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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.92 湊だけが知らない、二人の小さな同盟

翌朝、教室に入った瞬間、朝比奈湊は少しだけ違和感を覚えた。


 何かが変わった。


 席替えの後だから、教室の見え方そのものはまだ完全には馴染んでいない。

 机の並びも、話し声の位置も、誰がどこに座っているかも、まだほんの少しだけ新しい。


 けれど、今日の違和感はそれとは違った。


 黒瀬琉衣奈と白瀬栞の間にある空気が、昨日までと少しだけ違う。


 別に、二人が仲良く談笑していたわけではない。


 黒瀬は少し離れた席でスマホを見ている。

 栞は湊の斜め前でノートを開いている。

 二人の距離は物理的には変わっていない。


 それなのに、何かが昨日より近い。


 昨日の放課後、二人は教室で少し話した。


 小テストのお礼。

 朝比奈湊の前だと楽しそうだ、という指摘。

 敵ではない、という確認。

 ライバルっぽいけれど、敵ではない。


 湊はその会話を少し聞いてしまった。


 黒瀬には怒られた。

 栞には少し困った顔をされた。

 けれど、その会話そのものは二人にとって悪いものではなかったらしい。


 その証拠に。


「……おはよ」


 黒瀬が湊へ言ったあと、ほんの少しだけ視線をずらした。


 栞の方へ。


 栞も、それに気づいたように静かに顔を上げた。


「おはようございます、黒瀬さん」


「……おはよ」


 短い。


 でも、昨日までより自然だった。


 湊は思わず二人を見比べる。


 黒瀬はすぐにスマホへ視線を戻した。

 栞もノートへ目を落とした。


 何もなかったように。


 けれど、何もなかったわけではない。


 明らかに、何かがあった。


「朝比奈くん、おはようございます」


 栞が振り返る。


「おはよう」


「どうしました?」


「いや」


「何か、見ていましたね」


「……二人、昨日からちょっと変わった?」


 聞くと、栞はほんの少しだけ目を伏せた。


 それから、穏やかに言う。


「変わっていません」


「本当?」


「少しだけ、変わったかもしれません」


「どっちだよ」


 栞は小さく笑った。


「すみません。まだ、うまく言えなくて」


 珍しい。


 栞が言葉を選びきれずにいる。


 その様子が新鮮で、湊は少し黙った。


「黒瀬さんと、昨日少し話せたので」


「うん」


「たぶん、その続きが少しだけ残っています」


「続き?」


「はい。でも、朝比奈くんにはまだ内緒です」


 湊は目を瞬かせた。


「内緒?」


「はい」


 栞が静かに言う。


 その顔は、いつもの白瀬栞なのに、少しだけいたずらっぽかった。


「珍しいな。白瀬さんがそういうこと言うの」


「私もそう思います」


「自覚あるのか」


「はい。少し、黒瀬さんに影響されたのかもしれません」


 そう言って、栞は前を向いた。


 湊は返事に困ったまま、黒瀬の方を見る。


 黒瀬はスマホを見ているふりをしている。


 しかし、口元がほんの少しだけ緩んでいた。


 やっぱり、何かある。


 二限の休み時間。


 莉子が黒瀬の席へ寄っていた。


「るいな」


「何」


「白瀬さんと何かあった?」


 さすが莉子だった。


 湊が感じた違和感を、莉子もすぐに拾っている。


 黒瀬は眉を寄せた。


「何もないし」


「嘘だあ」


「嘘じゃない」


「今朝、白瀬さんにおはよう返す時、ちょっと普通だった」


「普通ならいいじゃん」


「普通だから気になるんだって」


「意味わかんない」


 黒瀬はスマホを机に伏せた。


 それから、少しだけ視線を逸らす。


「ちょっと話しただけ」


「昨日?」


「うん」


「朝比奈くん抜きで?」


「……そう」


 莉子の目が輝いた。


「おー」


「その顔やめて」


「いや、ついに」


「ついにって何」


「るいなと白瀬さん、何か秘密できた?」


「秘密とかじゃないし」


「じゃあ何?」


「……言わない」


「秘密じゃん」


「違うってば」


 黒瀬はむくれた。


 しかし、どこか少し落ち着いている。


 以前ならこういう話題は、もっと強く拒絶していた。

 今は否定しながらも、完全に逃げない。


 莉子は少しだけ優しい顔をした。


「ま、いいけど」


「何が」


「白瀬さんと話せたなら、よかったじゃん」


「……まあ」


 黒瀬はかなり小さく答えた。


「悪くはなかった」


 その一言を聞いて、莉子はにやにやした。


「るいな語では、かなりよかった、だね」


「翻訳すんな」


「はいはい」


 そのやり取りを、湊は少し離れた席で聞いていた。


 やっぱり、何かある。


 けれど、それを聞きに行くのも少し違う。


 湊が迷っていると、スマホが震えた。


 黒瀬からだった。


『見るな』


 湊は思わず黒瀬の方を見た。


 黒瀬はそっぽを向いている。


 湊は返信する。


『見てた?』


『見られてた』


『何かあったのか?』


 既読。


 少し間が空く。


『言わない』


 さらにもう一通。


『白瀬にも言うなって言われてる』


 湊は画面を見て、少しだけ笑った。


『二人で決めたのか』


『決めてないし』


『でも言わないんだろ』


『うん』


 短い返事。


 それが少しだけ可笑しくて、少しだけ寂しい。


 黒瀬と栞の間に、湊だけが知らない小さなものができた。


 それは不思議な感覚だった。


 今まで、黒瀬と栞の間にはいつも湊がいた気がする。


 湊を挟んで黒瀬が拗ね、栞が見守り、二人が少しずつ近づく。


 けれど昨日、二人は湊抜きで話した。


 そして今朝、その続きが少し残っている。


 昼休み。


 栞が黒瀬の席へ向かった。


 手には、以前黒瀬から借りていたファッション誌がある。


 湊は自然と目で追ってしまう。


 栞は黒瀬の机の横に立ち、丁寧に雑誌を差し出した。


「黒瀬さん、雑誌ありがとうございました」


「ん」


 黒瀬は受け取る。


「全部読んだの?」


「はい。恋愛特集も読みました」


 黒瀬が固まった。


「そこ報告しなくていい!」


「すみません」


「謝るの早い!」


 莉子が近くで吹き出した。


「白瀬さん、真面目に全部読んだんだ」


「借りたので」


「強いわー」


「莉子まで言うな」


 黒瀬は顔を赤くしながら、雑誌を鞄へしまおうとした。


 しかし、その途中で手を止める。


 そして、少しだけ迷ってから、雑誌を開いた。


「白瀬」


「はい」


「このページ」


 黒瀬が開いたのは、シンプルなワンピースと薄手のカーディガンを合わせたページだった。


「こういうの、白瀬なら似合うかも」


 栞が目を丸くした。


 湊も、思わず動きを止めた。


 黒瀬が栞に服を勧めている。


 しかも、かなり自然に。


 莉子がにやにやする。


「おお、るいなコーディネート」


「うるさい」


「でもいいじゃん。白瀬さん、似合いそう」


 栞はページを覗き込んだ。


「私に、ですか?」


「うん。たぶん」


「……そうでしょうか」


「今の格好も悪くないけど、こういうのもいけそう」


 黒瀬の声は少し照れているが、ちゃんと真面目だった。


 湊は少し驚く。


 黒瀬は、栞をちゃんと見ている。


 栞が黒瀬を見るように。


「ありがとうございます」


 栞が静かに言った。


「黒瀬さんにそう言ってもらえるのは、嬉しいです」


「また普通に言う」


「本当なので」


「それ、もう決め台詞じゃん」


「そうでしょうか」


 栞は少しだけ笑った。


 黒瀬も、ほんの少しだけ口元を緩める。


 湊はその光景を見ながら、ますます置いていかれたような気持ちになった。


 いや、嫌ではない。


 むしろ、嬉しいはずだ。


 二人が自然に話せるようになるのは、いいことだ。


 なのに、少しだけ不思議な寂しさがある。


 その時、黒瀬と栞が同時に湊の方を見た。


「朝比奈」


「朝比奈くん」


 二人の声が重なった。


 黒瀬と栞が、お互いに顔を見合わせる。


 莉子が一瞬で笑い出した。


「息ぴったりじゃん!」


「違うし!」


「違います」


 黒瀬と栞が同時に否定した。


 さらにぴったりだった。


 莉子は机に突っ伏す勢いで笑った。


「もう仲良いじゃん!」


「仲良くないし!」


「仲良くはありません」


 また重なった。


 黒瀬が固まる。


 栞も少しだけ気まずそうに目を逸らす。


 湊は思わず笑ってしまった。


 黒瀬がすぐに睨む。


「笑うな!」


「いや、今のは無理だろ」


「無理じゃない!」


 栞も少しだけ頬を赤くしている。


「朝比奈くん、今のは忘れてください」


「無理かな」


「朝比奈くんまで」


 栞が珍しく困った声を出す。


 黒瀬は雑誌で顔を半分隠した。


「ほんと最悪」


 でも、その声はどこか楽しそうだった。


 昼休みの終わり頃。


 湊のスマホが震えた。


 黒瀬から。


『今のなし』


 続いて、栞からもメッセージが来た。


『今のことは忘れてください』


 湊は画面を見て、声を出さずに笑った。


 二人とも同じことを送ってきている。


 これはもう、完全に息が合っている。


 湊は少し迷った末、黒瀬に返信した。


『無理』


 そして栞にも返信する。


『少し難しいです』


 黒瀬から即返ってきた。


『最低』


 栞からも少し遅れて返ってくる。


『そうですよね……』


 反応は違う。


 でも、言いたいことは似ている。


 放課後。


 湊が帰り支度をしていると、黒瀬が来た。


「朝比奈」


「何?」


「今日、見すぎ」


「何を?」


「白瀬とあたし」


「見てたな」


「認めるな」


「だって珍しかったし」


「珍しいって言うな」


 黒瀬は少しだけ視線を逸らした。


「……変だった?」


「いや」


「ほんと?」


「うん。よかったと思う」


 黒瀬は言葉に詰まった。


 栞も近くにいた。

 湊の斜め前の席で鞄を整えている。


 栞は静かに言った。


「私も、黒瀬さんと少し話しやすくなった気がします」


「そこで言う?」


「すみません。でも本当なので」


「またそれ」


 黒瀬は困ったようにため息をついた。


 でも、逃げない。


「白瀬」


「はい」


「さっきの服のやつ」


「はい」


「本当に、似合うと思う」


 栞の表情が少しだけやわらかくなった。


「ありがとうございます」


「……今度、見るだけなら」


「はい」


「一緒に見てもいい」


 湊は少し驚いた。


 莉子が近くにいたら絶対に騒いでいたはずだ。


 残念ながら、今日は少し離れたところで別の友人と話していて、この瞬間を見ていない。


 栞はゆっくり頷いた。


「嬉しいです」


「嬉しいって言うな」


「本当なので」


「もういい」


 黒瀬は顔を赤くしてそっぽを向いた。


 湊はその二人を見ながら、つい言ってしまった。


「いつの間に仲良くなったんだ?」


 黒瀬と栞が同時にこちらを見た。


「仲良くはないし」


「仲良くはありません」


 完璧に重なった。


 沈黙。


 そして、黒瀬が真っ赤になる。


「今のなし!」


 栞も少しだけ耳を赤くした。


「……今のは、少し困りました」


「いや、もう無理だって」


 湊が笑うと、黒瀬が肩を怒らせる。


「朝比奈、今日夜行くから」


「文句?」


「文句」


「俺に?」


「朝比奈に」


「何の?」


「笑った件と、仲良くなったとか言った件」


「かなり怒ってるな」


「怒ってる」


 そう言いながら、黒瀬の口元は少しだけ緩んでいた。


 夜八時半。


 スマホが震えた。


『今日、行く』


 湊は返信する。


『仲良くなった件?』


『言うな』


『カフェラテ?』


『当然』


 少しして、もう一通。


『白瀬とは仲良くない』


 湊は少し笑って返信する。


『わかった』


 既読。


『でも、敵じゃない』


 その一文を見て、湊はしばらく画面を見つめた。


『うん』


 短く返す。


 九時。


 インターホンが鳴った。


 ドアを開けると、黒瀬は少しだけむくれた顔で立っていた。


「……遅」


「今日は白瀬さんとの小さな同盟の話か」


「同盟とか言うな!」


 黒瀬は靴を脱ぎながら、すでに文句モードだった。


 ソファに座り、クッションを抱える。


 湊がカフェラテを置くと、黒瀬はすぐに言った。


「仲良くはない」


「うん」


「でも、前より話しやすくはなった」


「うん」


「敵じゃない」


「うん」


「ライバルっぽいのは変わらない」


「うん」


「そこ、忘れないで」


 湊は少しだけ息を止めた。


 前にも似た言葉を聞いた。


 けれど今日は、少し違う。


 黒瀬は栞を認めたうえで、それでも湊に忘れないでほしいと言っている。


 その言葉が、胸の奥に静かに残る。


「忘れない」


 湊が言うと、黒瀬は少しだけ目を伏せた。


「……そういうの、すぐ返すなって」


「返した方がいいと思った」


「ずるい」


「今日はずるい?」


「かなり」


 黒瀬はカフェラテを飲んだ。


「白瀬と話すの、疲れる」


「でも嫌じゃない」


「うん。嫌じゃない」


「服の話もしてたな」


「うん。あの子、たぶん本当に似合う」


「見たい?」


 黒瀬は一瞬止まった。


「……ちょっと」


「そっか」


「でも、朝比奈が先に想像するのはむかつく」


「俺まで?」


「うん」


「難しいな」


「難しいんだし」


 黒瀬は少しだけ笑った。


 湊だけが知らない、二人の小さな同盟。


 それはまだ、同盟と呼ぶにはあまりに小さく、本人たちは仲良くないと言い張るようなものだった。


 けれど確かに、黒瀬と栞の間には、湊を挟まない言葉が生まれ始めている。


 そして黒瀬は、それを認めながらも、湊にだけは忘れないでほしいと言った。


 ライバルっぽいけど、敵じゃない。


 その曖昧で面倒な関係が、今の三人には妙にしっくりきていた。

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