえ、いつまでも遠巻きに観察されるのは嫌だなと、針の筵みたいな気分でいたら、すぐに別のざわめきが取って変わった。


「おい、もう見たか?」


 すぐ近くにいた男性たちが、興奮気味に声を上げた。


「『宮廷の薔薇』がお出ましだ」

「今日も『白い薔薇』は美しいわね」


 みるみるうちに感嘆や熱気が会場内に伝播していく。エマに対するものとは違い、好意的な関心だ。

 皆が入り口の方を気にしてソワソワしている。


『宮廷の薔薇』とは何だろう。

 気にはなるけれど、せっかく人々の目が薄れたのだから、この隙に、出来るだけ目立たない場所に移動しておいたほうがいいだろう。


 エマはグラスを1つ頂戴して、壁際に移動した。


 白い薔薇とやらは、余程の人気者らしい。あっという間に、エマのいるあたりには、ほとんど人気がなくなった。


 このまま静かにしているうちに、エル・クラドールが接触してくるのかしら。


 注意深く辺りを警戒していたら、女の子が一人、こちらに向かってやってくるのが見えた。


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