表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/85

ep.52 焼き菓子を半分こしたあとで、連絡先を知らないことに気づく

 白瀬栞の背中が人波に紛れて見えなくなってからも、黒瀬琉衣奈はしばらく黙っていた。


 駅前のベンチ。

 膝の上には、焼き菓子の小さな紙袋。

 隣には朝比奈湊。


 さっきまで、ほんの少しだけ緊張していた。


 休日の駅前で、学校でも部屋でもない黒瀬として湊と並んで座っていたところへ、栞が現れたのだ。


 湊は、黒瀬がまた尖るかと思っていた。


 けれど、そうはならなかった。


 黒瀬は逃げなかった。

 栞も踏み込みすぎなかった。

 ただ、お互いに少しだけぎこちなく、でもちゃんと言葉を交わした。


 それだけなのに、さっきまでの空気は、思ったより深く残っている。


「……あのメガネさ」


 黒瀬がぽつりと言った。


「うん」


「ほんと、変なとこで優しいよね」


「そうだな」


「こっちが身構えてるの、わかってて、あえて普通にしてくる感じ」


「それ、褒めてる?」


「……半分くらい」


 黒瀬はそう言って、残っていたレモンのフィナンシェを小さくかじった。


 半分。


 最近、黒瀬の答えにはよく“半分”が出てくる。


 全部ではない。

 でも、ゼロでもない。


 その曖昧さが、今の黒瀬らしい。


「服、褒められてたな」


 湊が言うと、黒瀬はすぐ横目で睨んできた。


「それ、まだ言う?」


「いや、似合ってたし」


「だから開幕で言うなって」


「もう開幕じゃないだろ」


「そういう問題じゃないし」


 言いながらも、怒り切ってはいなかった。


 むしろ、困っている。


 褒められることに慣れていないわけではないはずだ。学校でも目立つし、周りから見られることにも慣れている。


 でも、今日の服を褒められるのは、たぶん別なのだろう。


 学校の黒瀬でもない。

 夜の部屋の黒瀬でもない。

 湊と外で会うために選んできた黒瀬。


 そこを見られて、似合っていると言われた。


 だから、効いている。


「……てかさ」


 黒瀬が紙袋の口を折りながら言った。


「ん?」


「あんた、今日早かったよね」


「そうか?」


「絶対早かった。二時集合なのに、一時五十分くらいからいたでしょ」


「見てたのか」


「見えたし」


「何時に来たんだよ」


「……五十五分」


「早いじゃん」


「五分前は普通」


「俺の十分前は?」


「ちょっと必死」


「ひどいな」


 黒瀬は少しだけ笑った。


 その笑い方は、駅前のざわめきの中でもちゃんと湊に届いた。


 部屋で見る笑い方とは違う。

 少しだけ外向きで、少しだけ隠している。


 でも、確かに黒瀬の笑顔だった。


「まあ、でも」


 黒瀬が視線を前に向けたまま言う。


「待ってたの、嫌ではなかった」


「そっか」


「うん」


 短い返事。


 けれど、それで十分だった。


 湊は少しだけベンチに座り直した。


 駅前の風が、黒瀬の髪を軽く揺らす。学校の巻き髪よりやわらかくて、夜の無造作な髪より少し整っている。


 本当に、今日の黒瀬はどちらでもない。


「このあと、どうする?」


 湊が聞くと、黒瀬は少し考えた。


「どうするって」


「焼き菓子は買ったし」


「うん」


「帰る?」


「……帰るの?」


 責めているわけではない。


 ただ、少しだけ意外そうな声だった。


「いや、聞いただけ」


「ふーん」


 黒瀬は紙袋を膝に置き直す。


「本屋、見る?」


「黒瀬が?」


「何その反応」


「いや、別に」


「失礼じゃない?」


「悪い。ちょっと意外だった」


「本屋くらい行くし。雑誌とか見るし」


「そっちか」


「そっちって何」


 黒瀬がむっとする。


 その顔が少し可笑しくて、湊は立ち上がった。


「じゃあ行くか。本屋」


「うん」


 並んで書店へ入る。


 入口近くは雑誌コーナーだった。ファッション誌、旅行誌、料理本、漫画雑誌。黒瀬は意外なくらい迷いなくファッション誌の棚へ向かった。


「こういうの読むんだな」


「読むし」


「日サロ特集とか?」


「そんなピンポイントなの毎回ないし」


「そうなのか」


「当たり前でしょ」


 黒瀬は一冊を手に取り、ぱらぱらとめくる。


 湊は横から覗き込みすぎないよう、少しだけ距離を空けた。


 それに気づいたのか、黒瀬がちらりと見る。


「見ればいいじゃん」


「いいのか」


「別に、普通の雑誌だし」


「じゃあ少し」


 隣に立ってページを見る。


 服の色合わせや小物の特集が並んでいる。


 黒瀬はあるページで手を止めた。


 淡いカーディガンのコーディネート。


 今日の黒瀬の服に少し似ていた。


「……こういうの、参考にした?」


 湊が聞くと、黒瀬は少しだけ黙った。


「……ちょっと」


「やっぱり」


「言うな」


「似合ってた」


「だから」


「何回でも言う」


「やめろって」


 黒瀬は雑誌で顔を半分隠す。


 耳が赤い。


 湊は少しだけ笑って、別の棚へ視線を移した。


「朝比奈は?」


「俺?」


「本、見るんでしょ」


「まあ」


「じゃあ付き合う」


「いいのか?」


「ここまで来たし」


 その言い方が、なんだか自然だった。


 文庫コーナーへ移動する。


 黒瀬は湊の後ろを少し歩いて、棚の前で足を止めた。


「……字、細か」


「読む前からそこ?」


「だって細かいじゃん」


「まあ、文庫だからな」


「朝比奈って、こういうの読むんだ」


「読むけど、最近は白瀬さんに勧められたのが多い」


 言った瞬間、黒瀬の目が少し細くなった。


「あのメガネ、ここにも出てくるんだ」


「本の話だからな」


「ふーん」


 少しだけ拗ねた声。


 でも、以前ほど刺さらない。


 黒瀬は棚を眺めながら、ぽつりと言った。


「……じゃあ、あたしが選んだら読む?」


「黒瀬が?」


「何その驚き方、二回目」


「いや、読むよ」


「ほんと?」


「うん」


 黒瀬は少しだけ真剣な顔で棚を見た。


 文庫の背表紙を眺めて、時々首をかしげる。


 数分ほど迷ってから、一冊を抜き出した。


「これ」


「選んだ理由は?」


「表紙が好き」


「なるほど」


「だめ?」


「いや、ありだと思う」


 湊は本を受け取った。


 ミステリーでも恋愛でもなく、少し古い青春小説だった。表紙は夕暮れの駅のホーム。黒瀬が選んだ理由も、なんとなくわかる気がした。


「買うの?」


「買う」


「ほんとに?」


「黒瀬が選んだし」


「……そういうの、すぐ言う」


 黒瀬は目を逸らした。


 けれど、少しだけ嬉しそうだった。


 レジへ向かい、本を買う。


 店を出たところで、黒瀬がふと立ち止まった。


「ねえ」


「ん?」


「そういえばさ」


「うん」


「あたしたち、連絡先知らなくない?」


 湊も止まった。


 本当に、今さらだった。


 夜に何度も部屋へ来る。

 冷蔵庫も開ける。

 カフェラテも飲む。

 休日に駅前で焼き菓子まで買っている。


 なのに、連絡先を知らない。


「……知らないな」


「変じゃない?」


「かなり変だと思う」


「だよね」


 黒瀬はバッグからスマホを出した。


 けれど、その動きが少しだけぎこちない。


「交換する?」


 湊が聞くと、黒瀬はすぐに顔を上げた。


「いや、あたしが言おうとしたし」


「じゃあ言って」


「……連絡先、交換する?」


「うん」


「軽」


「重く返したほうがいいのか?」


「それはそれで無理」


 黒瀬は小さく笑いながら、画面を開いた。


 連絡先を交換する。


 ただそれだけのことなのに、妙に緊張した。


 QRコードを表示して、読み取って、名前が画面に出る。


 黒瀬琉衣奈。


 その文字が湊のスマホに登録される。


 今さらなのに、かなり大きい。


「……朝比奈、アイコン普通」


「悪いか」


「悪くないけど。風景なんだ」


「無難だろ」


「無難」


「黒瀬は?」


 表示されたアイコンは、猫の後ろ姿だった。


「猫?」


「近所の野良」


「ギャルっぽくないな」


「ギャルのアイコンって何」


「自撮りとか」


「やだし。学校のやつらにも見られるし」


「なるほど」


 黒瀬は少しだけ照れたようにスマホをしまう。


 そして、すぐにまた取り出した。


「……一回送る」


「今?」


「登録できてるか確認」


 数秒後、湊のスマホが震えた。


 黒瀬からの最初のメッセージ。


『ちゃんと届いた?』


 湊はその場で返した。


『届いた』


 黒瀬のスマホが震える。


 彼女は画面を見て、小さく頷いた。


「届いた」


「だな」


「……これで、遅れる時とか言えるし」


「今日は遅れなかったけど」


「今日は」


「次は遅れるのか」


「そういう意味じゃないし」


 黒瀬は少しだけ口を尖らせる。


 それから、小さく言った。


「あと、夜行くかどうかも、言えるし」


 湊はその言葉を聞いて、少しだけ黙った。


 黒瀬も自分で言ってから、ほんの少し目を逸らす。


「……毎回インターホン急に鳴らすのも、あれじゃん」


「まあ」


「だから、連絡できたほうがいいし」


「うん」


 その理由は自然だった。


 けれど、自然だからこそ大きい。


 これまでは、夜に来ることが突然だった。

 連絡できなかったから、インターホンが合図だった。


 でもこれからは、来る前にメッセージを送れる。


 それは、便利になるというだけではない。


 関係の形が少し変わるということだった。


「……帰るか」


 黒瀬が言った。


「うん」


 駅の改札近くまで一緒に歩く。


 そこで黒瀬は足を止めた。


「今日」


「うん」


「その……楽しかった」


 小さな声だった。


 でも、ちゃんと聞こえた。


「俺も」


「早」


「だって本当だし」


「……そっか」


 黒瀬は少しだけ笑った。


 それから、スマホを軽く掲げる。


「帰ったら、送る」


「何を?」


「……無事帰ったって」


「ああ」


「変?」


「変じゃない」


「ならいいし」


 黒瀬は改札の方へ歩きかけて、ふと振り返った。


「あと、今日の本」


「うん」


「読んだら感想」


「わかった」


「変な感想だったら怒る」


「感想に正解あるのか」


「あるし」


 最後まで黒瀬らしかった。


 改札の向こうへ消える背中を見送りながら、湊はスマホを見た。


 連絡先の一覧に、黒瀬琉衣奈の名前がある。


 それだけで、今日がただの焼き菓子を買う日では終わらなかったことがわかった。


 しばらくして、スマホが震えた。


『電車乗った』


 短いメッセージ。


 湊は少し笑って、返信した。


『気をつけて』


 すぐに返事が来た。


『親か』


 その文字を見て、湊はまた笑った。


 学校でも部屋でもない土曜の午後。


 焼き菓子を買って、本を選んで、連絡先を交換した。


 その全部が、思ったより普通で、思ったより特別だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ