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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.67 授業中の小さなメモは、夜のメッセージより危ない

 斜め後ろに黒瀬琉衣奈がいる生活は、二日目にして少しだけ慣れた。


 ……というのは、朝比奈湊の願望だった。


 実際には、まったく慣れていなかった。


 教室に入る。

 自分の席へ向かう。

 鞄を机にかける。

 その一連の動きの中で、どうしても斜め後ろの気配を拾ってしまう。


 黒瀬は今日も先に来ていた。


 スマホを片手に莉子と話している。

 茶髪も制服もいつも通り。

 けれど、湊が席に近づくと、彼女はすぐに顔を上げた。


「……おはよ」


「おはよう」


 昨日より少しだけ自然。


 それでも、近い。


 窓際から届いていた頃の声とは違う。今は、背中の少し後ろから届く距離だ。


 湊が座ると、黒瀬が小さく言った。


「今日、背中ふつう」


「朝から背中の採点するな」


「昨日よりまし」


「それ褒めてるのか?」


「半分」


「便利だな、本当に」


 黒瀬は少しだけ笑った。


 その笑い方まで、斜め後ろから聞こえると妙に近い。


「朝比奈くん、おはようございます」


 少し前の席から、白瀬栞が声をかけてきた。


「おはよう」


「新しい席、少し慣れましたか?」


「慣れたことにしたい」


「慣れていない顔ですね」


「白瀬さんも朝から容赦ないな」


 栞は小さく笑った。


 その笑い方はいつも通りだったが、席が変わったせいで、前より少しだけ遠い。

 遠いのに、ちゃんと届く。


 黒瀬が斜め後ろからぼそっと言った。


「白瀬、遠くても見すぎ」


「すみません。見えたので」


「見えたので、じゃないし」


 そのやり取りも、少しずつ日常になりつつある。


 一限目。


 教師が黒板に英文を書き始めた瞬間、湊は背筋を伸ばした。


 昨日、黒瀬に“背中が変”と言われたせいだ。


 背中を意識する。

 すると余計に背中が硬くなる。

 その硬さを斜め後ろの黒瀬がたぶん見ている。


 最悪の循環だった。


 しばらくして、机の端に小さな紙が滑ってきた。


 まただ。


 湊は黒板を見るふりをしながら、そっと開く。


 ――背中、固い。


 湊は笑いそうになるのをこらえた。


 シャープペンで返事を書く。


 ――見すぎ。


 紙を折って、机の端から後ろへ戻す。


 数秒後、また返ってくる。


 ――見えるし。


 それはもはや黒瀬の口癖だった。


 湊はさらに書いた。


 ――授業中だぞ。


 返事。


 ――そっちが変な背中するから。


 もう駄目だった。


 湊は口元を手で隠す。


 教師がこちらを見た。


「朝比奈、何か面白いところあったか?」


「いえ、すみません」


 教室の何人かがくすっと笑う。


 斜め後ろから、黒瀬が小さく息を呑んだ気配がした。


 湊は紙をノートの下へ隠し、真面目な顔で黒板を見る。


 危ない。


 メッセージならスマホの画面の中に隠れる。

 でも紙のメモは、物として残る。


 昼の教室でやるには、夜のメッセージよりずっと危ない。


 休み時間になった瞬間、黒瀬が小声で言った。


「さっきの、朝比奈が悪い」


「どう考えてもメモを送った黒瀬が悪いだろ」


「だって、背中が固かったし」


「理由になってない」


「なってる」


「なってない」


 言い合っていると、莉子が少し離れた席からにやにやしながら近づいてきた。


「何、授業中に仲良く内職?」


「莉子、黙って」


「まだ何も言ってないじゃん」


「顔が言ってる」


「顔うるさい?」


「うるさい」


 莉子はけらけら笑った。


「いやー、席替えってすごいね。るいな、窓際から移動しただけでだいぶ忙しそう」


「忙しくないし」


「朝比奈くんの背中管理で忙しいじゃん」


「管理してない!」


 黒瀬の声が少し大きくなって、周囲の数人がまた笑った。


 湊は額に手を当てた。


 この距離、やっぱり危ない。


 そこへ栞がノートを持って近づいてきた。


「朝比奈くん、さっきの英文の三行目、写し間違えていませんか?」


「え、そう?」


「はい。たぶん」


 栞がノートを見せてくれる。


 たしかに一語抜けていた。


「ありがとう。助かった」


「いえ」


 栞はそこで、机の端に少しだけ見えていた小さな紙片に視線を落とした。


 湊は咄嗟にノートで隠す。


 遅かった。


 栞は何も言わず、少しだけ微笑んだ。


「紙のメッセージは、残りますよ」


 静かな声だった。


 黒瀬が斜め後ろで固まる。


「……白瀬、見た?」


「見えました」


「見ないで」


「すみません」


「謝るの早いし」


 黒瀬は耳まで赤くしていた。


 莉子が横で口元を押さえている。


「るいな、紙のメッセージって何? 青春?」


「莉子、ほんと黙って」


「はいはい」


 莉子は笑いながら離れていった。


 栞はそれ以上からかわず、湊にノートを返して自分の席へ戻った。


 その背中は、少し遠い。


 けれど、ちゃんとそこにいる。


 昼休み。


 湊が購買のパンを開けていると、栞が横の空いた椅子に座った。

 続いて、黒瀬も斜め後ろの席から少しだけ体をこちらへ向ける。


 昨日と同じように、変な形の昼休みが始まった。


「で」


 黒瀬がパンの袋を開けながら言った。


「何が?」


 湊が聞くと、黒瀬は少し睨む。


「さっきの紙」


「俺はしまった」


「捨てた?」


「いや、ノートに挟んだ」


「なんで!」


「授業中に捨てられなかったんだよ」


 黒瀬が明らかに慌てる。


「今すぐ捨てて」


「そんなに?」


「残るって白瀬に言われたじゃん」


 栞は紅茶を持ったまま、申し訳なさそうに言った。


「脅したつもりはなかったんですが」


「白瀬が言うと妙に効くの」


「そうなんですか」


「そう」


 黒瀬は少しだけむくれた。


 湊はノートから小さなメモを取り出す。


 捨てようとして、少し止まった。


 ――背中、固い。

 ――見すぎ。

 ――見えるし。


 ただのくだらないやり取り。


 でも、今の距離がちゃんと残っている。


「……何で止まるの」


 黒瀬が気づいた。


「いや、別に」


「捨てるの惜しい顔した」


「そんな顔してない」


「してた」


 黒瀬が手を伸ばす。


「じゃあ返して」


「返すのか?」


「あたしが捨てる」


 湊はメモを渡した。


 黒瀬はそれを受け取って、小さく折りたたむ。


 そして、すぐには捨てなかった。


 莉子が遠くから見ていたらしく、にやにやしている。


「るいなー、捨てないの?」


「今から捨てる!」


「今からねー」


 黒瀬は立ち上がり、教室後方のゴミ箱へ向かった。


 だが、途中で一瞬だけ止まった。


 それから、ポケットにしまった。


 湊は見た。


 栞も見た。


 莉子もたぶん見た。


 黒瀬は何事もなかった顔で戻ってくる。


「捨てた?」


 湊が聞くと、黒瀬は目を逸らした。


「……気分の問題」


「それ、答えになってない」


「うるさい」


 栞が小さく笑った。


「黒瀬さん、残しておきたくなったんですね」


「言わないで」


「すみません」


「謝るの早いってば」


 黒瀬は顔を赤くしたまま、パンを大きめにかじった。


 その姿が少し可愛くて、湊は何も言わないようにした。


 言えばきっと怒る。


 放課後。


 席替え二日目の教室にも、少しずつ慣れてきた。


 黒瀬は斜め後ろから湊の背中を見ている。

 栞は少し離れた席から、必要な時に近づいてくる。

 莉子は遠くからすべてを面白がっている。


 前とは違う。


 でも、この形も少しずつ日常になりつつある。


 帰り支度をしていると、黒瀬が机の横へ来た。


「朝比奈」


「何?」


「今日、行くかは送る」


「うん」


「たぶん行く」


「メモの反省会?」


「それ言うな」


「残してたな」


「見てたの?」


「見えた」


「それ、あたしのやつ」


「使いやすいから」


 黒瀬は少しだけ唇を尖らせた。


「……別に、残したかったわけじゃないし」


「じゃあなんで」


「捨てるタイミング逃しただけ」


「そういうことにしとく」


「そういうことにして」


 黒瀬は少しだけほっとした顔をした。


 それから、小さく続ける。


「でも、明日はメモなし」


「ほんとか?」


「たぶん」


「たぶんなんだ」


「気分の問題」


 もう完全に便利な言葉になっている。


 夜八時半。


 スマホが震えた。


『今日、行く。メモの件は言わないこと』


 湊は笑って返信する。


『了解。カフェラテは?』


『当然』


『メモ持ってくる?』


 既読がつく。


 少し間が空く。


『持っていかない』


 さらにもう一通。


『たぶん』


 湊は声に出して笑ってしまった。


 九時。


 インターホンが鳴る。


 ドアを開けると、黒瀬はいつものように少しだけむくれた顔で立っていた。


「……遅」


「メモは?」


「開幕それ?」


「気になって」


「持ってきてないし」


「本当に?」


「……持ってきてない」


「今の間は何だよ」


「気分の問題」


 黒瀬は靴を脱ぎ、部屋へ上がった。


 ソファへ座ると、クッションを抱え込む。


 湊がカフェラテを置くと、黒瀬はカップを両手で包みながら小さく言った。


「紙、危ないね」


「夜のメッセージより?」


「うん。残るし、見られるし」


「でも、ちょっと楽しかっただろ」


「……半分」


「半分か」


「半分は楽しかった。半分は心臓に悪い」


 黒瀬はカフェラテを一口飲む。


「でも、斜め後ろ、やっぱ近い」


「慣れるか?」


「たぶん」


「たぶん」


「でも」


 黒瀬は少しだけ目を伏せた。


「慣れたら、もっと変になりそう」


「どういう意味?」


「知らない」


 彼女はクッションに顔を半分埋める。


「でも、嫌じゃない」


 それだけは、もう以前よりずっと自然に言えるようになっていた。


 授業中の小さなメモは、夜のメッセージより危ない。


 けれどその危なさの中に、昼の距離が少しだけ残る。


 黒瀬はそれを怖がりながらも、ポケットの中にしまってしまうくらいには、もうこの距離を大事にし始めていた。

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