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18. 始動

ミナの部屋から出たその足で、地下管制室へと舞い戻った俺は、絶望の泥に沈みきったセリアとバルカスを前に立ち、冷たい大理石のメインコンソールを拳で激しく叩きつけた。


「顔を上げろ、セリア! バルカス! まだ俺たちには二十四日残されている。計画を続行するぞ!」


その唐突な宣言に、セリアは机に伏せた顔のまま、ひどく掠れた、そして刺々しい声で吐き捨てた。


「……寝言は寝てから言いなさい。予算も、船も、時間もないのよ。たった二十四日で、一体何ができるって言うの。議会への恨み言でもプログラムする気?」


俺は声を張り上げる。


「恨み言を言う暇があるなら数式を書く。俺自身が船に乗り、現地へ赴く。タイムラグなしで、直接ナノマシンを操作する!」


その言葉に、セリアとバルカスは弾かれたように顔を上げた。


俺はメインホログラムを強制起動し、先ほど脳内で組み上げた数式と軌道パラメーターを、二人の目の前に叩きつけた。


「俺が乗る船にトポロジカル慣性共鳴則をかけ、船自身の慣性を極限までゼロにする。そうすれば、光の〇・二パーセントまで移動速度を出すことができる。この速度なら、小惑星帯まで十二日間で行ける。そこから星の次元空間を俺の脳と同期させ、目標の小惑星群があるパーキング・ポイントまで星ごと移動するのに六日間。計十八日だ。残り二十四日に対して、俺たちにはまだ六日間の準備期間が残されている!」


「…………は?」


セリアがポカンと口を開け、数秒遅れて、椅子を蹴り倒すほどの勢いで立ち上がった。


「あんた、本気で頭がおかしくなったの!? それは軌道力学じゃない、完全な自殺行為よ!!」


セリアは血走った目で俺に詰め寄った。


「光の〇・二パーセントよ!? 太陽系のすべての天体が猛スピードで公転してる中、複雑怪奇な重力場の網の目の中を、次元空間の歪の中を、途中の軌道修正なしの一発勝負で直進するって言うの!?まだ一度も観測データを得られていないのよ!?もし出発前の初期計算に極小でも誤差があれば、あるいは次元空間の位相補正にわずかな綻びが出れば、あんたは目的地の小惑星を遥かに通り過ぎて、二度と地球圏へ戻ってこれなくなるのよ!本来、このステラ・ウィンチ計画自体が、それを検証するための実験でしょ!検証データすらない中で、ぶっつけ本番の有人でやるって言うの!?」


バルカスも顔を真っ赤にして立ち上がり、巨体を揺らして俺の胸ぐらを掴んだ。


「ふざけるな! 俺に棺桶を作れって言うのか! それに六日間で光の〇・二パーセントの次元干渉に耐える有人船を新造するなんて、神様でも絶対に無理だ! アトラスのドンガラを組むのすら二ヶ月かかったんだぞ!工学を舐めるな!」


二人の猛反発は当然だった。


誰がどう見ても、生存確率ゼロの狂人の戯言だ。だが、俺はバルカスの強烈な視線を正面から受け止め、一歩も引かずに冷徹な声で応じた。


「新造はしない。……月でのトポロジカル干渉の基礎実験で、最後の最後に成功したテストベッド機。Mark-51を使う」


その名を聞いた瞬間、二人は息を呑んで絶句した。


「Mark-51って……おい、嘘だろ!」


バルカスが顔面を蒼白にさせる。


「あれは居住区画もない、そもそも有人船ですらない、ただのナノマシン精密制御用の無人実験機じゃないか! 装甲の厚さは紙キレ同然、長距離渡航なんて全く前提に作られてねえんだぞ! 人間が乗る場所なんてどこにある!」


「制御コアのメイン基板をぶっこ抜けば、パイロットシート一つ分と、往復の二十四日間を生き延びるための酸素キューブと合成食料のチューブを無理やり詰め込むスペースは確保できる!」


俺はMark-51の内部構造図を展開し、強引極まりない改修プランを赤い線でホログラム上に上書きしていく。


「排泄物もすべてリサイクルスーツ内で処理する。俺は二十四日間、制御シートから一歩も動かない。それに、Mark-51ならば、元々ナノマシンの極限精密制御を行うために作った機体だ。制御系の脳波インターフェースは俺が一番手慣れている。俺の脳波と直接リンクするようにバイパスを組めば、俺自身がMark-51の処理コアとなって空間制御を行える。機体構造のすべてが分かっているんだ、俺が俺自身にトポロジカル慣性共鳴則を施して失敗することはない!」


バルカスは信じられないものを見る目で、震えながら俺の顔とホログラムを交互に睨みつけた。


「……居住区も緩衝材もない鉄の棺桶に、自分自身を荷物の梱包材みたいに詰め込んで、身動き一つ取れない状態で光速の〇・二パーセントで吹っ飛んでいくって言うのか。初期設定を一つミスれば永遠に宇宙の迷子だ。狂気の沙汰だ。俺は絶対にお前の棺桶を作る手伝いなんてしねえぞ!」


「俺は死にに行くんじゃない。生きるために行くんだ」


俺はバルカスの両腕を掴み返し、低く、力強い声で答えた。


「ミナに、宇宙の果てからでも必ず生きて帰ると約束してきた。だからお前も、俺を絶対に、絶対に死なせない船を造れ」


だが、セリアはまだ首を横に振り、血走った目でホログラムの軌道図を激しく指差した。彼女の目には、長年の友を喪うことへの恐怖と、軌道力学のプロフェッショナルとしての理性が入り混じり、激しく葛藤していた。


「百歩譲って、バルカスがそのイカれた棺桶を六日で組み上げたとしましょう! 百歩譲って、私がコンマ一マイクロ秒のズレも許さない奇跡の軌道を引いたとしましょう! それでも無理よ!」


彼女は俺の胸をドンッと突き飛ばした。


「たとえ奇跡的に成功して現地へ行けたとしても、そこから一兆トンの小惑星の内部構造を一から解析する時間なんて、二十四日の中のどこにも残されてないのよ! 解析データなしで当てずっぽうにナノマシンを起動すれば、またアトラスの時と同じように特異点が発生して、今度はあんた自身が星の爆発に巻き込まれて対消滅よ! 現地で死ぬだけよ!」


「新たに解析する必要はない」


俺はホログラムの目標座標を操作して一つの小惑星を表示した。


「最初のターゲットだった、セレス・マイナーがあるだろう」


「セレス・マイナー……!?」


セリアとバルカスが同時に息を呑んだ。


「ああ。先行プローブ・ヘイムダルが、アトラス救出へ向かうために離脱するまでの間、三ヶ月間も張り付いてディープスキャンし続けた、極めて精度の高い膨大な解析データが、月のメインバンクに手付かずで残っている!」


俺は熱を込めて、二人に訴えかけた。


「地球圏からのAI遠隔制御の場合、実行時に発生する未知のカオスや不確定要素にAIでは対応できないから、直前まで厳密な構造把握を続ける必要があった。だからこそ、イカロス・テンは失敗した。……だが!」


俺は自らのこめかみを強く指差した。


「俺が、現地の至近距離で、タイムラグなしで直接俺の脳と同期させてトポロジーを書き換え続けるなら、三ヶ月前のデータでも十分すぎるほどの武器になる! 多少の地形変化やカオスの揺らぎが起きても、俺の直感と演算速度で、その場でリアルタイムに叩き潰せる!」


俺の提示した狂気のパズルが、絶望的な物理法則と時間の制約という絶対的な壁の中で、ギリギリのところで恐ろしいほどの精度で音を立てて噛み合っていく。


「……セレス・マイナーの三ヶ月分の蓄積データと、現地でのタイムラグ・ゼロの直接制御……」


セリアが、呆然と数式を見つめながら呟いた。


「……通信遅延さえなければ、三ヶ月間の蓄積データがあれば、多少の誤差なんて、あんたの予測演算なら、位相のズレを補正しきれるってわけね……。それに、セレス・マイナーなら、現在の公転位置から逆算して、光の〇・二パーセントの直線軌道で十二日で到達できる……計算が、合ってしまう……」


セリアの瞳が、恐怖と絶望から、次第に軌道力学の魔女としての極上の知性と、狂気を帯びた光へと変わっていく。


彼女の脳内で、この絶対的な精度を要求される自殺行為を、科学的に成立する生還ミッションへと引き上げるための、膨大で緻密な軌道計算がすでに始まっていた。


バルカスも、俺の狂気にあてられたように、Mark-51の構造図と生命維持パックのパッキング・シミュレーションを猛烈な勢いで回し始めていた。


「……おい、レオン」


バルカスが、拳をワナワナと震わせながら、ゆっくりと顔を上げた。その目には、再びエンジニアとしての獰猛な炎と、そして何よりも、長年の友を絶対に宇宙の迷子にはさせないという悲壮な決意が滲んでいた。


「……上等だ! 居住区もないMark-51に、俺の職人魂を全部注ぎ込んでやる! 六日ありゃ十分だ。お前の言う通り、メイン基板をぶっこ抜いて生命維持装置をねじ込み、位相フィールドの発生コイルを限界まで増設してやる。宇宙一窮屈で、宇宙一速い鉄の棺桶を組み上げてやる!」


「次元空間の補正、太陽系の全天体の重力干渉、これらすべての変数を極限まで予測して、極限のズレも許されない、宇宙で一番神経質で美しい究極の直行軌道……私が引いてあげるわよ!」


セリアも乱れた黒髪を両手でかき上げ、涙ぐみながらも狂気に満ちた美しい笑みを浮かべた。


「議会の狸どもが二十四日後に計画を永久凍結するって言うなら、その二十四日目のタイムリミットきっかりに、一兆トンの星を連中の議事堂の真上にドカンと宅配してやろうじゃないの!」


彼女は俺を真っ直ぐに指差し、強い口調で言い放った。


「そして、あんたを絶対に、生きてこの月に帰還させるわ!」


「議事堂の真上には持ってこないがな…」


俺は苦笑しながら二人を見る。


「頼むぞ、二人とも!」


俺はコンソールに両手をつき、極上の笑みを浮かべて深く頷いた。


不可能を可能にするための、一億人の命と、たった一人の愛する妹の未来を賭けた、本当の意味での最後のタイムアタック。


俺たちは再び、死の恐怖と技術者としての矜持が入り混じる極限の闘技場へと、その身と魂を投じる。


残された猶予は二十四日。俺たちの狂気じみた反撃が、始まる。


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