表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

119/164

ep.118 白瀬は、黒瀬のノートを少しだけ羨ましいと思う

 白瀬栞のノートは、昔からきれいだと言われることが多かった。


 字が整っている。

 見出しが見やすい。

 線の引き方が丁寧。

 あとで復習しやすい。


 先生にも、クラスメイトにも、何度もそう言われてきた。


 栞自身も、自分のノートが嫌いではなかった。


 むしろ、きちんと整理されたノートを見ると落ち着く。

 授業で聞いたことが、順番に並んでいる。

 重要な言葉が、必要な場所に収まっている。

 間違えた問題には印があり、解き直しの跡がある。


 乱れたものが整っていく感じが、好きだった。


 けれど、最近。


 黒瀬琉衣奈のノートを見ると、少しだけ違う気持ちになる。


 黒瀬のノートは、栞のノートとはまったく違う。


 字は勢いがある。

 見出しは時々大きすぎる。

 余白には、授業内容だけでなく、黒瀬自身の言葉が混ざっている。


 ――符号は裏切らないらしい。

 ――莉子、限界。

 ――白瀬、今日ちょっと笑った。莉子のせい。

 ――朝比奈、鍋ではなく丸で囲む。


 見返した時に、問題だけでなく、その日の空気まで思い出せるノート。


 白瀬には、それが少し眩しかった。


 放課後自習会の翌朝、栞は自分の席でノートを開いていた。


 昨日の範囲を見直すためだった。


 自分のノートはいつも通り整っている。


 きれいだ。

 見やすい。

 復習もしやすい。


 でも、そこに自分があまりいない気がした。


 授業の内容はある。

 解法はある。

 先生の注意点もある。


 けれど、自分がその時どう思ったのかは、ほとんど残っていない。


 白瀬栞が何を感じたのか。

 何を嬉しいと思ったのか。

 何に少し困ったのか。


 そういうものが、きれいに取り除かれている。


 今までは、それでいいと思っていた。


 でも、黒瀬のノートを見てから、少しだけ思う。


 余白とは、空けておく場所ではなく、何かを残せる場所なのかもしれない。


「白瀬さん、おはよー」


 莉子の声がして、栞は顔を上げた。


「おはようございます、藤堂さん」


「今日もノートきれいだね」


「そうでしょうか」


「うん。見ただけで頭よくなりそう」


「それは、たぶんなりません」


「白瀬さん、そういうとこ真面目」


 莉子は笑いながら、栞の机の上を見た。


「でも、今日は何か考えてる顔してる」


「私がですか?」


「うん。最近ちょっとわかるようになってきた」


「黒瀬さんにも、似たようなことを言われました」


「るいな、白瀬さんのこと見てるからね」


 栞は少しだけ目を伏せた。


 それを言われると、胸の奥が少し温かくなる。


「黒瀬さんは、まだ来ていませんね」


「うん。たぶんギリギリ。昨日、自習会で頭使ったから」


「藤堂さんも、少し眠そうでした」


「そこは忘れてほしい」


「黒瀬さんのノートに、莉子、限界、と書いてありました」


「それも忘れてほしい!」


 莉子は小さく叫びかけて、教室なので声を落とした。


「るいな、ほんと何でも書くようになったよね」


「はい」


「白瀬さん的には、どうなの?」


「どう、とは?」


「るいなのノート」


 栞は少し考えた。


 どう思うか。


 きっと答えはもう決まっている。


「少し、羨ましいです」


 言ってから、自分でも少し驚いた。


 莉子も目を丸くした。


「羨ましい?」


「はい」


「白瀬さんのノートの方が、どう見てもきれいだけど」


「きれいなのは、そうかもしれません」


「自分で言うの珍しいね」


「でも」


 栞はノートの余白を見た。


「黒瀬さんのノートには、黒瀬さんがいます」


 莉子は一瞬、黙った。


 それから少しだけ笑う。


 いつもの茶化す笑い方ではなかった。


「それ、るいなに言ったら固まるよ」


「そうでしょうか」


「うん。たぶん顔真っ赤になる」


「……そうかもしれません」


 栞は少しだけ頬を赤くした。


 その時、教室の扉が開いた。


 黒瀬が入ってくる。


 少し眠そうな顔。

 けれど、こちらを見るといつものように短く言った。


「……おはよ」


「おはようございます、黒瀬さん」


「おはよ、るいな」


 莉子も手を振る。


 黒瀬は自分の席に鞄を置きながら、莉子を少し疑わしそうに見る。


「何か話してた?」


「うん。白瀬さんが、るいなのノート羨ましいって」


「莉子!」


 栞は思わず声を出した。


 黒瀬が完全に固まる。


「……は?」


 予想通りの反応だった。


 莉子は悪びれない。


「ごめん、口が滑った」


「滑り方が雑すぎます」


「ごめんごめん」


 栞は少し慌てて黒瀬を見た。


「黒瀬さん、今のは」


「白瀬が?」


「はい」


「あたしのノートを?」


「……はい」


「何で」


 黒瀬は本当に意味がわからないという顔をしている。


 栞は言葉を探した。


 朝の教室で全部を言うには、少し勇気がいる。


 けれど、莉子に言われてしまった以上、完全に隠すのも違う気がした。


「黒瀬さんのノートには、黒瀬さんがいるので」


 栞が言うと、黒瀬はさらに固まった。


「……何それ」


「そのままの意味です」


「いや、意味わかんない」


 黒瀬は顔を赤くしながら、視線を逸らす。


「白瀬のノートの方がきれいじゃん」


「はい」


「はいって」


「私のノートは、たぶん整理されています」


「じゃあいいでしょ」


「でも、黒瀬さんのノートのように、その日の気持ちはあまり残っていません」


 黒瀬は言葉に詰まった。


 莉子が少しだけ真面目な顔で聞いている。


 ちょうどその時、朝比奈湊が教室に入ってきた。


「おはよう」


「……おはよ」


「おはようございます」


「おはよー、朝比奈くん」


 いつもの挨拶のあと、湊は空気が少し違うことに気づいたらしい。


「何かあった?」


 黒瀬がすぐに言う。


「何もない」


 莉子が同時に言う。


「白瀬さんが、るいなのノート羨ましいって」


「莉子!」


 今度は黒瀬と栞の声が重なった。


 一瞬の沈黙。


 莉子が吹き出す。


「そこまで重なる?」


「笑うな!」


「すみません……」


 黒瀬と栞は同時に言い、また少し気まずくなった。


 湊はその光景を見て、少しだけ笑う。


 黒瀬が睨む。


「朝比奈も笑うな」


「ごめん。でも、仲良いなって」


「仲良くないし」


「仲良くは……」


 栞は言いかけて、昨日のことを思い出して止まった。


 名前がついていない関係。


 湊が言った言葉。


 黒瀬もそれを思い出したのか、少しだけ視線を逸らした。


「……それ、今は言わない」


「悪い」


 湊は素直に引いた。


 黒瀬は少しだけほっとしたように息を吐いた。


 一限目が始まる前、栞はノートを開いた。


 黒瀬のノートのことを、羨ましいと言ってしまった。


 黒瀬はきっと気にしている。


 気にしているから、今も時々こちらを見る。


 その視線が少し痛くて、少し嬉しい。


 栞は授業用のページの端に、ほんの少しだけ空白を作った。


 いつもなら、そこには補足か注意点を書く。


 けれど今日は、違う。


 黒瀬のように、自分の気持ちを一行だけ。


 授業が始まり、先生の説明を聞きながらも、その余白がずっと気になっていた。


 なかなか書けない。


 黒瀬は、どうしてあんなふうに書けるのだろう。


 きっと黒瀬本人は「別に」と言う。


 でも、栞にはそれが簡単には見えなかった。


 昼休み。


 栞は自分の弁当を開いたが、あまり箸が進まなかった。


 ノートを開く。


 白い余白。


 そこに、シャーペンの先を置く。


 何を書くかは、もう決まっていた。


 でも、書く瞬間に少しだけ怖くなる。


 書いたら、残る。


 残ってしまう。


 今までは、そういうものを残さないようにしてきたのかもしれない。


 授業内容だけなら、安心だった。

 誰かに見られても困らない。

 きれいだと言われるだけで済む。


 でも、気持ちは違う。


 見られたら、恥ずかしい。


 それでも、黒瀬は残している。


 なら、自分も少しだけ。


 栞はゆっくり書いた。


 ――今日、黒瀬さんのノートが少し羨ましかった。


 書いた。


 書いてしまった。


 文字はいつも通り整っている。


 けれど、その一行だけ、妙に心拍数が高い。


 栞はすぐにノートを閉じようとした。


 その瞬間、湊が声をかけた。


「白瀬さん」


「はいっ」


 少しだけ声が跳ねた。


 湊が驚いた顔をする。


「ごめん。大丈夫?」


「はい。大丈夫です」


「また何か書いてた?」


 栞は、少しだけ迷った。


 湊には昨日も、何かを書いたことを知られている。


 そして、急かさずにいてくれた。


「……はい」


「黒瀬のこと?」


 栞は小さく頷いた。


「はい」


 湊は少しだけ表情をやわらげる。


「見せる?」


「まだ、わかりません」


「そっか」


「でも」


 栞はノートに手を置いた。


「今度は、いつか見せたいと思っています」


「いいと思う」


 その言い方が自然で、栞は少しだけ安心した。


「朝比奈くんは、そういう時に普通に言うんですね」


「そう?」


「はい。黒瀬さんがよく怒る理由が、少しわかります」


 湊は苦笑した。


「それ、褒められてる?」


「半分くらいは」


 言ってから、栞は自分で少し驚いた。


 半分くらい。


 黒瀬の言葉が、自然に出た。


 湊もそれに気づいて笑う。


「白瀬さんも使うようになったな」


「影響されているのかもしれません」


「黒瀬が聞いたら何て言うかな」


「便利にするな、でしょうか」


「たぶん」


 二人で少し笑った。


 その笑いに気づいた黒瀬が、少し離れた席からこちらを見る。


 すぐにスマホが震えた。


 黒瀬からだった。


『何笑ってるの』


 湊はスマホを見て、少しだけ笑った。


 栞も何となくそれが黒瀬からだとわかった。


 湊は返信する。


『白瀬さんも半分くらいって言った』


 黒瀬の席で、黒瀬が固まった。


 そしてすぐに返信が来る。


『便利にするな』


 湊は栞に画面を見せた。


 栞は思わず笑ってしまった。


「予想通りでした」


 黒瀬がまたこちらを見る。


 顔が少し赤い。


 でも、少し嬉しそうだった。


 放課後。


 栞はノートを鞄にしまいながら、まだ一行のことを考えていた。


 ――今日、黒瀬さんのノートが少し羨ましかった。


 見せたい。


 でもまだ無理。


 そう思っていると、湊が近づいてきた。


「白瀬さん、今日図書委員?」


「はい。少しだけ」


「黒瀬、たぶん気にしてる」


「私のノートのことですか」


「うん」


「そうですね。今朝、藤堂さんが言ってしまいましたから」


 栞は少し困ったように笑った。


「でも、まだ見せられそうにありません」


「無理しなくていいと思う」


「はい」


「ただ、黒瀬はたぶん、待つと思う」


 その言葉に、栞は少しだけ驚いた。


「黒瀬さんが」


「うん。最近、そういうところがある」


「そうですね」


 栞は頷いた。


 黒瀬は以前より、待つことが上手くなっている。


 急かさず、でも見捨てず、言える時でいいと言ってくれる。


 それはきっと、湊との夜の時間で少しずつ育ったものなのだろう。


 そう思うと、胸の奥が少しだけきゅっとした。


 痛い、というほどではない。


 ただ、少しだけ静かな寂しさ。


 けれどそれも、ノートに書ける日が来るのかもしれない。


「朝比奈くん」


「ん?」


「私も、少しずつでいいのでしょうか」


「うん」


 湊はすぐに答えた。


「白瀬さんのペースでいいと思う」


 その言葉は優しかった。


 けれど同時に、栞は黒瀬のことを考えた。


 湊は黒瀬にも、こういうふうに言葉を渡しているのだろう。


 だから黒瀬は、少しずつ変わっている。


 栞は静かに頷いた。


「ありがとうございます」


「どういたしまして」


 廊下の向こうで、黒瀬がこちらを見ているのが見えた。


 湊も気づいた。


 黒瀬は視線を逸らした。


 しかし、スマホが震える。


 今度は栞のスマホだった。


 黒瀬からのメッセージ。


『無理に見せなくていいから』


 栞は画面を見て、息を止めた。


 続いて、もう一通。


『でも、消さないで』


 栞の胸の奥が、じわりと温かくなった。


 黒瀬さんは、待ってくれている。


 そして、消さないでと言ってくれている。


 栞は返信した。


『消しません』


 少しして、黒瀬から返事が来た。


『ならいい』


 たったそれだけ。


 でも、十分だった。


 その夜。


 黒瀬はいつものように湊の部屋へ行った。


 カフェラテを両手で包み、クッションを抱える。


 湊が聞く。


「白瀬さんにメッセージ送った?」


「……見てたの?」


「黒瀬が廊下でスマホ持って固まってたから」


「顔じゃなくて行動」


「うん」


「最悪」


 黒瀬は少しだけ顔を赤くした。


「送った」


「何て?」


「無理に見せなくていいって」


「うん」


「でも、消さないでって」


 湊は少しだけ黙った。


 それから静かに言った。


「いいと思う」


「普通に言うな」


「でも、すごくいいと思った」


「二回言うな」


 黒瀬はクッションに顔を半分埋めた。


「白瀬が、あたしのノート羨ましいって言った」


「うん」


「意味わかんないって思ったけど」


「うん」


「でも、ちょっと嬉しかった」


「そっか」


「白瀬のノートって、きれいじゃん」


「うん」


「あれに、あたしのこと書いてあるかもしれないの、変」


「嫌?」


「嫌じゃない」


 即答だった。


 黒瀬は少しだけ目を伏せる。


「でも、見たらたぶん死ぬ」


「死なない」


「死ぬって」


「じゃあ、待つ?」


 黒瀬はカップを見た。


 少しだけ黙る。


「待つ」


「うん」


「白瀬が見せてくれるまで」


「うん」


「でも、消さないでほしい」


「さっき送ったな」


「うん」


 黒瀬はカフェラテを一口飲んだ。


「白瀬のノートに、あたしがいるの」


「うん」


「ちょっと、怖いけど」


「うん」


「……ちょっと嬉しい」


 湊は頷いた。


 黒瀬はすぐに睨む。


「普通に褒めるなよ」


「まだ何も言ってない」


「顔」


「顔か」


「顔」


 黒瀬は少しだけ笑った。


 白瀬は、黒瀬のノートを少しだけ羨ましいと思った。


 きれいに整った自分のノートには、まだ自分が少ない。


 だから、初めて余白に感情を書いた。


 その一行はまだ黒瀬に見せられていない。


 でも、消さずに残っている。


 それだけで、少しずつ何かが変わり始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ