ep.102 駅前集合、ギャルの私服に言葉を選びすぎる
土曜の午後、朝比奈湊は駅前の時計台の下に立っていた。
集合時間の十五分前だった。
早すぎる。
自分でもそう思った。
けれど、家にいても落ち着かなかったのだから仕方ない。
今日は、四人で服を見に行く日だ。
藤堂莉子が勝手に作ったグループ名は、結局『服を見る会(仮)』のままだった。黒瀬琉衣奈は最後まで「会って言うな」と文句を言っていたが、誰も変えなかった。
駅前は休日らしく、そこそこ人が多かった。
親子連れ。
部活帰りらしい中学生。
買い物袋を持った高校生。
ロータリーに停まるバス。
コンビニ前でたむろする男子たち。
いつもの駅前なのに、今日は少しだけ違って見えた。
理由は、わかっている。
黒瀬の私服を見るからだ。
いや、以前にも見たことはある。
休日に駅前で会った日。
本屋へ行った日。
焼き菓子を買った日。
それでも今日は、少し違う。
黒瀬自身が昨夜、言っていた。
――見てほしいけど、見られるのは困る。
その言葉が、湊の中に残っていた。
だから、変な顔をしないようにしなければならない。
似合っていたら、ちゃんと言う。
でも大げさには言わない。
可愛いと思ったら、小さめに。
要求が難しすぎる。
湊がそんなことを考えていると、スマホが震えた。
黒瀬からだった。
『もういる?』
湊は返信する。
『いる』
既読。
『早』
『黒瀬は?』
『もうすぐ』
その直後、少し離れた改札の方から声がした。
「朝比奈」
顔を上げた瞬間、湊は言葉を失った。
黒瀬琉衣奈が立っていた。
昨夜、画面で見せられた二枚の服。
そのうち湊が選んだ、ゆるめのニットとパンツの組み合わせだった。
柔らかい色のニットは、普段の制服姿よりも少し落ち着いて見える。髪はいつもより少しだけゆるく巻いていて、耳元には小さなピアス風のアクセサリー。派手すぎないのに、ちゃんと黒瀬らしい。
強さが消えたわけではない。
ただ、その強さの角が少し丸くなっている。
柔らかい。
そう思った。
言うべきか迷った。
迷った時点で、黒瀬にばれた。
「……何」
「いや」
「変?」
「変じゃない」
「じゃあ何」
黒瀬はすでに少し赤くなっている。
湊は一度だけ息を整えた。
大げさに言わない。
でも、ちゃんと言う。
「似合ってる」
黒瀬が固まった。
駅前の雑踏の音が、一瞬遠くなった気がした。
「……声」
「え?」
「声、小さすぎ」
「あ、悪い」
「いや」
黒瀬は視線を逸らした。
「それくらいでいい」
「そうなのか」
「大きいと無理」
「了解」
黒瀬はニットの袖を少しだけ握った。
「ほんとに?」
「うん」
「変に気を使ってない?」
「使ってない」
「ほんと?」
「似合ってる」
「二回言うな」
「ごめん」
「謝るの早い」
いつものやり取りなのに、駅前で私服の黒瀬相手だと、少しだけ空気が違う。
黒瀬も同じなのだろう。
いつもより視線が落ち着かない。
「……朝比奈も」
「俺?」
「普通」
「普通か」
「悪くないって意味」
「それはどうも」
「調子乗るな」
「乗ってない」
黒瀬は少しだけ笑った。
そこへ、元気な声が割り込んできた。
「おー、二人とも早いじゃん!」
莉子だった。
休日の莉子は、明るい色のパーカーに短めのスカート、足元はスニーカーだった。動きやすさと可愛さを同時に取ったような服で、いかにも莉子らしい。
彼女は黒瀬を見た瞬間、にやっと笑った。
「るいな、いいじゃん」
「言うな」
「まだ何も言ってない」
「顔が言ってる」
「いや、普通に似合ってるって言おうと思った」
「普通に言うな」
「じゃあ特殊に言う?」
「もっと嫌」
莉子は楽しそうに笑った。
そして湊へ目を向ける。
「朝比奈くん、ちゃんと言った?」
「何を」
「似合ってるって」
「……言った」
「おー」
「莉子!」
「いや、確認大事じゃん。るいな、言われ待ちの顔してたし」
「してない!」
黒瀬の声が少し大きくなる。
駅前の人がちらっと見る。
黒瀬は慌てて口を閉じた。
「……ほんとうざい」
「はいはい」
莉子は黒瀬の肩を軽くつついた。
「でも、いいと思うよ。今日のるいな、柔らかい」
「それ禁止」
「まだ禁止なんだ」
「ずっと禁止」
黒瀬はむくれた。
でも、完全に嫌そうではなかった。
最後に現れたのは、白瀬栞だった。
改札の方から歩いてくる姿を見て、三人とも一瞬だけ黙った。
いつもの栞とは、少し違っていた。
きっちりしたブラウスにカーディガン。
でも、その色合いは普段より少しやわらかい。
スカートも制服の時より軽く、髪もいつもより少しだけ下ろしている。
黒瀬が以前、雑誌を見ながら「こういうの、白瀬なら似合うかも」と言った雰囲気に近かった。
栞は三人の前まで来ると、少しだけ緊張した顔で会釈した。
「お待たせしました」
「全然待ってないよー」
莉子が明るく言う。
黒瀬は、栞を見たまま固まっていた。
栞が少し不安そうに首を傾げる。
「黒瀬さん?」
「……あの」
「はい」
「それ」
黒瀬は言葉を探している。
湊は、思わず見守った。
たぶん、ここは黒瀬が言う場面だ。
莉子も珍しく黙っている。
黒瀬は一度だけ視線を逸らし、それから小さく言った。
「……似合ってる」
栞の表情が、ふっとやわらかくなった。
「ありがとうございます」
「普通に受け取るなって」
「嬉しかったので」
「それも普通に言うなって」
黒瀬は顔を赤くした。
けれど、その口元は少しだけ緩んでいる。
莉子が我慢できずに言った。
「白瀬さん、めっちゃ似合ってるよ。るいなコーデ成功じゃん」
「コーデしてないし!」
「でも参考にしたんでしょ?」
莉子が栞を見ると、栞は素直に頷いた。
「はい。黒瀬さんが似合うと言ってくれた雰囲気を、少し意識しました」
「白瀬!」
黒瀬が声を上げる。
栞は少しだけ頬を赤くした。
「すみません。でも、本当なので」
「出た」
莉子が笑う。
黒瀬は両手で顔を隠しかけて、駅前なのでやめた。
「もう無理」
「まだ始まってないよ?」
「始まる前から無理」
莉子が楽しそうに笑い、湊も少しだけ笑ってしまった。
黒瀬がすぐ睨む。
「朝比奈、笑うな」
「悪い」
「悪いと思ってない」
「半分くらいは」
「禁止」
いつものやり取りで、ようやく四人の空気が少し落ち着いた。
駅前からショッピングモールまでは歩いて十分ほどだった。
莉子が先頭で歩き、栞がその横。
少し後ろに黒瀬と湊。
自然にそうなった。
黒瀬はしばらく黙っていた。
湊が横を見ると、彼女は栞の後ろ姿を少しだけ見ている。
「白瀬さん、似合ってたな」
湊が言うと、黒瀬は小さく頷いた。
「うん」
「言えたな」
「言うな」
「悪い」
「……でも、言えてよかった」
素直だった。
湊は少しだけ驚く。
黒瀬はすぐに視線を逸らした。
「今のなし」
「無理」
「知ってた」
歩道の横を車が通る。
休日の駅前らしい音が流れていく。
黒瀬はニットの袖を少し握ったまま、ぼそっと言った。
「朝比奈」
「何?」
「さっきの」
「うん」
「似合ってるってやつ」
「うん」
「……ちゃんと聞こえたから」
湊は返事に迷った。
黒瀬は続ける。
「小さめだったけど」
「指定通りだろ」
「うん」
「じゃあよかった」
「……ずるい」
「今日も?」
「今日も」
黒瀬は少しだけ笑った。
ショッピングモールに着くと、莉子がさっそく案内板の前で立ち止まった。
「まずどこ行く?」
「莉子が決めたんじゃないの」
黒瀬が言う。
「決めてないよ。勢いで来た」
「最悪」
「でも服屋いっぱいあるし、適当に見ればよくない?」
莉子は軽い。
その軽さが、今日はありがたかった。
栞が案内板を見ながら言う。
「まずは、黒瀬さんが普段見ているお店から行ってみたいです」
「白瀬、開幕から強い」
黒瀬が小さく言う。
「だって、今日の目的の一つなので」
「目的とか言うな」
「すみません」
「謝るの早い」
莉子が黒瀬の背中を軽く押した。
「はいはい、るいな案内して」
「何であたし」
「一番詳しいから」
「詳しいってほどじゃないし」
「普通に見てるんでしょ? その普通を教える日じゃん」
以前、栞が言った言葉と似ていた。
黒瀬もそれに気づいたのか、少しだけ栞を見る。
栞は何も言わずに待っていた。
黒瀬は小さく息を吐く。
「……じゃあ、あっち」
そう言って歩き出した。
向かったのは、若い女性向けのカジュアルな服屋だった。
明るい店内には、ニット、スカート、ジャケット、アクセサリーが綺麗に並んでいる。黒瀬は慣れているのか、入り口で少し足を止めただけで、すぐ自然に店内へ入った。
栞は少しだけ緊張した顔でその後をついていく。
莉子は楽しそうにラックを見始めた。
湊は入り口付近で少し立ち止まる。
男子一人で女性向けの服屋に入るのは、さすがに少し気まずい。
すると黒瀬が振り返った。
「朝比奈」
「何?」
「荷物持ち、まだ早い」
「じゃあどこにいれば」
「……近く」
小さな声だった。
「でも、見すぎないで」
「難しいな」
「難しいんだし」
黒瀬はそう言って、またラックの方へ向かった。
近くにいろ。
でも見すぎるな。
今日の黒瀬も、相変わらず難しい。
栞は、黒瀬が手に取る服を真剣に見ていた。
「黒瀬さんは、服を見る時にまず色を見るんですか?」
「うーん、色と形」
「形」
「自分が着た時に変じゃないかとか。あと、合わせやすいかとか」
「なるほど」
栞は本当に勉強するみたいに頷いている。
黒瀬は困った顔をしつつ、少しだけ得意そうでもあった。
「白瀬は、こういうのより」
黒瀬が一枚のカーディガンを取る。
「こっちの方が合うかも」
柔らかい色の、少し落ち着いたデザインだった。
栞は受け取る。
「私に、ですか?」
「うん。たぶん」
「ありがとうございます」
「まだ買えって言ってない」
「はい。でも、選んでもらえたので」
「そういうの」
黒瀬は顔を赤くした。
莉子が横から顔を出す。
「白瀬さん、それ試着してみれば?」
栞が少し驚く。
「試着ですか」
「せっかくだし」
黒瀬も固まった。
「いきなり?」
「いきなりじゃないよ。服屋に来たら試着でしょ」
「莉子、軽い」
「軽さ担当なので」
「眠気担当じゃなかった?」
「兼任」
莉子は笑う。
栞はカーディガンを見て、それから黒瀬を見た。
「黒瀬さんがよければ、試してみたいです」
「何であたしの許可」
「選んでもらったので」
「……ずるい」
黒瀬は小さく言った。
「でも、いいと思う」
栞は少し嬉しそうに頷き、試着室へ向かった。
待っている間、黒瀬は明らかに落ち着かなかった。
莉子が楽しそうに囁く。
「るいな、彼氏待ってるみたい」
「違う!」
「じゃあ何?」
「……コーデした責任?」
「責任重いな」
湊は思わず笑った。
黒瀬が睨む。
「朝比奈も笑うな」
「ごめん」
「……変じゃなかったら、ちゃんと言って」
「白瀬さんに?」
「うん」
「わかった」
少しして、試着室のカーテンが開いた。
栞が出てきた。
黒瀬が選んだカーディガンは、驚くほど似合っていた。
普段の栞のきっちりした印象は残っている。
でも、柔らかさが増えている。
近寄りがたい優等生ではなく、少し話しかけやすい雰囲気になっていた。
黒瀬は言葉を失った。
莉子が先に言う。
「うわ、似合う!」
栞は少し照れた。
「そうでしょうか」
「うん、めっちゃいい。ね、るいな」
黒瀬は頷いた。
「……似合ってる」
小さな声。
でも、ちゃんと届いた。
栞の表情がやわらかくなる。
「ありがとうございます」
湊も言った。
「似合ってると思う。雰囲気が柔らかくなる」
栞は少しだけ頬を赤くした。
「ありがとうございます」
その瞬間、黒瀬が湊を見た。
少しだけ面白くなさそうな顔。
でも、怒っているわけではない。
湊は気づいて、黒瀬にだけ聞こえるくらいの声で言った。
「黒瀬が選んだからだな」
黒瀬が固まった。
「……そういうの、今言うな」
「悪い」
「ずるい」
黒瀬は顔を赤くして視線を逸らした。
栞はそのカーディガンを買うことにした。
黒瀬は「早」と言ったが、栞は「気に入ったので」と普通に返した。
莉子は「るいなコーデ初勝利」と言って黒瀬に怒られた。
その後、今度は黒瀬の服を見る流れになった。
黒瀬は明らかに逃げ腰だった。
「今日は白瀬の服見る日でよくない?」
「いや、るいなも見るでしょ」
莉子が言う。
「見ない」
「ここまで来て?」
「見るだけ」
「試着は?」
「しない」
「ほんと?」
「……たぶん」
「はい、可能性あり」
「翻訳すんな」
そんなやり取りをしながら、黒瀬は一枚のジャケットに手を伸ばした。
昨夜、候補にあった大人っぽい方に近い服だった。
湊はそれに気づいた。
「それも似合いそうだな」
黒瀬の手が止まる。
「……急に言うな」
「ごめん」
「でも」
黒瀬は服を見たまま、小さく言う。
「ちょっと気になってた」
栞が静かに言った。
「試着してみてもいいと思います」
「白瀬まで」
「見るだけでも、着てみると印象が変わると思うので」
「正論が強い」
莉子がにやっと笑う。
「はい、試着室行こ」
「待って、心の準備」
「服は逃げないけど、るいなは逃げるから」
「逃げないし」
「じゃあ行こ」
黒瀬はしばらく迷っていたが、最終的にジャケットを持って試着室へ向かった。
カーテンが閉まる。
湊は少し緊張した。
なぜ自分が緊張しているのかわからない。
いや、わかっている。
変な顔をしないようにしなければならないからだ。
少しして、カーテンが開いた。
黒瀬が出てきた。
ゆるいニットの上に、すっきりしたジャケットを羽織っている。
柔らかさに、少しだけ大人っぽさが足された。
普段の黒瀬より落ち着いていて、でも黒瀬らしい強さもある。
莉子がすぐに言った。
「うわ、いいじゃん!」
栞も静かに頷く。
「とても似合っています」
黒瀬は二人の言葉を受けて、少しだけ湊を見た。
見てほしい。
でも見られるのは困る。
その顔だった。
湊は、昨夜の約束を思い出す。
似合ってるは、ちゃんと。
可愛いは、小さめに。
湊は一歩だけ近づきすぎない距離で言った。
「似合ってる」
黒瀬が固まる。
「……それは、さっきも聞いた」
「今の服も」
「うん」
「あと」
湊は少しだけ声を落とした。
「可愛いと思う」
黒瀬の顔が、一瞬で真っ赤になった。
莉子が何か言いかけたが、珍しく止まった。
栞も静かに目を伏せた。
黒瀬はジャケットの袖をぎゅっと握る。
「……声」
「小さめにした」
「聞こえた」
「うん」
「……なら、いい」
それだけ言って、黒瀬は試着室の中へ逃げるように戻った。
カーテンが閉まったあと、中から小さな声が聞こえた。
「ほんと、ずるい……」
湊はその場で固まった。
莉子が湊の肩を軽く叩く。
「朝比奈くん、今のは百点」
「採点されるのか」
「されるよ。今日の最重要科目だから」
栞も少しだけ頷いた。
「とても良かったと思います」
「白瀬さんまで」
「はい。黒瀬さん、嬉しそうでした」
湊は試着室の方を見る。
カーテンの向こうで、黒瀬がきっと顔を赤くしている。
服を見に行くだけの日。
そのはずだった。
でも、駅前集合から試着室まで、全部が少しずつ特別になっていた。




