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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.127 ライバルだけど、敵じゃないともう一度言う

 放課後の図書室は、今日も静かだった。


 窓の外では、運動部の声が遠く聞こえている。

 廊下を誰かが歩く足音もする。

 けれど、図書室の中に入ると、それらの音は少し柔らかくなる。


 白瀬栞は返却本を棚に戻していた。


 背表紙の番号を確認し、一冊ずつ元の場所へ差し込んでいく。


 作業はいつも通りだった。


 けれど、心の中はいつも通りではなかった。


 昨日、黒瀬琉衣奈と話した。


 朝比奈湊の“見せない一行”のこと。

 それがたぶん黒瀬へ向けられた、大切な言葉であること。

 自分がそのことに少し寂しさを感じていること。


 そこまで、はっきり言ったわけではない。


 でも、少しだけ口にした。


 黒瀬は逃げなかった。


 いつものように「普通に言うな」と言いながらも、ちゃんと聞いてくれた。


 ――言える時でいい。


 その言葉を、黒瀬が言ってくれた。


 以前、自分が一行を見せられなかった時と同じように。


 それが嬉しかった。


 嬉しかったのに、胸の奥にはまだ少しだけ別のものが残っている。


 湊が黒瀬を見ている。


 黒瀬が湊を待とうとしている。


 そこに自分はいない。


 わかっている。


 けれど、わかっていることと、平気でいられることは違う。


 白瀬は本を棚へ戻しながら、小さく息を吐いた。


 その時、図書室の扉が開いた。


 黒瀬だった。


「……白瀬」


「黒瀬さん」


 白瀬は少し驚いた。


 昨日も来た。


 今日も来た。


 黒瀬が図書室に来ることが、もう特別な事件ではなくなりつつある。


 それが少し不思議で、少し嬉しい。


「今日も返却作業?」


「はい」


「毎日やってるみたい」


「当番の日だけです」


「そっか」


 黒瀬は図書室の入口付近で、少しだけ周りを見た。


 最初の頃よりは慣れた顔をしている。


 でも、まだ完全に落ち着いているわけではない。


 静かすぎる場所は、黒瀬には少し居心地が悪いのだろう。


「本」


「はい?」


「借りたやつ、まだ読んでる」


 黒瀬は、少しだけぶっきらぼうに言った。


 白瀬は思わず表情が柔らかくなる。


「嬉しいです」


「普通に言うなって」


「すみません。でも、嬉しかったので」


「それ、もう定型句」


「黒瀬さんも、そう言うと思いました」


「読まれてる」


 黒瀬はむくれた。


 けれど、すぐに本題に入るわけではなかった。


 カウンターのそばに立ったまま、棚に並ぶ本を見ている。


 白瀬は、その様子を見ながら待った。


 黒瀬が何かを言いに来たことはわかっている。


 けれど、急かすと逃げてしまう気がした。


 しばらくして、黒瀬が口を開いた。


「昨日の続き」


「はい」


「朝比奈の見せない一行の話」


 やはり、それだった。


 白瀬は返却本を一冊、静かにカウンターへ置いた。


「はい」


「白瀬、気になる?」


 黒瀬の声は、少しだけ慎重だった。


「気になります」


 白瀬は正直に答えた。


 黒瀬は少しだけ目を伏せる。


「そっか」


「でも、私が無理に知りたいものではないと思っています」


「……それも昨日言ってた」


「はい」


「でも、気になるんでしょ」


「はい」


「ややこしい」


「そうですね」


 白瀬は小さく笑った。


「自分でも、少しややこしいと思います」


 黒瀬はその言葉に少しだけ驚いたようだった。


「白瀬でも?」


「はい。私でも」


「そっか」


 黒瀬はカウンターの端に指先を置いた。


「朝比奈の見せない一行、たぶんあたしのこと」


「そうだと思います」


「近すぎるから見せられないって言ってた」


「はい」


「それ聞いた時、嬉しかった」


 黒瀬は、意外なほど素直に言った。


 でもすぐに、少し顔を赤くする。


「でも、怖かった」


「はい」


「あと、白瀬のことも思い出した」


「私のこと、ですか」


「うん」


 黒瀬は少し言葉を探すように、視線を本棚へ向けた。


「白瀬が、自分のノートの一行見せるまで時間かかった時」


「はい」


「あの時、あたし、待ったじゃん」


「待ってくれました」


「それは、何か……白瀬が見せたいなら見るし、まだなら待つしかないって思ったからで」


「はい」


「でも、自分が待つ側になると、結構きつい」


 黒瀬は苦笑した。


 白瀬は黙って聞いた。


「朝比奈の一行、今すぐ見たい」


「はい」


「でも、見せられないって言うなら待つしかない」


「はい」


「それが、思ったより落ち着かない」


「そうだと思います」


「白瀬も、そうだった?」


 白瀬は少し考えてから頷いた。


「はい。見せたいのに見せられない時は、落ち着きませんでした」


「だよね」


「でも、黒瀬さんが待ってくれたので、見せられました」


「そういうの普通に言うなって」


「本当なので」


「出た」


 黒瀬は少しだけ笑った。


 笑ったあと、表情を戻す。


「白瀬」


「はい」


「朝比奈があたしに何か見せようとしてるの、平気?」


 図書室の空気が、少しだけ重くなった。


 黒瀬の問いは、昨日よりもまっすぐだった。


 白瀬はすぐには答えられなかった。


 平気。


 そう言えば簡単だった。


 黒瀬は安心するかもしれない。

 自分も、少し楽になれるかもしれない。


 けれど、それはたぶん嘘だ。


 白瀬は嘘をつきたくなかった。


 黒瀬が、これだけ真剣に聞いてくれているから。


「平気ではないかもしれません」


 ゆっくりと言った。


 黒瀬は黙った。


 驚いた顔はしなかった。


 ただ、ちゃんと受け止めようとしている顔だった。


「そっか」


「はい」


「……そっか」


 黒瀬は同じ言葉をもう一度言った。


 それから、少しだけ視線を落とす。


「ごめん」


「謝らないでください」


「でも」


「黒瀬さんが悪いことではありません」


 白瀬は静かに首を横に振った。


「朝比奈くんが悪いことでもありません。私が、少しだけ寂しいと思っているだけです」


「それ、言わせてるのあたしじゃん」


「言わせたというより、聞いてくれています」


「……同じじゃない?」


「少し違います」


 白瀬は微笑んだ。


「聞いてもらえるのは、ありがたいことです」


 黒瀬は口を閉じた。


 何かを言い返そうとして、やめたようだった。


「白瀬ってさ」


「はい」


「強いよね」


「そうでしょうか」


「強い」


「でも、今は少し強くないかもしれません」


 白瀬は正直に言った。


 黒瀬の目が少し揺れる。


「そうなの?」


「はい。少しだけ」


「……そっか」


 黒瀬はまた、それだけ言った。


 けれど、今度の「そっか」は逃げではなかった。


 受け取って、どう扱えばいいかわからなくて、それでも手放さずにいる声だった。


 図書室の窓から夕方の光が入っている。


 棚の影が床に伸びる。


 白瀬は返却本の背表紙に触れながら、小さく息を吸った。


「黒瀬さん」


「何?」


「私は、黒瀬さんのことを敵だと思っていません」


 黒瀬は顔を上げた。


 この言葉を言うのは、二度目だ。


 以前にも言った。


 あの時は、まだ少し遠かった。


 ライバルかもしれない。

 でも敵ではない。


 そう確認した。


 今は、あの時よりずっと近い。


 だからこそ、もう一度言う必要がある気がした。


「ライバルっぽいけど」


 黒瀬が小さく言った。


「はい」


「敵じゃない」


「はい」


 白瀬は頷いた。


 黒瀬は少しだけ困ったように笑った。


「白瀬、それ言うの二回目」


「はい」


「一回目より、重い」


「そうですね」


「認めるんだ」


「はい。今の方が、たぶん本当にそう思っています」


 黒瀬は黙った。


 それから、カウンターの端を軽く指で叩いた。


「白瀬が平気じゃないって言うの、ちょっと怖かった」


「はい」


「でも、言ってくれてよかった」


 白瀬は目を瞬かせた。


 黒瀬は顔を赤くして、すぐに視線を逸らす。


「今の、なしじゃない」


「はい」


「なしじゃないけど、普通に受け取るな」


「難しいです」


「難しいの」


 二人は少しだけ笑った。


 その笑いは静かで、けれど確かだった。


 白瀬は、胸の奥の痛みが消えたわけではない。


 でも、少しだけ形が変わった気がした。


 痛みがあることを、黒瀬が知ってくれた。


 それだけで、少し息がしやすくなった。


「黒瀬さん」


「何」


「朝比奈くんの一行、いつか見せてもらえるといいですね」


 黒瀬は少しだけ顔を赤くした。


「うん」


「怖いですか」


「怖い」


「嬉しいですか」


「……嬉しい」


「どちらも本当ですね」


「うん」


 黒瀬は素直に頷いた。


「白瀬の言う通り、どっちも本当」


「はい」


「でも、待つ」


「はい」


「白瀬が言ったからじゃないけど」


「はい」


「……ちょっとだけ、白瀬が言ったからでもある」


 白瀬は静かに笑った。


「嬉しいです」


「普通に言うなって」


「本当なので」


「もうそれ禁止できない」


「では、言います」


「開き直った」


 黒瀬は呆れたように言ったが、少し楽しそうだった。


 図書室の扉が開いた。


 莉子が顔を出した。


「あ、いたいた。るいな、白瀬さん」


 黒瀬が反射的に身構える。


「莉子、何」


「いや、帰る前に探してた。二人で密談?」


「密談って言うな」


「じゃあ、名前のついてない関係会議?」


「もっとやめて」


 莉子はけらけら笑った。


 それから、二人の顔を見て少しだけ目を細める。


「あれ、何か大事な話した?」


 黒瀬が少しだけ固まる。


 白瀬は正直に頷いた。


「はい」


「お」


 莉子は珍しく、そこで深追いしなかった。


 かわりに、メモ帳を少しだけ掲げる。


「書く?」


「書かなくていい」


 黒瀬が即答する。


 莉子は笑った。


「じゃあ今日は書かない。大事そうだし」


 黒瀬が少しだけ驚いた顔をする。


「莉子が空気読んだ」


「読めるよ。読まない時があるだけ」


「最悪」


「褒められたと思ったのに」


 莉子は笑いながら、図書室の扉の近くで待った。


「帰る?」


「うん」


 黒瀬は白瀬を見る。


「白瀬、返却作業は?」


「あと少しです」


「待つ」


 白瀬は少しだけ目を丸くした。


「いいんですか」


「どうせ帰る方向途中まで同じだし」


「ありがとうございます」


「普通に」


「言います」


「言うな」


 二人のやり取りに莉子がにやにやする。


「やっぱ仲良いよね」


「仲良くないし」


「仲良くは……」


 白瀬は少しだけ止まった。


 そして、静かに言う。


「名前がついていない関係です」


 黒瀬が少しだけ笑った。


「それ、便利にした」


「はい」


「便利にするなって言いたいけど、まあいい」


 莉子が小声で言う。


「記録したい」


「莉子」


「しないしない。今日は心に保存」


「それもやめて」


「無理」


 図書室の空気が、少し軽くなった。


 帰り道。


 三人は途中まで一緒に歩いた。


 廊下を抜け、階段を降り、昇降口へ向かう。


 莉子は途中で友達に呼ばれて、少し先へ行った。


 黒瀬と白瀬が、少しだけ並ぶ。


 白瀬の髪には、今日もヘアピンが光っている。


 黒瀬はそれを見て、ぽつりと言った。


「今日もつけてる」


「はい」


「報告は?」


「今日は、黒瀬さんが先に言ったので」


「そういう返し、覚えたよね」


「黒瀬さんのおかげです」


「それは違う」


 白瀬は少し笑った。


 黒瀬も少しだけ笑った。


 それから、黒瀬は小さく言った。


「白瀬」


「はい」


「平気じゃないって言ってくれて、ありがと」


 白瀬は、足を止めそうになった。


 でも止めなかった。


 歩きながら、静かに頷く。


「聞いてくれて、ありがとうございました」


「普通に礼を返すな」


「本当なので」


「知ってる」


 黒瀬は少し顔を赤くした。


 そして、昇降口で靴を履き替える時、白瀬にだけ聞こえる声で言った。


「ライバルっぽいけど」


「はい」


「敵じゃない」


「はい」


 二人はそれ以上何も言わなかった。


 けれど、言葉はちゃんとそこに残った。


 夜。


 黒瀬はいつものように湊の部屋へ来た。


 カフェラテを両手で包み、今日は少し静かだった。


「白瀬と話した」


「うん」


「平気じゃないかもって言ってた」


「……うん」


「でも、敵じゃないって」


「そっか」


「ライバルっぽいけど、敵じゃない」


 黒瀬はカップを見つめた。


「前も言ったけど、今日はちょっと違った」


「どう違った?」


「ちゃんと痛いのも込みで言った感じ」


 湊は黙った。


 黒瀬は続ける。


「白瀬、ちゃんと強いけど、強いだけじゃない」


「うん」


「だから、朝比奈の見せない一行」


「うん」


「急がなくていいけど、雑にしないで」


「しない」


「白瀬にも、ちゃんと向き合って」


「うん」


「あたしにも」


 湊は黒瀬を見た。


 黒瀬は逃げなかった。


 顔は赤い。


 でも、言葉はまっすぐだった。


「うん」


 湊は頷いた。


「ちゃんと向き合う」


「普通に言うな」


「でも、そう言いたかった」


「ずるい」


「今日も?」


「今日も」


 黒瀬は少しだけ笑った。


 それから、カフェラテを一口飲む。


「白瀬と敵じゃないって言ったら、ちょっと楽になった」


「よかったな」


「うん」


「白瀬さんも、少し楽になってるといいな」


「たぶん」


「うん」


「たぶん、少し」


 黒瀬はクッションに顎を乗せた。


「でも、まだ全部は解決してない」


「そうだな」


「朝比奈の一行もまだだし」


「うん」


「白瀬の気持ちも、まだ途中だし」


「うん」


「あたしも、まだ待ってる途中」


「うん」


「だから、保留」


「便利だな」


「便利だから」


 黒瀬は少し笑った。


 ライバルだけど、敵じゃない。


 その言葉を、黒瀬と白瀬はもう一度確かめた。


 前より近くなったからこそ、前より少し痛くなった。


 けれど、それでも敵ではない。


 名前のついていない関係は、また一つだけ形を変えた。


 そして湊の見せない一行は、まだ静かにスマホの中に残っていた。

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