表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

66/164

ep.65 席替えの日、ギャルは窓際から少しだけ離れる

 翌朝、教室に入った瞬間、朝比奈湊は黒板の端に書かれた文字を見て足を止めた。


 ――六限後、席替え。


 たったそれだけの文字なのに、教室の空気は朝から少し浮いていた。


 男子は「ついに来たか」と大げさに言い、女子は「窓際だけは死守したい」と笑っている。前の席の男子はもう勝手にくじ運の悪さを嘆いていたし、莉子は黒瀬琉衣奈の肩をつつきながら何か言っていた。


「るいな、窓際じゃなくなるかもね」


「別にどこでもいいし」


「うそ。絶対その席気に入ってるでしょ」


「景色見えるだけ」


「あと、朝比奈くんも見えるし?」


「莉子」


 黒瀬の声が低くなる。


 湊は聞こえないふりをした。


 最近、それがうまくなってきたのはいいことなのか悪いことなのか、自分でもよくわからない。


 窓際の黒瀬は、もう教室の景色の一部になっていた。

 朝、そこを見る。

 目が合う。

 小さく「おはよ」と言われる。


 それがここ最近の朝の形だった。


 席替えでその位置が変わる。


 ただそれだけのことなのに、少し落ち着かない。


「朝比奈くん、おはようございます」


 白瀬栞が横に立っていた。


「おはよう」


「席替えですね」


「そうだな」


「少し、困った顔をしています」


「顔に出てる?」


「はい」


 栞は小さく笑う。


「黒瀬さんも、かなり困っています」


 湊は思わず窓際を見る。


 黒瀬は莉子に何か言い返しているが、たしかにいつもより少し落ち着かない。スマホを見るふりをしながら、ちらちら黒板を確認している。


「黒瀬、あの席気に入ってたのかな」


「気に入っていたと思います」


「景色?」


「それもあると思いますけど」


 栞は少しだけ声を落とした。


「朝比奈くんの席も、見やすかったんだと思います」


「……白瀬さん」


「すみません。言いすぎました」


 いつものようにすぐ謝る。


 でも、たぶん当たっている。


 窓際の席から、黒瀬はよくこちらを見ていた。

 見ていないふりをしながら、ちゃんと見ていた。


 そして湊も、教室に入るたび黒瀬の席を見ていた。


 お互い様だ。


 一日中、席替えの話題は妙に残った。


 授業中も、休み時間も、昼休みも、誰かが「次どこになるかな」と言っている。

 黒瀬は表面上はどうでもよさそうにしていたが、昼休みに三人で近くにいた時、ぽつりと言った。


「席替えって、だるい」


「珍しく本音だな」


 湊が言うと、黒瀬はメロンパンの袋をいじりながら少し眉を寄せる。


「だって、今ので別によくない?」


「今の席、好きなんですね」


 栞が静かに言う。


「好きとかじゃないし」


「落ち着くんですか?」


「……まあ、ちょっと」


 黒瀬はそこで言葉を止めた。


 それから、湊のほうを少しだけ見て、すぐ逸らす。


「窓際、楽だし」


 たぶん、それだけではない。


 でも、そこまで言えただけでも十分なのだろう。


 莉子が遠くから声を飛ばしてきた。


「るいなー、席替えで朝比奈くんの近くになったらどうする?」


「は?」


「逆に遠くなったら?」


「莉子、黙ってパン食べて」


「もう食べた」


「じゃあ二個目買ってきて」


「扱い雑!」


 教室の数人が笑う。


 黒瀬は顔を赤くしながらも、前ほど本気で怒らなかった。


 その代わり、小さく湊へ言う。


「……あいつ、最近調子乗ってる」


「でも、ちょっと助かる時もあるんだろ」


「それ今言う?」


「昨日言ってたから」


「夜のこと昼に持ってくるなって」


「悪い」


 黒瀬はむくれたが、すぐに少しだけ笑った。


 その笑いが、今の昼休みには自然に見えた。


 六限が終わると、教室は急に騒がしくなった。


 担任がくじの入った箱を持って入ってきて、「はい、騒がない。机動かす時は床を引きずらない」といつもの注意をする。


 それでも、クラスの空気はもう完全に浮いていた。


 出席番号順にくじを引いていく。


 湊の番は中ほどだった。


 箱に手を入れ、折られた紙を一枚取る。


 開く。


 ――四列目、後ろから二番目。


 今より少しだけ後ろ。廊下側でも窓際でもない、中途半端な位置だ。


「微妙だな」


 思わず呟くと、前の男子が「一番コメントしづらいやつじゃん」と笑った。


 次々とくじが引かれていく。


 栞は三列目の前から三番目。

 湊からは斜め前の少し遠い位置だった。


 彼女はくじを見て、ほんの少しだけ目を伏せたが、すぐにいつもの顔に戻った。


 そして黒瀬。


 彼女は箱に手を入れる前から、明らかに落ち着いていなかった。


 莉子が横でにやにやしている。


「るいな、神頼みする?」


「しない」


「朝比奈くんの近くになりますように?」


「莉子」


「はい黙ります」


 言いながら全然黙っていない顔だった。


 黒瀬がくじを引く。


 開く。


 一瞬、表情が止まった。


 湊は自分でも驚くくらい、その顔を見ていた。


 黒瀬は紙を握りしめ、何でもない顔を作ろうとした。


 だが、莉子が横から覗き込む。


「お、るいな、そこ?」


「見るな」


「えー、いいじゃん。朝比奈くんの斜め後ろじゃん」


 教室の音が、湊の耳の中で少しだけ遠くなった。


 斜め後ろ。


 つまり、黒瀬は湊の斜め後ろの席になったらしい。


 窓際ではない。

 でも、近い。


 今までのように教室の端から視線を送る位置ではない。


 もっと近くて、もっと逃げにくい位置だ。


 黒瀬は莉子を睨んだ。


「声でかい」


「ごめんごめん。でもよかったじゃん」


「何が」


「席」


「別に」


 その“別に”は、かなり弱かった。


 席替えが始まる。


 机を動かす音が響き、椅子が少しぶつかり合い、誰かが「そこ俺」と叫ぶ。


 湊は新しい席へ机を運びながら、斜め後ろに黒瀬が来ることを意識しないようにした。


 無理だった。


 黒瀬が近い。


 これまで以上に、昼の距離が近い。


 黒瀬もそれを意識しているのか、机を運ぶ動きが少し硬かった。


 途中、彼女の机の上に積んでいた教科書が少し崩れた。


「あ」


 黒瀬が手を伸ばすより早く、湊が反射的に支えた。


 落ちかけたノートが、湊の手と黒瀬の手の間で止まる。


 指先が少しだけ触れた。


 本当に一瞬。


 けれど、教室でその一瞬は長い。


「……ありがと」


 黒瀬が小さく言う。


「うん」


 湊も短く返す。


 すぐに手を離した。


 莉子が遠くから口だけで「おー」と言っているのが見えた。


 黒瀬はそれを見つけて、ものすごい目で睨んだ。


「莉子、あとで覚えてて」


「怖」


 莉子は笑いながら自分の机を運んでいく。


 栞はその一部始終を見ていた。


 けれど何も言わなかった。


 ただ、新しい席に座る前に湊へ少しだけ近づき、小さく言った。


「近くなりましたね」


「うん」


「黒瀬さん、逃げにくくなります」


「だな」


「でも、たぶん悪いことばかりではないと思います」


 栞はそう言って、自分の席へ向かった。


 その背中は少し遠くなった。


 それが、湊には少しだけ引っかかった。


 席替えは、距離を変える。


 ただ机の位置が変わるだけなのに、関係の見え方まで少し変えてしまう。


 新しい席に座る。


 湊の斜め後ろに黒瀬。

 少し前方に栞。

 莉子は黒瀬の隣ではなく、窓際の別の列になった。


 教室の風景が変わる。


 黒瀬が後ろから小さく言った。


「……朝比奈」


 振り返りすぎないように、湊は少しだけ首を傾ける。


「何?」


「近い」


「くじだからな」


「わかってるし」


「嫌?」


「……嫌ではない」


 小さな声。


 けれど、ちゃんと届いた。


「でも、変」


「俺も」


「そっか」


 それだけで、黒瀬は少し落ち着いたようだった。


 放課後。


 新しい席に慣れないまま、帰り支度をする。


 黒瀬は斜め後ろの席から鞄を持ち上げ、湊の机の横へ来た。


「今日、行くかは送る」


「うん」


「たぶん行く」


「席替え疲れ?」


「それもある」


「近くなったから?」


「……それもある」


 珍しく、否定しなかった。


 湊は少しだけ驚く。


 黒瀬はすぐに視線を逸らした。


「変な意味じゃないし」


「わかってる」


「ほんと?」


「たぶん」


「たぶんって何」


 いつものやり取り。


 けれど、新しい席になったせいで、少しだけ響き方が違う。


 黒瀬は鞄を肩にかける。


「あと」


「ん?」


「明日から、後ろで変な顔しないで」


「俺が?」


「朝比奈、たまに考えてること顔に出るから」


「後ろから見えるのか」


「斜め後ろだから見えるし」


「それ、こっちも気が抜けないな」


「お互い様」


 黒瀬は少しだけ笑った。


 その笑い方は、近くなった昼の距離をまだどう扱えばいいかわからない顔だった。


 夜八時半。


 スマホが震えた。


『今日、行く。席替えのせい』


 湊は笑って返信する。


『了解。カフェラテも?』


『当然』


『席、近くなったな』


 少し間が空いた。


『言うな』


 さらにもう一通。


『でも、嫌ではない』


 湊はしばらくその文を見ていた。


『俺も嫌じゃない』


 送る。


 既読。


 返事はすぐだった。


『そういうの、メッセージで言うな』


『昼でも夜でも怒るだろ』


『それはそう』


 九時。


 インターホンが鳴る。


 ドアを開けると、黒瀬は少しだけ疲れた顔で立っていた。


「……遅」


「席替えお疲れ」


「ほんと疲れた」


 黒瀬は部屋へ上がり、ソファへ座るなりクッションを抱えた。


「近いの、変」


「教室の席?」


「うん」


「俺もまだ慣れない」


「でも」


 黒瀬はクッションに頬を押しつける。


「嫌じゃない」


「メッセージでも言ってたな」


「読み上げるな」


「読んでない」


「思い出させるな」


 湊は笑いながらカフェラテを出した。


 黒瀬は両手で受け取る。


「明日から、朝、おはよって言いやすいかも」


「近いから?」


「うん。でも、逆に恥ずいかも」


「どっちだよ」


「どっちも」


 黒瀬はカフェラテを飲んだ。


 席替えの日、ギャルは窓際から少しだけ離れた。


 けれどそのぶん、湊との距離は少し近くなった。


 それが良いことなのか、危ないことなのか、まだ二人にはわからない。


 ただ、今夜の黒瀬は、困ったようにしながらも少しだけ嬉しそうだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ