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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.137 見せない二行のために、男子は小さなノートを買う

朝比奈湊は、昼休みの購買前で小さなノートを手に取っていた。


 別に、買うつもりで来たわけではない。


 パンを買いに来ただけだった。


 いつものように昼食を買って、教室へ戻って、黒瀬琉衣奈や白瀬栞や藤堂莉子と机を少し寄せる。


 ただそれだけの予定だった。


 けれど、購買の横に置かれている文房具の棚が目に入った。


 シャーペンの芯。

 消しゴム。

 付箋。

 ルーズリーフ。

 小さなメモ帳。

 そして、片手で持てるくらいの薄いノート。


 湊は、その小さなノートの前で足を止めてしまった。


 黒瀬には余白ノートがある。


 白瀬には一行が増え始めた整ったノートがある。


 莉子にはツッコミ帳と、最近できた普通ノートがある。


 自分にはスマホのメモアプリがある。


 それで十分だと思っていた。


 でも、昨夜から少しだけ考えていた。


 スマホの中の見せない二行。


 ――黒瀬が夜に来るのが、当たり前になっているのが少し怖いくらい落ち着く。

 ――黒瀬が待ってくれるなら、ちゃんと言える形にしたい。


 消していない。


 増えてもいない。


 けれど、スマホの中にあると、少しだけ逃げやすい。


 編集できる。

 消せる。

 見えない場所へ隠せる。


 紙に書いたら、少し違う気がした。


 消せないわけではない。


 消しゴムで消せるし、破ることもできる。


 でも、スマホより少しだけ残る。


 文字の強さも、迷った跡も、自分の手の動きも。


 湊は小さなノートを手に取った。


 表紙は、何の飾りもない薄いグレーだった。


 目立たない。


 いかにも黒瀬に「地味」と言われそうなノートだ。


 その瞬間、背後から声がした。


「……朝比奈」


 湊は振り返った。


 黒瀬がいた。


 手には焼きそばパン。


 顔には、完全に何かを見つけた時の警戒が出ている。


「何買ってんの」


「ノート」


「それは見ればわかる」


「だよな」


「何のノート」


 黒瀬の目が、湊の手元の小さなノートへ向く。


 そして、少しだけ表情が変わった。


 たぶん、気づいた。


 何のためのノートなのか。


 湊は少しだけ迷った。


 ここで適当に「授業用」と言えば済む。


 でも、それは違う気がした。


「メモ用」


「スマホじゃなくて?」


「うん」


「……見せない二行用?」


 黒瀬の声は小さかった。


 購買前のざわめきに紛れるくらい。


 湊は頷いた。


「それもある」


 黒瀬は固まった。


「それも?」


「見せないだけじゃなくて、言える形にする用」


 言った瞬間、黒瀬の顔が赤くなった。


「そういうの、購買前で言うな」


「小声だった」


「小声でもだめ」


「悪い」


「悪いと思ってない」


「半分くらいは」


「禁止」


 いつものやり取りなのに、黒瀬はまだノートから目を離さなかった。


 湊はその様子を見て、少しだけ聞く。


「変?」


「変じゃない」


「嫌?」


「嫌じゃない」


 黒瀬は即答した。


 即答してから、自分で少し顔を赤くする。


「……でも、ずるい」


「何が?」


「スマホの中にあるだけでも気になるのに、紙にされたらもっと気になる」


「そうか」


「そうかじゃない」


「でも、消しにくくはなる」


 黒瀬の動きが止まった。


「……消しにくく?」


「うん。スマホよりは」


「消さないってこと?」


「消さないつもり」


「つもりじゃだめ」


「消さない」


 黒瀬は、湊をじっと見た。


 湊も視線を逸らさなかった。


 購買前で、焼きそばパンと小さなノートを持ったまま、二人は少しだけ黙った。


 そこへ、莉子の声が飛んできた。


「おーい、二人とも何してんの?」


 黒瀬がびくっとする。


 振り返ると、莉子と白瀬が近づいてきていた。


 莉子は購買の袋を持っている。


 白瀬は飲み物を一本持っていた。


 莉子の視線がすぐに湊の手元へ向く。


「朝比奈くん、ノート買うの?」


「うん」


「ついに朝比奈くんも記録係本格参戦?」


「その言い方だと大会みたいだな」


「四人記録杯」


「やめて」


 黒瀬が即座に言う。


 莉子は笑った。


 だが、白瀬はノートを見て、少しだけ静かな顔になった。


「朝比奈くんの言葉を書く場所ですか」


 湊は頷いた。


「たぶん」


「良いと思います」


 白瀬は、いつものようにまっすぐ言った。


 黒瀬が少しだけ口を尖らせる。


「白瀬、すぐ普通に言う」


「本当なので」


「出た」


 莉子が反射的に鞄へ手を伸ばしかける。


 ツッコミ帳だ。


 しかし、途中で止めた。


 黒瀬がそれに気づく。


「莉子、今出そうとした」


「出そうとしたけど、やめた。えらい」


「自分で言うな」


「だって今のは書きたいじゃん。朝比奈くん、小さなノートを買う。黒瀬、顔赤い。白瀬さん、本当なので発動」


「全部書くな」


「書かないってば」


 莉子は笑いながら、手を鞄から離した。


「でも、これも大事そうだから今日は心に保存」


「それも怖い」


「無理」


 黒瀬はむくれた。


 しかし、その空気は悪くなかった。


 重すぎない。


 でも、軽くしすぎない。


 最近の四人は、少しずつその加減を覚え始めている。


 湊はノートを買った。


 会計を済ませる時、黒瀬は妙にそわそわしていた。


 自分が買うわけでもないのに、なぜか隣で落ち着かない顔をしている。


 莉子が小声で言う。


「るいな、付き添い彼女みたい」


「莉子」


「はい、今のは半分アウトでした」


「全部アウト」


「反省」


「反省してない」


「半分くらいは」


「禁止」


 白瀬が少し笑った。


 昼休み。


 四人で机を寄せると、湊の買った小さなノートが机の端に置かれた。


 黒瀬は見ないようにしている。


 けれど、ちらちら見ている。


 莉子は見ている。


 遠慮なく見ている。


 白瀬は、見てもいいものかどうかを測っているようだった。


「朝比奈くん」


 莉子が言う。


「そのノート、名前つける?」


「名前?」


「るいなは余白ノート。白瀬さんは一行ノート。私はツッコミ帳と普通ノート。朝比奈くんのは?」


「普通にメモ帳でいいだろ」


「だめだよ。そこは何か必要」


「必要なのか」


 黒瀬がぼそっと言う。


「見せない二行ノート」


 言ってから、自分で顔を赤くした。


 莉子が目を輝かせる。


「それいい!」


「よくない!」


「見せない二行ノート、略して見せ二」


「略すな!」


 黒瀬が全力で止める。


 湊も苦笑した。


「それはちょっと嫌だな」


「じゃあ、保留ノート」


 白瀬が静かに言った。


 三人が白瀬を見る。


 白瀬は少しだけ首を傾げる。


「言える形になるまで置いておく場所、という意味で」


 黒瀬は黙った。


 湊も黙った。


 莉子も、今度はすぐに茶化さなかった。


「保留ノート」


 黒瀬が小さく繰り返す。


「……便利」


「便利ですね」


 白瀬が頷く。


「便利にするなって言いたいけど、ちょっといい」


 黒瀬は認めるように言った。


 湊はノートを見た。


 薄いグレーの、何の飾りもないノート。


 保留ノート。


 言える形になるまで、言葉を置いておく場所。


「それでいいかもな」


 湊が言うと、莉子がにやっとする。


「決定。朝比奈くんの保留ノート」


「大げさに発表するな」


 黒瀬が突っ込む。


 でも、その表情は少しだけ柔らかかった。


 放課後の自習会は、確認テスト前らしく少し真面目だった。


 白瀬が範囲を整理する。


 黒瀬がノートの余白に要点を書く。


 莉子は普通ノートに単語を書く。


 湊は、買ったばかりの小さなノートを鞄に入れたまま、まだ出さなかった。


 黒瀬は何度かそれを見た。


 見ていないふりをしていたが、見ていた。


 自習会が終わる頃、湊は小さなノートを一度だけ取り出した。


 黒瀬の手が止まる。


 莉子も気づく。


 白瀬も、静かに目を向けた。


 湊はページを開いた。


 真っ白な一ページ目。


 そこに、日付だけを書いた。


 そして、閉じた。


「それだけ?」


 黒瀬が聞く。


「今日はそれだけ」


「何で」


「まだ、書く前の場所にしたかった」


「……何それ」


「自分でもよくわかってない」


 黒瀬は少しだけノートを見つめた。


「でも、消してない?」


「スマホの二行は消してない」


「増えても?」


「増えてない」


「紙には?」


「まだ日付だけ」


「ならいい」


 黒瀬はそう言った。


 少しだけ安心したようだった。


 莉子が小さく言う。


「空白の一ページ目だ」


 白瀬が頷く。


「空白にも意味があるのかもしれません」


「白瀬さん、前もそんな感じのこと言ってた」


「そうですね」


「でも、今日はちょっとわかる」


 莉子は自分の普通ノートに一行だけ書いた。


 ――朝比奈くんの保留ノート、一ページ目は日付だけ。


 黒瀬がそれを見て、少しだけ笑った。


「今日の莉子は書くんだ」


「今日は普通ノートだから」


「ツッコミ帳じゃないの?」


「ツッコミじゃない。記録」


「違いが出てきた」


「成長です」


「自分で言うな」


 帰り際、黒瀬は湊の席へ来た。


「朝比奈」


「何?」


「今日、行く」


「保留ノートの話?」


「うん」


「カフェラテ?」


「当然」


 夜。


 黒瀬は湊の部屋に来ると、いつものようにソファへ座った。


 カフェラテを両手で包む。


 テーブルの上には、湊が買った小さなノートが置かれている。


 黒瀬はそれを見て、少しだけ落ち着かない顔をした。


「ほんとに買った」


「昼に見ただろ」


「夜見ると、また違う」


「そうか」


「そう」


 湊はノートを開いた。


 一ページ目には、日付だけが書かれている。


 黒瀬はそれを見る。


「日付だけ」


「うん」


「中身はまだ」


「まだ」


「スマホの二行を移すの?」


「いつか」


「今じゃなくて?」


「今じゃない」


 黒瀬は少しだけむくれた。


 でも、怒らなかった。


「いつか、紙にする?」


「うん」


「そしたら、もっと消しにくくなる?」


「たぶん」


「ならいい」


 黒瀬はカフェラテを飲んだ。


 湊は少し迷ってから、ノートの次の行に一つだけ書いた。


 黒瀬が息を止める。


「見せる?」


「これは見せる」


 湊はノートを黒瀬へ向けた。


 日付の下に、短く書かれていた。


 ――今日、ノートを買った。黒瀬が隣にいた。


 黒瀬は固まった。


 それから、一気に顔を赤くする。


「……それだけ?」


「それだけ」


「短い」


「うん」


「短いのに」


 黒瀬は言葉を止めた。


 湊が続きを待つ。


「……また刺さる」


「そうか」


「そうかじゃない」


 黒瀬はクッションを抱えた。


「何であたしが隣にいたことを書くの」


「いたから」


「普通に言うな」


「でも、それが残したかった」


「ずるい」


「今日も?」


「今日も」


 黒瀬は顔を隠した。


 しかし、ノートから目は逸らしきれていなかった。


「その一行は、見せてもいいやつ?」


「うん」


「見せない二行とは別?」


「別」


「でも、同じノートに書くの?」


「うん」


「……保留ノートなのに?」


「保留だけじゃなくて、言えることも書く場所にしたい」


 黒瀬は少し黙った。


 それから、小さく頷く。


「それは、ちょっといい」


「いい?」


「うん」


「普通に受け取っていい?」


「だめ」


「だめか」


「でも、いい」


「難しいな」


「難しいんだって」


 二人は少し笑った。


 湊はノートを閉じた。


 黒瀬はその表紙を見ている。


「消してない?」


「消してない。増えてもない。紙には日付と、今の一行だけ」


「報告が長くなった」


「必要かと思って」


「必要」


 黒瀬は即答した。


 そして、自分で少し赤くなる。


「……半分」


「今のは無理がある」


「うるさい」


 黒瀬はカフェラテを飲んだ。


 見せない二行のために、男子は小さなノートを買った。


 けれど、一ページ目に最初に書かれたのは、見せない二行ではなかった。


 今日、ノートを買った。


 黒瀬が隣にいた。


 たったそれだけの、見せてもいい一行。


 それでも黒瀬には十分すぎるほど刺さった。


 保留ノートは、見せない言葉だけではなく、言えるようになった小さな言葉も置いていく場所になり始めていた。

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