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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.138 見せてもいい一行のせいで、ギャルは朝から落ち着かない

 黒瀬琉衣奈は、朝から少しだけ落ち着かなかった。


 原因は、朝比奈湊の保留ノートだった。


 昨日、湊は購買で小さなノートを買った。


 薄いグレーの、飾り気のないノート。


 白瀬栞が「保留ノート」と名付けた。


 言える形になるまで、言葉を置いておく場所。


 湊のスマホの中には、まだ見せない二行がある。


 それは消されていない。

 増えてもいない。

 まだ見せられていない。


 そこまでは、いつもの「保留」だ。


 問題は、その保留ノートに、昨日の夜、湊が別の一行を書いたことだった。


 ――今日、ノートを買った。黒瀬が隣にいた。


 見せてもいい一行。


 見せない二行とは違う。


 湊はそう言った。


 けれど、黒瀬には十分刺さった。


 短い。


 ただの事実。


 ノートを買った。

 黒瀬が隣にいた。


 それだけ。


 それだけなのに、何度思い返しても顔が熱くなる。


「……隣にいただけじゃん」


 家を出る前、鏡の前でそう呟いた。


 言ってから、さらに恥ずかしくなった。


 隣にいただけ。


 でも、湊はそれを残したかったと言った。


 ――でも、それが残したかった。


 普通に言うな。


 本当に、普通に言うな。


 黒瀬は鞄を持ち、いつもより少し早く家を出た。


 教室に入ると、白瀬はもう席にいた。


 今日も背筋が伸びている。

 今日もノートを開いている。

 今日も髪にはヘアピン。


 黒瀬はそれを見て、少しだけ安心する。


「……おはよ」


「おはようございます、黒瀬さん」


 白瀬は顔を上げる。


 そして、すぐに少しだけ目を細めた。


「今日は、何か思い出している顔ですね」


「朝から何」


「すみません。そう見えました」


「見えすぎ」


「はい」


「認めるな」


 黒瀬は自分の席に座り、ノートを出した。


 開く。


 昨日の夜の一行を、自分のノートにも書いてあった。


 ――朝比奈の保留ノート、一行目。あたしが隣にいた。


 見返すだけで顔が熱い。


 でも、消していない。


 消す気もない。


 白瀬は、黒瀬のノートを覗き込もうとはしなかった。


 ただ、静かに聞く。


「朝比奈くんのノートのことですか」


 黒瀬は固まった。


「何でわかるの」


「昨日、黒瀬さんが帰る時、かなり気にしている顔をしていたので」


「昨日から見えてるの怖い」


「少しだけです」


「少しだけでも怖い」


 黒瀬はノートを閉じた。


 でも、完全には隠さない。


 最近、その加減が少しわかってきた気がする。


 見せたくない時は隠す。

 でも、消さない。

 見せてもいい時が来たら、一行だけ見せる。


 そういうやり方。


 白瀬が教えてくれたわけではない。


 湊が教えてくれたわけでもない。


 でも、四人で少しずつ覚えてきた。


「見せてもらったんですね」


 白瀬が言った。


「一行だけ」


「見せない二行ではなく?」


「違う。別のやつ」


「そうですか」


「……ノート買った日付の下に」


「はい」


「今日、ノートを買った。黒瀬が隣にいた、って」


 言ってしまった。


 言ってから、黒瀬は自分で顔を赤くする。


 白瀬は少しだけ目を開いた。


 それから、静かに微笑んだ。


「良い一行ですね」


「白瀬、絶対そう言うと思った」


「本当にそう思いました」


「普通に受け取るなって」


「受け取ったのは黒瀬さんでは?」


「そうだけど」


 黒瀬は言い返せず、ノートの端を指で押さえた。


 白瀬は少しだけ考えてから言う。


「見せない言葉のためのノートに、見せてもいい言葉も置かれたんですね」


「……うん」


「それは、少し安心しますね」


 黒瀬は返事に詰まった。


 そう。


 少し安心したのだ。


 あのノートが、見せない言葉だけの場所だったら、たぶんもっと怖かった。


 開かない箱みたいに感じたかもしれない。


 でも湊は、見せてもいい一行を書いた。


 しかも、それを黒瀬に見せた。


 だから保留ノートは、全部が隠されている場所ではなくなった。


 まだ見せない言葉もある。


 でも、見せられる言葉もある。


 それが、黒瀬には少し助かった。


「……安心した」


 小さく言った。


 白瀬は頷く。


「はい」


「普通に受け取るな」


「でも、嬉しかったので」


「何が」


「黒瀬さんが、そう言えたことです」


「白瀬」


「はい」


「朝から強すぎ」


「すみません」


「謝るの早い」


 そこへ莉子がやってきた。


「おはよー。朝から白瀬さんが強そうな空気してる」


「莉子、第一声」


「だって見えたし」


「何が」


「るいなが刺された後の顔」


「そんな顔ない」


「あるある」


 莉子は鞄を置き、今日は普通ノートとツッコミ帳の両方を机に出した。


 黒瀬がすぐに警戒する。


「二冊出すの?」


「今日は迷ってる日」


「何を」


「ツッコむか、普通に残すか」


「怖い迷い」


 莉子は笑った。


「で、何の話?」


「何でもない」


 黒瀬が即答する。


 白瀬が少しだけ黒瀬を見る。


 黒瀬はその視線に負けた。


「……朝比奈の保留ノート」


 莉子の目が輝く。


「おお」


「でも書くな」


「まだ書いてない」


「顔が書くって言ってる」


「顔便利だね」


「便利にするな」


 莉子は今日はツッコミ帳ではなく、普通ノートを開いた。


「普通ノートなら?」


「余計危険な時あるって昨日言ってたでしょ」


「言った」


「自覚あるんだ」


「あるよ」


 莉子はペンを持ったまま、黒瀬を見る。


「書いていいやつ?」


 黒瀬は少し驚いた。


 莉子が聞いた。


 勝手に書くのではなく、書いていいか聞いた。


 それだけで、少しだけ胸の奥が柔らかくなる。


「……内容による」


「じゃあ聞いてから書く」


「珍しい」


「成長です」


「自分で言うな」


 白瀬が微笑む。


「藤堂さんも、書く前に待っていますね」


「白瀬さん、うまいこと言った」


「そうでしょうか」


「うん。普通ノート案件」


 莉子は普通ノートに書いた。


 ――今日は書く前に聞く日。


 黒瀬がそれを見て、少し笑った。


「それはいいかも」


「るいな承認」


「承認って言うな」


 その時、湊が教室に入ってきた。


「おはよう」


「……おはよ」


 黒瀬はいつものように返した。


 けれど、今日は湊の鞄に目がいった。


 あの中に、保留ノートがあるのだろうか。


 持ってきているのか。


 持ってきていないのか。


 気になる。


 かなり気になる。


 でも朝から聞くのは負けな気がする。


 いや、負けではない。


 待つ側にも言葉は必要。


 白瀬が言った。


 聞きたいなら聞くのも、たぶん悪いことではない。


 でも今は、少し待ちたい。


 湊は黒瀬の視線に気づいた。


「持ってきてる」


 黒瀬は固まった。


「……何をとは言ってない」


「顔」


「また顔!」


 莉子が普通ノートに書く。


 ――朝比奈くん、保留ノート持参を顔で察する。


「莉子、それ書く?」


「普通ノートだから」


「普通ノートって免罪符じゃないから」


 湊は苦笑して、鞄から小さなグレーのノートを少しだけ出した。


 黒瀬の視線が、そこに吸い寄せられる。


「今日は書いてない」


「聞いてない」


「でも気にしてたから」


「本人が言うな」


「消してない。増えてもない。紙にも増えてない」


「報告がさらに細かい」


「必要かと」


「必要だけど」


 黒瀬は顔を赤くして、目を逸らした。


「……助かる」


 小さく言う。


 湊は静かに頷いた。


「うん」


「普通に受け取るな」


「受け取りたかった」


「ずるい」


「今日も?」


「今日も」


 莉子が普通ノートを見つめる。


「書きたい」


「莉子」


「今のは書いていい?」


 黒瀬は少し迷った。


 それから、ぼそっと言う。


「……名前出さないなら」


「了解」


 莉子は普通ノートに書いた。


 ――細かい報告は、ちゃんと誰かを安心させるらしい。


 白瀬がそれを見て、静かに言った。


「良い一行ですね」


「白瀬さんに言われると嬉しい」


「本当なので」


「出た」


 黒瀬と莉子が同時に言った。


 湊が笑う。


 黒瀬は睨む。


「笑うな」


「今のは無理だろ」


「無理って言うな」


 朝の教室に、少しだけいつもの騒がしさが戻った。


 昼休み。


 湊の保留ノートは、机の上には出なかった。


 鞄の中。


 でも、持ってきていることは黒瀬が知っている。


 それだけで、何となく落ち着かない。


 湊はパンを食べながら、ふと黒瀬に言った。


「昨日の一行」


「何」


「見返した?」


 黒瀬はパンを落としそうになった。


「本人が聞くな!」


「気になって」


「気にするな」


「消した?」


「消してない」


 湊が少しだけ笑った。


「そっか」


「普通に嬉しそうにするな」


「嬉しかったから」


「ずるい」


 莉子が普通ノートを開く。


「これは書いていい?」


「だめ」


「即答」


「本人たちが近すぎるやつ」


「了解。心に保存」


「それもやめて」


「無理」


 白瀬はそのやり取りを見て、少しだけ微笑んだ。


「見せてもいい一行も、残ると嬉しいものなんですね」


 湊が頷く。


「うん」


 黒瀬は顔を赤くする。


「だから普通に受け取るなって」


「でも、白瀬さんの言う通りだと思う」


「朝比奈まで」


「黒瀬が消してないなら、俺も少し安心した」


 黒瀬は、言葉に詰まった。


 湊も安心する。


 自分だけではないのか。


 見せない二行を湊が消さないことで、黒瀬が安心する。


 湊は、見せた一行を黒瀬が消していないことで安心する。


 それは少し、対等な気がした。


 黒瀬は小さく言った。


「……消さないし」


「うん」


「一行目でしょ」


「うん」


「保留ノートの、見せてもいい方の」


「うん」


「消すわけないじゃん」


 言ってから、黒瀬は固まった。


 湊も固まった。


 莉子は口を押さえた。


 白瀬は目を少しだけ丸くした。


「今のなし」


「無理」


 湊が言った。


 黒瀬は顔を真っ赤にする。


「朝比奈!」


「これは無理」


「莉子みたいなこと言うな!」


「でも無理だろ」


「無理じゃない!」


 莉子が小声で言う。


「めちゃくちゃ書きたい」


「だめ!」


「わかってる。心に保存」


「だからそれもやめて!」


 昼休みは、そのまま少し騒がしくなった。


 でも、それでよかった。


 黒瀬は恥ずかしくて、むかついて、少し安心していた。


 放課後。


 自習会の後、湊は保留ノートを一度だけ机に出した。


 黒瀬がすぐに気づく。


 莉子も気づく。


 白瀬も静かに見る。


 湊はノートを開き、昨日の一行を見た。


 ――今日、ノートを買った。黒瀬が隣にいた。


 その下に、少しだけ迷ってから、新しい一行を書いた。


 黒瀬が息を止める。


「見せるやつ?」


 黒瀬が小さく聞いた。


 湊は頷いた。


「見せるやつ」


 ノートを黒瀬へ向ける。


 そこには、こう書かれていた。


 ――黒瀬が消さないと言ったので、この一行も少し残りやすくなった。


 黒瀬は固まった。


 昨日よりも長く固まった。


「……朝比奈」


「うん」


「そういうの、放課後の教室で見せるな」


「夜の方がよかった?」


「そういう問題じゃない」


「ごめん」


「謝るの早い」


 黒瀬は顔を赤くしてノートを見つめた。


 湊の字。


 スマホではない、紙の文字。


 そこに自分の言葉が影響している。


 自分が「消さない」と言ったから、この一行も少し残りやすくなった。


 意味がわからない。


 でも、わかる。


 黒瀬は小さく言った。


「これも、見せてもいい一行?」


「うん」


「見せない二行とは別?」


「別」


「でも近い」


「近いと思う」


「ずるい」


「うん」


「うんじゃない」


 湊は少しだけ笑った。


 黒瀬はノートから目を離せない。


 莉子が遠くから小声で言う。


「これは普通ノートにも書けないやつ」


 白瀬が静かに頷く。


「はい。今は、見守る一行だと思います」


「白瀬さんの分類が増えた」


「そうですね」


 黒瀬は保留ノートを湊へ返した。


 手つきは、少しだけ丁寧だった。


「夜」


「来る?」


「行く」


「カフェラテ?」


「当然」


 夜。


 黒瀬は湊の部屋で、保留ノートの二つ目の見せてもいい一行をもう一度見た。


 ――黒瀬が消さないと言ったので、この一行も少し残りやすくなった。


「……これ、ずるい」


「昼も言ってた」


「何回でも言う」


「うん」


「普通に書いてるけど、けっこう強い」


「そうか」


「そう」


 黒瀬はカフェラテを両手で包む。


「見せない二行はまだ?」


「まだ」


「でも、見せてもいい一行は増える?」


「たぶん」


「増えたら報告」


「見せるなら報告いらないんじゃないか」


「いる」


「いるのか」


「心の準備」


「わかった」


 黒瀬は少しだけ顔を赤くした。


「あと」


「うん」


「今日の一行も、消さないで」


「消さない」


「見せてもいいやつでも、消さないで」


「うん」


「見せないやつも」


「うん」


「増えても増えなくても」


「うん」


「なかったことにしないで」


 湊は黒瀬を見る。


 黒瀬は逃げなかった。


「しない」


 湊が答えると、黒瀬は小さく頷いた。


「ならいい」


 見せてもいい一行のせいで、ギャルは朝から落ち着かなかった。


 けれど、その一行は少しずつ保留ノートの意味を変えていた。


 見せない言葉だけを隠す場所ではなく、見せられる言葉から少しずつ置いていく場所。


 黒瀬はその一つ一つに揺れながら、それでもちゃんと受け取っていた。

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