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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.44 友達に見られる距離は、本人たちより少しだけ正直だ

 翌朝の黒瀬琉衣奈は、思ったより普通だった。


 少なくとも、教室に入った朝比奈湊の目にはそう見えた。


 昨日は藤堂莉子にからかわれ、昼には「るいなよろしくねー」なんて雑に投げられ、夜にはソファでクッションを抱えながら「莉子、ほんと無理」と弱音まで吐いていた。


 だから今日は、もっとわかりやすく警戒しているかと思っていた。


 けれど窓際の黒瀬は、いつものように友達と話していた。

 茶髪を指先で軽く払って、莉子の冗談に「は? うざ」と返して、少しだけ笑う。


 ちゃんと、いつもの黒瀬琉衣奈だった。


 ただ、その“いつも”の中に、少しだけ昨日とは違うものも混じっていた。


 莉子が黒瀬をからかいすぎない。

 黒瀬も、莉子に対して必要以上に身構えない。


 昨日の夜、黒瀬は言った。


 ――うざいけど、ちゃんと見てる。


 たぶんそれは、黒瀬にとって大きかったのだと思う。


 からかわれているだけではない。

 見守られてもいる。

 そう思えたから、今日は少しだけ普通に戻れたのかもしれない。


 湊が席に着くと、黒瀬が一度だけこちらを見た。


 目が合う。


 昨日よりは短い。


 けれど、逃げるようではない。


 それだけで、昨日の夜の会話がちゃんと黒瀬の中で消化されたのだとわかる気がした。


「朝比奈くん、おはようございます」


 白瀬栞が、いつもの落ち着いた声で言った。


「おはよう」


「今日は、黒瀬さんが少し整っていますね」


「整ってる?」


「昨日より、周りとの距離が戻っています」


 栞はそう言って、窓際をほんの一瞬だけ見る。


「莉子さんとも、昨日より自然です」


「やっぱり、そう見える?」


「はい。昨日、何かありました?」


「まあ、少し」


「そうですか」


 栞はそれ以上聞かなかった。


 聞かない代わりに、少しだけやわらかく笑う。


「よかったですね」


 その一言が、妙にしみた。


「……白瀬さんって、そういうところあるよな」


「どういうところですか」


「全部わかってるみたいに言うのに、聞かないところ」


「全部はわかっていません」


「でも、だいたい当たる」


「それは、朝比奈くんがわかりやすいので」


「またそれか」


 栞は小さく笑った。


 そのやり取りの途中で、窓際から莉子の声が聞こえた。


「るいな、今日おとなしいね」


「別に普通だけど」


「昨日より平和」


「昨日は莉子がうるさかっただけ」


「はいはい、ごめんって」


 軽い会話。


 けれど昨日みたいに、黒瀬の声が尖りすぎることはなかった。


 湊は少しだけ安心する。


 一限前、栞は今日は前の席に座った。


 昨日は控えめにしていたが、今日はいつもの位置へ戻ったらしい。


「英語、少し見ますか」


「助かる」


「昨日、疲れていたみたいなので、あまり進んでいないと思いました」


「……正解」


「やっぱり」


 栞はノートを開き、要点を指で示す。


 説明はいつも通りわかりやすい。

 余計なことを言わず、必要なところだけを丁寧に置いてくれる。


 そういう時間が、湊には少しずつ当たり前になっている。


 そしてその当たり前を、黒瀬ももう完全には見ないふりできなくなっている。


 湊がふと窓際を見ると、黒瀬は莉子と話しながらも、こちらを一度だけ確認した。


 目が合いそうになって、黒瀬は少しだけ眉を寄せる。


 だが今日は、すぐに刺すような目にはならなかった。


 ただ、見た。

 それだけだった。


「今日は黒瀬さん、我慢してますね」


 栞が小さく言う。


「また見えてる」


「見えます」


「我慢って?」


「私がここに座っていることを、いつものように気にしているけれど、昨日ほど荒れてはいません」


「……それ、結構すごいな」


「黒瀬さんも、少しずつ慣れようとしているのかもしれません」


 栞の言葉は、黒瀬に対して案外やさしい。


 ライバルみたいな位置にいるのに、見下さない。

 面白がりすぎない。

 ちゃんと相手の不器用さを見ている。


「白瀬さん、黒瀬のこと結構好きだろ」


 何気なく言うと、栞は少しだけ目を丸くした。


「好き、ですか」


「あ、変な意味じゃなくて」


「わかっています」


 栞は少し考えるように目を伏せる。


「嫌いではないです。むしろ、見ていて少し応援したくなる時があります」


「応援?」


「はい。でも、私も譲るつもりはあまりないので」


 さらりと強い。


 湊は思わず黙った。


 栞は穏やかな顔のまま続ける。


「だから、少し複雑です」


「……それを普通に言えるのが強いんだよな」


「強く見えるなら、よかったです」


 チャイムが鳴った。


 栞は自分の席へ戻る。


 その背中を見ながら、湊はぼんやりと思った。


 この教室には、もういくつもの視線が交差している。


 黒瀬の不器用な視線。

 栞の静かな視線。

 莉子のからかい混じりの視線。


 誰も決定的なことは言っていない。


 でも、誰も完全に知らないふりはできなくなっている。


 二限の休み時間。


 湊が廊下へ出ようとしたところで、莉子に呼び止められた。


「朝比奈くん」


「何?」


「ちょっといい?」


 莉子の声は軽かった。

 けれど、昨日のからかいだけの調子とは少し違う。


 湊は廊下の端へ移動する。


 莉子は窓際の黒瀬をちらっと見てから、小さめの声で言った。


「るいなさ、昨日帰ってから変だった?」


「え?」


「あ、別に変な意味じゃなくて。なんかさ、ちょっと疲れてたっぽかったから」


 湊はすぐには答えられなかった。


 夜に来た、とは言えない。

 でも、疲れていたのは事実だ。


「……まあ、少し疲れてたかもな」


「やっぱり」


 莉子はため息をつくように笑った。


「あいつ、強がるのうまいけど、変なところで下手なんだよね」


「それはわかる」


「わかるんだ」


「最近、少しだけ」


 莉子は湊をじっと見た。


 その目は、いつもの軽さより少し真面目だった。


「朝比奈くん、るいなのこと雑に扱わないでね」


 真正面から言われて、湊は少しだけ息を止めた。


「……そのつもりはない」


「うん。たぶん、そうだと思ったから言ってる」


「じゃあ、なんで」


「念押し」


 莉子は軽く笑った。


「るいな、ああ見えてめんどいし、意地っ張りだし、たぶん自分でも自分の気持ちわかってないし」


「……かなり見てるな」


「友達だからね」


 その一言は、軽いのに重かった。


「だから、からかうけど、壊したいわけじゃないんだよね」


 莉子は少しだけ視線を逸らす。


「昨日はちょっとやりすぎたかもって思ったし」


「黒瀬も、莉子さんのことちゃんと見てるって言ってた」


「え、なにそれ。あいつが?」


「ああ」


「うわ、きも」


 口ではそう言いながら、莉子は少しだけ嬉しそうだった。


「でもまあ、あいつがそう言うならいいや」


 それから、いつもの軽い顔に戻る。


「じゃ、よろしく」


「何を」


「いろいろ」


「雑だな」


「雑でいいの」


 莉子はひらひら手を振って戻っていった。


 湊はその場に少し残る。


 友達に見られる距離は、本人たちより少しだけ正直だ。


 莉子は、黒瀬が自分で言葉にできていない部分を、たぶん少し見ている。


 だからこそ、からかう。

 でも、守ろうともする。


 それが黒瀬にとってどれだけ大事なのか、湊にも少しわかった気がした。


 昼休み。


 珍しく、莉子が黒瀬を引っ張って湊の近くへ来た。


「ほら、るいな、消しゴムの安全確認しなくていいの?」


「だから、もうそのネタやめろし」


「えー、気に入ってたじゃん」


「気に入ってない」


 黒瀬は本気で嫌そうな顔をしている。


 でも、昨日ほど焦ってはいない。


 湊の机の横まで来ると、莉子が湊に笑いかけた。


「朝比奈くん、消しゴム封印だって」


「聞いた」


「るいな、次の作戦考えなきゃね」


「莉子!」


 黒瀬が慌てる。


 だが莉子は悪びれない。


「はいはい、ごめん。でもさ、普通に話せばよくない?」


「普通って何」


「今みたいなやつ」


「これ普通じゃないし」


「普通だよ」


 莉子はそう言って、黒瀬の背中を軽く押した。


 黒瀬が一歩、湊の机に近づく。


 その動きに、湊も思わず少し緊張した。


「……朝比奈」


 黒瀬が小さく言う。


「何?」


「今日、数学のプリントあった?」


「ある」


「見せて」


 すごく普通だった。


 消しゴムよりずっと自然で、教室でも不自然じゃない。


 湊はプリントを取り出して渡した。


「はい」


「ん」


 黒瀬は受け取る。


 莉子は横でにやにやしている。


「ほら、できたじゃん」


「うるさい」


 黒瀬は顔を赤くしながら、プリントを見ているふりをした。


 栞は自分の席から、そのやり取りを静かに見ていた。


 そして、ほんの少しだけ微笑んだ。


 放課後。


 黒瀬は湊にプリントを返しに来た。


「……ありがと」


「うん」


「普通だった?」


「かなり普通」


「そっか」


 黒瀬は少しだけほっとした顔をした。


 それから、莉子のほうをちらっと見て、小さく続ける。


「莉子、うざいけど、たまに正しい」


「いい友達だな」


「……うん」


 その“うん”は、昼の教室で聞くには少しだけ素直だった。


 夜九時。


 インターホンが鳴る。


 ドアを開けると、黒瀬はいつも通り「遅」と言いかけて、少しだけ止まった。


「……今日は普通」


「何が」


「開けるの」


「そうか」


「うん」


 黒瀬は部屋へ上がり、ソファへ座った。


 湊がカフェラテを作って戻ると、黒瀬はクッションを抱えたまま、少しだけ考え込んでいた。


「今日、莉子に何か言われた?」


 湊が聞くと、黒瀬は顔を上げた。


「何でわかんの」


「昼、背中押されてただろ」


「見てたんだ」


「見えるだろ」


 黒瀬はカフェラテを受け取り、少しだけ笑った。


「普通に話せって言われた」


「それでプリント?」


「うん」


「消しゴムより自然だった」


「それ、あたしも思った」


 黒瀬が素直に認める。


 それだけで、少しおかしかった。


「……莉子、うざいけど」


「うん」


「今日、ちょっと助かった」


「明日言えば?」


「無理」


「即答だな」


「そういうのは無理」


 黒瀬はカフェラテを飲み、クッションに顎を乗せる。


「でも、まあ、そのうち」


「そのうち?」


「うん。そのうち」


 それは、少し未来のある言葉だった。


 からかわれたギャルは、夜になると少しだけ弱音を吐く。


 そして次の日には、友達に背中を押されて、少しだけ普通に近づける。


 そんなふうにして、黒瀬琉衣奈の昼は、ほんの少しずつ変わっていくのかもしれない。

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