表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【ミステリ】真夜中カフェ:星月夜 〜眠りたくない夜に、一杯のコーヒーを〜  作者: Ru


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/7

第6話 スイの推理

 その翌日。兄が亡くなって、十五年目の夜だった。

 兄の命日の真夜中に、僕はふたたびカフェ:星月夜を訪れていた。


 からん、とベルが鳴る音。開いたドアの向こうでは、切ない響きのレコードが小さく鳴っている。いくつもの青い星型ランプがやわらかな光を投げかけて、カフェの中は変わらぬ静謐に満ちていた。


 最奥のカウンターで、スイが本を読んでいる。僕の到来を見留めて、彼はぱたりと本を閉じた。美しい瞳がすうっと持ち上がって、僕を見る。


「いらっしゃいませ。お一人さまですね?」

「……うん」


 僕はふらふらとカウンターに歩み寄ると、美しい黒壇の椅子を引いて、崩れ落ちるようにどさりと腰を下ろした。


 ネクタイをゆるめ、ため息をつく。真鍮製の眼鏡の奥で、スイはどこか嬉しそうに目を細めた。


「今日はスーツなんですね。良く似合ってますよ」

「それ、皮肉?」

「まさか。本心です。ああ、大人なんだなあって感じがする」

「……やっぱり、皮肉じゃないか」

「?」


 スイが不思議そうな顔をする。僕は投げやりな気持ちで、シャツの一番上のボタンを外した。


「残業してたら、終電を逃しちまって。ここがあって助かった」

「お疲れさまです」

「別に。自業自得だから」


 投げやりな気持ちでぼそりと言うと、スイがかすかに小首を傾げる。僕は自嘲的な笑みを浮かべた。


「色々考えてたせいで、昨夜は一睡もできなくてね。明け方になってうとうとして、とうとう寝坊してしまった。どれだけ眠るのが嫌いでも、睡眠不足に苛まれても、それだけはしないようにって思ってたのに……」


 気遣わしげなスイの眼差し。それから逃げるように目を逸らして、僕はぼそぼそと続けた。


「それでこっぴどく怒られて、ついでとばかりに先輩のミスまでおっ被されて、でも反論なんかできるわけがない。せめて自分から残業を申し出て後始末をしていたら、終電はとっくに出てた、ってわけ」

「そうですか……」


 頷く。僕はぐったりと背を丸めると、低く呟いた。


「いつもそうだ。どんなに頑張っても、睡眠不足のせいで失敗ばかり。僕だって眠ろうとしたさ。でも、悪いことばかりが頭の中を巡って、どうしてもうまくできない」

「……」


 絞り出すような僕の言葉に、スイは何も言わなかった。ただ静かに息をつくと、背筋を伸ばして僕に微笑みかける。


「ご注文は、コーヒーでよろしいですか?」

「……うん」


 ぼそりと相槌を打つ僕に、スイはそれ以上なにかを聞くこともなく、流れるような手つきでコーヒーを挽き始めた。干渉しすぎない態度が、今はやけにありがたかった。


「どうぞ」


 そっとカップが差し出される。青と金で縁取りされた、星座の模様の綺麗なカップ。その中には、淡い茶色のミルクコーヒーが揺れている。


(――あれ?)


「僕、ミルク入れてなんて言ったっけ」

「なんというか、胃が痛そうな顔をしていましたので」

「よく見てるね」

「見なくてもわかりますよ、さすがに」

「……僕、そんなにひどい顔してる?」


 スイは無言で頷いた。重々しい表情だ。


「色々考えていたせいで、とおっしゃっていましたが……何かあったのですか? 目の下の隈もひどいです」

「……ああ、うん……」


 ずっ、とミルクコーヒーをすする。砂糖たっぷりの甘いミルクコーヒーは、僕の心をやわらかく温めてくれた。


 ふーっ、と息を吐く。どこかで聞いたようなレコードの音楽に、どこかで嗅いだことのあるようなスイの香り。懐かしいミルクコーヒーの味が甘く心に染み込んで、ほどよく暖められた店内には、淡いブルーの光が満ちている。


 なんの根拠もなく、ここは大丈夫な場所だ、と思った。だからだろうか、思ったよりあっさりと言葉が出た。


「――わかったよ。兄の死にまつわる謎が」


 ぴくり、とスイが眉を持ち上げる。その端正な顔を見返して、僕は疲れたように笑った。


「やっぱり、兄は僕のせいで死んだんだ」


 語尾が震えるのは避けられなかった。情けない顔で笑う僕に、スイはただ静かに尋ねる。


「どうしてそうお考えに?」


 やわらかな声。僕は曖昧に「うん」と呟いて、ミルクコーヒーを一口飲んだ。ほわりと温かい余韻が、こわばった喉をゆるめていく。


「スイくん、兄の命日はふたご座流星群の日だった、って言ってたよね。よくニュースでも話題になるくらい有名な流星群だ、とも」


 もし僕が癇癪を起こさなければ、あの夜、家族みんなで天体観測をしていた世界もあったのかもしれない。

 苦い気持ちを噛み締めて、僕は続けた。


「兄は多分、流星を見ようとして、寝る前に窓の外、夜空を見上げたんだと思う。兄の部屋は、僕の部屋のちょうど真下だった。最期の夜、兄が空を見上げたとき……そこにはなにが見えたと思う?」


 スイが控えめな声で言う。


「……あなたのノート、ですか?」

「その通り」


 僕は自嘲的に笑った。


「いくらノートを枝と一緒に吊ったからって、隠したことにはならない。下のほう――兄の部屋から見上げれば、すぐにわかってしまう。ましてやノートの色は白だ。夜闇の中、それはとても目立ったことだろう」

「ええ、そうでしょうね」


 スイの反応的に、今のところ僕の推理は正解らしい。

 僕はますます自嘲の笑みを深めて、続けた。


「たぶん、兄はそれが我慢ならなかったんだ」

「――え?」


 きょとり、とスイが目を丸くする。

 僕はカップのふちを指でなぞりながら、絞り出すように言った。


「あの樫の木は、兄にとってとても大切なものだった。兄は僕の行為が許せなかったんだろう。だから――」

「ベランダに出て、ノートを回収しようとした、と?」


 頷く。

 しかしスイは眉を寄せた。


「なぜそう思ったんです? ベランダに出た理由は他にも考えられるじゃないですか」

「いや。兄はノートを取ろうとして、そして死んだ。そうとしか考えられない」


 僕の断言に、スイは口を噤む。その端正な顔をじっと見つめて、僕ははっきりと言った。


「たしかに、兄は心臓が弱かった。でも、母親から聞いてわかった。真冬のベランダにちょっと出たくらいで発作が起こるほど、兄の体調は切迫した状態ではなかった」

「でも、発作は実際に起こったんですよね」

「ああ。それには明確な原因があったんだ」


 そこまで言うと、僕は一瞬だけ息を詰める。そして、すっ、と小さく吸って、言った。


「――手すりだよ。ベランダの」


 かつて育った家、二階のベランダを思い出しながら、僕はできるだけ淡々と言った。


「真冬、それも深夜のベランダだ。金属製の手すりは冷え切っていた。樫の枝に手を伸ばしたとき、兄はベランダから身を乗り出したはずなんだ。そのとき、兄の胸板――心臓は、氷のように冷えた手すりに押し付けられて……」

「……急激な温度差のショックで、心臓発作が起きてしまった」

「ああ、そうだよ」


 ぽつりと呟く。


「そのとき、兄は掴んでいたノートを手放して……倒れた。だから僕のノートは地面に落ちていたんだ」


 そうささやくと、僕はカウンターに両肘をつき、頭を垂れてうなだれた。


「兄は僕のせいで死んだ。僕が樫の枝なんかにノートを吊るさなければ、兄は死なずに済んだんだ。僕が眠ったから悪いことが起きたんじゃない。もっと前、僕がノートを吊るしたせいで、あんなひどいことが起こったんだ……」


 肺の中の全てを吐き出すようにして、言う。弱々しい声が青く静かな店内に散って、僕は震える呼吸を繰り返して――それでも、スイは返事をしなかった。


 長い、長い沈黙があった。レコードの物悲しげな音だけが、すすり泣くように響いている。僕はそれをなにかの断罪だと思って、甘んじて受け入れた。


 けれど。


「……半分、ですね」

「え?」


 スイの呆れたような、なだめるような声に、僕は思わず顔を上げた。

 やわらかな瞳が、真鍮製の眼鏡ごしに僕を見つめている。


「正解したのは半分だけ。残りの半分は、とんだ見当違いです」

「で、でも――それしか考えられないじゃないか! 兄がわざわざ深夜に僕の部屋に侵入して、ベランダで発作を起こした理由なんて、あのノートを奪い取ろうとしたとしか思えない!」


 言い募る僕に、スイはふっと目を細めた。そして、ほっそりした指先が、真鍮製の眼鏡を外す。

 かちり、とカウンターに眼鏡を置く音。なにも遮るもののなくなった、美しい眼差しが、静かに僕を見つめ返した。


「いいですか。嵌まっていないピースがあるんですよ」

「ぴ、ピース?」

「はい。雪と、写真です」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ