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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.142 確認テスト当日、ギャルは自分の余白を信じる

確認テスト当日の朝、黒瀬琉衣奈はいつもより少しだけ早く教室に着いた。


 理由は、寝坊しなかったから。


 それだけだ。


 別に緊張して早く目が覚めたわけではない。

 テストが気になって眠りが浅かったわけでもない。

 朝比奈湊の保留ノートのことを考えていたわけでもない。


 ……たぶん。


 教室に入ると、まだ人は少なかった。


 窓際の席で、白瀬栞がノートを開いている。


 いつもの整った背筋。

 いつもの静かな横顔。

 そして今日も、髪には黒瀬が選んだヘアピン。


「……おはよ」


「おはようございます、黒瀬さん」


 白瀬は顔を上げると、すぐに少しだけ表情を和らげた。


「今日は早いですね」


「たまたま」


「そうですか」


「そう」


 黒瀬は自分の席に鞄を置き、ノートを出した。


 昨日の最後のページを開く。


 確認テスト前日のまとめ。

 白瀬が整理してくれた範囲。

 湊の雑だけど妙に入ってくる説明。

 莉子の「前日の私は強い」という意味のわからない宣言。

 そして余白に書いた一行。


 ――全部は見せない。でも、机には並ぶ。


 自分で書いたのに、見返すと少し照れる。


 けれど、悪くない一行だった。


 白瀬が静かに言う。


「昨日のノート、見直していますか」


「うん」


「不安ですか?」


「……半分」


「半分なら、大丈夫かもしれませんね」


「何で」


「もう半分は、準備できているということなので」


 黒瀬は返事に詰まった。


 朝から白瀬は強い。


「白瀬」


「はい」


「テスト当日の朝にそういうの言うの、ずるい」


「すみません」


「謝るの早い」


 白瀬は少しだけ笑った。


 その笑顔を見て、黒瀬はノートの端に書きそうになった。


 ――白瀬、朝から強い。


 でも今日は書かなかった。


 今は、書くより読む。


 自分のノートを読む。


 この余白に残っている自分の言葉を信じる。


 少し遅れて、莉子が教室に飛び込んできた。


「おはよー! 前日の私は死んだ! 今日の私は本番の私!」


「朝からうるさい」


 黒瀬が即答する。


「るいな冷たい」


「昨日寝た?」


「寝た。単語帳を枕元に置いて、心で暗記した」


「それ暗記してない」


「心が覚えてるかも」


「覚えてない」


 莉子は席に鞄を置き、普通ノートを取り出した。


 ツッコミ帳ではない。


 ここ数日で存在感を増している、莉子の普通ノート。


 莉子はそれを開きながら、少しだけ真面目な顔になった。


「でも、昨日のまとめは見た」


「ほんと?」


「ほんと。白瀬さんの範囲メモと、朝比奈くんの目的地の話と、るいなの『問題文は敵』」


「それは莉子が言ったやつ」


「あれ、そうだっけ」


「そう」


 白瀬が訂正する。


「正確には、藤堂さんが『問題文は敵国の密書』と言いました」


「白瀬さん、そこ覚えてるの?」


「印象的でしたので」


「変なところ覚えられた」


 莉子が笑う。


 黒瀬も少しだけ笑った。


 その時、湊が教室に入ってきた。


「おはよう」


「……おはよ」


「おはようございます」


「おはよ、朝比奈くん」


 湊は鞄を机に置いたあと、黒瀬を見る。


 黒瀬はすぐに言った。


「今日は聞いてない」


「うん」


「でも?」


 莉子が横から割り込む。


 湊は少し苦笑して答えた。


「消してない。増えてもない。紙にも増えてない」


 黒瀬の顔が熱くなる。


「だから、本人が朝から言うなって」


「言った方が落ち着くかと思って」


「落ち着くけど」


 言ってから、黒瀬は固まった。


 莉子が口を押さえる。


「書きたい」


「書くな」


「普通ノートなら?」


「だめ」


「じゃあ心に保存」


「それもやめて」


 白瀬が静かに微笑んだ。


「黒瀬さん、今日は安心を受け取るのが少し早くなっていますね」


「白瀬まで」


「良いことだと思います」


「普通に褒めるな」


 黒瀬は顔を赤くしてノートを閉じた。


 もうすぐテストが始まる。


 ノートはしまわなければならない。


 机の上には、筆記用具だけ。


 全部は見せない。

 でも、机には並んだ。


 そして今は、机から消える。


 ノートを鞄にしまう時、黒瀬は少しだけ指を止めた。


 自分の余白ノート。

 白瀬の一行ノート。

 莉子の普通ノート。

 湊の保留ノート。


 テスト中は、どれも見られない。


 でも、なかったことにはならない。


 ちゃんと、自分の中に残っている。


 チャイムが鳴った。


 確認テストが始まった。


 最初は英語だった。


 黒瀬は問題用紙を受け取り、名前を書いた。


 深呼吸を一つ。


 問題文を見る。


 以前なら、文字の塊に見えたかもしれない。


 日本語のふりをした敵。


 英語の顔をした壁。


 けれど今日は、少し違った。


 まず最後を見る。


 何を聞かれているか。


 目的地。


 湊の声が頭に浮かぶ。


 ――問題文の最後を見る。そこが目的地。


 黒瀬は小さく丸をつけた。


 それから本文へ戻る。


 白瀬の整理が頭の中にある。


 この表現は昨日見た。

 ここはひっかけ。

 これは順番を間違えなければ大丈夫。


 莉子が言っていた「心で暗記」はたぶん役に立たない。


 でも、莉子が普通ノートに書いた単語は、たぶん莉子の中には残っている。


 そんなことを思って、黒瀬は少しだけ笑いそうになった。


 慌てて顔を戻す。


 テスト中に笑うのはおかしい。


 でも、不思議と手は動いた。


 全部わかるわけではない。


 迷う問題もある。


 けれど、真っ白にはならなかった。


 余白ノートの中の言葉が、頭の中で道しるべになっている。


 符号は裏切らない。

 問題文は敵っぽいけど、目的地はある。

 白瀬の説明は地図。

 朝比奈の説明は雑だけど入る。

 莉子はうるさいけど、場を軽くする。


 最後のは英語に関係ない。


 でも、少し落ち着いた。


 英語が終わり、次は数学。


 数学の問題用紙を開いた瞬間、黒瀬は一瞬だけ固まった。


 見覚えのある形式。


 昨日、白瀬が「最後の符号に注意」と言った問題に近い。


 黒瀬は余白に小さく計算を書く。


 公式を選ぶ。

 途中式を書く。

 最後の符号を見る。


 ――符号は裏切らないらしい。


 自分のノートの一行が浮かぶ。


 黒瀬は少しだけ口元を引き締めた。


 大丈夫。


 たぶん。


 少なくとも、前よりは。


 テストが終わると、教室中に一斉に息が戻った。


「終わったー!」


 莉子が机に突っ伏す。


「生きてる?」


 黒瀬が聞く。


「半分」


「便利にするな」


「でも、前より解けた気がする」


「ほんと?」


「うん。心で暗記したところ以外」


「そこはだめだったんだ」


「やっぱ心だけじゃ足りなかった」


「当たり前」


 莉子は顔だけ上げて、普通ノートを撫でた。


「でも普通ノートは効いた」


 白瀬が微笑む。


「良かったです」


「白瀬先生のおかげ」


「先生ではありません」


「今日くらいは言わせて」


「では、今日だけ」


「許された」


 莉子が小さくガッツポーズをする。


 湊は黒瀬の方を見た。


「どうだった?」


「……半分」


「それは、できた半分?」


「できた半分と、わかんない半分」


「普通だな」


「普通って言うな」


「でも、真っ白にはならなかった?」


 黒瀬は少し黙った。


 それから、小さく頷いた。


「ならなかった」


 湊の表情が少し柔らかくなる。


「よかった」


「普通に言うな」


「でも、よかった」


「二回言うな」


 黒瀬は顔を赤くしてノートを出した。


 テストが終わった瞬間、ノートを開きたくなった。


 答え合わせではない。


 今の感覚を残したかった。


 余白に一行書く。


 ――テスト中、ノートは見えないのに、少しあった。


 書いてから、自分で少しだけ驚いた。


 今日の一行は、ちょっと白瀬っぽい。


 白瀬がそれに気づく。


「黒瀬さん、書きましたか」


「書いた」


「見せてもいい一行ですか」


 黒瀬は少し迷った。


 それから、ノートを四人の真ん中へ向けた。


 莉子が読む。


 湊が読む。


 白瀬が読む。


 誰もすぐには茶化さなかった。


「……いいじゃん」


 莉子が静かに言った。


「テスト中、ノートは見えないのに、少しあった」


 湊が繰り返す。


 黒瀬は顔を赤くする。


「読むな」


「ごめん。でも、いい一行だと思った」


「言うと思った」


 白瀬も頷いた。


「黒瀬さんのノートが、ちゃんと黒瀬さんの中に残っていたんですね」


「白瀬、そういうの本当に普通に言う」


「本当なので」


「出た」


 莉子が普通ノートを開く。


「これは書く」


「名前出す?」


 黒瀬が聞く。


「出す」


「……まあ、いい」


 莉子が少し驚いた。


「いいの?」


「今日のはいい」


「やった」


 莉子は書いた。


 ――黒瀬、テスト中に自分の余白を持っていけたらしい。


「莉子」


「何?」


「ちょっと表現盛ってない?」


「盛ってない。文学」


「急に文学」


 白瀬が少し笑った。


「でも、良い表現だと思います」


「白瀬さんに認められた」


 湊は保留ノートを鞄から出した。


 黒瀬の視線がすぐに向く。


「書くの?」


「書く」


「見せるやつ?」


「見せるやつ」


 湊は一行書いた。


 そして、黒瀬に向ける。


 ――黒瀬は、テスト中も自分の余白を少し信じていた。


 黒瀬は固まった。


「……朝比奈」


「うん」


「莉子と似たこと書くな」


「見えたから」


「普通に言うな」


「でも、本当にそう見えた」


「本当なら余計」


 黒瀬は顔を赤くしながら、湊の保留ノートを見た。


 見せてもいい一行。


 また増えた。


 でも、今日は嫌ではない。


「消さないで」


「消さない」


「見せない二行も?」


「消してない。増えてもない」


「紙には?」


「今の一行だけ増えた」


「報告が完璧になってきた」


「必要かと」


「必要」


 黒瀬は即答した。


 もう半分とは言わなかった。


 言ってから、顔を赤くする。


 莉子が普通ノートに書きかける。


 黒瀬が睨む。


「莉子」


「はい、今のは心に保存」


「それも怖い」


「無理」


 放課後は、テスト後の開放感で教室が騒がしかった。


 部活へ行く生徒。

 すぐ帰る生徒。

 答え合わせをして一喜一憂する生徒。


 四人は少しだけ教室に残った。


 答え合わせはしないことにした。


 莉子が「今答え合わせすると、私の寿命が縮む」と言ったからだ。


「じゃあ今日は解散?」


 湊が言う。


「夜」


 黒瀬が小さく言った。


「カフェラテ?」


「当然」


「テスト終わったから?」


「それもある」


「もう半分は?」


「……今日の一行の文句」


「文句あるのか」


「ある」


「そっか」


 湊は笑った。


 黒瀬は睨む。


「笑うな」


「まだ笑ってない」


「顔」


「顔か」


「顔」


 莉子が普通ノートに小さく書いた。


 ――顔会話、テスト後も健在。


「莉子」


「これは安全」


「安全基準がわからない」


 白瀬は自分のノートを開き、静かに一行書いた。


 ――確認テストは終わった。けれど、残ったのは点数だけではなかった。


 黒瀬がそれを少し見て、言う。


「白瀬、今日も強い」


「すみません」


「謝るの早い」


 夜。


 黒瀬はいつものように湊の部屋へ来た。


 テストが終わったからか、少しだけ肩の力が抜けている。


 ソファに座り、カフェラテを両手で包む。


「終わった」


「お疲れ」


「普通に労うな」


「でも、お疲れ」


「二回言うな」


 黒瀬は少しだけ笑った。


 湊は保留ノートをテーブルに置く。


 今日増えた一行がある。


 ――黒瀬は、テスト中も自分の余白を少し信じていた。


「これ」


 黒瀬が言う。


「うん」


「ちょっと恥ずい」


「うん」


「でも、嬉しい」


 湊は黙って聞いた。


 黒瀬はカップを見つめる。


「自分のノート、テスト中は見えないのに」


「うん」


「頭の中にちょっとあった」


「うん」


「だから、これ、たぶん本当」


「そっか」


「普通に受け取るな」


「でも、受け取りたかった」


「ずるい」


「今日も?」


「今日も」


 黒瀬はカフェラテを飲んだ。


 そして、小さく言った。


「消さないで」


「消さない」


「見せない二行も」


「消してない。増えてもない」


「いつか見せる?」


「うん」


「ならいい」


 確認テスト当日、ギャルは自分の余白を少し信じた。


 ノートは机の上になかった。


 けれど、書いた言葉は頭の中に残っていた。


 白瀬の説明も、莉子の普通ノートも、湊の保留ノートも。


 全部は見えない。


 でも、少しずつある。


 それだけで、黒瀬琉衣奈は前より少しだけ落ち着いて、問題用紙に向かうことができた。

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