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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.50 土曜の前日、ギャルは「何でもない予定」の服で悩む

 金曜の朝は、妙に落ち着かなかった。


 土曜日の二時。駅前の本屋の前。


 ただそれだけの予定が、朝比奈湊の頭の中で何度も再生されている。


 焼き菓子の店に行く。


 それだけだ。


 黒瀬琉衣奈本人も、昨夜そう言い張っていた。


 ――ほんとに、焼き菓子買うだけだから。

 ――変な期待すんな。

 ――……ちょっとはしてもいいけど。

 ――今のなし。


 なしになるわけがない。


 朝からそんなことを思い出してしまって、湊は教室のドアを開ける前に一度だけ深呼吸した。


 教室に入ると、黒瀬はもう窓際の席にいた。


 いつも通りの茶髪。

 いつも通りの制服。

 いつも通り、莉子と話している横顔。


 けれど湊と目が合った瞬間、彼女は少しだけ固まった。


 ほんの一拍。


 それから、小さく口を動かす。


「……おはよ」


「おはよう」


 挨拶は、もうだいぶ自然になってきた。


 ただ、今日はその後が少し違った。


 黒瀬はすぐに逸らさず、何か言いたそうに口を開きかけた。


 けれど、隣の莉子がにやっとした瞬間、何もなかったようにスマホへ視線を落とした。


「るいな、今なんか言おうとした?」


「してない」


「してたじゃん」


「してないし」


「はいはい」


 莉子はそこで引いた。


 昨日よりも、その引き際が少しだけ上手い。


 からかいすぎない。


 そう決めているのが、なんとなくわかった。


「朝比奈くん、おはようございます」


 白瀬栞が近づいてきた。


「おはよう」


「今日は二人とも、明日を意識している顔ですね」


「開幕からそれ言う?」


「見えてしまったので」


 栞は静かに言った。


 責めるでもなく、からかうでもなく、ただ事実を置くような声だった。


「明日、駅前ですよね」


「聞こえてたんだな」


「少しだけ」


「その少しだけ、信用できない」


「では、かなり聞こえていました」


「正直すぎる」


 栞は小さく笑った。


 でも、すぐに少しだけ目を伏せる。


「楽しんできてください」


 その一言は、穏やかだった。


 穏やかすぎて、逆に少し胸に引っかかった。


「……白瀬さん」


「はい」


「そういう言い方されると、なんか」


「困りますか?」


「少し」


「すみません」


 栞は素直に謝った。


 けれど、顔を上げた時にはもういつもの落ち着いた表情に戻っていた。


「でも、黒瀬さんが頑張って約束したのは本当なので」


「うん」


「そこは、ちゃんとよかったと思います」


 こういうところが、ずるい。


 栞は悔しいと言った。

 それでも黒瀬の頑張りは認める。


 そのまっすぐさに、湊はいつも少しだけ返す言葉をなくす。


 一限前、栞は今日は前の席へ座った。


 黒瀬は窓際からそれを見ていたが、昨日ほど反応しない。


 気にしていないわけではない。

 でも、荒れない。


 明日の予定があるからなのか、昨日より少しだけ余裕があるようにも見えた。


「朝比奈くん」


「ん?」


「明日、何を着ていくか考えていますか」


「……俺?」


「はい」


「普通でいいだろ」


「その普通が難しいと思います」


「白瀬さんまでそんなこと言うのか」


「だって、黒瀬さんはたぶん考えています」


 言われて、湊は窓際を見た。


 黒瀬は莉子に何か耳打ちされ、ものすごく嫌そうな顔をしていた。


「明日、何着るの?」


 莉子の声が少しだけ聞こえる。


「は? 普通」


「出た、普通」


「普通は普通」


「でも駅前でしょ?」


「焼き菓子買うだけだし」


「そのわりに昨日から顔うるさいよ」


「顔うるさいって何」


「情報量多い顔」


「莉子、ほんと黙って」


 湊は思わず顔を伏せた。


 笑いそうになったからだ。


 黒瀬はたぶん、本気で悩んでいる。


 何を着るか。

 どんな顔で行くか。

 どこまで“普通”でいればいいのか。


 本人はただの焼き菓子だと言い張るだろうが、どう見てもそれだけではない。


 二限の休み時間、黒瀬は湊の机の横へ来た。


 今日は、用事を作るまでに少し時間がかかった顔だった。


「朝比奈」


「何?」


「……明日」


「うん」


「本屋の前、二時」


「覚えてる」


「遅れんな」


「黒瀬こそ」


「あたしは遅れないし」


「ほんとか?」


「……たぶん」


「たぶんなんだ」


「準備とかあるかもしんないじゃん」


 言ってから、黒瀬はしまったという顔をした。


 湊は笑いそうになる。


「準備?」


「違う。そういう意味じゃなくて」


「何の準備?」


「だから、普通に出る準備」


「普通に?」


「しつこい」


 黒瀬は睨んできたが、耳が少し赤い。


 そこで莉子が遠くから言った。


「るいな、明日服で一時間迷うでしょ」


「迷わない!」


「迷う迷う。絶対迷う」


「ほんと黙って!」


 黒瀬は完全に赤くなっていた。


 湊は今度こそ少し笑ってしまった。


「笑うな」


「悪い」


「悪いと思ってない顔」


「半分くらいは」


「最低」


 けれど黒瀬の声は、そこまで怒っていない。


 むしろ少しだけ照れくさそうだった。


 昼休み。


 栞は前の席に座り、購買のパンを小さくちぎって食べていた。


「朝比奈くん」


「ん?」


「明日、黒瀬さんが少し遅れても怒らないであげてください」


「なんで白瀬さんがそれ言うんだよ」


「たぶん、すごく悩むと思うので」


「服?」


「はい」


 栞は真面目な顔で頷いた。


「黒瀬さん、学校では見られることに慣れているように見えますけど、たぶん朝比奈くんに休日の私服を見られるのは別です」


 その言葉は、妙に現実味があった。


 休日の黒瀬。


 考えてみれば、夜に部屋着やラフな私服を見てはいる。

 でも、外で会うために選んだ服はまだ見ていない。


 明日は、それを見ることになる。


 そう考えた瞬間、湊の胸が少しだけ落ち着かなくなった。


「……朝比奈くんも、今かなり意識しましたね」


「本当にやめてくれない?」


「すみません」


 栞は謝りながら、少しだけ笑っていた。


「でも、そういう顔でした」


「白瀬さんは、明日何してるんだ?」


 つい聞いてしまった。


 栞は少しだけ驚いた顔をした。


「私ですか?」


「うん」


「図書館に行きます。たぶん」


「そっか」


「はい」


 そこで会話は一度途切れた。


 栞は紅茶の紙パックを持ったまま、少しだけ視線を落とす。


「でも、もし駅前で会っても、偶然です」


「……それ、来る可能性ある言い方じゃないか?」


「本当に図書館へ行くだけです」


「駅前の?」


「はい」


 栞は少しだけ困ったように笑った。


「邪魔はしません」


 その言葉に、湊は返事が遅れた。


「邪魔って」


「黒瀬さん、明日かなり頑張ると思うので」


「……白瀬さん」


「でも、私も本を借りたいので」


 栞はそこで、いつものように少しだけ首をかしげた。


「会ったら、普通に挨拶します」


 普通に。


 その言葉が、今日一日ずっと難しい。


 放課後。


 黒瀬は湊の机の横へ来た。


「朝比奈」


「何?」


「明日、ほんとに焼き菓子だけだから」


「何回目だよ」


「何回でも言うし」


「わかったって」


「あと」


 黒瀬は少しだけ声を落とした。


「変な格好してくんな」


「どんな格好だよ」


「知らないけど」


「俺にまで服の指定するのか」


「違う。普通でいい」


「その普通が難しいって今日何回も聞いた」


「……誰に」


「白瀬さん」


「やっぱあのメガネ、何でも見すぎ」


 黒瀬は少しだけむくれた。


 けれど、以前ほど刺々しくはなかった。


「白瀬さん、明日図書館行くらしい」


「駅前?」


「たぶん」


「……ふーん」


 黒瀬はほんの少しだけ目を細めた。


 でも、すぐに息を吐く。


「まあ、あの子は来ても変なことしなさそう」


「信頼してるな」


「してるわけじゃないし」


「でも、そう聞こえた」


「……嫌いじゃないだけ」


 その言い方は、前よりずっと素直だった。


「じゃあ、明日」


「うん」


「二時」


「本屋の前」


「遅れんな」


「お互いな」


 黒瀬は小さく頷いて、教室を出ていった。


 夜九時。


 インターホンが鳴った。


 ドアを開けると、黒瀬はいつもより少しだけ落ち着かない顔で立っていた。


「……遅」


「明日のことで頭いっぱいか?」


「開けて一言目それ?」


「悪い」


「ほんと悪いと思ってない」


 黒瀬は部屋へ上がり、いつものソファへ座る。


 クッションを抱える手が、今日は少し忙しい。


「カフェラテ?」


「それ」


 湊がキッチンへ向かうと、黒瀬は背中越しにぼそっと言った。


「……明日、何着ればいいと思う?」


 湊はお湯を注ぐ手を止めかけた。


「俺に聞くのか」


「聞いてないし」


「今聞いたよな」


「独り言」


「じゃあ答えないほうがいい?」


「……少しだけなら」


 めちゃくちゃだった。


 けれど、黒瀬らしかった。


「普通でいいんじゃないか」


「その普通がわかんないって話してるんだけど」


「じゃあ、黒瀬が楽なやつ」


「楽なやつ?」


「背伸びしすぎないやつ。学校の黒瀬でも、部屋の黒瀬でもない感じ」


 言ってから、少しだけ踏み込みすぎたかと思った。


 黒瀬は黙っていた。


 湊がカフェラテを持って戻ると、彼女はクッションを抱えたまま、少しだけ目を伏せていた。


「……学校でも部屋でもない感じって、何」


「俺もわかんない」


「じゃあ言うな」


「悪い」


「でも」


 黒瀬はカップを受け取る。


「なんか、ちょっとわかる」


 その声は、素直だった。


「明日は、そういうのにする」


「うん」


「笑ったら怒る」


「笑わない」


「ほんと?」


「たぶん」


「たぶんって何」


 黒瀬はむくれたが、少しだけ笑った。


 休日の約束の前日。


 ただ焼き菓子を買いに行くだけだと言い張りながら、彼女は服で悩んでいる。


 その悩み方があまりにも普通で、そして普通じゃなくて、湊は胸の奥が少しだけあたたかくなるのを感じた。

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