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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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ep.8 夜食のプリンと、ギャルの甘党はよく似合う

 黒瀬琉衣奈が来る夜には、少しだけ予兆がある。


 ……と、朝比奈湊は最近思うようになっていた。


 もちろん、ちゃんとした連絡があるわけではない。連絡先はまだ交換していないし、学校で「今日行く」と明言されることも滅多にない。だから理屈で言えば、毎回ただの不意打ちだ。


 でも、完全な不意打ちでもない。


 昼間の黒瀬の機嫌とか、視線の数とか、妙な間とか、そういうものが積み重なって、なんとなく「今夜は来そうだな」と思う日がある。


 その日の放課後も、そんな感じだった。


 図書室から戻る途中でポケットのスマホが震えた時、一瞬だけ期待してしまった自分に笑ったけれど、夜になって部屋の中が静かになるにつれて、その予感は妙に濃くなっていった。


 夕飯は簡単に済ませた。


 野菜炒めと味噌汁。ごはんは少なめ。洗い物も終え、テーブルの上を片づけ、英語の課題を広げる。だが、文字を目で追っているはずなのに頭に入ってこない。


 こういう時、自分は意外と単純なのだと湊は思う。


 待っているのだ。


 認めたくはないが、たぶんそうだった。


 昼の学校ではまともに話せないくせに、夜になると平然と自分の部屋へ来て、ソファでくつろいで、カフェラテを飲んで、時には寝落ちするギャルの同級生を。


 我ながらどうかしている。


 でも、その“どうかしている”が嫌ではないところが、もっと問題だった。


 九時少し前。


 インターホンが鳴った。


 湊は、もう反射みたいな速度で立ち上がっていた。


 モニターを覗く。


 黒瀬琉衣奈がいた。


 今日は私服だ。白っぽいオーバーサイズのパーカーに、細身のショートパンツ。足元はスニーカーではなく、ラフなサンダル。髪は下ろしたまま。化粧も薄い。


 学校で見る彼女より、明らかに肩の力が抜けている。


 でも、完全に気を許しているわけでもない。玄関前で立つ姿には、まだ少しだけ“来てやった感”が残っていた。


 そこがまた黒瀬らしかった。


 ドアを開ける。


「……遅」


 第一声がそれだった。


「早かっただろ」


「気持ちの問題」


「その理屈、毎回採用されるな」


「強いから」


「どこがだよ」


 黒瀬は小さく鼻を鳴らし、そのまま湊の横を通って部屋へ入る。


 もう遠慮がない。


 靴を脱ぐ動きも、玄関を上がるタイミングも、少し前よりずっと自然になっている。まるで“よく来る場所”みたいな顔をしているのが、妙におかしかった。


「なんか飲む?」


「……今日はいい」


 珍しい返答だった。


「カフェラテいらないの?」


「あとで」


「じゃあ今は?」


「……ちょっと静かにしたい」


 言いながら、黒瀬はソファへ沈むように座った。


 今日はいつもより疲れて見える、というほどではない。けれど、機嫌がいいわけでもない。だるさとも違う、少しだけ空っぽな感じがあった。


 湊は余計なことを言わず、対面の椅子へ座る。


 部屋の中は静かだった。


 外の車の音も、今日は遠い。エアコンの送風音と、冷蔵庫の小さな唸りだけが聞こえる。


 黒瀬はクッションを抱え、ソファの背に頭を預けて目を閉じた。


 その姿を見ていると、ここが“自分の部屋”だという感覚が少し揺らぐ。


 最初は完全に他人だった。


 クラスにいる派手なギャル。話しかけづらくて、目立っていて、関わることのない相手。


 それが今は、夜になるとこうして部屋のソファにいる。


 不思議だ。


 不思議で、少しだけ心地いい。


「……今日、図書室行ってたでしょ」


 目を閉じたまま、黒瀬が言った。


「うわ、見てたのか」


「たまたま見えただけだし」


「その“たまたま”便利だな」


「朝比奈のほうがよく見てんじゃん」


「なんでそうなる」


「だって最近、けっこう目合うし」


「それは……」


 言い返しかけて、やめた。


 自分が黒瀬を見すぎている自覚はある。変に否定するとかえって墓穴を掘りそうだった。


「ほら」


 黒瀬は片目だけ開けて、じろっと見る。


「見てるんじゃん」


「……そっちも見てるだろ」


「別に」


「また出た」


「事実だし」


「事実じゃない気がするんだけど」


「気のせい」


 言いながら、黒瀬は再び目を閉じる。


 強気に押し切る時の口調なのに、今日はどこか気だるい。刺しにくる感じではなく、ただ反射でツンが出ているだけみたいだった。


「何かあった?」


 自然と、そう聞いていた。


 黒瀬は少しだけ黙る。


「……別に、なんも」


「その“なんも”も怪しいな」


「朝比奈、最近うるさい」


「最近って」


「前より踏み込んでくるし」


 それはたしかにそうかもしれない。


 最初の頃なら、黒瀬が「別に」と言った時点で会話は終わっていただろう。今は、その奥に何かある気がしてしまう。


 それだけ、こちらも慣れてきたということだ。


「……今日さ」


 黒瀬がぽつりと言った。


「家、ちょっと空気悪くて」


 目は閉じたまま。


 たぶん、ちゃんと見られたくないのだろう。


「喧嘩とか?」


「そこまでじゃない。……でも、いるだけでだるい感じ」


「そっか」


「母親もピリピリしてるし、あたしまでいると余計めんどいし」


「だから来た?」


「悪い?」


「いや、悪くない」


 即答すると、黒瀬はわずかに目を開けた。


「……そういうとこ」


「なに」


「変に優しい」


「また言うのか」


「だってそうだし」


 黒瀬はクッションに頬を押しつけるみたいにして、少しだけ口元を隠した。


「普通さ、毎回毎回来られたらだるくない?」


「相手による」


「それ、あたし相手ならどっち」


「……」


 この質問はずるい。


 さらっと投げてきているようで、答え方を間違えると危ないやつだ。


 湊は少し考えてから、なるべく軽く返した。


「少なくとも、今のところはだるくない」


「今のところって」


「先のことは知らないし」


「ふーん」


 黒瀬はその返事に、妙に素直に頷いた。


 そして少しだけ沈黙してから、ぽつりと言う。


「……あたしも、朝比奈んち来るの、だるくはない」


 それはかなり大きな言葉だった。


 さらっと言ったように見えて、たぶん本人なりにかなり譲歩している。


 でも、そういうところで真正面から照れるのが嫌なのか、次の瞬間にはいつもの感じへ戻った。


「てか、なんか甘いのない?」


「切り替え早いな」


「だって今、ちょっと食べたい気分だし」


「プリンならあるけど」


 言った瞬間、黒瀬の目がはっきり開いた。


「あるの?」


「あるけど」


「食べる」


「聞く前に決めてるだろ」


「別にいいじゃん」


 その声が、さっきまでより少しだけ明るい。


 湊は冷蔵庫を開けた。昨日、なんとなく買っておいたコンビニのなめらかプリンが二つある。自分用に一つ、もしかしたら黒瀬が来るかもと思ってもう一つ。


 その“もしかしたら”がすでにかなり具体的だったことには、なるべく触れないようにした。


「はい」


 スプーンと一緒に差し出す。


 黒瀬は受け取るなり、ふっと表情を和らげた。


「……なに」


「いや、ほんとに甘いの好きなんだなって」


「悪い?」


「悪くないって」


「ギャルは甘いの食べちゃだめみたいな言い方やめて」


「そこまでは言ってない」


「でもそういう顔してた」


「してない」


「してた」


 そんなやり取りのあと、黒瀬はプリンのフタを開ける。


 スプーンを入れてひとすくいし、口に運んだ瞬間、わかりやすく頬が緩んだ。


 もうほとんど条件反射みたいなものだ。


 カフェラテでもそうだった。プリンだともっとはっきり出る。


「……うま」


 小さく漏らす。


「毎回それ言うな」


「うるさい。うまいもんはうまいし」


「そこまで正直なの、夜だけだよな」


「昼でも正直だけど」


「昼の黒瀬は正直っていうか、容赦ないだけだろ」


「同じようなもんじゃん」


「違うだろ」


 黒瀬は二口、三口とプリンを食べ進める。


 その横顔を見て、湊は思った。


 こうしている時の彼女は、本当に年相応だ。


 学校ではもっと大人びいて見える。強くて、隙がなくて、少し近寄りがたい。なのに夜の部屋で甘いものを食べている時だけ、妙に素直で、少しだけ幼い。


 ギャップ、という言葉で片づけるには、最近もう少し重みが出てきている気がする。


「……今日、白瀬と何話してたの」


 やっぱり来た。


 湊は少しだけ笑う。


「なんで笑うの」


「いや、結局そこ聞くんだなって」


「別に、気になっただけだし」


「だからそれが気にしてるってことだろ」


「違うし」


 黒瀬はプリンの容器を持ったまま、じとっと睨む。


 その表情すら、今はあまり怖くない。むしろ、わかりやすいなと思ってしまう。


「図書室でおすすめの本借りただけ」


「ふーん」


「ほんとにそれだけ」


「べつに疑ってないし」


「ぜったい疑ってる」


「してないって」


 言葉では否定しながらも、黒瀬の声はさっきまでより少しだけ落ち着いていた。知りたいことを知って、勝手に安心したのが透けて見える。


 その単純さが少し可笑しくて、少し可愛いと思ってしまう。


「朝比奈」


「ん?」


「白瀬ってさ」


「うん」


「地味だけど、たまにめっちゃ顔きれいじゃない?」


 予想外の角度だった。


 湊は思わず目を瞬かせる。


「……気づいてたのか」


「気づくでしょ普通に」


「普通っていうか」


「メガネと前髪で隠してるだけで、あれ普通に目立つ顔だし」


 言われてみればその通りだ。


 自分も最近ようやく、という感じだった。近くで話す機会が増えたからこそ気づいた部分が大きい。


「でも本人、目立ちたくなさそうだった」


「だろうね」


 黒瀬は最後の一口を食べて、空になった容器をテーブルへ置く。


「そういう子って、めんどいの避けてんだと思う」


「経験者みたいな言い方だな」


「経験者だし」


 さらっと言う。


 確かに、黒瀬は日サロ通いのギャルで巨乳で、派手で、どう見ても人目を引く。目立ちたくなくても目立ってしまう側の人間だ。


「朝比奈はさ」


「ん?」


「そういうの、平気なんだ」


「何が」


「目立つ子とか、逆に目立たないようにしてる子とか。なんか、普通に接してる感じ」


「……考えたことないな」


 正直に言うと、黒瀬は少しだけ不思議そうな顔をした。


「ないの?」


「うん。相手が誰でも、話す時は話すし」


「へえ」


「なんだよ」


「いや、たまにそういうとこ、変」


「また変って言った」


「褒めてるわけじゃないし」


「でも悪口でもないんだろ」


 そう返すと、黒瀬は少しだけ口元をゆるめた。


「……まあ」


 その“まあ”に、今夜はいくつもの意味が詰まっている気がした。


 沈黙が落ちる。


 でも今日は、その沈黙が重くない。


 プリンを食べ終えた黒瀬は、ソファの上でクッションを抱え直し、さっきよりずっと顔つきがやわらかくなっていた。


「もう一個あるけど」


 湊がなんとなく言うと、黒瀬はすぐに反応した。


「あるの?」


「ある」


「食べる」


「やっぱり好きだな」


「朝比奈、そういうとこしつこい」


 言いながらも、目は完全に二個目のプリンへ向いている。


 湊は笑いをこらえながら冷蔵庫へ向かった。


 扉を開け、二つ目を取り出す。振り返ると、黒瀬はさっきまでより明らかに機嫌がいい。


 家の空気が重い、と言って入ってきた時の張りつめた感じが、今はかなり薄れていた。


 甘いものひとつで全部解決するわけじゃないだろう。


 でも、それでも少しだけ楽になれるなら、それでいいのかもしれない。


「はい」


「ん」


 受け取った黒瀬は、今度は少しだけ笑った。


 学校の教室ではほとんど見ない、口元だけじゃない笑い方。


「……朝比奈んち、プリン常備してんの?」


「たまたま」


「絶対あたしが来ると思って買ったじゃん」


「……」


 図星だった。


 湊が黙ったことで、黒瀬の目が少しだけ丸くなる。


「え、マジ?」


「いや……たまたまだって」


「今の間で嘘ってわかるし」


「うるさい」


「なにそれ、きも」


 そう言いながらも、黒瀬の声は全然嫌そうじゃなかった。


 むしろ少しだけ嬉しそうで、その事実に気づいた湊の胸の奥がまた変にざわつく。


「……ありがと」


 二個目のプリンを食べる前に、黒瀬が小さく言った。


「今のはちゃんと礼言ったな」


「いちいち確認すんな」


「最近、夜の黒瀬はわりと素直だよな」


「朝比奈の前だけだし」


 その言葉は、本当に何気なく出たようだった。


 黒瀬自身、言ったあとで少しだけ固まった。


 湊も同じだった。


「……」


「……」


 数秒、部屋が妙に静かになる。


 エアコンの音がやけに大きく聞こえた。


 黒瀬は先に視線を逸らし、プリンのフタを乱暴に剥がした。


「今の忘れて」


「いや、無理だろ」


「無理でも忘れて」


「理不尽だな」


「うるさい。食べるから黙って」


 そのままプリンを口に運ぶ。


 明らかに照れていた。


 耳まで少しだけ赤い。


 学校では見られない顔だ。というか、たぶん夜でも滅多に見せないやつだろう。


 朝比奈の前だけ。


 そう言った。


 それがどこまで本気で、どこまで勢いなのかはわからない。


 でも、わからないままでも十分に強かった。


 黒瀬は二個目のプリンを食べながら、少しだけ小さな声で言う。


「……ここ来ると、なんか落ち着くんだよね」


「前にも言ってたな」


「前より、ちょっとだけ本気」


「それ、俺の心臓に悪いからやめて」


「なにそれ」


「そのままの意味」


 黒瀬はそこでまた、小さく笑った。


 さっきより自然な笑い方だった。


「朝比奈って、意外とそういうこと言うんだ」


「黒瀬相手だと言わされるんだよ」


「人のせいにすんな」


「半分はそっちのせい」


「その返し、うつった?」


「うつった」


 そんなくだらないやり取りを続けながら、夜は少しずつ深くなっていく。


 学校ではツンで、目も合わせないようなギャルが、今はプリンを二個食べて、クッションを抱えて、たまに本音みたいなことを漏らしている。


 これが秘密じゃなかったら、たぶん成立しない関係だ。


 昼の教室に持ち込んだ瞬間、きっと全部変わってしまう。


 だからこそ、この夜の時間は妙に濃い。


 帰り際、黒瀬は空になった容器を二つ重ねながら、少しだけ満足そうな顔をしていた。


「……今日、助かった」


「プリンで?」


「それもある」


「“それも”なんだ」


「朝比奈んち来ると、なんか一回リセットされる感じするし」


 その言い方は、今までのどの言葉よりも真っ直ぐだった。


 たぶん本人も完全には整理できていない感覚を、今ある言葉でなんとか表現したのだろう。


 湊はそれを笑わずに受け取った。


「じゃあ、来ればいい」


 なるべく軽く言う。


「リセットしたい時」


 黒瀬は一瞬だけ目を細めた。


「……それ、優しすぎ」


「そうか?」


「そうだし」


 それ以上何も言わず、彼女は立ち上がる。


 玄関まで送る途中、ふと振り返った黒瀬の口元には、ほんの少しだけ甘いものを食べたあとの満足げな余韻が残っていた。


 派手なギャルにプリンが似合うなんて、少し前まで考えたこともなかった。


 でも今はもう、それがすごく自然に思える。


 玄関のドアが閉まったあと、湊はしばらくその場に立ち尽くしていた。


 部屋の中には、プリンの甘い匂いと、夜の静けさと、さっきの言葉の余韻が残っている。


 ――朝比奈の前だけ。


 ――ここ来ると、なんか一回リセットされる感じする。


 たぶん、自分はもうだいぶ深いところまで来てしまっている。


 それを認めるのはまだ怖い。


 でも、今夜のプリンみたいに、じわじわ甘いものが心のどこかに溜まっていくのを、もう止められそうになかった。

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