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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.23 ギャルは“偶然”を装って、膝の距離を詰めてくる

 その夜の黒瀬琉衣奈は、珍しく最初から少し機嫌がよかった。


 ……いや、正確には、まだ完全に機嫌が直りきっていないくせに、どこか余裕がある感じだった。


 昼間、駅前で白瀬栞の私服姿を見かけたことを引きずって、部屋へ来てからもしばらくむくれていたくせに、最後には「朝比奈にだけだし」と言った言葉に照れて、うまく怒りきれなくなっていた。


 その余韻が、たぶんまだ残っているのだろう。


 黒瀬はソファに座るなり、クッションを抱えながら言った。


「今日なんか見る?」


「見るって、テレビ?」


「それ以外になに」


「いや、別に動画でもいいかなって」


「じゃあそれでも」


 なんとなくの会話。

 なんとなくの夜。

 でも、その“なんとなく”が積み重なって、最近の二人の距離を作っている。


 湊はテレビ台の引き出しからリモコンを取り、動画配信の画面を開いた。適当にバラエティ番組を流す。内容は正直なんでもいい。こういう時の番組は、会話の邪魔をしない程度に音があればそれでいいのだ。


「そこ座るの?」


 黒瀬がぽつりと言った。


 湊は、いつものようにダイニング側の椅子に腰かけかけていたところだった。


「いつもここだけど」


「遠くない?」


「遠いって」


「画面」


 さらっと言う。


 たしかにテレビまでは少し距離がある。けれどそれは今までずっとそうだったし、今さらそこを理由にするのはどう考えても怪しい。


「ソファ空いてるし」


 黒瀬はクッションを少しだけずらした。


 明らかにスペースを作っている。


 湊は一瞬、かなり本気で迷った。


 今まで、同じソファに座ることはなかった。黒瀬はソファ、湊は椅子。それがなんとなく自然な距離感だったし、そのほうが理性にも優しい。


 だが今夜の黒瀬は、それを少しだけ崩しにきている。


「……椅子でも見えるし」


 いちおう抵抗してみると、黒瀬は少しだけ眉を寄せた。


「朝比奈、そういうとこ変に真面目だよね」


「何が」


「別に同じソファ座るくらい普通じゃん」


「普通か?」


「普通だし」


 そう言いながら、黒瀬は番組の画面へ視線を戻した。


 だが、その横顔の口元は少しだけ意地悪そうに見えた。


 わかっててやってる。


 全部ではないにしても、少なくとも自分がどの程度意識しているかを探っている顔だった。


 逃げるのも癪で、湊は結局ソファの端へ腰を下ろした。


 もちろん、かなり端だ。


 黒瀬との間には一人分まではいかないが、それなりに距離がある。


「……なにそれ」


 案の定、黒瀬が呆れたように言う。


「なにって」


「端すぎ」


「これくらいでいいだろ」


「落ちそうじゃん」


「落ちない」


「見てるほうが落ち着かないし」


 それ、どの口が言うんだよと思う。


 だが口にすると長引きそうで、湊は黙った。


 動画が始まる。


 芸人同士がわちゃわちゃやっている、深夜枠の緩い企画だ。内容は頭に入ってこない。隣に黒瀬が座っている、それだけで情報量が十分すぎるからだ。


 近い。


 椅子に座って向かい合う時と違って、横に並ぶ距離には逃げ場がない。少し顔を動かすだけで、黒瀬の髪が視界の端に入る。薄いシャンプーの匂いも、たぶん気のせいじゃない。


 しかも黒瀬は、意識していないふりがうまい。


 クッションを抱え、画面を見て、時々小さく笑う。まるで本当に、同じソファに座るのが当たり前みたいな顔をしている。


 だが、そのくせ。


 十分ほど経った頃、黒瀬はわざとらしく少し体勢を変えた。


「……狭」


 ぼそっと言う。


「どこが」


「朝比奈が端寄りすぎるから」


「意味わかんないだろ。端寄ってるなら広いじゃん」


「そういう問題じゃないし」


 そして、ほんの少しだけ距離を詰めてきた。


 肩が触れるほどではない。

 でも、膝と膝の間が明らかに近くなる。


 湊の意識が、嫌でもそこへ引っ張られた。


「……何」


 黒瀬が画面を見たまま言う。


「いや」


「今、絶対なんか思った」


「思ってない」


「うそ」


 うそではない、とは言えない。


 思うに決まっている。ショートパンツのせいで白く伸びた太もものラインが視界に入るし、距離が近くなるほど体温まで意識しそうになる。


 でもここで認めるのは負けだ。


「朝比奈って、わかりやすいよね」


「それ最近よく言われる」


「顔赤いし」


「気のせい」


「じゃないし」


 黒瀬はそこで、ほんの少しだけこちらを見た。


 その目は、完全にわかっていて楽しんでいるやつだった。


 ……やっぱり意識してやってるだろ。


 湊は喉の奥で小さく息をつき、画面へ視線を戻した。


 動画の中では誰かが盛大に転んで笑いが起きていたが、そんなものはほとんど頭に入ってこない。


 問題は、隣だ。


 数分後、黒瀬はまた少しだけ動いた。


 今度は、クッションの位置を整えるふりをして、さらに膝の距離を詰めてくる。


 偶然を装うには、さすがに回数が多い。


「……黒瀬」


「なに」


「狙ってるだろ」


「は?」


「距離」


「狙ってないし」


「いや、絶対狙ってる」


「たまたま当たるだけだし」


 その“たまたま”がいちばん信用できない。


「朝比奈が端寄りすぎなのが悪い」


「まだ言うのか」


「だって、そんな端いたら逆に意識してるみたいじゃん」


「意識してないみたいに言うな」


「……してるの?」


 反応が一拍遅れる。


 聞き返し方がずるい。


 黒瀬は画面を見たまま、でも耳だけはこちらへ向いているみたいな顔をしていた。


「……そりゃ、するだろ」


 観念して小さく言うと、黒瀬の肩が少しだけ揺れた。


 笑っている。


「何笑ってんだよ」


「いや、ちゃんと言うんだなって」


「言わせたのそっちだろ」


「まあ、それはそう」


 声に少しだけ満足げな響きが混じる。


 その直後、また少し距離が近くなる。


 今度は膝が、ほんの一瞬だけ触れた。


 柔らかいとか、温かいとか、そういう感想を持つ前に、湊の神経がそちらへ全部持っていかれる。


「……っ」


「なに」


 黒瀬はとぼけるように聞く。


「今、当たっただろ」


「たまたま」


「またそれか」


「たまたまだし」


 その声は全然悪びれていない。


 というより、少しだけ面白がっている。


 湊はそこでようやく理解した。


 これは、黒瀬なりの確認なのだ。


 白瀬栞の私服を見た日から、少しだけ不安定になっていた黒瀬は、今夜こうして湊の反応を見ている。近づいたらどうなるか。自分が隣にいたら、どれくらい意識するのか。そういう、言葉にしづらい部分を探っている。


 めんどくさい。

 でも、そのめんどくささがやけに可愛く見えてしまうからもっと困る。


「……黒瀬って、たまにあざといよな」


 湊がぽつりと言うと、黒瀬はすぐに反応した。


「は?」


「今のとか、絶対わざとだろ」


「わざとじゃないし」


「じゃあもう一回やってみろよ」


「なんで」


「たまたまなんだろ」


「それは……」


 そこで言葉に詰まる。


 図星だ。


「ほらな」


「うるさい」


 でも、その“うるさい”には勢いがない。


 むしろ少しだけ照れている。


 その反応が見られただけで、たぶん今夜の勝負は半分くらい決まっていた。


 動画が一区切りしたところで、黒瀬はクッションを抱え直し、今度は少しだけこちらへ体を傾けた。


「でも朝比奈も、ほんとに嫌だったら避けるじゃん」


「……」


「避けないってことは、別に嫌じゃないんだ」


 そこを突かれると弱い。


 嫌なら立てばいい。椅子へ戻ればいい。そうしていない時点で、たしかに説得力は薄い。


「……嫌ではないけど」


 正直に言うと、黒瀬は少しだけ目を細めた。


「ほら」


「でも心臓に悪い」


「それは知らないし」


「知っとけよ」


「やだ」


 そこではっきり笑う。


 学校ではまず見ない、夜の笑い方だ。


 その顔を見ていると、こうして膝の距離を詰めてくること自体が、彼女なりの機嫌の良さや安心の表れなのかもしれないと思えてくる。


 会話が途切れても、もう気まずくはない。


 むしろ、隣に座って、少しだけ近い状態で、同じ画面を見ているだけで成立してしまうのが厄介だった。


 しばらくして、黒瀬がぽつりと呟く。


「……あんた、意外とちゃんと男なんだ」


「何その感想」


「だって、前はもっと無反応かと思ってたし」


「無反応でいられるわけないだろ」


「ふーん」


「そこで満足そうにするな」


「別に満足してないし」


 でも、満足している顔だった。


 少なくとも、不安そうではない。


 昼に栞の存在でざわついていたぶん、今夜はこうして自分の近さをちゃんと確かめたかったのかもしれない。


 そう思うと、たかが膝の距離ひとつに、いろんな意味が乗りすぎていて笑える。


 いや、笑えないかもしれない。


 普通に危ない。


 その夜、結局最後まで二人は同じソファで動画を見続けた。


 黒瀬は途中で何度かまた“たまたま”を装って距離を詰め、そのたびに湊がわずかに固まるのを楽しんでいた。


 露骨ではない。

 でも、十分に理性に悪い。


 帰る頃には、湊は軽く疲れていた。


 精神的に。


 玄関で靴を履く黒瀬を見ながら、思わず言う。


「……次から椅子座る」


「なんで」


「今日のでよくわかった。ソファ危ない」


「何が」


「いろいろ」


「ふーん」


 黒瀬はそこで、いたずらっぽく少しだけ笑った。


「でも、またソファ座るじゃん」


「座らない」


「絶対座るし」


「なんでそう言い切れるんだよ」


「だって朝比奈、そういうとこ甘いし」


 言い返せない。


 そのことがいちばん腹立たしかった。


「……たまには外れるといいな、その予想」


「外れないし」


 そう言って、黒瀬はドアの前で少しだけ振り返る。


「今日の朝比奈、ちょっと面白かった」


「最低だな」


「知ってる」


 でも、その笑顔は完全に夜の黒瀬だった。


 ギャルは“偶然”を装って、膝の距離を詰めてくる。


 それがどれだけ理性に悪いかを、たぶん本人は半分くらいしかわかっていない。


 ……いや、最近は七割くらいはわかっていて、わかった上でやっている気もした。

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