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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.156 ただいまと言われた机で、白瀬は少し笑う

 翌日の昼休み、藤堂莉子は教室の扉を開けるなり、片手を上げた。


「ただいまー」


 黒瀬琉衣奈は、机に置いた焼きそばパンの袋を開ける手を止めた。


「莉子」


「何?」


「昨日のやつをネタにするな」


「ネタじゃないよ。定着確認」


「確認って言えば許されると思うな」


「便利だから」


「便利にするな」


 莉子は笑いながら、自分の机をいつもの位置へ少し寄せた。


 昨日、昼の机は五分だけ解散した。


 莉子は購買へ行き、白瀬栞は図書委員の用事へ行き、朝比奈湊は先生にプリントを届けに行った。


 黒瀬だけが残された机は、少し広かった。


 だから黒瀬は、余白に書いてしまった。


 ――戻れる場所は、一人だと少し広い。


 そのあと、莉子が「ただいま」と戻ってきた。


 白瀬が「戻りました」と帰ってきた。


 湊が「戻った」と机へ戻ってきた。


 そして四つの机がまた寄せられた時、黒瀬はこうも書いた。


 ――でも、戻ってくるとちょうどよくなる。


 今朝、その一行を見返して、まだ少し恥ずかしかった。


 それなのに、莉子は昼休みの第一声から「ただいま」と言った。


 完全に狙っている。


「るいな、顔赤い」


「赤くない」


「赤い」


「赤くない」


「戻れる場所にただいまって言われた顔」


「そんな顔ない」


「ある」


 莉子は普通ノートを開きかけた。


 黒瀬が睨む。


「書くな」


「まだ書いてない」


「顔が書いてる」


「最近、るいなも顔読みの精度上がってるよね」


「莉子のせい」


「成長です」


「悪影響」


 そのやり取りを聞きながら、白瀬が静かに席へやってきた。


 今日も髪には、黒瀬が選んだヘアピンが留まっている。


 昼の光を受けて、細く光った。


「白瀬さん、おかえりー」


 莉子が言う。


 白瀬は一瞬、足を止めた。


 それから、ほんの少しだけ考えるように目を伏せる。


 黒瀬はその様子を見た。


 何か言う気がした。


 そして、たぶんそれは少し強いやつだ。


 白瀬は机の近くまで来ると、小さな声で言った。


「ただいま、です」


 黒瀬は固まった。


 莉子も固まった。


 湊はちょうど自分の席からパンを持って戻ってきたところで、その言葉を聞いて足を止めた。


 白瀬は三人の反応を見て、少しだけ頬を赤くする。


「言ってみたかったので」


「白瀬」


 黒瀬はやっと声を出した。


「何でしょう」


「それ、強い」


「強かったでしょうか」


「強い。かなり」


 莉子が口元を押さえている。


「やばい。白瀬さんの『ただいま、です』は破壊力ある」


「藤堂さん、破壊力とは」


「かわいさと照れの総合火力です」


「火力」


 白瀬は困ったように首を傾げる。


 湊が少し笑った。


「白瀬さんが言うと、すごく丁寧なただいまだな」


「朝比奈くんまで」


 白瀬はさらに少し赤くなった。


「普通の言葉なのに、少し難しいですね」


「いや、白瀬が言うから」


 黒瀬はそこまで言って、口を閉じた。


 白瀬がこちらを見る。


「私が言うから?」


「……何でもない」


「気になります」


「気にするな」


「はい」


 白瀬は素直に引いた。


 その素直さが、また黒瀬には少し照れくさい。


 莉子は普通ノートに手を伸ばしていた。


 黒瀬が即座に止める。


「莉子、書くな」


「これは無理じゃない?」


「無理じゃない」


「白瀬さんのただいま記念日だよ?」


「記念日にするな」


「じゃあ普通ノートに一行だけ」


「だめ」


 黒瀬が強く言うと、莉子はペンを止めた。


 しかし白瀬が、静かに言った。


「私は、書かれても大丈夫です」


 黒瀬は驚いて白瀬を見た。


「いいの?」


「はい。ただ、藤堂さんに書かれる前に、自分で書いておきたいです」


 白瀬は自分のノートを開いた。


 いつもの整ったページ。


 ただ、昨日からそこにはまだ見せない一行があり、消した跡も残っている。


 白瀬は新しい余白に、丁寧に一行を書いた。


 それから、少しだけ恥ずかしそうにノートを四人の真ん中へ向ける。


 ――ただいまと言える机があるのは、少し不思議です。


 誰もすぐには茶化さなかった。


 莉子も、普通ノートを開いたまま止まっている。


 湊は静かにその一行を読んだ。


 黒瀬は、なぜか胸の奥がきゅっとした。


 ただいま。


 昨日までは、家で言う言葉だと思っていた。


 もしくは、誰かが帰ってきた時に軽く口にする言葉。


 でも、白瀬が書くと違った。


 机にも言える言葉になる。


 戻れる場所に帰ってきた時の言葉になる。


「白瀬」


「はい」


「それ、消さないで」


 黒瀬は自然に言っていた。


 白瀬は少しだけ目を丸くする。


 それから、静かに頷いた。


「消しません」


「ならいい」


 莉子が小さく息を吐いた。


「今の、めっちゃ書きたい」


「莉子」


「でも、白瀬さんが自分で書いたから、私は別角度で書く」


「別角度って何」


「観測者として」


「観測するな」


 莉子は普通ノートに一行書いた。


 ――白瀬さんが「ただいま」を自分で書いた。これは大事。


 黒瀬が横から見る。


「それは……まあ」


「許可?」


「半分」


「便利」


「便利にするな」


 湊は保留ノートを取り出した。


 無地の表紙。


 まだ名前のないノート。


 黒瀬の視線が自然にそちらへ向く。


「書くの?」


「うん」


「見せるやつ?」


「見せるやつ」


 湊は少し考えてから、一行書いた。


 そして四人の机の真ん中へ置く。


 ――ただいまが増えると、机が少し部屋みたいになる。


 黒瀬は読んだ瞬間、顔が熱くなった。


「朝比奈」


「うん」


「部屋と混ぜるな」


「混ぜたつもりはないけど」


「混ざってる」


「そう見えた?」


「見えた」


 黒瀬は湊のノートを睨む。


 昼の机。


 夜の湊の部屋。


 どちらも戻れる場所になりかけている。


 でも、同じではない。


 昼の机は四人の場所だ。


 白瀬がいて、莉子がいて、湊がいて、自分がいる。


 少し騒がしくて、少し逃げやすくて、ノートが机の上に並ぶ。


 夜の部屋は、二人だけだ。


 カフェラテ。

 クッション。

 保留ノート。

 見せない二行。


 近さが違う。


 だから、混ぜられると困る。


 でも、湊の一行は間違っていない気もする。


 ただいまが増えると、机が少し部屋みたいになる。


 たしかに、昨日より今日の机は、少しだけ帰ってくる場所っぽい。


「……ずるい」


 黒瀬は小さく言った。


 湊は頷く。


「今日も?」


「今日も」


「消さない」


「まだ言ってない」


「言うかと思って」


「予測するな」


 黒瀬は顔を赤くしたまま言う。


「消さないで」


「うん」


「見せない二行も?」


「消してない。増えてない」


「白瀬の一行も?」


 白瀬が静かに答える。


「消しません」


「莉子の普通ノートも?」


「消さないよ。これは消せない」


 莉子が言う。


「ならいい」


 黒瀬は頷いた。


 昼食の時間は、その後も少し不思議な照れくささを残したまま続いた。


 莉子は購買で買ったパンを食べながら、時々「ただいまー」と小声で言って黒瀬に睨まれた。


 白瀬はそのたびに少し笑う。


 湊はパンを食べながら、保留ノートの一行をときどき見ている。


 黒瀬は焼きそばパンの袋を折りながら、自分のノートに何を書くか迷っていた。


 ただいま。


 おかえり。


 戻りました。


 戻った。


 同じようで、少しずつ違う。


 莉子のただいまは、明るくて少し騒がしい。


 白瀬のただいまは、丁寧で少し照れている。


 湊の戻ったは、短くて当たり前みたいに残る。


 自分は、何と言うのだろう。


 黒瀬は余白に一行書いた。


 ――ただいまって言われると、おかえりって返す場所になる。


 書いてから、しばらく見つめる。


 これは、見せてもいい気がした。


 黒瀬はノートを少しだけ四人へ向ける。


 莉子が読んで、目を丸くした。


「るいな、それいい」


「普通に言うな」


「いや、いい」


「二回言うな」


 白瀬も静かに頷いた。


「おかえりと言える場所でもあるんですね」


「白瀬、広げるな」


「すみません」


「でも、たぶんそう」


 湊はその一行を読んで、小さく笑った。


「黒瀬は、今日おかえり側だったな」


「言うな」


「でも、莉子さんにも白瀬さんにも、俺にも待ってた」


「待ってない」


「待ってた」


「待ってない」


「一人だと広いって書いたのに?」


 黒瀬は言葉に詰まった。


 莉子がにやにやする。


 白瀬も少しだけ微笑む。


「……待ってたかも」


 黒瀬は小さく言った。


 言ってから、すぐに顔を赤くする。


「今のなし」


「無理」


 三人の声がほぼ重なった。


「全員で言うな!」


 黒瀬が怒る。


 けれど、昼の机は少しだけ明るくなった。


 放課後。


 四人は少しだけ教室に残った。


 机はまだ寄せたまま。


 白瀬がノートを見返している。


 莉子は普通ノートの今日のページに丸をつけている。


 湊は保留ノートを閉じて、無地の表紙を指で押さえている。


 黒瀬は余白ノートを開いていた。


 今日の一行が、いくつかある。


 ――ただいまと言える机があるのは、少し不思議です。

 これは白瀬の一行。


 ――ただいまが増えると、机が少し部屋みたいになる。

 これは湊の一行。


 ――ただいまって言われると、おかえりって返す場所になる。

 これは自分の一行。


 莉子の普通ノートには、きっとまた莉子らしい言葉が残っている。


「何かさ」


 莉子が言った。


「今日、言葉だけ見ると家みたいだよね」


「またそれ」


 黒瀬が警戒する。


「ただいま、おかえり、戻りました、戻った」


「部屋と混ぜるなって言った」


「でも家っていうより、仮部室?」


「仮部室?」


 湊が聞く。


「うん。正式名称はないけど、何となく集まる場所」


 白瀬が少し考える。


「仮部室、少し近いかもしれません」


「白瀬まで」


 黒瀬が驚く。


「ただ、部室ではありませんね」


「真面目に訂正した」


 莉子が笑う。


 黒瀬は少しだけ考えてから言った。


「名前はまだいらない」


 全員が黒瀬を見る。


 黒瀬は顔を赤くする。


「何」


「いや」


 湊が言う。


「それ、いいなと思って」


「普通に言うな」


「でも、いい」


「二回言うな」


 白瀬はノートに一行書いた。


 ――名前がなくても、ただいまと言える場所はある。


 黒瀬はそれを見て、何も言えなくなった。


 莉子も普通ノートに書く。


 ――仮部室ではない。でも、ただいま机。


「莉子、それは却下」


 黒瀬が即座に言う。


「えー、ただいま机かわいいじゃん」


「却下」


「じゃあ心の中だけで呼ぶ」


「それもやめて」


「無理」


 湊は少し笑い、保留ノートを開いた。


「俺ももう一行」


「見せるやつ?」


 黒瀬が聞く。


「見せるやつ」


 湊は書いた。


 ――名前がないから、ただいまだけが先に増えていく。


 黒瀬は読んで、また顔を赤くした。


「朝比奈」


「うん」


「今日、そういうの多い」


「そうかも」


「ずるい」


「うん」


「うんじゃない」


 それでも黒瀬は、小さく言った。


「消さないで」


「消さない」


 夜。


 黒瀬は湊の部屋でカフェラテを飲みながら、昼の机の話をした。


「白瀬のただいま、強かった」


「強かったな」


「莉子がずっと書きたそうだった」


「書いてたけどな」


「普通ノートにね」


「うん」


「朝比奈の、机が部屋みたいになるってやつ」


「うん」


「……混ぜるなって言ったけど」


「うん」


「少しわかるのがむかつく」


 湊は笑わなかった。


 ただ、静かに頷いた。


「昼の机も、夜のここも、戻れる場所にはなってきてると思う」


「同じじゃない」


「うん。同じじゃない」


「そこ大事」


「大事だな」


 黒瀬は少しだけ安心した。


 湊が同じではないと言ってくれたからだ。


 昼の机には昼の距離がある。


 夜の部屋には夜の距離がある。


 どちらも戻れる場所で、でも同じではない。


「消してない?」


「消してない。増えてない」


「紙には?」


「今日の見せてもいい一行が二つ増えた」


「ただいまのやつ?」


「うん」


「消さないで」


「消さない」


 黒瀬はカフェラテを飲んだ。


「明日も、机に戻る?」


「たぶん」


「ただいまって言う?」


「誰が?」


「……あたし」


 言ってから、黒瀬は自分で固まった。


 湊も少しだけ目を見開く。


 黒瀬はクッションを抱きしめた。


「今のなし」


「無理」


「早い」


「それは無理」


「朝比奈」


「でも、言いたくなったらでいい」


 黒瀬は少しだけ黙った。


 それから、小さく頷く。


「……うん」


 ただいまと言われた机で、白瀬は少し笑った。


 莉子はそれを普通ノートに残した。


 湊は保留ノートに書いた。


 黒瀬は、おかえりと言える場所になっていることに気づいた。


 名前はまだない。


 でも、ただいまだけが少しずつ増えていた。

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