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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.147 待機中のギャルは、準備中の男子を急かさない

 翌朝、黒瀬琉衣奈は自分のノートを開いて、昨日の一行を見返していた。


 ――まだ来ない。でも準備中らしい。こっちは待機中。


 見れば見るほど、少し変な一行だ。


 待機中。


 何かの機械みたいだし、画面の端に表示される通知みたいでもある。


 でも、今の自分には妙に合っている気がした。


 朝比奈湊の見せない二行は、まだ来ない。


 けれど、来る準備はしているらしい。


 だから自分も、受け取る準備をする。


 ……受け取る準備。


 それを考えた瞬間、黒瀬は少しだけ顔を赤くした。


 何を準備すればいいのか、正直わからない。


 深呼吸か。

 カフェラテか。

 クッションか。

 逃げない覚悟か。


 いや、最後だけ急に重い。


「……無理」


 思わず小さく呟くと、隣の席から白瀬栞が顔を上げた。


「黒瀬さん、おはようございます」


「……おはよ」


「今、無理と聞こえました」


「聞こえすぎ」


「すみません」


「謝るの早い」


 黒瀬はノートを少しだけ伏せる。


 白瀬は覗こうとはしない。


 ただ、穏やかに黒瀬を見た。


「昨日の一行のことですか」


「……どっちの」


「朝比奈くんの準備中の一行と、黒瀬さんの待機中の一行です」


「白瀬、もう全部わかってるみたいに言う」


「全部はわかりません」


「じゃあ何でそこまで当てるの」


「黒瀬さんが、昨日より少し落ち着いているけれど、まだ困っている顔をしていたので」


「顔、情報量多すぎ」


 白瀬は少しだけ笑った。


「受け取る準備は、難しいですね」


 黒瀬は固まった。


「……何でそこまで行くの」


「昨日、朝比奈くんがそう言っていたので」


「言ってたけど」


「黒瀬さんは、それを考えているように見えました」


「見えすぎ」


「はい」


「認めるな」


 黒瀬はノートの端を指で押さえた。


 白瀬は自分のノートを開き、余白に何かを書きかけて、少し止まった。


「白瀬も書くの?」


「少しだけ」


「見せるやつ?」


「まだわかりません」


「……そっか」


 黒瀬は、それ以上聞かなかった。


 少し前なら、気になっていたかもしれない。


 いや、今も気になる。


 でも、すぐに聞かないこともできるようになった。


 白瀬が少しだけ微笑む。


「黒瀬さん、今、待ってくれましたね」


「言うな」


「すみません」


「でも、まあ」


 黒瀬は視線を逸らした。


「待機中だから」


 言ってから、恥ずかしくなった。


 白瀬は静かに笑った。


「良い言葉だと思います」


「普通に言うな」


「本当なので」


「出た」


 そこへ莉子が教室へ入ってきた。


「おはよー。朝から本当なのでが聞こえた気がした」


「莉子、耳も良くなってる」


 黒瀬が言う。


「顔だけじゃなく耳も育った」


「育てるな」


 莉子は席に鞄を置き、普通ノートを出した。


 ツッコミ帳ではない。


 最近、莉子が普通ノートを出すことにも、少し慣れてきた。


「今日は何の日?」


 莉子が聞く。


「何が」


「るいなの顔。昨日は待機中だったでしょ。今日は?」


「分類するな」


「いや、気になるじゃん」


 黒瀬は少しだけ迷った。


 答えないこともできる。


 でも、言葉にした方が少し楽になる気もした。


「……受け取り方、考える日」


 莉子は、珍しくすぐに茶化さなかった。


 白瀬も黙っている。


 黒瀬は自分で言って、さらに顔が熱くなった。


「今のなし」


「無理」


 莉子が即答した。


「でも、書かない」


「え」


「これは、まだ書かないやつっぽい」


 莉子は普通ノートを開いたまま、ペンを置いた。


「るいなの受け取り方は、るいなが書くやつでしょ」


 黒瀬は少し驚いた。


 莉子がこういうことを言うのは、最近増えてきた。


 軽いのに、妙にちゃんと見ている。


「……莉子」


「何?」


「たまにちゃんとしてる」


「たまにじゃなくて常にちゃんとしてるよ」


「それはない」


「ひど」


 莉子は笑った。


 その時、湊が教室に入ってきた。


「おはよう」


「……おはよ」


「おはようございます」


「おはよ、朝比奈くん」


 湊は鞄を置き、いつものように黒瀬を見る。


 黒瀬は先に言った。


「今日は聞いてない」


「うん」


「でも、報告は?」


 自分で言った。


 言ってから、黒瀬は少し固まった。


 湊は少しだけ表情をやわらげた。


「消してない。増えてない。紙にも増えてない」


「……うん」


「昨日の準備中の一行も消してない」


「そこまで言うな」


「必要かと思って」


「必要だけど」


 黒瀬は顔を赤くした。


 莉子が普通ノートへ手を伸ばしかけて、止める。


「書かないの?」


 白瀬が聞くと、莉子は小さく頷いた。


「今のは、黒瀬本人の余白待ち」


「なるほど」


「納得するな」


 黒瀬がむくれる。


 でも、少し嬉しかった。


 自分の余白を待ってもらえる。


 それは、思っていたより悪くない。


 昼休み。


 四人で机を寄せた。


 テスト返却の余韻も少し落ち着き、教室の空気はいつもの昼に戻っている。


 莉子は購買のパンを開けながら言った。


「受け取る準備ってさ」


「まだ引っ張る?」


 黒瀬が睨む。


「引っ張るよ。だって気になるし」


「莉子」


「でも茶化さない。真面目半分」


「半分なんだ」


「全部真面目だと私が死ぬ」


「弱い」


 莉子は少し笑ってから、言葉を選ぶように続けた。


「受け取る準備って、リアクションを決めておくことじゃない気がする」


 黒瀬は手を止めた。


 白瀬も莉子を見る。


 湊も、少しだけ姿勢を正した。


「じゃあ何」


 黒瀬が聞く。


「変な顔しても逃げないこと?」


「……それ、昨日言ったやつ」


「うん。るいな、自分で言ってたじゃん。変な顔するかもって」


「言ったけど」


「でも、変な顔してもいいんじゃない? 顔に出るの、全部悪いわけじゃないって話、前にしてたし」


 黒瀬は黙った。


 自分の言葉が戻ってくる。


 顔に出るのは嫌だった。


 照れも、不安も、嬉しさも、全部読まれるから。


 でも、届くなら悪くないかもしれない。


 そう思い始めている。


 白瀬が静かに言った。


「受け取る準備は、きれいに受け取る準備ではないのかもしれませんね」


「白瀬」


「はい」


「それ、強い」


「すみません」


「謝るの早い」


 湊は少し考えてから言った。


「黒瀬が変な顔しても、俺は笑わない」


「笑わないって言うな」


「うん」


「でも、ちょっと笑うかもって前に言った」


「嬉しそうだったら、少し」


「最低」


「でも、雑にはしない」


 黒瀬はパンの袋を指で折った。


「……ならいい」


 莉子が普通ノートを開いた。


「今のは書いていい?」


「名前出さないなら」


「了解」


 莉子は書いた。


 ――受け取る準備は、きれいなリアクションを決めることじゃないらしい。


 白瀬がその一行を見て頷く。


「良い一行ですね」


「白瀬さんに言われると、やっぱ嬉しい」


「本当なので」


「出た」


 黒瀬と莉子が同時に言った。


 湊が笑う。


 黒瀬が睨む。


「笑うな」


「今のは無理」


「無理って言うな」


 いつもの空気に戻る。


 でも、黒瀬の中には莉子の一行が残った。


 受け取る準備は、きれいなリアクションを決めることじゃない。


 なら、少しだけ楽だ。


 変な顔をしてもいい。

 逃げたくなってもいい。

 たぶん怒ってもいい。

 嬉しくても、怖くてもいい。


 それでも、なかったことにしなければいい。


 放課後。


 黒瀬は自分の余白ノートを開いた。


 今日の授業内容の下。


 空いている場所に、少し迷ってから書いた。


 ――受け取る準備。変な顔しても逃げないこと。たぶん。


 書いてから、しばらく見つめる。


 これなら、見せてもいい気がした。


 黒瀬は湊の席へ行った。


「朝比奈」


「何?」


「今日、見せるやつ」


 湊は少しだけ驚いた。


 黒瀬はノートを向けた。


 湊はその一行を読んだ。


 ――受け取る準備。変な顔しても逃げないこと。たぶん。


 湊はすぐには何も言わなかった。


 ちゃんと読んでいる。


 それがわかった。


「……いいと思う」


「普通に言うな」


「でも、いいと思った」


「二回言うな」


 黒瀬は顔を赤くする。


 湊は静かに続けた。


「逃げてもいいけど」


「え?」


「逃げたくなったら、逃げてもいい」


 黒瀬は目を丸くした。


 湊は少しだけ笑う。


「その時は、追わずに待つ」


 黒瀬は何も言えなくなった。


 ずるい。


 かなりずるい。


 逃げてもいい。


 追わずに待つ。


 その言葉で、逆に逃げにくくなる。


「……そういうの」


「うん」


「ずるい」


「今日も?」


「今日も」


 莉子が遠くから見ていて、普通ノートを開きかけた。


 白瀬がそっと首を横に振る。


 莉子は少し迷って、ノートを閉じた。


「今のは、心に保存?」


 白瀬が小声で聞く。


「うん」


 莉子も小声で返した。


「たぶん、黒瀬の余白に残るやつ」


 その夜。


 黒瀬は湊の部屋で、カフェラテを両手で包みながら、昼に書いた一行をもう一度見せた。


 湊は保留ノートを開いた。


「書くの?」


「うん」


「見せるやつ?」


「見せるやつ」


 湊は少し考えてから、一行書いた。


 黒瀬に向ける。


 ――黒瀬が逃げてもいいように、待てる場所を残しておきたい。


 黒瀬は、その一行を見て固まった。


「……朝比奈」


「うん」


「それ、今日の中で一番ずるい」


「そうか」


「そう」


 黒瀬はクッションを抱きしめた。


「逃げてもいいって言われると」


「うん」


「逃げにくい」


「そうかもな」


「わかってて言った?」


「半分くらいは」


「禁止」


 湊は少し笑った。


 黒瀬は顔を赤くしたまま、ノートを見つめる。


「消さないで」


「消さない」


「見せない二行も?」


「消してない。増えてない」


「紙には?」


「今日の一行だけ」


「ならいい」


 黒瀬はカフェラテを飲む。


「受け取る準備、まだできてない」


「うん」


「でも、前より少し考えられる」


「うん」


「変な顔しても、逃げても、待つ?」


「待つ」


「普通に言うな」


「でも、そう決めてる」


「ずるい」


 黒瀬は小さく笑った。


 会いに行く準備の次に、受け取る準備が始まった。


 それは、きれいに笑う準備ではない。


 完璧な返事を用意することでもない。


 変な顔をしてもいい。

 逃げたくなってもいい。

 それでも、なかったことにしないこと。


 黒瀬琉衣奈は、まだ少し不器用なまま、その準備を始めていた。

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