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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.110 撮らなかった一枚の代わりに、ギャルは言葉で残す

 週が明けてから、黒瀬琉衣奈のノートには少し妙な余白が増えていた。


 数学の式。

 英単語の意味。

 先生が強調した小テスト範囲。


 その合間に、明らかに授業とは関係ない短い言葉が紛れている。


 ――白瀬、今日もヘアピン。

 ――莉子、写真うるさい。

 ――朝比奈、消してない。

 ――撮るのはまだ。

 ――見て覚える日。


 黒瀬は、自分でそれを書いておきながら、あとで見返して少しだけ顔を赤くした。


 何を書いているんだろう。


 勉強用のノートなのに。


 けれど、消す気にはならなかった。


 先生に見せる時は付箋で隠せばいい。

 白瀬が見たら、たぶん「良いメモだと思います」と言う。

 莉子が見たら絶対に騒ぐ。

 朝比奈が見たら、たぶん普通に「黒瀬らしい」と言う。


 それが一番困る。


 黒瀬はノートを閉じ、机の端に置いた。


 金曜の夜に湊の部屋で話したことが、まだ残っていた。


 白瀬の楽しそうな顔を撮ること。

 撮れなかった顔を、自分が覚えておくこと。

 写真に残すべき瞬間と、目で覚えておくべき瞬間があること。


 自分で言って、自分でかなり恥ずかしくなった。


 でも、嘘ではなかった。


 白瀬栞が笑った時、黒瀬は本当に思ったのだ。


 今の顔、残したい。


 でも今は、スマホじゃなくて自分の目で覚えておきたい。


「るいなー」


 莉子の声で、黒瀬は顔を上げた。


「何」


「またノート見てる」


「見てない」


「閉じたじゃん」


「閉じただけ」


「最近のるいな、ノート守りすぎ」


「守ってないし」


「前はスマホ守ってたのに」


「守ってた覚えない」


「あるある。朝比奈くんからのメッセージ来た時とか」


「莉子」


 黒瀬の声が低くなる。


 莉子は笑って両手を上げた。


「はいはい。深追いしない」


「絶対する顔」


「半分する」


「半分もするな」


 莉子が笑う。


 その向こうで、白瀬栞が教室に入ってきた。


 今日もヘアピンをつけている。


 金曜の朝と同じ、細く光るヘアピン。


 黒瀬が選んだもの。


 見慣れてきたはずなのに、やっぱり目に入る。


 栞は席に着く前に、黒瀬の方を見た。


「黒瀬さん、おはようございます」


「……おはよ」


「今日もつけてきました」


「だから、毎日報告しなくていいって」


「はい」


 栞は少しだけ笑った。


「でも、今日で三日目です」


「数えるな」


「嬉しかったので」


「それも言わなくていい」


「すみません」


「謝るの早い」


 いつものやり取り。


 けれど、栞の表情は少しずつ柔らかくなっている。


 本人は気づいていないかもしれない。


 でも、黒瀬には見えていた。


 ほんの少しだけ目元がゆるむ。

 声が柔らかくなる。

 ヘアピンに触れる指先が、少しだけ大事そうになる。


 それを見るたびに、黒瀬は思う。


 撮るなら、こういう瞬間なのかもしれない。


 でも、今日はまだ撮らない。


 今日は、見る日。


 そう決めている。


 朝比奈湊が教室に入ってきたのは、その少し後だった。


「おはよう」


「……おはよ」


 黒瀬はいつものように返した。


 湊は黒瀬を見て、それから栞のヘアピンを見る。


「今日も似合ってるな」


 普通に言った。


 栞は少し頬を赤くして、丁寧に頭を下げる。


「ありがとうございます」


 黒瀬は一瞬だけ湊を見る。


 湊もそれに気づき、黒瀬にだけ少し声を落として言った。


「黒瀬が選んだからだな」


「……それ、もう何回目」


「大事だから」


「ずるい」


「今日も?」


「今日も」


 黒瀬は視線を逸らした。


 でも、嫌ではなかった。


 嫌ではない。


 むしろ、その言葉を聞くと少し落ち着く。


 湊が白瀬を褒めても、黒瀬が選んだからだと続けてくれる。


 それだけで、胸の奥の面倒な引っかかりが少しほどける。


 自分でも単純だと思う。


 でも、その単純さも、最近は少しだけ認められるようになってきた。


 二限目の休み時間。


 栞が黒瀬の席へ来た。


 手にはノートを持っている。


「黒瀬さん」


「何?」


「昨日言っていた写真のことですが」


「え、今?」


「はい。少しだけ」


 黒瀬は身構えた。


 莉子が近くで即座に反応する。


「写真?」


「莉子は黙ってて」


「まだ何も言ってない」


「顔が言ってる」


「顔で会話するの便利だね」


「便利にするな」


 栞は少しだけ笑ってから、黒瀬に向き直った。


「昨日、黒瀬さんが言ってくれたんです。嫌なら撮らない、と」


「……言った」


「それで、少し安心しました」


「そっか」


「だから、今すぐではなくていいのですが」


 栞はノートを胸元に抱え直す。


「いつか、黒瀬さんが撮りたいと思った時に、私が嫌ではなかったら、撮ってください」


 黒瀬は固まった。


 言葉が、思ったよりまっすぐ届いた。


 撮ってください。


 その一言が、変に重かった。


 責任がある。


 でも、嫌ではない。


「……わかった」


 黒瀬は小さく言った。


「でも、変な顔だったら消すから」


「はい」


「白瀬が嫌だったら、その時点で消す」


「はい」


「あと、莉子が勝手に送るのは禁止」


「何であたしに飛び火!?」


 莉子が抗議する。


「前科あるでしょ」


「あれは許可取ったじゃん」


「範囲が問題だったって言った」


「じゃあ今度は確認しますー」


「ほんとに?」


「半分」


「半分じゃだめ」


 莉子が笑う。


 栞も少しだけ笑った。


 黒瀬はその笑顔を見た。


 撮りたい、と思った。


 けれど、スマホは出さなかった。


 今のは、まだ違う。


 今のは、会話の中で自然に出た笑顔だ。


 写真に残すより、言葉で残しておきたい。


 そう思った。


 黒瀬はノートを開いた。


 余白に短く書く。


 ――白瀬、撮ってくださいと言った。

 ――今日は撮らない。

 ――笑った。


 書いてから、すぐに閉じた。


 莉子がすかさず覗こうとする。


「今何書いた?」


「見るな」


「絶対何か書いた」


「授業のこと」


「休み時間なのに?」


「予習」


「嘘が雑」


「うるさい」


 黒瀬はノートを鞄にしまった。


 昼休み。


 今日は珍しく四人で机を少し寄せて食べることになった。


 自然にそうなった。


 莉子が「せっかくだし」と言い、栞が「私は大丈夫です」と答え、湊が頷き、黒瀬が「別に」と言った。


 その「別に」は、もうほとんど了承だった。


 莉子はパンを食べながら言う。


「なんかさ、こうやって普通に四人で食べるのも慣れてきたよね」


「普通に言うな」


 黒瀬が反射的に返す。


「そこ怒る?」


「何か恥ずい」


「るいな、最近だいたい恥ずかしがってる」


「莉子が余計なこと言うから」


「半分は?」


「半分どころじゃない」


 莉子はけらけら笑った。


 栞はお弁当の小さなおかずを箸で取りながら、静かに言う。


「でも、私も少し慣れてきました」


「白瀬も?」


 黒瀬が聞く。


「はい。藤堂さんの明るさと、黒瀬さんの反応と、朝比奈くんの間の取り方に」


「私の反応って何」


「安心します」


「反応で?」


「はい。黒瀬さんが反応してくれると、会話がちゃんと届いた気がするので」


 黒瀬は言葉に詰まった。


 莉子が小さく拍手する。


「白瀬さん、今日も直球」


「直球でしょうか」


「ど真ん中」


「そうですか」


 栞は少しだけ恥ずかしそうに目を伏せる。


 黒瀬は焼きそばパンの袋を見ながら、ぼそっと言った。


「……届いてるし」


 湊がそれを聞いた。


 莉子も聞いた。


 栞も聞いた。


 黒瀬は、すぐに顔を赤くする。


「今のなし」


「無理」


 三人の声が重なった。


 黒瀬が固まる。


「……今の三人で言う?」


 莉子が笑い崩れる。


 栞は口元を押さえている。


 湊も笑ってしまった。


 黒瀬は真っ赤になって机に突っ伏しかけ、でも教室なので耐えた。


「最悪」


「いや、今のはるいなが悪い」


 莉子が言う。


「何で」


「可愛すぎた」


「莉子!」


 また声が大きくなる。


 黒瀬は慌てて口を閉じ、周囲を見る。


 湊は静かに言った。


「今のは、いい反応だった」


「朝比奈も言うな」


「悪い」


「悪いと思ってない」


「半分くらいは」


「禁止」


 いつものやり取りで、四人の空気がふっと緩む。


 黒瀬は少しだけ視線を落とした。


 そして、思った。


 今の白瀬も、少し笑っていた。


 楽しそうだった。


 でも、やっぱり撮らなくてよかった。


 こういう笑顔は、会話の中にある。


 自分のノートに残せばいい。


 放課後。


 黒瀬は湊の席へ来た。


「朝比奈」


「何?」


「今日、行く」


「写真は撮らなかったけど、言葉で残した話?」


 黒瀬が固まった。


「……何でわかるの」


「顔」


「みんな顔って言いすぎ」


「黒瀬も言うだろ」


「うるさい」


 黒瀬は少しだけむくれた。


「今日は、撮らなかった」


「うん」


「でも、ノートに書いた」


「見せてくれる?」


「……夜なら」


「カフェラテ?」


「当然」


 夜。


 黒瀬はいつものように湊の部屋に来た。


 今日はノートを持ってきていた。


 ソファに座り、カフェラテを両手で包む。


 少しだけ迷ってから、ノートを開いた。


 余白に書かれた短い言葉。


 ――白瀬、撮ってくださいと言った。

 ――今日は撮らない。

 ――笑った。

 ――届いてるし。

 ――三人で無理って言われた。最悪。


 湊はそれを見て、少しだけ笑った。


 黒瀬が睨む。


「笑うな」


「ごめん。最後の最悪が黒瀬らしい」


「そこ拾うな」


「でも、いいメモだな」


 黒瀬は少しだけ顔を赤くした。


「授業のメモじゃない」


「でも、今日のメモだろ」


「……うん」


 黒瀬はノートを見下ろす。


「撮らなかった一枚の代わり」


「うん」


「写真じゃないけど、これ見たら思い出せる」


「白瀬さんが笑ったこと?」


「それも」


「届いてるし、って言ったことも?」


「それは忘れて」


「無理」


「知ってた」


 黒瀬はクッションを抱えた。


 でも、ノートは閉じなかった。


「写真じゃなくても、残るんだね」


「うん」


「言葉でも」


「うん」


「なら、今日はこれでいい」


 黒瀬は小さく言った。


 湊は頷く。


「いいと思う」


「普通に言うなって」


「でも本当だし」


「本当なら余計」


 黒瀬は少しだけ笑った。


 撮らなかった一枚の代わりに、ギャルは言葉で残した。


 白瀬の笑顔。

 莉子の茶化し。

 三人で重なった「無理」。

 そして、自分が思わず言った「届いてるし」。


 その全部は、写真にはならなかった。


 でも黒瀬のノートの余白に、ちゃんと残った。

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