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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.130 消してない報告は、朝の安心になってしまう

 翌朝、黒瀬琉衣奈のスマホは、登校前に一度だけ震えた。


 洗面所で髪を整えていた時だった。


 鏡の前で、少し跳ねた髪を指で押さえていると、制服のポケットに入れていたスマホが短く鳴る。


 黒瀬は一瞬だけ手を止めた。


 誰からか。


 わかる。


 たぶん、朝比奈湊だ。


 そう思っただけで、心臓が少しだけ嫌な動きをした。


 嫌な、というより、落ち着かない動き。


 黒瀬はスマホを取り出す。


 画面には、湊からのメッセージが表示されていた。


『消してない』


 たった五文字だった。


 黒瀬は、しばらくその文字を見つめた。


 昨日、自分が言った。


 たまに報告して。


 でも毎日は重い。


 そう言ったのに、翌朝すぐに報告が来た。


 毎日じゃん。


 そう突っ込むべきだった。


 重いって言ったでしょ、と返すべきだった。


 でも、指がすぐには動かなかった。


 消してない。


 見せない一行は、まだ湊のスマホの中にある。


 なかったことになっていない。


 その事実だけで、朝の胸のざわつきが少し静かになった。


 悔しい。


 かなり悔しい。


 たった五文字に安心している自分が、かなり悔しい。


 黒瀬は少しだけ唇を尖らせて、返信を打った。


『毎日は重いって言った』


 送信。


 すぐに既読がついた。


『今日は初日だから』


 黒瀬は鏡の前で固まった。


 初日。


 そういう言い方をするな。


 何かの習慣みたいになる。


 まるで、二人の間に新しい約束が始まったみたいではないか。


 黒瀬は顔が熱くなるのを感じながら、返信した。


『便利な理由つけるな』


『悪い』


『悪いと思ってない』


『半分くらいは』


 いつもの流れ。


 スマホ越しなのに、湊の顔が浮かぶ。


 少し困ったように笑って、でも本当には困っていない顔。


 黒瀬は鏡の中の自分を見た。


 頬が赤い。


「……最悪」


 小さく言って、スマホを伏せる。


 でも、消さない。


 そのメッセージも、消さない。


 朝の学校は、いつもより少しだけ騒がしかった。


 確認テストが近いせいで、廊下のあちこちに「やばい」「終わった」「まだ始まってない」という声が飛び交っている。


 黒瀬は教室に入る前、スマホをもう一度だけ見た。


 消してない。


 その五文字を見てから、画面を閉じる。


 何をしているんだろう、と思う。


 けれど、その五文字を見てから教室に入ると、少しだけ足取りが軽かった。


「……おはよ」


 教室に入ると、白瀬栞がすぐに顔を上げた。


「おはようございます、黒瀬さん」


 今日も、髪にはヘアピンがついている。


 黒瀬が選んだ、細く光るヘアピン。


 それを見て、黒瀬は少しだけ口元を動かした。


 白瀬はそれに気づいたらしい。


「今日も、見てくれましたね」


「言うなって」


「すみません。でも、嬉しかったので」


「朝から強い」


「そうでしょうか」


「強い」


 黒瀬は自分の席に鞄を置いた。


 ノートを出す。


 今日は、開く前から少しだけ書きたい一行があった。


 ――消してない報告、初日。


 いや、これは危険だ。


 書いたら負けな気がする。


 黒瀬はシャーペンを持ったまま固まった。


 白瀬が静かに見ている。


「黒瀬さん」


「何」


「朝比奈くんから、報告がありましたか」


 黒瀬は完全に固まった。


「……何でわかるの」


「顔に出ていました」


「もう全員顔しか見てない」


「少しだけです」


「少しだけでも困る」


 黒瀬はノートを開いたまま、視線を逸らした。


「来た」


「そうですか」


「消してないって」


 白瀬の表情が、ほんの少し柔らかくなる。


「よかったですね」


「普通に言うな」


「でも、安心したように見えたので」


「安心してない」


「そうですか」


「……半分」


「はい」


「はいって受け取るな」


「半分でも、大事だと思います」


 黒瀬は返事に詰まった。


 白瀬は、こういう時に真正面から言葉を置いてくる。


 逃げ道はある。


 けれど、逃げたくなくなる場所に。


 黒瀬はノートの余白に、少しだけ文字を書いた。


 ――報告あり。半分安心。


 書いてから、すぐに隠した。


 白瀬は見ようとしなかった。


 ただ、少しだけ微笑んだ。


 そこへ莉子がやってきた。


「おはよー。何か朝からいい空気してる」


「莉子、第一声がそれ?」


 黒瀬が睨む。


「だって見えたし。るいな、今日ちょっと落ち着いてる」


「落ち着いてない」


「落ち着いてる。昨日より待ててる顔」


「顔で読むな」


「顔は読むもの」


「読むな」


 莉子は鞄からツッコミ帳を出しかけた。


 黒瀬はすぐに止める。


「莉子、それ今出さないで」


「えー、朝の記録大事なのに」


「今日はだめ」


「何で?」


「……だめなものはだめ」


 莉子は少しだけ黒瀬を見た。


 いつものように茶化そうとした顔が、一瞬止まる。


 それから、メモ帳を鞄に戻した。


「はいはい。じゃあ心に保存」


「それもやめて」


「無理」


 莉子は笑ったが、今日はそれ以上掘らなかった。


 黒瀬は少しだけ助かったと思った。


 その時、教室の扉が開いた。


 湊が入ってくる。


「おはよう」


「……おはよ」


 黒瀬はいつものように返した。


 ただ、その一言に少しだけ朝のメッセージが混じった気がして、目を逸らした。


 湊はそれに気づいたのか、少しだけ口元を緩めた。


 黒瀬はすぐに睨む。


「笑うな」


「まだ笑ってない」


「顔」


「顔か」


「顔」


 莉子が横から小さく言う。


「みんな顔で会話しすぎ」


「莉子が広めたんでしょ」


「私の功績?」


「悪影響」


「ひど」


 白瀬が少し笑った。


 その笑顔を見て、黒瀬はまたノートの端に書きたくなる。


 ――白瀬、朝から笑った。莉子のせい。


 でも今日は書かなかった。


 今日は、別の一行がもうある。


 一限目が始まる。


 先生の声。


 黒板の文字。


 シャーペンの音。


 黒瀬はいつもより集中できていた。


 湊の一行はまだ見せてもらっていない。


 内容はわからない。


 怖い。


 気になる。


 けれど、消されていない。


 それだけで、今朝は十分だった。


 昼休み。


 莉子が購買のパンを片手に、ようやく少しだけ話題を戻してきた。


「で、るいな」


「何」


「朝比奈くんから報告来た?」


 黒瀬は焼きそばパンの袋を開けながら、少しだけ動きを止めた。


「……来た」


「おお」


「騒がないで」


「騒がない騒がない。何て?」


「消してない、って」


 莉子は目を丸くした。


 それから、少しだけ笑う。


「短い」


「短いでしょ」


「朝比奈くんのメモも短いし、報告も短い」


 湊が苦笑する。


「短い方がいいかと思って」


「短いのに刺さるんだよ」


 黒瀬がぼそっと言った。


 言ってから、しまったと思った。


 莉子がすぐに反応する。


「今の書きたい」


「書くな」


「めっちゃ書きたい」


「書いたら怒る」


「今日は?」


「今日は怒る」


「じゃあ心に保存」


「それもやめて」


 莉子は笑った。


 でも、やはりメモ帳は出さなかった。


 白瀬が静かに言う。


「朝比奈くんの報告で、黒瀬さんが少し安心できるなら、それは良いことだと思います」


「白瀬、昼も強い」


「すみません」


「謝るの早い」


 湊は少しだけ黒瀬を見た。


「安心した?」


 黒瀬は湊を睨む。


「本人が聞くな」


「気になって」


「……半分」


「半分か」


「半分以上は聞かないで」


「わかった」


「即答するな」


「大事そうだから」


「ずるい」


 莉子が両手で口を押さえた。


「やばい、書きたい」


「莉子」


「書かない書かない。今日の私は偉い」


「自分で言うな」


 四人の空気が少しだけ笑いに変わる。


 その軽さが、今日はありがたかった。


 放課後。


 自習会は短めに行われた。


 確認テスト前なので、英単語と数学の見直しだけ。


 白瀬が整理し、湊が補足し、莉子が時々限界を迎え、黒瀬が余白に少しだけ記録する。


 ただ、今日の黒瀬の余白は少し控えめだった。


 白瀬がそれに気づく。


「今日は、余白が少ないですね」


「見えすぎ」


「すみません」


「まあ、今日はいいの」


「書かない日ですか?」


「違う」


 黒瀬は少しだけノートを見下ろす。


「一行が重い日」


 言ってから、自分で顔を赤くした。


 白瀬は何も言わなかった。


 莉子も、珍しく茶化さなかった。


 湊だけが静かに聞いていた。


「そっか」


 それだけ言った。


 黒瀬はノートを閉じる。


「普通に受け取るな」


「でも、そういう日もあると思う」


「本当なら余計」


 湊は笑わなかった。


 自習会が終わり、帰り支度をしている時、莉子が黒瀬へ近づいた。


「るいな」


「何」


「今日、ツッコミ帳に書かなかったよ」


「珍しい」


「でしょ」


「明日まとめて書く気?」


「半分」


「やっぱり」


 莉子は笑った。


「でも、今日のはちょっと大事そうだったから、ちゃんと見た」


「書いてないのに?」


「うん。書かなくても残る時あるじゃん」


 黒瀬は少しだけ驚いた。


 莉子がそんなことを言うとは思わなかった。


「莉子」


「何?」


「たまにちゃんとしてる」


「たまに?」


「半分」


「少な」


「便利だから」


「便利にするな」


 二人で少し笑った。


 白瀬もその様子を見て、少しだけ微笑んでいた。


 湊はそれを見ながら、自分のスマホに入っている一行を思い出す。


 消していない。


 けれど、まだ見せていない。


 黒瀬が待つと決めたことで、湊の方も逃げられなくなった。


 それは嫌な圧ではなかった。


 むしろ、ちゃんと向き合うための重さだった。


 夜。


 黒瀬は今日も湊の部屋へ来た。


 ドアを開けると、黒瀬は少しだけむくれた顔で立っている。


「……来た」


「今日も自己申告」


「うるさい」


「報告の件?」


「それもある」


 黒瀬は部屋に上がり、いつものソファへ座った。


 湊がカフェラテを出す。


 黒瀬はカップを受け取り、両手で包む。


「朝の報告」


「うん」


「短すぎ」


「短い方がいいかと思って」


「短いのに刺さるって言ったでしょ」


「昼に言ってたな」


「聞こえてた?」


「本人だから」


「最悪」


 黒瀬は顔を赤くしてカップを見た。


「でも、助かった」


「そっか」


「うん」


「じゃあ、次もあれくらいで?」


「毎日は重い」


「うん」


「でも、全然ないと気になる」


「難しいな」


「難しいんだって」


 二人は少し笑った。


 湊はスマホをテーブルに置いた。


 黒瀬の視線が自然にそこへ向く。


「見る?」


 湊が聞く。


 黒瀬は息を止めた。


 だが、すぐに首を横に振った。


「まだいい」


「いいのか?」


「よくはない」


「そうか」


「でも、今日はいい」


 黒瀬はカフェラテを飲む。


「朝の報告で、今日は待てたから」


 湊は静かに頷いた。


「うん」


「だから、今日はそれでいい」


「わかった」


「消してない?」


「消してない」


「なかったことにしてない?」


「してない」


「ならいい」


 黒瀬はカップを両手で包んだまま、少しだけ目を伏せた。


「これ、いつか見た時」


「うん」


「あたし、たぶん変な顔する」


「昨日も言ってたな」


「うん」


「笑わない」


「ほんと?」


「たぶん」


「たぶんって言うな」


「いや、嬉しそうだったら少し笑うかも」


「最低」


「でも、雑にはしない」


 黒瀬はその言葉で、少しだけ黙った。


「……それならいい」


 小さな声だった。


 湊はそれ以上、何も言わなかった。


 沈黙の中で、カフェラテの湯気だけが揺れている。


 消してない報告は、朝の安心になってしまった。


 黒瀬はそれが少し悔しかった。


 けれど、悪くないとも思っていた。


 待つことは、ただ何もせず我慢することではない。


 そこにまだあると知ること。

 消えていないと確かめること。

 そして、見せられる時まで、無理に奪わずにいること。


 その練習を、黒瀬は少しずつ始めていた。

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