3 小さな礼拝堂
ムーンはアーデンベイル邸に客人として逗留することになった。
メイド長のミセス・エバンズがゲストルームを整えるために部屋から出ていき、今はムーンと二人きり。緊張してしまうのは、彼の姿が想像していたよりも美しいからなのか、それとも鋭い洞察力を警戒してしまうからなのか。
「さて、夕食まで少し時間があるようなので、この辺りを見て回りたいのですが。アーデンベイル嬢。良ければ、案内していただけませんか?」
もてなしの紅茶を早々に飲み終えたムーンが、エマに尋ねてくる。
知っている通りの展開だ。
この後、エマとムーンは街に出て、それから湖畔を散策するのだ。
不安がないわけでない。
分からないことだらけの状況。この世界の常識すらままならないのに、エマ・アーデンベイルとして、名探偵相手に自然に振る舞えるか。
それでも、エマがこの世界から抜け出すには、ゲームを進めるしかない。クリアすれば元の世界に戻れると信じて、ゲームのストーリーをなぞるしかないのだ。
「私で良ければ、是非」
エマは内心の不安を悟られぬように気をつけて、ゲーム通りに応諾をした。
* * *
街歩きのために軽装に着替えたエマは、玄関でムーンと待ち合わせした。
肘丈のスカートと歩きやすいブーツはドレスに比べて軽やかで、身体に馴染む。装飾品もエメラルドのイヤリングだけだ。
ムーンは、来た時と同じチャコールグレーのインバネスコートとハンチング帽。手には、紳士らしくステッキを持っていた。
「行きましょうか」
階段を降りる時に、ムーンが手を差し出してエスコートしてくれた。お嬢様になった気分で、何だか気恥ずかしい。顔に出さないように堪えるので、必死になってしまう。
アーデンベイル邸は想像していたよりも敷地が広い。屋敷から門までの道を、ムーンと並んでのんびり歩いた。
振り返ると、エマの部屋のバルコニーが見えた。
先程はあそこから、屋敷に向かって歩いてくるムーンの姿を見ていた。その時に比べて彼の歩調が緩やかなのは、エマに合わせてくれているのだろう。
「おや、あちらは厩舎ですか?」
ムーンが立ち止まって尋ねた。確かに数メートル先に厩舎らしきものが見える。
バケツをもった男性が中を覗き込んでいた。
そういえば確かに、邸宅には厩舎があった。そこで働いている男性に話しかけてミニゲームをした覚えがある。
「えぇ、馬も何頭かおりますので」
適当に知っている知識で誤魔化すと、深く突っ込まれる前に早く行こうと先を促す。
それにしても、佐伯恵麻だった時はコンタクトか眼鏡が必須だったけど、どうやらエマは裸眼でいいらしい。この目の良さだけは手放したくないわね、などと考えているうちに、二人は門の外に出た。
ミセス・エバンズが『外れの別邸』と言った通り、アーデンベイル邸の周りは自然で囲まれていた。
風が渡ると草の匂いがするような茶色い土の道を少し歩くと、ポツポツと民家が現れる。
この道は街へと繋がっているから、このまま歩けば、商店や広場のある大きな通りに出るはずだ。街中はゲームの中で何度も歩いているから、何となく分かる。
思っていた通り、途中から石畳の道に変わり、家や店が増えてきた。昼下がりの時間だからか、街は賑わっている。
「この先に噴水があって、そこが街の中心です。その向こうは……えぇっと、市が立っています」
言うが早いか、大きな噴水から勢い良く噴き出す水が見えた。
「ほぅ、これは見事。これほど大きな噴水とは。流石、湖とともに生きてきた土地ですね」
高く噴き出す立派な噴水は、思わず見惚れるほどに美しかった。弾けた飛沫が日の光でキラキラと輝く。
近寄ってみると、一際高く水が噴いた。あまりにも勢い良く噴き出したせいで、飛び散った水滴が少し、エマの髪にかかった。
「きゃぁ!」
「大丈夫ですか?」
ムーンがすぐにハンカチを差し出してくれたけれど、自分のものがあるからと断る。
レースのハンカチで頭を拭いていると、近くにいた女の子が「この時間は、水の勢いが増すんですよ。すぐにおさまりますけど」と、親切に教えてくれた。彼女によると、日中は、1時間に一度、大きく水が噴き出すらしい。
彼女の言う通り、噴水の水はすでに緩やかな流れになっている。
「みんなの時計代わりでもあるんです」
「へぇ、そうだったのね。知らなかったわ」
「旅の方ですか?」
街娘の格好が功を奏したのか、アーデンベイル家の令嬢とは気づいていないみたいだ。
「よければ、お花を一ついかがですか?」
少女の腕に花籠が掛かっているのを見て、ハッとした。彼女を知っている。
ふと見渡せば、街はたくさんの人で溢れていた。その一人一人を注意深く眺めると、エマの知っている者が何人かいる。
噴水の近くで技を披露している大道芸人、反対側で井戸端会議をしている中年女性の2人組。情報収集のために話しかけたり、謎解きの問題を出されたりした人たちだ。
その人たちがゲーム通りに、そこに存在していた。
自分は何かの事故でゲームの中に入り込んでしまった。だから、これは全部ゲームの中のことで、感じている水しぶきの冷たさも、楽しそうに行き交う人も、花を売る彼女の表情も、全て作られたもののはずなのに、リアルにここにいる。
みんな、ここに生きている。
もし、この世界が存在していて、ゲームの中なんかじゃないのだとしたら……いっそ型通りに解決する必要なんてないんじゃないか。
恵麻は、ティアラのありかも、ゲームの結末も知っている。
それなら、回りくどいことなんてせずに、答えだけを導き出したって……ーーー
「どうかしましたか?」
覗き込んできたムーンと目が合った。
長いまつげに覆われた理知的な瞳は、奥底に何かを探るような光を宿している。
「……なんでもありません」
やっぱり駄目だ。
エマはちゃんとゲームをクリアして、元の世界に戻らなくてはならない。もし失敗してしまったら、どうなるのか。永久にこの世界に閉じ込められる可能性だってあるのだ。
そんなリスクは犯せない。
エマは慌ててハンカチをしまうと、少女に声をかけた。
「花を一つ、いただけるかしら?」
花売りの少女の頬が嬉しそうに、ほころんだ。
「どちらにしましょうか?」
花籠には赤や黄色、オレンジの花がたくさん詰まっていた。
「どれも可愛いから迷っちゃうけど……そちらの白い花をいただいてもいいかしら」
「ありがとうございます」
お金を払うと、大きなシロツメクサのような、丸く咲いた花を受け取った。
エマとムーンは彼女に別れを告げると、しばらく街を散策してから湖畔に出た。
湖畔沿いは、青々と茂る草のなかに、人の往来でできた自然の道があった。
エマたちは、道に沿って歩き、少し小高くなっているところへ登った。
湖がよく見渡せる。風が少し強いのか、湖面に時折、不規則な波が立っている。
「この道の先にブルムホルト公国の城があります。今はもう、ただの廃城ですが」
「あの、少し頭が見えているところですね?」
湖を挟んだ左手の奥に見える森の奥から、茶色い三角塔の先端が見えている。
「こうして見ると近いですね」
「ブルムホルト公国は、もともと、この国の一部で、アーデンベイルの隣の領地でした」
二百年ほど前に自治権を獲得して、公国となった。以降、公主一族により治められていたが、約三十年前に、悪政に喘ぐ民が蜂起し、反乱により国は滅びた。
その際、情勢の安定化を図るためにアーデンベイルの軍が派遣され、そしてそのまま管理地となった。
「今は完全にアーデンベイル領の一部となっています」
エマの説明に、ムーンが「詳しいですね」と感心するように言った。
「実によく勉強しています。流石に伯爵令嬢だ。非常に分かりやすい説明でした」
「……恐れ入ります」
ムーンの手放しの褒め言葉に、エマは内心、少しやりすぎたかしらと不安になった。
公国の歴史は、ストーリー上の核となっているから詳しくて当然なのだけど、あまりにもスラスラ話しすぎると怪しくみえるかもしれない。気をつけよう。
「おや、あれは何ですか?」
城よりもかなり手前にある、小さな石造りの建物にムーンが目をつけた。
「礼拝堂です。今は使われていませんが」
「礼拝堂?」
周りに何もない場所に、1軒だけポツンと立っているのが不思議に感じたのだろう。ゲームでも、この後、あの礼拝堂に向かうことになる。
「昔はあの辺りに小さな集落があったのだそうですよ。私もよく存じ上げませんが。行ってみますか?」
「是非」
尋ねれば当然のごとく、行くことが決まった。
道中ふと、そういえば、あそこの入口には鍵がかかっていたはずだけど、どうなっているのだろうと気にかかった。
ゲームの中では、何かパズルのようなものを解いた覚えがある。まさか石造りの壁にゲームみたいなパズル画面が嵌めてあるわけでもないだろう。
礼拝堂は石を積み上げて作った簡素な建物で、美術的な美しさも、権威の顕示もない。ただ、集落の一部とて存在したであろう宗教的施設だった。
ムーンが木製の扉に手をかけた。ガタガタと前後に揺らしたり、左右に引いたりを何度か試みた。やはり入り口には鍵がかかっている。無理だと悟ると、ムーンは二、三歩下がって、まじまじとドアを眺めた。
「ダメですね、開きません。鍵がかかっているようです」
「内側から鍵がかかっているなら、入るのは難しいですね。無理やりこじ開けるわけにもいきませんし」
そんなことすれば、不法侵入だ。
勿論、ゲームで見たようなパズルはどこにもない。
ムーンが「うーん」と唸りながら、建物周りを歩き始めた。時々立ち止まっては、壁を叩いたり、窓から中を覗き込んだりしている。
エマは扉をグッと押して、隙間を覗き見てみる。確かに、壁と扉の間に渡してあるらしい金具が見えた。
「何とかして入れませんかねぇ」
礼拝堂をぐるりと一回りして戻ってきたムーンは、顎の下に手を添えて、扉をまじまじと検分している。
正直言うと、ストーリー展開上は、この中に無理に入る必要はない。扉を開けるためにパズルを解かなくてはなからなかったり、建物の中にある謎解き問題を解いたりと謎解きRPGとしての要素はあるが、物語全体との関わりはなかったはずだ。
エマとムーンがここを散策しているうちに、アーデンベイル邸で事件が起こる。
大切なのは、この周辺の歴史や地理を理解することと、一定時間、二人がアーデンベイル邸を離れていることだ。
だから、適当に時間を潰せさえすれば、無理に入らなくてもいいのだ。
しかし、目の前のムーンは不思議なほど、この礼拝堂に拘っている。もしかして、シナリオの持つ強制力というやつなのかしら。
「窓から見えた様子では、鍵は金具の棒を受け金にはめているだけの単純な構造でした。何か薄くて硬い物を扉の隙間に差し込めば、錠を持ち上げられそうです」
「固くて薄い物など、あるでしょうか?」
エマはつい、ムーンのステッキを見た。
その仕込み杖を使ってはいかがでしょう、と言いたいのをグッと堪える。
ムーンの持っているステッキは仕込み杖だ。鞘替わりの杖を抜けば、中にフェンシングの刃が仕込んである。その刃なら扉の隙間に入りそうな気がするが、ムーンは案の定、杖のことには全く触れる様子はない。
「何かないか、この辺りを探してみましょう」
「……そうですね」
仕方なくエマも彼に付き合い、周囲を探す。
この辺りは昔、集落があった。礼拝堂を除く建物は、すでに何もなくなっているが、ところどころに、かつての住居らしき礎が見つけられる。
ムーンと二手に別れて、住宅跡をみていると、薄茶色の土のなかに、何か鈍色の物が落ちていた。
拾い上げると、手のひらに乗るくらいの大きさの錆びた金属片だった。
「ムーンさん、これはどうでしょう?」
エマが呼ぶと、ムーンがすぐにやって来た。
「大分錆びているので、脆くなっているかもしれませんが、あの隙間に入りそうですよ」
「いいですね。鎧の飾りか何かかな。ともかく、試してみましょう!」
ムーンはエマから金属片を受け取り、礼拝堂に戻った。隙間に差し込んで慎重に持ち上げると、扉の向こうでガタンと落ちる音がした。
「開きましたか?」
「おそらく」
ムーンがゆっくり押すと、ギシギシと軋みながら扉が開いた。
むわっと埃っぽい匂いが舞う。
鼻がむずむずした気がして、エマは思わずハンカチで口を覆った。




