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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.129 見せない一行の翌朝、ギャルは少しだけ待つのが上手くなる

 翌朝、黒瀬琉衣奈はいつもより少し早く目が覚めた。


 目覚ましよりも先だった。


 カーテンの隙間から入る朝の光が、部屋の床に細く伸びている。


 まだ起きなくてもいい時間。


 けれど、もう眠れなかった。


 理由は、わかっている。


 朝比奈湊のスマホの中にある、見せない一行。


 昨夜、黒瀬はそれを見なかった。


 見せろと言わなかった。


 いや、正確には言いたかった。


 ものすごく言いたかった。


 今すぐ見せて。

 何を書いたのか教えて。

 あたしのことなら、なおさら隠すな。


 そう言いたい気持ちはあった。


 けれど、言わなかった。


 代わりに言った。


 待つ、と。


 消さないで。

 なかったことにしないで。

 いつか見せて。


 それだけ言って、カフェラテを飲んで帰ってきた。


 自分でも、よく我慢したと思う。


 いや、我慢という言い方は少し違うかもしれない。


 無理やり飲み込んだというより、手を伸ばしたいものの前で、一度だけ立ち止まれた感じだった。


 白瀬栞の一行を待った時のことを思い出したからだ。


 白瀬は、見せるまで時間がかかった。


 見せたいのに見せられない顔をしていた。


 あの時、黒瀬は言った。


 言える時でいい。

 でも、消さないで。


 あれを自分が湊にできないのは、ずるい。


 そう思った。


 だから待つ。


 待つことにした。


 ただし、気にならないわけではない。


 むしろ気になる。


 朝からかなり気になる。


「……最悪」


 布団の中で小さく呟いて、黒瀬は起き上がった。


 学校へ行く準備をしている間も、頭の端にその一行が残っていた。


 制服に袖を通す。

 髪を整える。

 スマホを見る。


 湊からのメッセージはない。


 当然だ。


 朝から「見せない一行の件ですが」なんて来たら、それはそれで心臓に悪い。


 けれど、何も来ないと、それはそれで気になる。


 勝手だ。


 本当に勝手だ。


 黒瀬はスマホを鞄に入れた。


 登校中、駅へ向かう道で、ふと空を見る。


 雲が薄く伸びていた。


 昨日の夜のカフェラテの湯気みたいだと思って、すぐに顔が熱くなった。


 朝から何を考えているのか。


 黒瀬は少し早足になった。


 教室に入ると、まだ人は少なかった。


 白瀬はすでに席にいた。


 いつも通り、背筋を伸ばしてノートを開いている。


 髪には、今日もヘアピン。


 黒瀬が選んだもの。


 もう何日も見ているはずなのに、やっぱり目に入る。


 白瀬が顔を上げた。


「黒瀬さん、おはようございます」


「……おはよ」


「今日は少し早いですね」


「たまたま」


「そうですか」


 白瀬はそれ以上聞かなかった。


 けれど、少しだけ黒瀬の顔を見ている。


 見えすぎるやつだ。


「何」


「いえ」


「何か言いたそう」


「昨日のことを、少し気にしているのかと思いました」


 黒瀬は固まった。


 白瀬はすぐに続ける。


「朝比奈くんの一行のことです」


「……白瀬、朝から刺す」


「すみません」


「謝るの早い」


 黒瀬は鞄を机に置いて、椅子に座った。


 ノートを出す。


 けれど、開く前に少し手が止まった。


 白瀬は静かに言った。


「待つのは、難しいですよね」


「……うん」


 素直に頷いてしまった。


 黒瀬はすぐに顔を赤くする。


「今の、なしじゃないけど」


「はい」


「普通に受け取らないで」


「難しいです」


「難しいの」


 二人の間に、少しだけ笑いが落ちる。


 白瀬は自分のノートの余白に視線を落とした。


「でも、黒瀬さんは昨日、待つと言えました」


「うん」


「私は、それが少し嬉しかったです」


「白瀬」


「はい」


「そういうの、朝から普通に言うなって」


「本当なので」


「出た」


 黒瀬は顔を赤くして、ノートを開いた。


 余白に、まだ何も書かれていない。


 そこへ、シャーペンの先を置く。


 少し迷ってから、一行だけ書いた。


 ――待つ。けど気になる。


 書いてから、自分で少し笑いそうになった。


 そのまますぎる。


 でも、今朝の自分にはそれ以上の言葉がなかった。


 白瀬はその一行を見ようとはしなかった。


 でも、黒瀬の手が止まったことには気づいた。


「書けましたか」


「……一行だけ」


「そうですか」


「見せない」


「はい」


「でも、消さない」


 白瀬は少しだけ目元を緩めた。


「それでいいと思います」


「普通に言うな」


「でも、そう思ったので」


「本当なので、じゃない」


「少し変えました」


「変えても強い」


 黒瀬がむくれると、白瀬は小さく笑った。


 そこへ莉子が教室に入ってきた。


「おはよー。朝から二人で何いい空気出してんの?」


「莉子、入ってくるなりそれ?」


 黒瀬が睨む。


「だって見えたし」


「何が」


「るいながちょっと素直になった後の顔」


「そんな顔ない」


「あるある」


 莉子は席に鞄を置く前に、すでにツッコミ帳を取り出していた。


 黒瀬は反射的に警戒する。


「莉子、それ朝から開かないで」


「いや、これは書くでしょ」


「書くな」


「まだ書いてないよ」


「書く顔してる」


「顔便利だねえ」


「便利にするな」


 莉子は笑いながらメモ帳に書いた。


 ――朝から黒瀬・白瀬、待つ話っぽい。るいな少し素直。


「読まなくていい!」


「まだ読んでない」


「書いてる時点でだめ」


「でも記録係だから」


「その肩書き捨てて」


 白瀬が静かに言った。


「藤堂さんの記録も、最近は大事だと思います」


「白瀬さん、朝から優しい」


「本当なので」


「出た」


 莉子はにこにこする。


 黒瀬はむくれる。


「白瀬、莉子を甘やかさないで」


「甘やかしているつもりはありません」


「莉子はすぐ調子乗る」


「もう乗ってる」


「自分で言うな」


 いつものやり取りが戻る。


 その空気が、黒瀬には少しありがたかった。


 湊が教室に入ってきたのは、その数分後だった。


「おはよう」


「……おはよ」


 黒瀬はいつものように返した。


 けれど、今日はその一言だけで少し緊張した。


 湊も、何となく気づいた顔をした。


 昨日の夜の続きが、二人の間にまだある。


 見せない一行。


 待つと言った夜。


 それをなかったことにはできない。


 でも、朝の教室で全部を話すわけにもいかない。


 湊は少しだけ黒瀬を見て、それから普通に言った。


「眠そうじゃないな」


「何それ」


「今日は早く起きたのかと思って」


「何でわかるの」


「顔」


「また顔!」


 黒瀬の声が少し跳ねた。


 莉子がすぐにツッコミ帳を開く。


「はい、朝比奈くんも顔読み」


「莉子、書くな!」


「記録記録」


「やめて」


 湊は苦笑しながら席に鞄を置いた。


 その時、黒瀬のスマホが震えた。


 湊からだった。


 同じ教室で、わざわざメッセージ。


 黒瀬は画面を見る。


『昨日の一行、消してない』


 心臓が一つ、変な音を立てた。


 黒瀬は湊を見る。


 湊は教科書を出しているふりをしている。


 黒瀬は返信した。


『知ってる』


 少し迷ってから、もう一通。


『でも報告は助かる』


 送ってから、顔が熱くなった。


 何を書いているのか。


 朝から素直すぎる。


 湊のスマホに既読がつく。


 少しして返事。


『なら、たまに報告する』


 黒瀬は画面を伏せた。


 頬が熱い。


 莉子がすぐに気づく。


「るいな、何か来た?」


「何も」


「朝比奈くんから?」


「莉子」


「当たり」


「うるさい」


 白瀬は何も言わなかった。


 ただ、少しだけ柔らかい目で黒瀬を見ている。


 黒瀬はそれに気づいて、視線を逸らした。


 でも、少しだけ安心していた。


 一限目が始まった。


 黒瀬はいつもより集中できた。


 不思議だった。


 見せない一行のことは気になる。


 気になるけれど、湊が「消してない」と言っただけで、少し落ち着いた。


 待っているものが、ちゃんとそこにある。


 それだけで、今は大丈夫だった。


 昼休み。


 莉子は当然のようにその話を掘り返そうとした。


「で、朝比奈くんの見せない一行は進展あり?」


「ない」


 黒瀬が即答する。


「ほんと?」


「ない」


 湊も頷く。


「まだ見せられない」


「おお、まだ」


「莉子、煽らない」


 白瀬が静かに言う。


「はーい」


 莉子は素直に引いた。


 黒瀬が少し驚く。


「莉子が引いた」


「読める時は読むって言ったでしょ」


「読まない時があるだけ?」


「そうそう」


 莉子は笑った。


 それから、ツッコミ帳に一行だけ書く。


 黒瀬が警戒する。


「何書いたの」


「今日は読まないやつ」


「怖い」


「大丈夫。いじるやつじゃない」


 莉子はメモ帳を閉じた。


 黒瀬は少しだけ気になったが、深追いしなかった。


 たぶん、今日はそういう日ではない。


 白瀬は黒瀬に小さく言った。


「黒瀬さん」


「何」


「待つことを、もう始めていますね」


「……始めてる?」


「はい」


「待つって、始めるものなの?」


「たぶん」


 白瀬は少しだけ考える。


「何もしないのではなく、待つと決めてそこにいることだと思います」


 黒瀬は黙った。


 その言葉は、かなり刺さった。


「白瀬」


「はい」


「朝からずっと強い」


「すみません」


「謝るの早い」


 黒瀬は焼きそばパンをかじりながら、少しだけ笑った。


 その日の放課後、自習会はなかった。


 それぞれ用事があり、教室で少し話したあと解散になった。


 帰り際、莉子が黒瀬へ言った。


「るいな」


「何」


「今日はえらかったね」


「何が」


「待つの」


 黒瀬は顔を赤くした。


「莉子、それ言う?」


「言う」


「茶化し?」


「半分」


「残り半分は?」


「本気」


 莉子はそう言って、メモ帳を軽く叩いた。


「ツッコミ帳には書いたけど、今日のは茶化すやつじゃないから読まない」


 黒瀬は少しだけ黙った。


「……そっか」


「うん」


「ならいい」


 莉子はにやっとした。


「るいな語で、ちょっと嬉しい」


「翻訳するな」


「はいはい」


 白瀬も帰り支度をしながら、黒瀬に言った。


「私も、そう思います」


「白瀬まで」


「待つと決められるのは、簡単ではないと思うので」


「普通に褒めるな」


「本当なので」


「もう」


 黒瀬は困ったように言って、それでも逃げなかった。


 湊は、そのやり取りを少し離れて見ていた。


 黒瀬は確かに少し変わった。


 待つことを、ただ我慢することではなく、大事に扱うこととして受け止めようとしている。


 それが湊には、少し眩しかった。


 夜。


 黒瀬は今日は来ないと思っていた。


 湊はそう思いながら、部屋でメモアプリを開いた。


 例の一行は、まだそこにある。


 消していない。


 なかったことにもしていない。


 画面の中の文字を見ていると、インターホンが鳴った。


 湊は少し驚いて立ち上がる。


 ドアを開けると、黒瀬が立っていた。


「……来た」


「うん。珍しく自己申告」


「うるさい」


 黒瀬は少しだけ視線を逸らした。


「今日は、文句じゃない」


「じゃあ確認?」


「それも半分」


「便利だな」


「便利にするな」


 黒瀬は部屋に上がり、いつものようにソファへ座った。


 カフェラテを受け取り、両手で包む。


「今日、朝のメッセージ」


「うん」


「消してないってやつ」


「うん」


「助かった」


 湊は少しだけ目を見開いた。


 黒瀬はカップを見たまま続ける。


「内容はまだ見せなくていいけど」


「うん」


「あるってわかると、落ち着く」


「うん」


「だから、たまに報告して」


「わかった」


「でも、毎日は重い」


「難しいな」


「難しいんだって」


 二人で少し笑った。


 黒瀬はカフェラテを飲む。


「今日、待つのがちょっとだけ上手くなった気がする」


「うん」


「莉子にも言われた」


「えらかったって?」


「聞いてた?」


「聞こえた」


「最悪」


「でも、本当だと思う」


「普通に褒めるな」


「でも本当だから」


「本当なら余計」


 黒瀬は顔を赤くした。


 けれど、少しだけ誇らしそうでもあった。


 見せない一行の翌朝、ギャルは少しだけ待つのが上手くなった。


 気になるものは気になる。


 怖いものは怖い。


 でも、消さないでと言えた。

 報告してほしいと言えた。

 そして、今すぐ奪わずにいられた。


 それは黒瀬琉衣奈にとって、たぶんかなり大きな一歩だった。

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