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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.97 ノートの取り方を聞いたギャルは、メガネっ娘の字をまねようとして敗北する

 翌朝、黒瀬琉衣奈は少しだけ眠そうだった。


 教室に入ってきた朝比奈湊が新しい席へ向かうと、少し離れた席の黒瀬が顔を上げる。


「……おはよ」


「おはよう」


 挨拶はもう、だいぶ自然だった。


 席替えの直後は、声の距離に少し違和感があった。

 けれど今は、その距離にも黒瀬なりに慣れ始めている。


 近ければ話す。

 遠ければ歩く。

 歩くのが難しければメッセージを送る。

 それでも足りなければ、夜に文句を言いに来る。


 黒瀬琉衣奈は、そうやって新しい教室の距離を自分のものにし始めていた。


 ただ、今日は目元が少し重そうだった。


「眠い?」


 湊が聞くと、黒瀬はすぐに眉を寄せる。


「眠くない」


「それ眠い時のやつだろ」


「違うし」


「昨日、自習会で疲れた?」


「……半分」


「半分か」


「使うなって言いたいけど、便利だから言えない」


 黒瀬はそう言って、少しだけあくびを噛み殺した。


 完全に眠い。


 莉子が少し離れた席からすぐに声を飛ばす。


「るいな、昨日勉強したから知恵熱?」


「出てない」


「頭から煙は?」


「出てない」


「でも眠そう」


「莉子、朝からうざい」


「はいはい。昨日頑張ったもんねえ」


「その言い方やめて」


 黒瀬はむくれたが、声に本気の刺々しさはない。


 むしろ、少し誇らしさを隠しているようにも見える。


 昨日の放課後自習会。


 白瀬栞は地図みたいに綺麗な説明をして、湊は雑だけど噛み砕いて説明して、莉子は眠気担当のくせに変な例えで場を軽くした。


 そして黒瀬は、文句を言いながらもちゃんと聞いた。


 さらに最後には、栞に「ノートの取り方を教えて」と頼んだ。


 それが、今日の少し眠そうな顔につながっているのかもしれない。


「朝比奈くん、おはようございます」


 斜め前から白瀬栞が振り返った。


「おはよう」


 栞はいつも通り、机の上にノートを綺麗に並べていた。

 そのノートは、黒瀬が昨日「見やすい」と言ったものだ。


 栞は黒瀬の方を見て、少しだけ微笑んだ。


「黒瀬さん、昨日の続きですが」


 黒瀬が反応する。


「何」


「ノートの取り方、簡単にまとめてきました」


「……え?」


 黒瀬だけでなく、湊も少し驚いた。


 栞は鞄から薄いルーズリーフを二枚取り出した。


 そこには、綺麗な字で「ノートの取り方」と見出しが書かれている。


 ただのメモではない。


 日付を書く位置。

 見出しのつけ方。

 先生が強調した言葉の印。

 あとで見直すための余白。

 問題を解く時の途中式の置き場所。


 すべてが整理されている。


 莉子が遠くから目を丸くした。


「白瀬先生、本当にまとめてきたの?」


「先生ではありません」


「いや、もう先生でしょ。プリント作ってきてるじゃん」


「黒瀬さんが聞いてくれたので」


「強すぎ」


 莉子が感心したように言う。


 黒瀬は完全に固まっていた。


 しばらくして、ルーズリーフを受け取り、ぽつりとつぶやく。


「……ほんとに作ってきたんだ」


「はい。全部真似する必要はありません。黒瀬さんが使いやすいところだけ使ってください」


「そういうとこ」


「はい?」


「いや、何でもない」


 黒瀬はルーズリーフを見つめる。


 その顔は、困っているようで、嬉しそうでもあった。


「ありがと」


 短いお礼。


 栞は静かに微笑んだ。


「どういたしまして」


「普通に返すなって」


「お礼を言われたので」


「それはそうだけど」


 黒瀬は少しだけ顔を赤くして、ルーズリーフを机に置いた。


 湊は思わずそれを見てしまう。


 すると黒瀬がすぐに睨んだ。


「朝比奈、見るな」


「いや、見えるだろ」


「見えるけど見るな」


「難しい」


「難しいんだし」


 黒瀬はルーズリーフを自分のノートの上に重ねた。


 それだけで、何か大事なものをしまうみたいだった。


 一限目。


 黒瀬はさっそく栞のルーズリーフを参考にしてノートを取ろうとしていた。


 まず日付を書く。

 次に見出しを書く。

 先生が黒板に書いた内容を、いつもより少し丁寧に写す。


 そこまではよかった。


 問題は、字だった。


 黒瀬の字は、悪くない。


 ただ、勢いがある。


 少し斜めで、ところどころ大きさが跳ねる。本人の性格がそのまま出たような字だ。


 一方、栞の字は整いすぎている。


 黒瀬がそれをまねようとすると、どうしても不自然になる。


 しばらく頑張ったあと、黒瀬は小さく眉を寄せた。


 そして、休み時間になるなり湊へメッセージを送ってきた。


『白瀬の字、無理』


 湊は少し笑いそうになった。


 同じ教室の中で、黒瀬はスマホを見ていないふりをしている。


 湊は返信する。


『字まで真似しなくていいだろ』


 すぐ既読。


『見やすくしたいのに、なんか負ける』


『字に勝ち負けあるのか』


『ある』


『黒瀬の字も読めるぞ』


 少し間が空いた。


『そういう問題じゃない』


 湊は黒瀬の方を見る。


 黒瀬はスマホを伏せたまま、ノートを睨んでいた。


 すると栞が振り返る。


「黒瀬さん、字で悩んでいますか?」


 黒瀬がびくっとした。


「何でわかるの」


「ノートを見る顔が、少し険しかったので」


「白瀬、最近顔で読みすぎ」


「すみません」


「謝るの早い」


 栞は黒瀬の席へ歩いていった。


 湊も自然に目で追う。


 黒瀬は少しだけ身構えたが、ノートを閉じたりはしなかった。


 栞は机の横に立ち、黒瀬のノートを見て、優しく言った。


「字は、真似しなくて大丈夫です」


「……でも、白瀬のノート、字も見やすいし」


「ありがとうございます。でも、黒瀬さんの字には黒瀬さんの勢いがあります」


「勢いって何」


「元気があります」


「それ褒めてる?」


「はい」


「ほんとに?」


「はい。黒瀬さんらしくて、いいと思います」


 黒瀬は言葉に詰まった。


 莉子が横から覗き込む。


「るいなの字、たしかに元気あるよね」


「莉子は黙って」


「いや、いい意味。白瀬さんの字は優等生。るいなの字は走ってるギャル」


「何その字」


「でも読めるし、勢いある」


「莉子まで」


 黒瀬は顔を赤くした。


 栞は黒瀬のノートを指さす。


「まずは、字を変えるより余白を作るところからでいいと思います」


「余白?」


「はい。全部詰めると、あとで見返す時に疲れるので」


「それはわかる。あたしのノート、たまにぎゅうぎゅう」


「では、行と行の間を少し空けてみましょう」


「それだけ?」


「最初はそれだけで十分です」


 黒瀬は少し驚いた顔をした。


「白瀬って、全部ちゃんとしろって言わないんだ」


「全部いきなり変えると、続かないと思うので」


「……そういうとこ」


「はい?」


「いや、強い」


 黒瀬は小さくつぶやいた。


 栞は少しだけ困ったように笑う。


「強いでしょうか」


「強い。逃げ道あるのに、逃げじゃない感じ」


 その言葉に、栞が少しだけ目を丸くした。


 湊も驚いた。


 黒瀬が、栞の教え方をかなり的確に言葉にした。


 逃げ道があるのに、逃げではない。


 栞の距離感そのものみたいな言葉だった。


「黒瀬さん」


「何」


「今の言葉、嬉しいです」


「だから、そういうの普通に言うなって」


「本当なので」


「出た」


 黒瀬は困ったように視線を逸らした。


 でも、口元は少しだけ緩んでいた。


 昼休み。


 黒瀬は自分のノートを持って、湊の席へ来た。


「朝比奈」


「何?」


「見て」


 黒瀬がノートを差し出す。


 湊は受け取って、少し驚いた。


 確かに、昨日までと少し違う。


 字は黒瀬のままだ。


 勢いがあって、少し斜めで、ところどころ大きい。


 けれど、余白がある。

 見出しがある。

 重要なところに小さな印がついている。


 栞のノートそのものではない。


 でも、黒瀬なりに取り入れようとしているのがわかる。


「かなり見やすくなったと思う」


 湊が言うと、黒瀬はすぐに目を逸らした。


「普通に言うな」


「普通に思った」


「だから、それが」


「いい感じだと思う」


「二回言うな」


「大事そうだから」


「ずるい」


 黒瀬はノートを取り返そうとして、少し手を止めた。


「……白瀬のとは全然違うけど」


「黒瀬のノートになってる」


「何それ」


「真似じゃなくて、黒瀬用に変わってる感じ」


 黒瀬は黙った。


 少しだけノートを見て、それから小さく言う。


「それは、ちょっといいかも」


「うん」


「白瀬にも見せた方がいい?」


「喜ぶと思う」


「それ言うと緊張する」


「でも見せるんだろ」


「……見せる」


 黒瀬はノートを抱えて、栞の席へ向かった。


 栞は静かにそれを受け取った。


 ページを見て、すぐに表情がやわらかくなる。


「すごく見やすくなっています」


「すごくはない」


「すごく、です」


「白瀬、こういう時押すよね」


「ここは押したいです」


「何それ」


 黒瀬は困ったように笑った。


 栞はノートを指で示す。


「黒瀬さんの字のままなのがいいと思います」


「字、変じゃない?」


「変ではありません。むしろ、前より読みやすくなって、でも黒瀬さんらしさは残っています」


「……そういうの」


「本当なので」


「もう言われると思った」


 二人のやり取りを見て、莉子が遠くからにやにやしている。


「るいな、白瀬先生に褒められてるー」


「莉子、黙って」


「でも嬉しいでしょ」


「……うるさい」


 否定しきれていない。


 湊はその様子を見ながら、少しだけ笑った。


 ノート一つで、また距離が動いている。


 白瀬栞の綺麗なノート。

 黒瀬琉衣奈の勢いのある字。

 その二つが混ざって、黒瀬だけのノートができ始めている。


 放課後。


 自習会は今日はなかった。


 昨日まで二日続けていたので、さすがに休みにしようという話になった。


 莉子は「今日は脳みそ定休日」と言ってさっさと帰り、栞も図書委員の用事があるらしく、いつもより早めに教室を出た。


 黒瀬は少しだけ残った。


 湊が鞄を持って立ち上がると、黒瀬がノートを持って近づいてくる。


「朝比奈」


「何?」


「今日、行く」


「自習会ないのに?」


「ノートの話」


「ああ」


「あと、白瀬の字に敗北した話」


「敗北したのか」


「した」


「でも、黒瀬のノートは良くなってた」


「そういうの、もう一回言うな」


「一回しか言ってない」


「今言った」


「確かに」


 黒瀬は少しだけむくれた。


「カフェラテ」


「当然?」


「当然」


 夜八時半。


 スマホが震えた。


『今日、行く』


 湊は返信する。


『ノート持ってくる?』


『持ってく』


『見直し?』


『確認』


『便利ワード』


『うるさい』


『カフェラテ?』


『当然』


 九時。


 インターホンが鳴る。


 ドアを開けると、黒瀬は鞄を少しだけ抱えるようにして立っていた。


「……遅」


「今日はノート持参か」


「開幕で言うな」


「悪い」


「悪いと思ってない」


「半分くらいは」


「禁止」


 黒瀬は部屋へ上がり、ソファに座る。


 今日はクッションを抱える前に、鞄からノートを出した。


 湊がカフェラテを置くと、黒瀬はノートをテーブルに広げる。


「これ」


「うん」


「家でも見たけど、やっぱ白瀬の字とは違う」


「違うだろ」


「白瀬の字、きれいすぎ」


「黒瀬の字も読みやすくなってる」


「また言った」


「大事だから」


「ずるい」


 黒瀬はカフェラテを飲んだ。


「でも、ちょっと嬉しかった」


「白瀬さんに褒められて?」


「うん」


 素直だった。


「黒瀬さんらしさが残ってるって言われた」


「うん」


「それ、ちょっとよかった」


「よかった?」


「うん。全部白瀬みたいにしなくていいんだって思った」


 黒瀬はノートの端を指でなぞる。


「白瀬のきれいなところは、すごいと思う。でも、全部真似したら疲れる」


「うん」


「あたしはあたしのままで、ちょっと見やすくすればいいって」


「いいと思う」


「……そういうの、夜でも普通に言うなって」


「カフェラテ中だから」


「それ、万能にするな」


 黒瀬は少し笑った。


「でも、今日は言われても大丈夫」


「そっか」


「半分くらい」


「半分か」


「うん」


 黒瀬はノートを閉じて、ようやくクッションを抱えた。


「白瀬って、ああいうとこ強い」


「どこ?」


「全部変えろって言わないとこ」


「うん」


「逃げ道あるのに、逃げじゃない感じ」


「昼にも言ってたな」


「言った」


「いい言葉だった」


 黒瀬は顔を赤くする。


「言葉まで褒めるな」


「でも本当だし」


「本当なら余計だめ」


 黒瀬はクッションに顔を半分隠した。


 けれど、今日は逃げなかった。


「朝比奈」


「ん?」


「ノート、次の自習会でも使う」


「うん」


「白瀬にまた見てもらう」


「うん」


「でも、朝比奈にも見せる」


「もちろん」


「……変な字とか言わないで」


「言わない」


「勢いあるとかも、ちょっとむかつく」


「じゃあ、黒瀬らしい字?」


「それもむずい」


「難しいな」


「難しいんだし」


 黒瀬は少しだけ笑った。


 ノートの取り方を聞いたギャルは、メガネっ娘の字をまねようとして敗北した。


 けれどその敗北は、悪いものではなかった。


 白瀬栞みたいになる必要はない。

 黒瀬琉衣奈のまま、少し見やすくなればいい。


 そのことに気づいた黒瀬のノートは、前より少し余白が増えていた。


 そしてたぶん、黒瀬自身にも。

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