表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

48/164

ep.47 焼きそばパンのお礼は、思ったより難しい

 黒瀬琉衣奈は、翌朝から少しだけ真剣だった。


 朝比奈湊が教室に入った時、彼女は窓際の席で莉子と話していた。いつものようにスマホを片手に、いつものように少し気怠げな顔をしている。


 けれど、目だけが違った。


 湊と目が合った瞬間、黒瀬は小さく口を動かす。


「……おはよ」


 昨日より、さらに少し自然だった。


「おはよう」


 湊が返すと、黒瀬はすぐに目を逸らした。けれど耳は赤くない。昨日ほど慌ててもいない。


 たぶん、これはもう“できること”になりつつある。


 そのことが、少しだけ嬉しかった。


「朝比奈くん、おはようございます」


 白瀬栞が、いつもの静かな声で言った。


「おはよう」


「黒瀬さん、今日のおはようは上手でしたね」


「採点みたいだな」


「成長記録です」


「本人に言ったら怒るぞ」


「言いません。今日はたぶん、別のことで頭がいっぱいなので」


「別のこと?」


 栞は窓際を一瞬だけ見る。


「焼きそばパンのお礼です」


 言われて、湊も思い出した。


 昨日、黒瀬は購買の焼きそばパンを湊に頼んだ。湊はそれを買い、代金は「次で」と曖昧にした。


 黒瀬は言った。


 ――次、返すから。


 たぶん今日、彼女はその“次”をどうするか考えている。


 栞の予想はかなり当たっていた。


 二限の休み時間、黒瀬は一度だけ湊の席の近くまで来て、何も言わずに戻っていった。


 莉子がその後ろ姿を見て、半笑いで言う。


「るいな、何してんの」


「別に」


「今、朝比奈くんとこ行こうとして戻ったでしょ」


「行ってないし」


「行こうとはしたじゃん」


「うざ」


 黒瀬は軽く莉子を睨む。


 莉子はまったく怯まない。


「お礼、渡すんじゃないの?」


「声でかい」


「あ、ごめんごめん」


 言いながら、全然悪びれていない。


 湊は聞こえないふりをした。


 すると、横から栞が小さく言った。


「聞こえないふり、少し上達しましたね」


「そういう成長いらないんだけど」


「でも、必要です」


 たしかに必要だった。


 この教室では、聞こえないふりをしなければいけないことが増えている。


 昼休み。


 購買へ行こうとした湊が席を立った瞬間、黒瀬が少し早足で近づいてきた。


「朝比奈」


「何?」


「今日、購買行く?」


「行くけど」


「……じゃあ、これ」


 黒瀬は小さな紙袋を差し出した。


 コンビニの袋ではない。駅前の菓子店か何かの、控えめな包装だ。


「何これ」


「焼きそばパンの分」


「いや、そこまでしなくてよかったのに」


「よくないし。借りっぱなし嫌って言ったじゃん」


 言い方は少し強い。


 でも、手元は妙に丁寧だった。


 湊は紙袋を受け取る。


「開けていい?」


「今はだめ」


「なんで」


「なんか、恥ずい」


「じゃあいつ開けるんだよ」


「……家」


 家。


 その単語だけで、少し空気が変わった気がした。


 湊の家。

 夜に黒瀬が来る部屋。

 そこを指しているのだと、二人にはわかる。


 そして、それを言ってしまった黒瀬もすぐに気づいたらしい。


「……帰ってからって意味」


「わかってる」


「ならいいし」


 黒瀬は視線を逸らした。


 莉子が遠くから、にやにやしている。


「るいなー、渡せたー?」


「莉子!」


「よかったねー」


「うるさい!」


 黒瀬は真っ赤になって窓際へ戻っていった。


 湊は手元の紙袋を見下ろす。


 軽い。


 中身はたぶん焼き菓子か何かだろう。


 ただ、物そのものより、それをわざわざ選んで持ってきた時間のほうが重かった。


「朝比奈くん」


 栞が前の席に座る。


「今の、かなり頑張っていましたね」


「だな」


「黒瀬さん、昨日より少し欲張りになって、今日は少し丁寧になりました」


「丁寧?」


「はい。ちゃんと返したかったんだと思います」


 湊は紙袋を鞄にしまった。


「……家で開けろって」


「夜の部屋ですね」


「白瀬さん」


「言いすぎました」


 栞はすぐに謝ったが、少しだけ笑っていた。


 放課後、黒瀬は机の横へ来た。


「……まだ開けてないよね」


「開けてない」


「絶対、今開けないで」


「わかったって」


「莉子にも見せないで」


「見せないよ」


「白瀬にも」


「見せない」


 黒瀬はそこで、少しだけ安心したように息を吐いた。


「……ならいい」


「そんなに恥ずかしいものなのか」


「恥ずかしいっていうか……選んだのバレるのが無理」


「もうバレてるけど」


「言うな」


 黒瀬は小さく睨む。


 それから、ほんの少しだけ声を落とした。


「夜、行った時に開けて」


「了解」


「……変な反応したら怒る」


「難しいな」


「普通でいいし」


「普通が一番難しいだろ」


 黒瀬は少しだけ笑いかけて、すぐに顔を戻した。


「それはそう」


 夜九時。


 インターホンが鳴った。


 ドアを開けると、黒瀬はいつも通り少しだけむくれた顔で立っていた。


「……遅」


「今日は普通だった」


「気分の問題」


「はいはい」


 部屋に入るなり、黒瀬はソファに座った。


 けれどいつものように完全にくつろがない。視線が湊の鞄のほうへ向いている。


「気になる?」


「気になってないし」


「じゃあ先にカフェラテ作る」


「……先に開けて」


「気になってるじゃん」


「うるさい」


 湊は笑いをこらえながら、鞄から紙袋を取り出した。


 黒瀬はクッションを抱え、少しだけ身構える。


 袋を開けると、中には小さな焼き菓子が二つ入っていた。


 プレーンのフィナンシェと、チョコのマドレーヌ。


 派手ではない。

 でも、ちゃんと選んだ感じがした。


「……うまそう」


 湊が言うと、黒瀬はほっとしたように肩の力を抜いた。


「駅前のやつ。莉子が前にうまいって言ってたから」


「わざわざ買ったのか」


「焼きそばパンの分だから」


「焼きそばパンより高いだろ、これ」


「そういうの言わない」


「ごめん」


 黒瀬はクッションに顎を乗せる。


「……どっち食べたい?」


「じゃあ、チョコ」


「じゃああたし、プレーン」


「黒瀬も食べるのか」


「二個あるし」


「俺へのお礼じゃないのか」


「一緒に食べる用」


 言ってから、黒瀬は自分で少し固まった。


 湊も少し黙る。


 一緒に食べる用。


 それは、思ったよりずっと近い言葉だった。


「……そうか」


「そうだし」


 黒瀬は視線を逸らす。


「一個渡して終わりより、そのほうがいいかなって思っただけ」


「うん」


「別に、深い意味はないし」


「わかってる」


「……ほんとに?」


「たぶん」


「たぶんって何」


 そこで二人とも少し笑った。


 湊はキッチンでカフェラテを二つ作り、ローテーブルへ置いた。


 焼き菓子の包装を開けると、甘い香りがふわっと広がる。


 黒瀬はプレーンのフィナンシェを小さくかじった。


「……うま」


「ほんとにうまいな」


「でしょ」


「黒瀬が作ったわけじゃないだろ」


「選んだのはあたしだし」


 少し得意げだった。


 その顔が、昼の教室では見せないくらいやわらかい。


「焼きそばパンのお礼にしては豪華だな」


「しつこい」


「悪い」


「でも……まあ」


 黒瀬はカフェラテを見つめながら、小さく言った。


「こういうの、ちょっとやってみたかった」


「お礼を?」


「うん。ちゃんと返すやつ」


 湊は少しだけ黙った。


 借りっぱなしが嫌。

 ちゃんと返したい。

 しかも一人で渡して終わりではなく、一緒に食べる形で。


 黒瀬なりに、昼と夜をつなぐ方法を考えたのだろう。


「できてたよ」


 湊が言うと、黒瀬はマドレーヌの包装をいじる湊の手元を見たまま、小さく頷いた。


「……ならいい」


 その声は、かなり素直だった。


 焼きそばパンのお礼は、思ったより難しい。


 ただ代金を返せばいいだけではない。

 何を渡すか、どこで渡すか、誰に見られるか、夜にどう開けるか。


 黒瀬にとっては、その全部が一つの練習だった。


 そして今夜、彼女はそれを少しだけ上手くやれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ