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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.61 感想を渡す順番で、ギャルは少しだけ大人になる

 翌朝、黒瀬琉衣奈は本を鞄に入れて登校してきた。


 そのことに、朝比奈湊は教室へ入ってすぐ気づいた。


 窓際の席。

 いつもの茶髪。

 いつもの制服。

 いつもの、少し気怠そうな横顔。


 けれど机の端に、淡い青の文庫本が置かれていた。


 白瀬栞から借りた本。


 黒瀬はそれを隠していなかった。


 もちろん、目立つように置いているわけではない。けれど鞄の中にしまい込むでもなく、机の上にそっと置いている。


 それだけで、湊には少しわかった。


 今日、黒瀬はたぶん、感想を渡すつもりなのだ。


 まずは湊に。

 そのあと、栞に。


 昨夜、彼女はそう言った。


 順番が大事、と。


 湊が席に着くと、黒瀬がこちらを見た。


「……おはよ」


「おはよう」


 挨拶はもう、かなり自然になってきた。


 けれど今日は、そのあとが少し違った。


 黒瀬は一度、机の上の文庫本を見る。

 それから、湊を見る。


 言葉にはしない。


 でも、ちゃんと合図になっていた。


 ――あとで言う。


 たぶん、そういう意味だ。


「朝比奈くん、おはようございます」


 白瀬栞の声が横から届いた。


「おはよう」


 栞は湊の机ではなく、窓際の黒瀬の机を見た。


「黒瀬さん、本を持ってきてくれたんですね」


「うん。昨日も読んでた」


「そうですか」


 栞は少しだけ嬉しそうに笑った。


 派手な笑顔ではない。

 けれど、目元がやわらかくなる。


「感想、聞けそうですね」


「たぶん」


「急かさないようにします」


「黒瀬もそれ、わかってると思う」


「なら、よかったです」


 栞はそう言って、自分の席へ向かった。


 その背中を見送りながら、湊は思う。


 この三人の距離は、本当に少しずつ変わっている。


 最初は、黒瀬が夜に来る秘密を抱えていた。

 栞はそれを静かに見抜いて、前の席に座る時間を増やした。

 黒瀬はそれに不機嫌になって、夜に文句を持ち込んだ。


 それが今は、本一冊を間に挟んで、感想を待つ関係になっている。


 妙な話だ。


 けれど、悪くない。


 二限の休み時間。


 黒瀬が本を持って、湊の席へ来た。


 莉子はその様子を見ていたが、今日は何も言わなかった。ただ、少しだけにやっとしてからスマホへ視線を戻した。


 黒瀬は湊の机の横に立つ。


「朝比奈」


「うん」


「昨日言ってたとこ」


 黒瀬は本を開き、しおりを挟んだページを見せた。


 昨日とは違うページ。


 そこには、主人公が相手に直接言えなかったお礼を、古い本の余白に書き込む場面があった。

 書いたけれど、渡すかどうか迷う。

 渡せないまま本棚に戻す。

 でも、書いたことで少しだけ気持ちが動く。


 そういう場面だった。


「ここ、なんか嫌だった」


 黒瀬が言った。


「嫌?」


「うん。嫌っていうか、もどかしい」


「言えばいいのにって?」


「そう。でも、言えないのもわかる」


 黒瀬はページの端を指で押さえたまま、少しだけ目を伏せる。


「書いたなら渡せばいいじゃんって思うけど、渡したら戻れないじゃん」


「うん」


「だから、渡さないまま本棚に戻すのも、ちょっとわかる」


 湊は黒瀬の横顔を見た。


 彼女は思ったよりずっと真剣に読んでいる。


 ただ筋を追っているのではない。

 自分の中にあるものと照らし合わせながら読んでいる。


「黒瀬は、渡さない派?」


 湊が聞くと、黒瀬は少しだけ眉を寄せた。


「前はそうだったかも」


「今は?」


「……今は、たぶん渡す」


 小さな声だった。


「でも、すぐじゃない。渡せる形にしてから」


「焼き菓子みたいに?」


「それ言うな」


 黒瀬は少し睨んだ。


 でも、怒ってはいない。


「でも、そうかも」


 自分で認める。


「言葉で言えない時は、何か別の形にして渡す。そういうの、たぶん嫌いじゃない」


「うん」


「だからこの場面、嫌だけど好き」


 黒瀬は本を閉じた。


「……こんな感じ」


「いい感想だと思う」


「ほんと?」


「うん」


「ちゃんとしてる?」


「かなり」


 黒瀬は少しだけほっとした顔をした。


 そして、その顔をすぐに隠すように本を胸元に抱えた。


「じゃあ、白瀬に言う」


「今?」


「……たぶん」


 黒瀬は栞の席を見る。


 栞はノートをまとめている。こちらに気づいているのかいないのか、顔は上げない。


 黒瀬は一歩踏み出して、止まった。


 それから、湊を見る。


「朝比奈」


「何?」


「変だったら助けて」


「どう助けるんだよ」


「知らない。なんか」


 湊は少し笑った。


「わかった。なんかする」


「雑」


「そっちが雑なんだろ」


「うるさい」


 そのやり取りで、少し緊張がほどけたのかもしれない。


 黒瀬は本を持って、栞の席へ向かった。


「白瀬」


 声は小さかった。


 けれど、ちゃんと届いた。


 栞が顔を上げる。


「はい」


「本、途中だけど」


「はい」


「ちょっと、言いたいとこあった」


 栞の表情が、少しだけ明るくなった。


「聞いてもいいですか?」


「……うん」


 黒瀬は本を開いた。


 さっき湊に見せたページを、栞にも見せる。


「ここ」


 栞はページを覗き込む。


 黒瀬はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吸った。


「書いたなら渡せよって思った」


「はい」


「でも、渡せないのもわかる。渡したら、なんか変わるから」


「……はい」


「だから、嫌なんだけど、好きだった」


 そこまで言って、黒瀬は少しだけ視線を逸らした。


「言葉で言えない時に、別の形にするのは、ちょっとわかる」


 栞は黙って聞いていた。


 途中で遮らない。

 正解を言わない。

 ただ、黒瀬の言葉が出てくるのを待っている。


 その待ち方が、やっぱり栞だった。


 黒瀬が言い終えると、栞は少しだけ頷いた。


「黒瀬さんらしい感想だと思いました」


「……それ、どういう意味」


「良い意味です」


「ほんと?」


「はい」


 栞は本のページをそっと見た。


「私、その場面を読んだ時、渡せなかったことに意味があると思ったんです。でも黒瀬さんの感想を聞いて、渡せる形になるまで時間が必要だったのかもしれないと思いました」


 黒瀬は少しだけ目を丸くした。


「……そういう返し、すぐできるの?」


「すぐというより、今そう思いました」


「強」


 ぽつりと漏れた。


 栞が少しだけ笑う。


「ありがとうございます」


「褒めてるかは半分」


「半分でも嬉しいです」


 黒瀬は返事に困ったように口を閉じた。


 少ししてから、小さく言った。


「まだ読み終わってないから」


「はい」


「終わったら、また言う」


「待っています」


 栞は穏やかに言った。


 黒瀬はその言葉を聞いて、ほんの少しだけ表情をやわらげた。


「……急かさないやつね」


「はい。返せる時で大丈夫です」


 その一言に、黒瀬は一瞬固まった。


 それから、本で少し顔を隠す。


「……そういうの、今言うのずるい」


「すみません」


「謝るの早いし」


 けれど、黒瀬の声はやわらかかった。


 湊は少し離れた場所で、そのやり取りを見ていた。


 助ける必要はなかった。


 黒瀬は、自分でちゃんと言えた。


 昼休み。


 珍しく三人の距離が近かった。


 栞はいつもの前の席に座り、黒瀬は自分の席から本を持って少しだけこちらへ来た。莉子が「読書会?」とからかったが、黒瀬が「違うし」と返しただけで、それ以上は踏み込まなかった。


「黒瀬さん、読み終わったら三人で話しますか?」


 栞が言った。


 黒瀬は一瞬、嫌そうな顔をした。


「三人で?」


「嫌なら無理には」


「嫌っていうか……変」


「変ですね」


 栞があっさり認める。


 黒瀬は少しだけ拍子抜けしたような顔をした。


「認めるんだ」


「はい。でも、少し面白そうです」


「それは……まあ、ちょっとだけ」


 黒瀬は湊をちらっと見る。


「朝比奈は?」


「俺はいいと思う」


「でしょうね」


「なんで」


「そういう顔してた」


「黒瀬まで顔で読むなよ」


「白瀬ほどじゃないし」


 栞が少し笑う。


 その空気は、今までになく不思議だった。


 恋の火花というより、三人で同じ本を囲んでいるような、少しぎこちないけれど穏やかな時間。


 黒瀬は本を閉じ、しおりを丁寧に挟んだ。


「まだ途中だから、終わったら」


「はい」


「……たぶん、ちゃんと言う」


 栞は頷いた。


「待っています」


 そのやり取りを見て、湊は少しだけ胸の奥が温かくなった。


 放課後。


 黒瀬は本を鞄にしまいながら、湊の席へ来た。


「朝比奈」


「何?」


「今日、変じゃなかった?」


「全然」


「ほんと?」


「うん。ちゃんと言えてた」


 黒瀬は少しだけ安心したように息を吐いた。


「白瀬、ちゃんと聞くから逆に緊張する」


「わかる」


「でも、嫌じゃなかった」


「そっか」


「うん」


 黒瀬は少しだけ考えてから続けた。


「あの子に言う前に、朝比奈に言ったのもよかった」


「順番?」


「うん」


「やっぱり大事なんだな」


「大事」


 即答だった。


「今日、行くかは送る」


「わかった」


「本、読むからたぶん行く」


「それ、もう来るって言ってる」


「メッセージでも送る」


「了解」


 黒瀬は少しだけ笑って、教室を出ていった。


 夜八時半。


 スマホが震える。


『今日、行く。本読む』


 湊は笑って返信した。


『了解。カフェラテも?』


『当然』


 九時。


 インターホンが鳴る。


 ドアを開けると、黒瀬は本を入れた鞄を持って立っていた。


「……遅」


「今日、白瀬さんにちゃんと言えてたな」


「開幕それ?」


「言いたかったから」


「……そういうの、普通に言うなって」


 黒瀬は少しだけ照れた顔で部屋へ上がった。


 ソファに座り、本を取り出す。


 湊がカフェラテを置くと、黒瀬はカップを受け取りながら小さく言った。


「今日、ちょっと大人だった?」


「自分で聞くのか」


「聞くし」


「少し大人だった」


「少しなんだ」


「かなり、かも」


「最初からそう言えし」


 黒瀬は満足そうにカフェラテを飲んだ。


 感想を渡す順番で、ギャルは少しだけ大人になる。


 言葉を渡す相手を選び、順番を選び、タイミングを選ぶ。


 それは面倒で、遠回りで、でも黒瀬らしい前進だった。

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