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『学校ではツンなギャルが、夜になると俺の部屋でだけ甘えてくる秘密は誰にも言えない』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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ep.106 週末の写真を送られたギャルは、保存するなと言いながら消してほしくない

 月曜の余韻は、火曜になってもまだ少し残っていた。


 白瀬栞の髪には、今日もヘアピンがついていた。


 昨日と同じもの。

 土曜に黒瀬琉衣奈が選んだ、細くて控えめに光るヘアピン。


 朝比奈湊が教室に入ると、黒瀬は少し離れた席から顔を上げた。


「……おはよ」


「おはよう」


 いつもの挨拶。


 ただ、黒瀬はそのあと、ほんの少しだけ栞の方を見た。


 栞はノートを開いている。

 髪には、あのヘアピン。


 黒瀬の口元が、ほんの一瞬だけ緩んだ。


 湊には見えた。


 たぶん莉子にも見えた。


 そして、たぶん黒瀬本人だけが気づいていない。


「るいな、今日も白瀬さんのヘアピン見てる」


 案の定、莉子が言った。


「見てない」


「見てた」


「見えてただけ」


「それ、白瀬さん語じゃん」


「莉子、朝からうざい」


 黒瀬はむくれた。


 けれど、強く否定しきれない。


 栞が振り返る。


「黒瀬さん、おはようございます」


「……おはよ」


「今日も、つけてきました」


「わざわざ報告しなくていい」


「見てくれていたようなので」


「白瀬まで!」


 黒瀬の声が少しだけ跳ねた。


 莉子が笑う。


「白瀬さんもわかってきたね、るいなの扱い」


「扱いって言うな」


「扱われてる自覚はあるんだ」


「ない」


 黒瀬はそう言いながら、鞄からノートを取り出した。


 昨日、余白を褒められたノート。


 そして先生にも「続けること」と書かれたノート。


 最近の黒瀬は、朝にノートを開くのが少し普通になってきていた。


 それだけでも、少し前ならかなり大事件だったはずだ。


 湊が席に座ると、斜め前の栞が静かに言った。


「朝比奈くん、おはようございます」


「おはよう」


「黒瀬さん、今日もノートを開いていますね」


「続けてるな」


「はい。嬉しいです」


 その声は本当に嬉しそうだった。


 湊は少しだけ笑う。


「白瀬さん、黒瀬の変化を見るの楽しみにしてるだろ」


 栞は一瞬だけ目を伏せた。


 それから、少し恥ずかしそうに頷く。


「はい。楽しみにしています」


 そのやり取りを、黒瀬が少し離れた席から見ていた。


 もちろん、見ていないふりをしている。


 けれど、もうそのふりもだいぶ雑になってきた。


 湊のスマホが震えた。


 黒瀬からだった。


『白瀬と何話してる?』


 同じ教室。


 もう完全に日常になった距離の使い方。


 湊は返信した。


『黒瀬がノート続けてるって話』


 すぐ既読。


『言うな』


『褒めてた』


 少し間が空く。


『それはちょっといい』


 湊は笑いそうになった。


 顔に出た。


 黒瀬が遠くから睨んだ。


『笑うな』


『悪い』


『悪いと思ってない』


『半分くらいは』


『禁止』


 いつもの流れ。


 火曜の朝は、そんなふうに始まった。


 だが、二限目の休み時間。


 穏やかだった教室に、藤堂莉子が爆弾を投げ込んだ。


 グループメッセージに、一枚の写真が送られてきたのだ。


 土曜のカフェで撮った写真だった。


 四人で座ったテーブル。


 莉子が「記念に一枚だけ撮っていい?」と聞いて、黒瀬が「記念って何」と文句を言い、栞が「私は大丈夫です」と答え、湊も頷いて、結局一枚だけ撮った写真。


 その時は、黒瀬も嫌がりながらも最後にはちゃんとカメラの方を向いた。


 送られてきた写真には、四つの飲み物と、それぞれの紙袋が写っていた。


 莉子の甘い飲み物。

 栞の紅茶。

 湊と黒瀬のカフェラテ。


 そして、テーブルの端に置かれた黒瀬のジャケットの紙袋。


 写真の右端には、黒瀬の横顔が少し映っている。


 カフェラテのカップを両手で包み、少しだけ笑っている黒瀬。


 本人が自覚していない、柔らかい顔。


 湊はその写真を見て、少しだけ手を止めた。


 いい写真だった。


 そう思ってしまった。


 その瞬間、黒瀬から個別メッセージが来た。


『保存するな』


 早い。


 湊は黒瀬の席を見る。


 黒瀬はスマホを握ったまま、耳まで赤くしていた。


 湊は返信する。


『まだ保存してない』


 既読。


『まだ?』


『いい写真だったから』


 送ってから、少し踏み込みすぎたと思った。


 既読がつく。


 長い沈黙。


 黒瀬はスマホを見たまま固まっている。


 そして、直接来た。


 机の間を抜けて、湊の席へ来る。


「朝比奈」


「何?」


「メッセージでそういうこと言うな」


「ごめん」


「謝るの早い」


「でも、いい写真だった」


「口でも言うな」


 黒瀬は真っ赤だった。


 栞が斜め前から振り返る。


「写真のことですか?」


「白瀬も見た?」


「はい。藤堂さんが送ってくれたものですよね」


 栞はスマホを少しだけ見せる。


「とても良い写真だと思いました」


「白瀬まで」


「黒瀬さん、楽しそうでした」


「そこ見るな!」


 黒瀬の声がまた跳ねる。


 莉子が遠くから手を振った。


「見て見て、るいなめっちゃいい顔してるよね!」


「莉子、送るなって言ったでしょ!」


「送っていいって言ったじゃん。記念に一枚だけって」


「送る範囲!」


「グループに送っただけだし」


「それが問題!」


 黒瀬は完全に混乱していた。


 しかし、怒っているのは半分くらいで、残り半分は照れている。


 たぶん、写真そのものが嫌なのではない。


 そこに写った自分の顔を見られるのが恥ずかしいのだ。


「黒瀬さん」


 栞が静かに言った。


「私は、保存してもいいですか?」


 黒瀬が固まる。


「……何で聞くの」


「一応、確認したくて」


「律儀すぎ」


「勝手に保存するのは、少し違う気がしたので」


 黒瀬は言葉に詰まった。


 それから、視線を逸らす。


「……別に、いいけど」


 莉子がすぐ反応する。


「じゃああたしも保存済み」


「莉子は聞く前にしてるでしょ」


「うん」


「うんじゃない」


 黒瀬はため息をついた。


 湊は、まだスマホを持ったままだった。


 黒瀬がそれに気づく。


「朝比奈は」


「うん」


「……保存した?」


「まだ」


「まだって言うな」


「消した方がいい?」


 黒瀬は、すぐには答えなかった。


 さっきまで「保存するな」と言っていたのに。


 今は、何かに引っかかっているようだった。


 莉子が遠くからにやにやしている。


 栞は何も言わない。


 黒瀬は湊の机の横で、少しだけ袖口をつまんだ。


「……消せとは言ってない」


 小さな声だった。


 湊は頷いた。


「じゃあ、保存していい?」


 黒瀬が顔を赤くする。


「聞くな」


「聞いた方がいいと思った」


「ずるい」


「今日はずるい?」


「今日も」


 黒瀬は視線を逸らした。


「……変な使い方しないなら」


「しない」


「誰かに見せないなら」


「見せない」


「莉子にいじられた時に出さないなら」


「出さない」


「なら」


 黒瀬は一度、深く息を吐いた。


「……いい」


 その言葉は、かなり小さかった。


 湊は、すぐに保存ボタンを押さなかった。


 黒瀬がまだこちらを見ていたからだ。


「今、押していい?」


「何で実況するの」


「確認」


「便利ワード使うな」


「黒瀬のだな」


「うるさい」


 黒瀬は顔を赤くしたまま、目を逸らした。


「……押せば」


 湊は保存した。


 黒瀬はそれを見届けると、急に落ち着かなくなったように自分の席へ戻っていった。


 莉子がすぐに黒瀬へ近づく。


「るいな、保存許可出したんだ?」


「聞こえてたの!?」


「聞こえた」


「最悪」


「でも、よかったじゃん。朝比奈くん、ちゃんと聞いてくれて」


「それは……まあ」


「ほら、いい顔してる」


「見るな」


 莉子は笑った。


 けれど、その笑いは少し優しかった。


 昼休み。


 写真の話題はまだ続いていた。


 莉子は自分のスマホで写真を開き、満足そうに眺めている。


「これさ、ほんといいよね。四人の感じ出てる」


「どこが」


 黒瀬が言う。


「莉子の飲み物だけ甘そうで、白瀬さんの紅茶がきっちりしてて、朝比奈くんとるいなが同じカフェラテで」


「そこ言うな」


「るいな、カフェラテだけで照れるの面白い」


「照れてない」


「照れてる」


 黒瀬は焼きそばパンの袋を開けながら、少しむくれた。


 栞は写真を見て、静かに言った。


「私も、この写真は好きです」


「白瀬さん、どこが?」


 莉子が聞く。


「買ったものが写っているところです」


「紙袋?」


「はい。黒瀬さんが選んでくれたカーディガンとヘアピン、それから黒瀬さんのジャケット。その日あったことが、少し残っている感じがします」


 黒瀬が黙った。


 湊も、少しだけ黙る。


 栞の言い方は、いつも静かだけれど、時々ものすごく真ん中を突いてくる。


 写真は、ただの記録ではない。


 その日あったことが、少し残っている。


 だから黒瀬は恥ずかしがっていたのかもしれない。


 自分の顔だけではなく、その日の気持ちまで写っている気がするから。


「……白瀬ってさ」


 黒瀬が小さく言った。


「はい」


「そういうこと普通に言うから、写真まで恥ずかしくなる」


「すみません」


「謝るの早い」


 黒瀬は困ったように言いながら、少しだけ笑っていた。


 湊のスマホがまた震える。


 黒瀬からだった。


『写真、見返すな』


 湊は黒瀬を見る。


 黒瀬は焼きそばパンを食べるふりをしている。


 湊は返信した。


『今は見てない』


 既読。


『今は?』


『あとで見るかも』


 長い沈黙。


『夜ならいい』


 湊は少しだけ目を止めた。


 夜ならいい。


 それはつまり、あの部屋でなら。


 カフェラテを飲みながらなら。


 黒瀬が自分でその写真をもう一度見直せる、ということなのかもしれない。


『じゃあ夜に』


 既読。


『調子乗るな』


 その返事に、湊は少し笑った。


 放課後。


 黒瀬は湊の席へ来た。


「朝比奈」


「何?」


「今日、行く」


「写真の話?」


「うん」


「見る?」


「……夜なら」


「了解」


「でも、莉子には見せない」


「見せない」


「白瀬にも?」


「見せない」


「白瀬は持ってるけど」


「そうだな」


「……変なの」


 黒瀬は小さく言った。


「みんな同じ写真持ってるのに、朝比奈が持ってるのだけなんか変」


 その言葉は、かなり正直だった。


 湊は少しだけ黙った。


「嫌?」


「嫌じゃない」


 いつもの言葉。


 でも、今日は少し違う。


「嫌じゃないけど、落ち着かない」


「そっか」


「だから、夜に文句言う」


「カフェラテ?」


「当然」


 夜八時半。


 スマホが震えた。


『今日、行く』


 湊は返信する。


『写真持ってくる?』


『スマホにあるでしょ』


『見返す?』


『夜なら』


『カフェラテ?』


『当然』


 九時。


 インターホンが鳴った。


 ドアを開けると、黒瀬はいつものように少しむくれた顔で立っていた。


「……遅」


「今日は写真の確認だな」


「確認って言うな」


「黒瀬の便利ワードだろ」


「便利だけど」


 黒瀬は靴を脱ぎ、部屋へ上がった。


 ソファに座る。

 クッションを抱える。

 カフェラテを両手で包む。


 いつもの流れ。


 けれど今日は、黒瀬の視線が湊のスマホへ向いていた。


「見る?」


 湊が聞くと、黒瀬は少しだけ固まった。


「……見せて」


 湊は写真を開いた。


 テーブルに置き、二人で覗き込む。


 カフェのテーブル。

 四つの飲み物。

 紙袋。

 少し映り込んだ黒瀬の横顔。


 黒瀬はしばらく黙っていた。


 そして、小さく言う。


「……変な顔」


「いい顔だと思う」


「普通に言うな」


「本当に思った」


「本当なら余計だめ」


 黒瀬はクッションに顔を半分隠した。


 でも、写真から目を逸らさなかった。


「楽しそうに見える」


「うん」


「……楽しそうだった?」


 湊は聞いた。


 黒瀬は少しだけ黙る。


 それから、ゆっくり頷いた。


「楽しかった」


 昨日よりも自然に言えた。


 黒瀬自身もそれに気づいたのか、少しだけ目を伏せる。


「この写真、残るんだね」


「うん」


「莉子も白瀬も持ってる」


「うん」


「朝比奈も」


「うん」


「……消さないでいい」


 湊は静かに頷いた。


「わかった」


「でも、人に見せないで」


「見せない」


「変な時に出さないで」


「出さない」


「あと、見返してにやにやしないで」


「それは保証が難しい」


「そこ保証して」


「努力する」


「努力じゃなくて、やって」


「やる」


 黒瀬は少しだけ笑った。


 それから、カフェラテを飲む。


「朝比奈が保存してるの、変」


「うん」


「でも、消されたらたぶん、それも嫌」


「そっか」


「めんどくさい?」


「めんどくさくない」


「ほんと?」


「うん」


 黒瀬は湊を見た。


 少し疑うような顔。


 でも、少し安心したような顔でもある。


「ならいい」


 写真の中の黒瀬は、カフェラテを持って少し笑っている。


 目の前の黒瀬は、カフェラテを持って少し照れている。


 昼間の写真と、夜の部屋。


 その二つが重なって見えた。


「黒瀬」


「何」


「いい写真だな」


 黒瀬は顔を赤くした。


「……二回目」


「大事だから」


「ずるい」


「今日はずるい?」


「今日も」


 黒瀬はそう言って、写真をもう一度だけ見た。


 週末の写真を送られたギャルは、保存するなと言いながら、消してほしくなかった。


 その矛盾も、照れも、面倒くささも、全部まとめて写真の端に少しだけ写っている気がした。

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