表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

129/164

ep.128 夜の部屋で、ギャルは見せない一行を待つと決める

 その日の夜、黒瀬琉衣奈はいつもより少しだけ静かだった。


 インターホンが鳴ったのは、いつもの時間。


 朝比奈湊がドアを開けると、黒瀬は鞄を肩にかけたまま、少しだけ視線を落として立っていた。


「……遅」


「今日は時間通りだと思うけど」


「言い返すな」


「悪い」


「悪いと思ってない」


「半分くらいは」


「禁止」


 いつものやり取り。


 けれど、黒瀬の声は少し弱かった。


 湊はそれに気づいたが、すぐには聞かなかった。


 黒瀬は靴を脱ぎ、部屋に上がる。


 ソファへ向かう足取りも、いつもより少しゆっくりだった。


 クッションを抱える。

 鞄を横に置く。

 湊がキッチンへ行く。


 カフェラテを作る音が、部屋に小さく響いた。


 黒瀬はその音を聞きながら、ソファの上で膝を少し抱えた。


 図書室で白瀬栞と話したことが、まだ胸の中に残っている。


 ――平気ではないかもしれません。


 白瀬は、そう言った。


 あの白瀬が。


 いつも落ち着いていて、丁寧で、感情の出方が小さくて、それでもちゃんと見ている白瀬が。


 平気ではないかもしれない、と言った。


 黒瀬は、その言葉を忘れられなかった。


 白瀬は強い。


 それは本当だと思う。


 でも、強いというのは、傷つかないという意味ではない。


 たぶん、白瀬は傷ついても、それを乱暴に外へ出さないだけだ。


 静かに整えて、言葉を選んで、誰かを責めない形にしてから差し出す。


 それはすごい。


 でも、少し痛い。


 黒瀬はそう思った。


 湊が戻ってきた。


「はい」


「ん」


 黒瀬はカフェラテを受け取り、両手で包む。


 熱が指先に移る。


 いつもの温度。


 いつもの香り。


 それだけで、少しだけ息がしやすくなる。


 湊は向かいではなく、少し斜めの位置に座った。


 最近の定位置だった。


 近すぎない。

 でも遠くもない。


 黒瀬はしばらくカップを見つめていた。


 湊は急かさない。


 それも、いつものことだった。


「白瀬と話した」


 黒瀬が言った。


「うん」


「図書室で」


「うん」


「朝比奈の、見せない一行の話」


 湊の指が少しだけ止まった。


 けれど、表情は大きく変わらない。


「そっか」


「白瀬、気づいてる」


「うん」


「あれ、たぶんあたしのことだって」


「……うん」


 湊は否定しなかった。


 黒瀬はそれを聞いて、カップを少し強く握った。


 もう、そこはごまかせない。


 見せない一行は、黒瀬のこと。


 それだけは、はっきりした。


 けれど、内容はまだわからない。


 怖い。


 でも嬉しい。


 嬉しい。


 けれど怖い。


 その二つが同時にある。


 黒瀬は、それを今日、白瀬に認めた。


「白瀬、平気じゃないかもって言った」


 湊は黙った。


「でも、敵じゃないって」


「うん」


「ライバルっぽいけど、敵じゃないって」


「うん」


「前にも言ったけど、今日はちょっと違った」


「どう違った?」


 湊が聞く。


 黒瀬は少し考えた。


「前は、確認だった」


「うん」


「今日は、ちゃんと痛いのも込みだった」


 自分で言って、胸の奥が少し重くなる。


 でも、それは嫌な重さではなかった。


 大事なものを雑に扱わないための重さ。


 そういうものに近かった。


「白瀬、あたしと朝比奈の距離が近くなるのを、嬉しいって思ってる」


「うん」


「でも、それだけじゃないって」


「うん」


「それ、たぶん言うの勇気いったと思う」


「そうだな」


「白瀬、ちゃんと強いけど、傷つかないわけじゃない」


 黒瀬はカフェラテを一口飲んだ。


 いつもより少しゆっくり。


「だから」


「うん」


「朝比奈の一行も、雑にしないで」


「しない」


 湊はすぐに答えた。


 黒瀬は湊を見る。


「白瀬のことも」


「うん」


「あたしのことも」


「うん」


「あと、自分のことも」


 湊はそこで、少しだけ目を見開いた。


「自分?」


「うん」


 黒瀬は視線を逸らした。


「朝比奈、聞く側とか、急がないとか、そういうの得意そうに見えるけど」


「うん」


「自分のことは、たぶん後回しにするでしょ」


 湊は何も言えなかった。


 思い当たるところがあったのだろう。


 黒瀬はカップを見つめたまま続ける。


「白瀬のことも、莉子のことも、あたしのことも見てるのはわかる」


「うん」


「でも、朝比奈が何を思ってるのかも、大事でしょ」


「……うん」


「だから、見せない一行も」


 黒瀬は少し言葉を探した。


 急かしたい。


 今すぐ見たい。


 本当は、スマホを奪ってでも見たいくらい気になる。


 でも、それは違う。


 白瀬の時に待った。


 白瀬は、待ってもらえたから見せられたと言ってくれた。


 なら湊にも、同じことをしなければいけない。


 いや、しなければ、ではない。


 そうしたい。


 黒瀬は、そう思った。


「無理には聞かない」


 湊が顔を上げた。


「黒瀬が?」


「何」


「いや」


「失礼」


「ごめん」


「謝るの早い」


 黒瀬は少しだけむくれた。


 でも、すぐに真面目な顔に戻る。


「待つ」


「……うん」


「言えるようになったら言えばいい」


「うん」


「見せられるようになったら、見せればいい」


「うん」


「でも」


 黒瀬は湊を見た。


「消さないで」


「消さない」


「なかったことにしないで」


「しない」


「見せないまま逃げるのも、なし」


 湊は少しだけ笑った。


「それは、厳しいな」


「厳しくない」


「そうか」


「そう」


 黒瀬はクッションを抱え直した。


「待つけど、忘れたふりはしない」


「うん」


「気になるから」


「うん」


「かなり気になるから」


「うん」


「でも、待つ」


 その言葉を最後に、黒瀬はカフェラテを飲んだ。


 湊はしばらく何も言わなかった。


 その沈黙が、今日は悪くなかった。


 黒瀬が待つと決めたことを、湊がちゃんと受け取っている沈黙だった。


 やがて、湊はスマホを手に取った。


 黒瀬の視線が、自然にそこへ向く。


 湊は少し迷ったあと、メモアプリを開いた。


 黒瀬は息を止める。


「見せるの?」


「まだ」


「……まだか」


「うん」


 少しだけ残念だった。


 けれど、黒瀬は文句を飲み込んだ。


 湊は画面を見ていた。


 黒瀬には見えない角度。


 その中に、あの一行がある。


 ――黒瀬が夜に来るのが、当たり前になっているのが少し怖いくらい落ち着く。


 湊は、その一行を見つめた。


 まだ見せられない。


 でも、消せない。


 黒瀬に待つと言われて、余計に消せなくなった。


 この言葉は、まだ形が不完全だ。


 けれど、嘘ではない。


 湊は画面を閉じた。


 黒瀬は何も言わなかった。


 少しだけ唇を尖らせたが、何も言わない。


 それが黒瀬なりの「待つ」なのだと、湊にはわかった。


「ありがとう」


 湊が言った。


 黒瀬はすぐに顔を赤くした。


「普通に礼言うなって」


「でも、言いたかった」


「それ、最近多い」


「そうか?」


「多い」


 黒瀬はクッションに顎を乗せた。


「普通に言われると、逃げられない」


「逃げたい?」


「半分」


「もう半分は?」


「……逃げたくない」


 言ってから、黒瀬は固まった。


 自分で言ったのに、自分で驚いている。


 湊は何も言わなかった。


 言えば黒瀬が逃げるとわかっていたからだ。


 黒瀬は少しだけ目を伏せる。


「今のなし」


「無理」


「知ってた」


 それでも、声は少し柔らかかった。


 湊はカップを持ち上げる。


 黒瀬もカップを持ち上げる。


 二人で同じタイミングでカフェラテを飲んだ。


 それに気づいて、黒瀬が小さく笑う。


「何?」


 湊が聞く。


「別に」


「別に?」


「同じタイミングだっただけ」


「カフェラテ?」


「うん」


「外と夜は違うんだろ」


 黒瀬が固まった。


「それ、ノートの一行」


「覚えてる」


「覚えてるな」


「印象に残ったから」


「ずるい」


 黒瀬は顔を赤くした。


 けれど、少し嬉しそうだった。


 湊はそれを見て、またあの一行を思い出す。


 当たり前になっている。


 少し怖いくらい落ち着く。


 言葉にすると近すぎる。


 でも、目の前の黒瀬を見ていると、やはりそう思う。


 この時間が、もう湊の中で大事なものになっている。


 まだ言えない。


 けれど、いつか言う。


 たぶん。


 黒瀬が待つと言ってくれたから。


「白瀬」


 黒瀬がぽつりと言った。


「うん」


「明日、ちゃんと話す」


「何を?」


「今日のこと。平気じゃないって言ってくれて、ありがとって、もう一回」


「言える?」


「たぶん」


「たぶんか」


「言えたら言う」


「うん」


「あと、莉子にも」


「莉子さん?」


「空気読んでくれたし」


「ああ」


「ツッコミ帳に書かなかった」


「珍しいな」


「珍しい」


 黒瀬は少しだけ笑った。


「莉子、読める時は読むんだよね」


「読まない時があるだけって言ってたな」


「最悪」


「でも助かる?」


「……助かる」


 素直だった。


 湊は笑わなかった。


 黒瀬がそれに気づく。


「笑わないの?」


「笑ったら怒るだろ」


「怒るけど」


「うん」


「でも、今はちょっと笑ってもよかった」


「難しいな」


「難しいんだって」


 二人で少し笑った。


 その笑いは静かだった。


 大きな出来事が解決したわけではない。


 湊の一行はまだ見せられていない。

 白瀬の寂しさも消えたわけではない。

 黒瀬の不安も、まだ胸のどこかにある。


 けれど、急がなくていい。


 今夜、黒瀬はそれを決めた。


 湊を急かさない。

 でも、待つことをやめない。

 消さないでと伝える。

 なかったことにしないでと伝える。


 それだけで、今日は十分だった。


「朝比奈」


「何?」


「見せない一行」


「うん」


「まだ見せなくていいけど」


「うん」


「いつか見た時、あたしが変な顔しても笑わないで」


「変な顔?」


「嬉しいか、怖いか、怒るか、わかんないから」


「うん」


「でも、たぶん顔に出る」


「出るだろうな」


「そこは否定して」


「無理」


「最低」


 黒瀬はむくれた。


 けれど、すぐに小さく言う。


「でも、出てもいいかも」


 湊は黒瀬を見た。


 黒瀬はカップを見つめている。


「白瀬が言ってた。顔に出ると、届くって」


「うん」


「あたし、顔に出すぎるの嫌だったけど」


「うん」


「届くなら、全部悪いわけじゃないのかも」


「そう思う」


「普通に言うな」


「でも本当だし」


「本当なら余計」


 黒瀬はいつもの言葉を返した。


 でも、声はやわらかかった。


 夜の部屋で、ギャルは見せない一行を待つと決めた。


 待つ、というのは、何もしないことではない。


 消さないでと言うこと。

 急がなくていいと言うこと。

 でも忘れないでと言うこと。


 黒瀬琉衣奈は、その全部を不器用に抱えて、カフェラテの湯気の向こうで湊を見ていた。


 湊のスマホの中には、まだ見せない一行が残っている。


 それは今夜も見せられなかった。


 けれど、なかったことにはならなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ