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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.90 席替え後の初めての小テストで、三人の距離が見える

 小テストという言葉には、妙な破壊力がある。


 中間テストや期末テストほど大げさではない。

 だからこそ油断する。


 しかも、先生はこう言う。


「範囲は狭いから、ちゃんと授業聞いてれば大丈夫だぞ」


 この“ちゃんと授業聞いてれば”が厄介だった。


 ちゃんと聞いていたかどうかなんて、本人が一番わかっている。


 黒瀬琉衣奈は、朝の教室で配られた小テスト予告のプリントを見つめたまま、明らかに固まっていた。


 席替え後の教室にも、少しずつ慣れてきたところだった。


 朝比奈湊は新しい席で鞄を置き、斜め前の白瀬栞に「おはよう」と返したあと、少し離れた席の黒瀬を見た。


 黒瀬はプリントを見ている。


 いつものように気怠げな顔を作っているが、目元だけが真剣だった。


 たぶん、焦っている。


 莉子がそれにすぐ気づいた。


「るいな、顔」


「何」


「小テストに負けそうな顔してる」


「負けないし」


「じゃあ範囲わかってる?」


「……だいたい」


「だいたいって言う時のるいな、だいたい危ないんだよね」


「莉子、朝からうざい」


 黒瀬はプリントを折りかけて、すぐ戻した。


 最近、こういうところが少し変わった。


 前ならぐしゃっと適当に鞄へ入れていたかもしれない。

 今は、一応ちゃんと読む。


 それだけでも、変化ではある。


 斜め前から、白瀬栞が小さく言った。


「朝比奈くん」


「ん?」


「今日の小テスト、黒瀬さん少し不安そうですね」


「見えてた?」


「はい。プリントを見る速度が、普段より遅いです」


「そこまで見るのか」


「近いので」


 栞はさらっと言う。


 近いので。


 席替え後、その言葉をよく聞くようになった。


 栞は近くなったぶん遠慮する。

 黒瀬は遠くなったぶん、来る理由を探す。

 湊はその間で、どちらの距離にもまだ慣れきれない。


 そこへ小テスト。


 教室の距離を測り直している最中に、妙に現実的なイベントが来た感じだった。


 一限目は復習中心だった。


 先生は黒板に問題をいくつか書き、説明を進めていく。


「ここ、出すからな」


 その一言で教室中のシャーペンが一斉に動いた。


 黒瀬も必死にノートを取っていた。


 湊はそれを横目で見て、少しだけ安心した。


 ちゃんと聞いている。


 けれど、聞いているからといって理解しているとは限らない。


 休み時間になると、黒瀬は席を立ちかけた。


 たぶん、湊のところへ来ようとしたのだ。


 でも、途中で止まった。


 席が離れたせいで、まだ動き出すタイミングを測っている。


 その時だった。


 栞が、先に立った。


 黒瀬の席へ向かう。


 黒瀬は驚いたように顔を上げた。


「黒瀬さん」


「……何」


「ここ、出ると思います」


 栞は自分のノートを開き、黒板の内容を整理したページを黒瀬に見せた。


 綺麗な字。

 余白の取り方も丁寧で、重要箇所には小さな印がついている。


 黒瀬は一瞬だけ身構えたが、すぐにノートへ目を落とした。


「……ここ?」


「はい。先生が二回説明していましたし、公式の使い方を見る問題だと思います」


「二回言ってた?」


「はい」


「聞き逃してた」


「大丈夫です。今なら間に合います」


 栞の声は静かだった。


 急かさない。

 でも、ぼんやりもさせない。


 黒瀬は少しだけ眉を寄せながら、栞のノートを見る。


「これ、どうやって覚えんの」


「覚えるというより、形を見た方が早いです」


「形?」


「はい。問題文にこの言い方が出たら、この式を使う、と決めておく感じです」


「……なるほど」


 黒瀬が少しだけ納得した顔をした。


 湊は自分の席からその様子を見ていた。


 以前なら、黒瀬は栞に教わること自体に抵抗したかもしれない。

 今も少し緊張はしている。


 けれど、拒まない。


 ちゃんと聞いている。


 それが大きかった。


 莉子が横から覗き込んだ。


「白瀬先生、あたしにも」


「先生ではありませんが、ここは出ると思います」


「助かるー。るいな、白瀬さんの説明わかりやすくない?」


「……まあ」


「まあじゃなくて、わかりやすいって言えばいいじゃん」


「莉子、うるさい」


 黒瀬はそう言いながら、もう一度栞のノートを見た。


「白瀬」


「はい」


「この最後のやつ、朝比奈にも聞いていい?」


 栞は少しだけ目を瞬かせた。


 それから、柔らかく頷く。


「もちろんです。朝比奈くんの方が別の説明をしてくれるかもしれません」


「……そういうとこ」


「はい?」


「いや、何でもない」


 黒瀬はノートを持って、湊の席へ来た。


 歩く距離には、昨日ほどのぎこちなさはない。


「朝比奈」


「うん」


「白瀬に教えてもらったけど、これで合ってる?」


 黒瀬は栞のノートを見ながら、自分のプリントに書いた式を見せてきた。


 湊は覗き込む。


「合ってる」


「ほんと?」


「うん。ここでこの式使って、最後に代入」


「代入って言葉、何かむかつく」


「そこ?」


「急に勉強っぽい」


「小テスト前だからな」


 黒瀬は少しだけ口を尖らせた。


 でも、すぐに真面目な顔に戻る。


「じゃあ、この形が来たらこれ?」


「そう。で、数字が変わってもやることは同じ」


「……ちょっとわかったかも」


「いい感じじゃないか」


「褒めるの早い」


「早いか」


「でも、ちょっとは褒めていい」


「どっちだよ」


 黒瀬は小さく笑った。


 その笑いを見て、湊も少しだけ安心した。


 小テストは三限目だった。


 教室の空気が、直前になって少し張り詰める。


 たかが小テスト。

 されど小テスト。


 黒瀬は配られた用紙を前にして、深呼吸した。


 湊は少し離れた席からそれを見ていた。


 栞はいつも通り落ち着いている。

 莉子は開始直前まで「やばいやばい」と言っていたが、いざ始まると意外と集中している。


「始め」


 先生の声で、紙をめくる音が一斉に鳴った。


 湊は問題を確認する。


 予想通り、さっき栞が言っていた形の問題が出ていた。


 湊は思わず黒瀬の方を見そうになって、やめた。


 テスト中だ。


 自分の問題に集中する。


 それでも、視界の端に黒瀬の姿が入る。


 彼女は最初少し固まっていたが、すぐにシャーペンを動かし始めた。


 たぶん、わかったのだ。


 栞に教わった形。

 湊に確認した式。


 それがちゃんとつながったのだろう。


 テスト時間は短かった。


 終わりの合図と同時に、教室のあちこちからため息が漏れる。


「終わったー」


「意外と出たな、あそこ」


「先生、ほんとに言ったとこ出したじゃん」


 黒瀬は用紙を回収されたあと、しばらく机を見つめていた。


 莉子が声をかける。


「るいな、どうだった?」


「……たぶん、前より解けた」


「おー!」


「大声出すな」


「いや、よかったじゃん」


「まだ返ってきてないし」


「でも顔が勝ってる」


「何その顔」


「小テストにちょっと勝った顔」


「ちょっとって何」


 黒瀬はむくれたが、悪い気はしていないようだった。


 昼休み。


 黒瀬は栞の席へ向かった。


 それを見た湊は、少しだけ驚いた。


 今日は、湊のところより先に栞のところへ行った。


「白瀬」


「はい」


「さっきのやつ、出た」


「はい。出ましたね」


「……ありがと。助かった」


 短い。


 でも、まっすぐだった。


 栞は少しだけ嬉しそうに微笑んだ。


「黒瀬さんがちゃんと聞いてくれたので」


「またそういうの普通に言う」


「本当なので」


「それも聞いた」


 黒瀬は困ったように目を逸らした。


 けれど、すぐに湊の席へ来る。


「朝比奈」


「何?」


「朝比奈もありがと」


「うん」


「合ってるって言われて、ちょっと安心した」


「よかった」


「……二人で教えるの、強すぎ」


 黒瀬は小さく言った。


 それを聞いた栞が、少しだけ笑う。


「二人で、というより黒瀬さんがちゃんと確認したからだと思います」


「白瀬、今日ずっとそういうこと言う」


「すみません」


「謝るの早い」


 莉子が近くへ来て、にやにやしながら言った。


「るいな、白瀬先生と朝比奈先生のおかげじゃん」


「先生じゃないし」


「でも助かったでしょ?」


「……助かった」


「素直!」


「うるさい」


 黒瀬は顔を赤くしながら、焼きそばパンの袋を鞄から出した。


 今日も買っていたらしい。


 それを一口食べてから、少しだけ落ち着いた声で言う。


「次も、こういうのあるなら聞く」


 その言葉に、湊も栞も少しだけ黙った。


 黒瀬が自分から言った。


 次も聞く、と。


 小テストの点数以上に、それが大きかった。


「いつでも」


 湊が言う。


「わかる範囲なら、私も」


 栞が続ける。


 黒瀬は二人を交互に見て、少しだけ困った顔をした。


「……そういうの、同時に言うな」


「悪い」


「すみません」


「ほら、そういうとこ」


 黒瀬はむくれた。


 けれど、そこに本気の嫌がりはない。


 むしろ、少しだけ安心しているように見えた。


 放課後、小テストはまだ返ってこなかった。


 けれど黒瀬は、いつもより少しだけ足取りが軽かった。


 帰り支度をしながら、湊の席へ来る。


「朝比奈」


「何?」


「今日、行く」


「小テストの反省会?」


「反省っていうか、確認」


「また確認」


「便利だから」


「黒瀬語の便利ワードだな」


「うるさい」


 黒瀬は少しだけ笑う。


「白瀬にも、ちゃんと礼言えた」


「うん。言えてた」


「……あの子、嬉しそうだった」


「そうだな」


「なんか、こっちも悪い気しない」


「いいことじゃないか」


「そうだけど」


 黒瀬は少しだけ視線を逸らす。


「まだ慣れない」


「慣れなくてもいいんじゃないか」


「そう?」


「うん。少しずつで」


「……返せる時でいい、みたいな?」


「そんな感じ」


 黒瀬は小さく笑った。


「それ、ほんと便利」


「だな」


「今日、カフェラテ」


「当然?」


「当然」


 夜八時半。


 スマホが震えた。


『今日、行く』


 湊は返信する。


『小テスト、手応えあった?』


『たぶん』


『よかったな』


『まだ返ってきてない』


『でも前より解けたんだろ』


 既読。


 少し間が空く。


『うん』


 さらにもう一通。


『白瀬と朝比奈のおかげ』


 湊は画面を見て、少しだけ微笑んだ。


『黒瀬が聞いたからだろ』


 既読。


『そういうの、白瀬みたいに言うな』


 九時。


 インターホンが鳴る。


 ドアを開けると、黒瀬はいつものように少しだけむくれた顔で立っていた。


「……遅」


「小テスト、お疲れ」


「開幕それ?」


「言いたかった」


「普通に言うなって」


 黒瀬はそう言いながら、靴を脱ぎ、部屋へ上がった。


 ソファに座り、クッションを抱える。


 湊がカフェラテを置くと、黒瀬はカップを両手で包んだ。


「今日、わりとよかった」


「小テスト?」


「うん。あと、その前」


「教わるところ?」


「そう」


 黒瀬はカップを見つめる。


「白瀬の説明、わかりやすかった」


「本人に言った?」


「そこまでは言ってない」


「言えば喜ぶと思う」


「言える時に言う」


「返せる時で?」


「そう」


 黒瀬は少しだけ笑った。


「朝比奈の確認も、助かった」


「それは言ってくれたな」


「うん」


「もう一回言う?」


「調子乗るな」


「悪い」


「悪いと思ってない」


「半分くらいは」


「禁止」


 いつものやり取り。


 けれど、今日は黒瀬の肩の力が少し抜けていた。


「二人で教えるの、強すぎ」


 黒瀬がもう一度言った。


「疲れた?」


「疲れた。白瀬がちゃんと見てくるし、朝比奈も変なタイミングで褒めるし」


「変なタイミング?」


「合ってるって言われるだけで、ちょっと安心するからむかつく」


「安心するならいいだろ」


「むかつくけど、いい」


 黒瀬はカフェラテを一口飲んだ。


「また、わかんないところあったら聞く」


「うん」


「でも、毎回じゃない」


「わかってる」


「自分でもやる」


「いいと思う」


「……そういうの、普通に言うなって」


「普通に言うよ」


「ずるい」


 黒瀬はクッションに顎を乗せた。


 席替え後の初めての小テストで、三人の距離が見えた。


 栞は静かに手を差し出し、湊は確認役になり、黒瀬はちゃんと聞きに行った。


 それぞれの距離が、少しずつ役割を持ち始めている。


 小テストの点数はまだわからない。


 でも少なくとも、黒瀬は少しだけ前へ進んでいた。

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