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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.107 同じ写真を持っているのに、見返す理由は少しずつ違う

 水曜の朝、黒瀬琉衣奈は少しだけ警戒していた。


 理由は、昨日の写真だ。


 藤堂莉子がグループメッセージに送ってきた、週末のカフェの写真。


 四つの飲み物。

 買い物袋。

 テーブルの端に映り込んだ黒瀬の横顔。

 そして、カフェラテを両手で包んで少し笑っている自分。


 昨日の夜、黒瀬は朝比奈湊の部屋でその写真をもう一度見た。


 保存するな、と言った。

 でも消せとは言わなかった。

 むしろ、消されたら嫌だと気づいてしまった。


 面倒くさい。


 自分でもそう思う。


 保存されるのは恥ずかしい。

 でも、保存されないのも少し寂しい。

 見返されるのは困る。

 でも、まったく見返されないのも、それはそれで嫌。


 朝から考えるには重すぎる。


 黒瀬は教室に入り、自分の席へ向かった。


「るいな、おはよー」


 莉子が手を振る。


「……おはよ」


「昨日、写真見返した?」


「見返してない」


 即答した。


 莉子が目を細める。


「嘘だ」


「嘘じゃない」


「じゃあ、朝比奈くんと見返した?」


「莉子」


「はい、見返した顔」


「顔で読むな!」


 黒瀬の声が少し大きくなる。


 近くの生徒がちらっと見た。


 黒瀬は慌てて声を落とす。


「……朝からほんとうざい」


「はいはい。でも、あの写真いいよね」


「それは……まあ」


「あ、認めた」


「写真としては、悪くないってだけ」


「るいな語では、けっこう気に入ってる」


「翻訳すんな」


 黒瀬はむくれながら席に座った。


 机の上にはノート。

 けれど、今日は開く前にスマホへ視線が行ってしまう。


 グループメッセージを開けば、写真がある。


 保存はしていない。


 いや、正確には。


 昨日の夜、湊のスマホで保存するところを見たあと、自分もこっそり保存した。


 言わない。


 絶対に言わない。


 黒瀬がスマホを伏せた瞬間、教室の入り口から湊が入ってきた。


「……おはよ」


「おはよう」


 いつもの挨拶。


 けれど、湊の顔を見ると、昨日の夜の会話を思い出す。


 ――いい写真だな。


 ――消さないでいい。


 ――見返してにやにやしないで。


 そのやり取りが頭に戻ってきて、黒瀬は少しだけ目を逸らした。


 湊はそれに気づいたらしい。


 何か言いたそうな顔をしたが、言わなかった。


 言わないでくれた。


 その気遣いも、また少しずるい。


 斜め前の席では、白瀬栞がノートを開いていた。


 髪には、今日もあのヘアピンがついている。


 黒瀬が選んだヘアピン。


 昨日よりも少しだけ自然に見えた。

 まるで、最初から栞のものだったみたいに。


 栞が顔を上げる。


「黒瀬さん、おはようございます」


「……おはよ」


「今日も、つけてきました」


「毎日報告しなくていい」


「すみません。でも、少し嬉しかったので」


「何が」


「黒瀬さんが気づいてくれるので」


「そういうの!」


 黒瀬は顔を赤くした。


 莉子がすぐに笑う。


「白瀬さん、最近ほんと攻めるね」


「攻めているつもりはありません」


「それで攻めてないのが強いんだよね」


「強いって何度も言われています」


「強いからね」


 栞は少し困ったように笑った。


 その表情を見て、黒瀬はまた思う。


 白瀬は、少し変わった。


 いや、もともとこうだったのかもしれない。


 ただ、黒瀬がそれに気づくようになっただけで。


 一限目が始まる前、黒瀬のスマホが震えた。


 湊からだった。


『写真、まだ見返してない』


 黒瀬は思わず湊を見る。


 湊は自分の席で教科書を出しているふりをしていた。


 黒瀬は返信する。


『聞いてない』


 すぐ既読。


『昨日、にやにやするなって言われたから報告』


『報告いらない』


『でも消してない』


 黒瀬の指が止まった。


 心臓が少し変な動きをする。


『それも聞いてない』


 そう返す。


 少しして、湊から来た。


『わかった』


 たったそれだけ。


 でも、その「わかった」が妙に落ち着く。


 黒瀬はスマホを伏せた。


 そして、ノートの余白に小さく書いた。


 ――消してない。


 書いてから、慌てて消そうとした。


 けれど、消しゴムを持った手が止まる。


 昨日、湊は言った。


 ノートの余白に書いた本音は、消しゴムでは消しきれない。


 いや、正確にはそんな言い方ではなかったかもしれない。


 でも、そういう感じだった。


 黒瀬は少し迷って、その一行を消さなかった。


 代わりに、その横に小さく付け足す。


 ――見返すな。


 矛盾している。


 でも、これでいい。


 黒瀬のノートは、最近そういうものになってきた。


 授業内容だけではない。

 自分があとで思い出すための言葉が、少しずつ増えていく。


 二限目の休み時間。


 栞が黒瀬の席へ来た。


「黒瀬さん」


「何?」


「昨日の写真ですが」


 黒瀬が固まる。


「白瀬までその話?」


「すみません。少しだけ」


「……何」


 栞はスマホを手にしていた。


 画面には、あの写真が開かれている。


「私も保存しました」


「それは昨日聞いた」


「はい」


「で?」


 栞は少しだけ目を伏せる。


「見返す理由が、黒瀬さんや藤堂さんとは違うかもしれないと思って」


「理由?」


「はい」


 黒瀬は少しだけ身構えた。


 白瀬がこういう話をすると、大体まっすぐ刺さる。


 栞は写真を見ながら、静かに言った。


「私は、この写真を見ると、あの日、自分が少し変われた気がするんです」


「変われた?」


「はい。黒瀬さんに服を選んでもらって、それを着てみて、似合うと言ってもらって」


 栞の指が、写真の中の紙袋へ触れる。


「そのあと、カフェで皆さんと座って。紅茶を飲んで。少しだけ、自分がいつもの自分と違う場所にいるような気がしました」


 黒瀬は黙って聞いていた。


 湊も、斜め前の席からその会話を聞いている。


 莉子は少し離れた席で、珍しく茶化さずに見守っていた。


「だから、保存しました」


 栞は顔を上げる。


「黒瀬さんが選んでくれたものを、ちゃんと覚えていたかったので」


 黒瀬は、すぐに返せなかった。


 普通に言うな。


 そう返せばいつも通りだった。


 でも、今日は少し違った。


 栞の言葉は、からかいではない。

 感謝でもあるけれど、それだけではない。


 あの日を、ちゃんと残したいという言葉だった。


「……白瀬」


「はい」


「そういうの、朝から言われると困る」


「すみません」


「でも」


 黒瀬は少しだけ視線を逸らした。


「……嫌じゃない」


 栞の表情がやわらかくなった。


「はい」


「あと」


「はい」


「写真、保存していい」


「もう保存しました」


「そうだった」


 黒瀬は少しだけ笑った。


 栞も小さく笑う。


 その笑い方が、昨日よりも少し自然に見えた。


 昼休み。


 莉子が自分のスマホを机に置き、例の写真を開いた。


「じゃあ、保存理由発表会しよう」


「しない」


 黒瀬が即答する。


「えー、いいじゃん。白瀬さんは今言ったし」


「それを発表会にするな」


「じゃあ、あたしから」


「聞いてない」


「聞いて。あたしは、単純に四人で遊んだ記念」


 莉子はさらっと言った。


「なんかさ、学校では見られない顔してるじゃん、みんな」


「みんな?」


「うん。白瀬さんはちょっと柔らかいし、るいなは楽しそうだし、朝比奈くんはカメラに慣れてないし」


「最後、俺か」


 湊が思わず言う。


 莉子は笑った。


「朝比奈くん、ちょっと困った顔してるよ」


「そうなのか」


「でも、それがいい。無理に決め顔してない感じ」


「褒めてる?」


「半分」


 黒瀬が少し笑った。


「莉子まで半分使う」


「便利だから」


「みんな便利にしすぎ」


 莉子は写真を見ながら続ける。


「あたしはさ、るいながこういう顔してるの、けっこう嬉しいんだよね」


「……は?」


「前より楽しそうだから」


 黒瀬の動きが止まる。


 莉子は軽い声のまま、でも目は少しだけ真面目だった。


「だから保存した。以上」


「……莉子」


「何?」


「そういうの、急に真面目に言うな」


「たまにはね」


「似合わない」


「ひど」


 莉子は笑った。


 でも黒瀬は、笑いながらも少しだけ目を伏せた。


「……ありがと」


 小さな声。


 莉子は一瞬だけ驚いて、それから満足そうに頷いた。


「どういたしまして」


「保護者っぽい」


「保護者だから」


「違うってば」


 いつものやり取り。


 でも、その下には少しだけ温かいものが流れていた。


 そして、当然のように莉子の視線が湊へ向いた。


「で、朝比奈くんは?」


「俺?」


「保存理由」


 黒瀬がびくっとした。


「莉子、やめて」


「いや、聞くでしょ」


「聞かなくていい」


「るいなは聞きたい顔してる」


「してない!」


 黒瀬は否定したが、否定が早すぎた。


 湊は少しだけ考えた。


 教室で言うには、少し慎重に選ばなければいけない。


 黒瀬はすでに赤くなっている。


 栞は静かにこちらを見ている。


 莉子は完全に面白がっているが、でも逃がす気はなさそうだ。


「楽しかったのを、覚えておきたかったから」


 湊は言った。


 短く。


 それ以上は言いすぎになる気がした。


 黒瀬は視線を落とした。


「……普通」


「普通?」


「普通に言うなって意味」


「ああ」


「でも」


 黒瀬は小さく言う。


「変じゃない」


 その返しが、たぶん黒瀬なりの受け取り方だった。


 湊は頷いた。


「そっか」


「うん」


 莉子が小声で言う。


「いやー、青春」


「莉子」


「はいはい、黙ります」


「絶対黙らない顔」


「半分黙る」


「半分って何」


 栞が少し笑う。


 黒瀬も、少しだけ笑った。


 放課後。


 黒瀬は湊の席へ来た。


「朝比奈」


「何?」


「今日、行く」


「写真の保存理由発表会の反省?」


「発表会って言うな」


「莉子さんが言ってた」


「莉子は後で文句」


「俺は?」


「朝比奈にも文句」


「何の?」


「普通にいいこと言った件」


「それ文句なのか」


「文句」


 黒瀬は鞄を肩にかけた。


「あと、夜にもう一回写真見る」


「了解」


「でも、にやにや禁止」


「努力する」


「努力じゃなくて、やって」


「やる」


「カフェラテ」


「当然?」


「当然」


 夜。


 黒瀬はいつものように部屋へ来た。


 ソファに座り、クッションを抱え、カフェラテを両手で包む。


 テーブルには、湊のスマホ。


 例の写真。


 黒瀬はそれを見て、小さく息を吐いた。


「今日、みんな理由違った」


「うん」


「白瀬は、変われた気がしたから」


「うん」


「莉子は、あたしが楽しそうだったから」


「うん」


「朝比奈は、楽しかったのを覚えておきたいから」


「うん」


「……あたしは」


 黒瀬は写真を見つめた。


 しばらく黙る。


「たぶん、同じ」


「同じ?」


「全部、ちょっとずつ同じ」


 黒瀬はカフェラテを飲む。


「白瀬が変わったのも覚えておきたいし、莉子が楽しそうだったのも覚えておきたいし、朝比奈がいたのも覚えておきたい」


「うん」


「あと」


 黒瀬は小さく声を落とした。


「自分が楽しかったのも、忘れたくない」


 湊は、すぐには返さなかった。


 黒瀬が逃げなかったからだ。


 ちゃんと、その言葉を置いたままでいる。


「いい理由だと思う」


 湊が言うと、黒瀬は少しだけ顔を赤くした。


「普通に言うなって」


「でも本当だし」


「本当なら余計」


 黒瀬はクッションに顎を乗せた。


「保存してよかった」


「うん」


「でも、見返してにやにやするのは禁止」


「まだそこは変わらないのか」


「変わらない」


「わかった」


「でも」


 黒瀬は少しだけ視線を逸らす。


「たまになら、いい」


「見返すの?」


「うん」


「いつ?」


「……夜なら」


 湊は少し笑った。


 黒瀬が睨む。


「笑うな」


「ごめん」


「でも、夜ならいい」


「わかった」


 同じ写真を持っているのに、見返す理由は少しずつ違う。


 白瀬栞は、変われた自分を残すため。

 藤堂莉子は、友達の柔らかい顔を残すため。

 朝比奈湊は、楽しかった一日を覚えておくため。

 そして黒瀬琉衣奈は、その全部を少しずつ忘れないため。


 写真の中のカフェラテはもう冷めている。


 けれど、夜の部屋のカフェラテはまだ温かかった。

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