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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.48 お礼をした翌日、ギャルは少しだけ胸を張る

 翌朝、黒瀬琉衣奈は少しだけ堂々としていた。


 朝比奈湊が教室に入ってすぐ、それはわかった。


 窓際の席。

 茶髪をいつも通りに整えて、制服もいつも通り少しだけ着崩して、隣の莉子と話している。


 ただ、昨日までと違って、湊と目が合った時に逃げなかった。


 ほんの一秒。


 それから、小さく口を動かす。


「……おはよ」


「おはよう」


 昨日より自然だった。


 声も少しだけ大きい。周りに聞かせるほどではないが、少なくとも湊が聞き逃すことはないくらい。


 黒瀬はそのまま視線を逸らした。


 けれど、今日は慌てた感じがない。


 湊は席に着きながら、昨夜のことを思い出していた。


 焼きそばパンのお礼として、黒瀬が買ってきた焼き菓子。


 一人で渡して終わりではなく、夜に部屋で一緒に食べるために二つ選んできたこと。


 それを「ちょっとやってみたかった」と言ったこと。


 あれは黒瀬なりの“ちゃんと返す”だった。


 たぶん、その手応えが今日の顔に出ている。


「朝比奈くん、おはようございます」


 白瀬栞が横に立っていた。


「おはよう」


「黒瀬さん、今日は少し自信がありそうですね」


「わかる?」


「はい。昨日、何かうまくいった顔です」


「……白瀬さん、ほんとに怖いな」


「最近は褒め言葉として受け取っています」


 栞は静かに笑った。


 その笑い方が、少しだけ楽しそうだった。


「焼きそばパンのお礼、うまくいきましたか」


「なんでそこまでわかるんだよ」


「昨日、黒瀬さんがかなり気にしていたので」


「まあ、うまくいったと思う」


「よかったですね」


 栞はそう言って、窓際へ視線を向けた。


 黒瀬は莉子に何か言われて、少しだけ顔をしかめている。


 けれど、昨日のような焦りはない。


 莉子が黒瀬の肩をつつく。


「るいな、今日ちょっと機嫌いい?」


「別に普通」


「いや、普通じゃない。朝からちょっと勝った顔してる」


「何に勝つの」


「知らないけど」


「適当すぎ」


 黒瀬はそう言いながらも、完全には怒らない。


 莉子もそれ以上は突かず、にやにやするだけで済ませている。


 湊はその様子を見て、少しだけ安心した。


 莉子の距離感も、昨日より自然になっている。


 からかう。

 でも踏み込みすぎない。

 黒瀬もそれをわかっているから、前ほど過剰に反応しない。


 そういう空気ができ始めていた。


 一限前、栞はいつものように前の席へ座った。


 黒瀬はそれを見ていたが、今日は目を細めるだけだった。


 前みたいに露骨に不機嫌になるわけではない。


「……今日は荒れないな」


 湊が小さく言うと、栞はノートを開きながら答えた。


「昨日、自分でもちゃんと渡せたからだと思います」


「それがそんなに効くのか」


「効くと思います。黒瀬さんにとって、自分から何かできた経験ですから」


 そう言われると、確かにそうだ。


 黒瀬は夜の部屋ではかなり自由だ。

 冷蔵庫を開けるし、ソファで距離を詰めるし、カフェラテを当然のように飲む。


 でも昼の教室では違う。


 何をするにも言い訳が必要で、すぐに逃げたくなる。

 そんな黒瀬が、焼きそばパンのお礼を自分で考えて、自分で渡した。


 それはたぶん、本人が思っているより大きい。


「朝比奈くん」


「ん?」


「今日の黒瀬さん、少しだけ胸を張っていますね」


「胸を張る、か」


「はい。わかりやすくはありませんけど」


 栞の言葉を聞いて、湊はもう一度窓際を見た。


 黒瀬は莉子と話している。


 表情はいつも通りに見える。


 でも、たしかに少しだけ背筋が伸びている気がした。


 二限の休み時間。


 黒瀬が湊の机の横へ来た。


 昨日までのような不自然な理由探しではない。


 今日は、かなり普通に来た。


「朝比奈」


「何?」


「昨日のやつ」


「焼き菓子?」


「……うん」


 少しだけ声が小さくなる。


「どうだった?」


「うまかったよ」


「ほんと?」


「ほんと」


「チョコのほう?」


「うん。あと、プレーンも少しもらっただろ」


「それは、あんたが見てたから」


「見てただけで分けてくれるのか」


「うるさい」


 黒瀬は口ではそう言ったが、表情はどこか満足そうだった。


「またあそこの買ってもいいかも」


「気に入ったのか」


「まあ、普通においしかったし」


「今度は自分用?」


「……それは」


 黒瀬は少し迷ってから、視線を逸らす。


「その時考える」


 その言い方だけで、湊には少しわかってしまった。


 また一緒に食べるかもしれない。

 そういう可能性を、黒瀬は口にしないまま残した。


「じゃあ、その時はまたカフェラテ入れる」


 湊が言うと、黒瀬は一瞬だけ固まった。


 それから、小さく言う。


「……勝手にセットにすんな」


「もうセットだろ」


「そういうの、普通に言うなって」


 頬が少し赤い。


 でも、逃げない。


 昨日のお礼がうまくいったせいか、今日の黒瀬は少しだけ粘る。


 そこへ、莉子が顔を出した。


「何々? 昨日のやつって?」


「莉子、来なくていい」


「えー、来るよ。面白そうだし」


「面白くない」


「焼き菓子?」


 黒瀬が固まる。


 莉子はすぐ察したらしく、にやっとした。


「へえ。るいな、ちゃんと渡せたんだ」


「……別に」


「よかったじゃん」


「何が」


「お礼」


 莉子は、今日はからかいすぎなかった。


 ただ、それだけ言って笑う。


 黒瀬は拍子抜けしたみたいな顔をした。


「……うん」


 小さい返事だった。


 莉子は少しだけ目を丸くしてから、すぐにいつもの軽い顔に戻る。


「じゃ、次はあたしにも買ってきて」


「なんで」


「味見係」


「いらない」


「ひど」


 いつもの調子に戻った。


 そのやり取りを、湊は少しだけ面白く見ていた。


 昨日より自然だ。


 黒瀬も、莉子も、少しずつ距離を調整している。


 そして、その会話の端に湊がいることも、もう完全には隠れていない。


 昼休み。


 栞が前の席に座った。


「朝比奈くん、今日の黒瀬さん、かなり良いですね」


「良いって言い方」


「昨日より、落ち着いています」


「たしかに」


「莉子さんも、からかい方を少し変えました」


「白瀬さん、ほんとよく見てるな」


「見えますから」


 栞はパンの袋を開けながら、少しだけ遠くを見るような顔をした。


「周りの人も、少しずつ変わるんですね」


「周りの人?」


「莉子さんも、黒瀬さんも、朝比奈くんも」


「俺も入ってるのか」


「もちろんです」


 栞は当然のように言う。


「朝比奈くん、前より受け止めるのがうまくなりました」


「そうかな」


「はい。最初の頃なら、今の黒瀬さんの変化にかなり振り回されていたと思います」


「今も振り回されてるけど」


「でも、ちゃんと見ています」


 その言葉は、少しだけうれしかった。


 ちゃんと見ている。


 黒瀬の不器用さも、莉子のからかいの奥にある優しさも、栞の静かな強さも。


 前よりは見えるようになっているのかもしれない。


「白瀬さんは?」


「私ですか?」


「白瀬さんは、変わった?」


 そう聞くと、栞は少しだけ考えた。


「少しだけ、意地悪になったかもしれません」


「自覚あるんだ」


「あります」


 珍しく、栞が少し照れたように笑う。


「前なら、ここまで近くには来なかったと思います」


「前の席?」


「はい。それと、朝比奈くんに思ったことを言うことも」


「今は結構言ってるな」


「言っていますね」


 栞はそこで、ほんの少しだけ目を伏せた。


「でも、言わないまま見ているだけなのは、少し嫌になったので」


 それは静かな本音だった。


 湊は何も軽く返せなかった。


 栞は、黒瀬の頑張りを認める。

 莉子の優しさも見ている。

 それでも、自分の位置を手放すつもりはない。


 この子もまた、少しずつ前に出ている。


 放課後。


 黒瀬は帰る前に、湊の机の横へ来た。


 今日はもう、その動きもかなり自然だった。


「朝比奈」


「何?」


「昨日の店」


「焼き菓子の?」


「うん。今度、駅前行く時……」


 そこで黒瀬は言葉を止めた。


 湊は待つ。


 急かさない。


 黒瀬は一度、莉子のほうを見る。


 莉子は少し離れたところで、スマホを触っているふりをしながら、明らかに聞いている。


 黒瀬は顔をしかめた。


「……やっぱいい」


「いいのか」


「今言うの無理」


「そっか」


「夜言う」


 短い。


 でも、かなり素直な逃げ方だった。


 昼では言えないことを、夜に回す。


 前ならそれだけで敗北みたいに思っていたかもしれない。


 でも今は違う。


 昼で言おうとした。

 言いかけた。

 無理だと判断して、夜に回した。


 それも一つの前進なのだと思う。


「わかった」


 湊が言うと、黒瀬は少しだけほっとした顔をした。


「……夜、行く」


「うん」


「今日も」


「待ってる」


 言ってから、湊は少しだけしまったと思った。


 教室で言うには、少し近い。


 黒瀬もそれに気づいたのか、目を丸くする。


「……そういうの、昼に言うなって」


「悪い」


「でも」


 黒瀬は視線を逸らした。


「聞こえたから、いい」


 それだけ言って、彼女は教室を出ていった。


 夜九時。


 インターホンが鳴る。


 ドアを開けると、黒瀬は少しだけむくれた顔で立っていた。


「……遅」


「今日は待ってるって言ったから、早めに出たんだけどな」


「そういうの、また言う」


「悪い」


「悪いと思ってないでしょ」


「半分くらい」


「最低」


 黒瀬は部屋へ上がり、いつものソファへ座る。


 湊がカフェラテを作って戻ると、黒瀬はクッションを抱えながら昼の続きを切り出した。


「……駅前の店」


「うん」


「今度、また買いに行きたい」


「いいんじゃないか」


「でも一人だと、二個買うの変じゃん」


「変か?」


「変ではないけど、なんか」


 黒瀬は言いづらそうに視線を落とす。


「……一緒に行く?」


 湊が言うと、黒瀬は少しだけ固まった。


「……あんたから言うの、ずるい」


「言ってほしそうだったから」


「そういうのもずるい」


「じゃあ違った?」


「……違わない」


 小さな声だった。


 湊は少しだけ笑った。


「じゃあ今度、行くか」


「うん」


「学校帰り?」


「それは無理」


 即答。


「じゃあ休日?」


「……たぶん」


 黒瀬はカフェラテを両手で持つ。


「まだ、昼の外は難しい」


「うん」


「でも、行きたいとは思った」


 その一言が、今夜の本音だった。


 お礼をした翌日、ギャルは少しだけ胸を張る。


 そして、その胸を張った分だけ、また少し欲張りになる。


 焼き菓子の店に、今度は一緒に行きたい。


 まだうまく言えないけれど、確かにそう思っている。


 その小さな前進を、湊は夜の部屋で静かに受け取った。


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