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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.93 夜の部屋で、ギャルはメガネっ娘の話をする時間が増える

 その日の夜、黒瀬琉衣奈はいつもより少し早く来た。


 インターホンが鳴ったのは、九時の五分前だった。


 朝比奈湊がドアを開けると、黒瀬はいつものように少しむくれた顔で立っていた。けれど第一声は、いつもの「遅」ではなかった。


「……今日は早い」


「自分で言うのか」


「言っとかないと、朝比奈が言うでしょ」


「言おうと思ってた」


「最低」


 黒瀬はそう言いながら靴を脱ぎ、部屋に上がった。


 もう迷わずソファへ向かう。

 クッションを抱える。

 そこまでが、いつもの夜の動きになっている。


 湊がキッチンへ向かうと、黒瀬はソファから声を投げた。


「カフェラテ」


「当然?」


「当然」


 やっぱり、そこは変わらない。


 湯を沸かしながら、湊は少しだけ今日の昼を思い出していた。


 黒瀬と栞が、ファッション誌を挟んで話していた。

 黒瀬が栞に似合いそうな服を示して、栞が静かに嬉しそうにしていた。

 二人は「仲良くはない」と同時に言い、莉子に笑われていた。


 その光景は、かなり強く残っている。


 少し前なら考えられなかった。


 黒瀬が栞に服を勧める。

 栞が黒瀬の言葉を素直に受け取る。

 二人の言葉が、妙に重なる。


 湊だけが知らない小さな同盟。

 そう言ったら黒瀬は怒ったが、実際、何かが生まれ始めていた。


 湊がカフェラテを持って戻ると、黒瀬はスマホを見ながら少し難しい顔をしていた。


「何見てるんだ?」


「別に」


「別にの顔じゃないけど」


「最近、みんな顔って言いすぎ」


「影響されてるな」


「誰に」


「黒瀬に」


「それはむかつく」


 黒瀬はスマホを伏せて、カフェラテを受け取った。


「……白瀬から来てた」


「メッセージ?」


「うん」


 黒瀬はカップを両手で包みながら、少しだけ視線を落とした。


「今日、雑誌ありがとうって。あと、服のページ、もう一回見たいから今度一緒に見てもいいですか、だって」


「いいじゃん」


「いいけど」


「けど?」


「なんか、白瀬がファッションの話してくるの、まだ変」


 黒瀬はクッションに顎を乗せた。


「本の人だったのに」


「前にも言ってたな」


「言った。でもほんとにそう思うし」


「本の人が雑誌の人にもなった?」


「言い方」


 黒瀬は少し笑った。


「でも、そうかも。白瀬ってさ、思ったより何でもちゃんと見る」


「本も雑誌も?」


「うん。あと人も」


 それは、黒瀬にしてはかなり自然な言葉だった。


 湊は黙って聞いた。


「白瀬って、こっちが適当に渡したものも適当に扱わないじゃん」


「うん」


「本も、雑誌も、消しゴムのことも、小テストも」


「ちゃんと拾うよな」


「そう。それが強い」


「今日も出た」


「何回でも出る」


 黒瀬はカフェラテを飲む。


 いつもならそこで莉子の文句や湊への文句に移りそうなところなのに、今日はまだ栞の話が続いた。


「白瀬って、ああいう服似合うと思う?」


「ああいう服って、昼に黒瀬が言ってたページ?」


「うん。ワンピースのやつ」


「似合うと思う」


 黒瀬の眉が少し動いた。


「即答」


「似合いそうだったから」


「……朝比奈が想像するのはむかつく」


「俺に聞いたの黒瀬だろ」


「聞いたけど」


「どう答えればよかったんだ」


「ちょっと考えてから、似合うと思う、くらい」


「難しい」


「難しいんだし」


 黒瀬はクッションを抱え直した。


「でも、白瀬が着たら、たぶん雰囲気変わる」


「そうだな」


「あの子、いつもきっちりしてるじゃん」


「うん」


「だから、少し柔らかい服着たら、たぶん……」


 黒瀬はそこで止まった。


 言葉を選んでいる。


「たぶん、可愛いと思う」


 ぽつりと言った。


 湊は少しだけ驚いた。


 黒瀬が栞を「可愛い」と言った。


 それ自体が、かなり大きな変化に思えた。


 黒瀬も自分で言ってから、少しだけ顔を赤くする。


「……今のなし」


「無理」


「言うと思った」


「これは無理だろ」


「最低」


 黒瀬はクッションに顔を埋めた。


 けれど、声はそこまで嫌そうではない。


「白瀬に言ったら喜ぶと思う」


「絶対言わない」


「何で」


「何でって……無理でしょ」


「でも、昼も似合うって言ってた」


「似合うと可愛いは違う」


「確かに」


「でしょ」


 黒瀬は少しだけ顔を上げた。


「それに、白瀬に可愛いって言ったら、たぶん普通にありがとうございますって返される」


「想像できるな」


「でしょ。それが怖い」


「怖いのか」


「怖い。あの子、ちゃんと受け取るから」


 黒瀬はカフェラテのカップを見つめる。


「雑に流してくれた方が楽なのに、ちゃんと受け取ってくる」


「うん」


「だからこっちも、ちゃんと言わなきゃってなる」


「疲れる?」


「疲れる」


 黒瀬は即答した。


 けれど、すぐに続ける。


「でも、嫌じゃない」


「知ってる」


「知ってるって言うな」


「最近よく言うから」


「便利なんだって」


「嫌じゃない、も便利ワードか」


「うん」


 黒瀬は少しだけ笑った。


 テレビはまだつけていない。


 いつもなら部屋に動画の音が流れている時間なのに、今日は黒瀬が栞の話をしているせいで、湊もリモコンを取るタイミングを逃していた。


 沈黙はあった。


 でも、気まずくはなかった。


 黒瀬は、栞の話をしながら、自分の中の感情を少しずつ並べているようだった。


「白瀬ってさ」


「うん」


「たまに変な冗談言うよね」


「半分くらい、とか?」


「それもだし」


 黒瀬は少しだけ口元を緩める。


「今日、あたしと同時に『仲良くない』って言ったじゃん」


「あれは見事だった」


「見事とか言うな」


「でも、ぴったりだった」


「そこがむかつく」


「むかつく?」


「うん。息合ってるみたいで」


 黒瀬は少しだけ眉を寄せた。


「仲良くはないのに」


「でも、話しやすくはなった?」


「……なった」


 素直だった。


「前よりは」


「うん」


「白瀬の言い方、ちょっと読めてきたし」


「読めてきた?」


「本当なので、って言う時は本当にそう思ってる」


「それはそうだろ」


「でも、前はそれが強すぎて困った。今は、ああまた本当なのでだ、って思う」


「慣れたんだな」


「慣れたくなかった気もする」


「そうなのか」


「だって、慣れるとちょっと嬉しくなるじゃん」


 湊は、返事を少し遅らせた。


 黒瀬が自分で言ったことに気づくまで。


 案の定、黒瀬は一拍遅れて顔を赤くした。


「……今のなし」


「無理だな」


「最近、無理多すぎ」


「多いな」


「最低」


 黒瀬はクッションを抱きしめる。


 それから、ほんの少しだけ声を落とした。


「でも、ライバルなのは変わんない」


「うん」


「そこは忘れないで」


 前にも聞いた言葉だった。


 けれど、今日の言い方は前より静かだった。


 黒瀬は栞を少し認め始めている。

 それでも、自分の気持ちまで薄くしたいわけではない。


 敵ではない。

 嫌いではない。

 むしろ、話すのは少し楽しい。


 でも、湊のことで譲れるわけではない。


 その面倒で、曖昧で、正直な気持ちを、黒瀬は「ライバル」という言葉に入れているのだろう。


「忘れない」


 湊は答えた。


 黒瀬は少しだけ目を伏せる。


「……すぐ返すなって」


「返した方がいいと思った」


「ずるい」


「今日はずるい?」


「いつも」


 黒瀬はカフェラテを一口飲んだ。


 そのあと、ようやくリモコンへ視線を向ける。


「動画」


「やっと?」


「やっとって何」


「今日は白瀬さんの話が長かったから」


「……そんな話してた?」


「してた」


「うそ」


「かなり」


 黒瀬は固まった。


 そして、自分で少し考える。


「……ほんとだ」


「だろ」


「何でこんなに白瀬の話してるの」


「嫌いじゃないから?」


「それ言うな」


 黒瀬は顔を赤くした。


「でも、そうかも」


「認めるんだ」


「今日は疲れたから、ちょっと素直」


「いい日だな」


「調子乗るな」


 湊はテレビをつけた。


 いつもの軽い動画が流れる。


 芸人が大げさにリアクションをして、スタジオの笑い声が部屋に広がる。


 黒瀬はクッションを抱えたまま画面を見ていた。


 けれど、数分もしないうちにまた口を開いた。


「白瀬って、朝比奈のこと見すぎじゃない?」


「結局戻るのか」


「今思い出した」


「何を」


「昼。朝比奈が笑ってた時、白瀬も見てた」


「誰を?」


「朝比奈を」


「そうか?」


「そう」


 黒瀬の声に、少しだけ嫉妬が混じった。


 栞の話が増えた。

 認めるようになった。

 嫌じゃないとも言う。


 でも、そこだけは別なのだろう。


「白瀬さんはよく見てるからな」


「そういう問題じゃない」


「じゃあ?」


「朝比奈も見てるでしょ」


「白瀬さんを?」


「うん」


 黒瀬は画面を見たまま言った。


「昼、白瀬が笑った時、朝比奈見てた」


「……見てたかも」


「認めるな」


「嘘ついてもばれるだろ」


「ばれる」


 黒瀬は少し唇を尖らせる。


「白瀬が強いのはわかる。服似合いそうなのもわかる。話すの嫌じゃないのもわかる」


「うん」


「でも、朝比奈が白瀬見すぎるのは嫌」


 かなりまっすぐだった。


 言ってから、黒瀬は自分で少し驚いた顔をした。


 湊も、すぐには返せなかった。


 黒瀬はクッションを抱え直し、小さく言う。


「……今のなし、は無理なんでしょ」


「うん」


「知ってた」


「黒瀬」


「何」


「ちゃんと言ってくれてよかった」


 黒瀬は固まった。


「……そういうの、今言うな」


「今言った方がいいと思った」


「ずるい」


「うん」


「自覚あるんだ」


「少し」


「最低」


 黒瀬はクッションに顔を埋めた。


 けれど、少ししてから小さく言う。


「でも、言わないのも嫌だった」


「うん」


「白瀬のこと、嫌いじゃない。むしろ、ちょっと話すの楽しい」


「うん」


「でも、それとこれは別」


「うん」


「朝比奈があの子を見るのは、やっぱちょっと面白くない」


「わかった」


「……わかったって何」


「ちゃんと覚えておく」


 黒瀬は顔を上げた。


 少しだけ不安そうな目だった。


「重い?」


「重くない」


「ほんと?」


「うん」


「めんどくさい?」


「めんどくさくない」


「……ちょっとは思ってるでしょ」


「複雑だとは思う」


「ほら」


「でも、嫌じゃない」


 黒瀬は目を丸くした。


 自分の言葉を返されたことに気づいたのだろう。


「それ、あたしの」


「便利だから」


「むかつく」


 でも、黒瀬は少しだけ笑った。


 その笑いは、安心したようにも見えた。


 動画の続きは、あまり頭に入らなかった。


 黒瀬は時々笑い、時々黙り、時々カフェラテの空になったカップを指で触った。


 今日は、栞の話が本当に多かった。


 それは嫉妬だけではない。


 認める気持ち。

 困る気持ち。

 楽しい気持ち。

 負けたくない気持ち。


 全部が混ざっていた。


 帰る時間になり、黒瀬は玄関で靴を履きながら振り返った。


「朝比奈」


「何?」


「今日、白瀬の話しすぎた?」


「かなり」


「……引いた?」


「引いてない」


「ほんと?」


「うん」


「ならいい」


 黒瀬は少しだけ安心したように息を吐く。


「でも、勘違いしないで」


「何を?」


「白瀬のこと、嫌いじゃないだけだから」


「うん」


「ライバルなのは変わんないから」


「うん」


「で」


「うん」


「朝比奈の前で、あの子の話をするのは……」


 黒瀬は少し言葉を探した。


「確認みたいなものだから」


「確認?」


「うん。あたしがどう思ってるか」


「そっか」


「だから、聞いて」


「わかった」


「ちゃんと」


「ちゃんと聞く」


 黒瀬は小さく頷いた。


「じゃ」


「気をつけて」


「親か」


 ドアが閉まる。


 湊は部屋に戻って、テーブルの上の空になったカフェラテのカップを見る。


 夜の部屋で、黒瀬はメガネっ娘の話をする時間が増えた。


 それは、栞との距離が近づいた証拠であり、同時に湊への気持ちを確かめるための時間でもあった。


 ライバルっぽいけど、敵じゃない。


 その言葉は、今夜もまだ部屋に残っていた。

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