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【ミステリ】真夜中カフェ:星月夜 〜眠りたくない夜に、一杯のコーヒーを〜  作者: Ru


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7/7

最終話 そして眠れぬ夜は終わる

「え……写真はともかく、雪ってどういうことなんだ?」


 僕の呆然とした問いかけに、スイはすっと人差し指を立てた。


「いいですか。お兄さんの亡きがらは、ぼたん雪でぐっしょり濡れていたんですよね。ということは、その晩は雪が降っていたということになります」

「そうだけど……」

「ぼたん雪とは、雨まじりの雪のことです。そんなものが降り注いだら、屋外に吊るしてあるノートはどうなると思いますか?」

「あ……」


 ぽかん、と口を半開きにする僕に、スイは小首を傾げて言った。


「もちろん、濡れてしまいますよね?」

「た、確かに……」


 スイは人差し指をひらりと動かして、文字を書くような仕草をする。


「あのノートは、万年筆で書かれていました。一般的に、万年筆のインクは染料インク――水溶性です。もしノートが濡れてしまえば、文字は流れ落ち、読めなくなってしまうことでしょう」

「え、じゃあ、兄は――」


 呆然と呟く僕に、スイはやわらかな微笑みを浮かべた。


「ええ。あなたのノートが濡れてしまうと思って、慌てて取り込みにきたんですよ。すやすや眠っているあなたを起こさないように、そうっとね」


 愕然とする。

 それでは兄は、僕への思いやりが原因で死んだことになる。だけど、僕はまだ納得できなかった。


「で、でも! それが真実とは限らないじゃないか! 僕の推理が真実で、スイくんの推理は、ただの慰めかも――」


 僕の抵抗に、スイが「おや」とばかりに口の端を和らげる。彼は端正な笑みを浮かべると、美しい所作で小首を傾げた。


「それならば、最後のピースを嵌めましょうか」

「最後のピース……写真か?」

「ええ。あの写真は、なぜ撮られたのだと思いますか?」

「なぜ、って……」


 考える。

 ファイルの日時からして、あの写真は兄が死んだ夜に撮ったことは明らかだ。僕はうんうん頭をひねった。


「告発のため……とか」

「告発、ですか?」

「僕が枝を折ったことを、家族に見せるために――」

「わざわざ写真を撮らずとも、現物を見せれば十分じゃないですか」

「うっ……じゃ、じゃあ、本当に死の間際に撮ったのだとしたら?」


「ほう」とスイが軽く眉を持ち上げる。僕は必死に言い募った。


「僕はおまえのノートのせいで死ぬんだぞと訴えるために、暗闇の中、兄は必死に落ちたノートへカメラを構えて……」

「それも違うと思います」

「ど、どうして」


 すっぱりと断言され、僕はうろたえる。

 スイは優美な微笑みを浮かべて「例の写真を出してくれますか」と言った。その通りにする。

 右下だけが薄ぼんやりと明るい写真を覗き込み、彼は「やっぱり」と呟いた。


「この写真は、ノートを撮ろうとしたものではありません」


 なんの迷いもない声に、僕は「えっ」と声を漏らす。スイは暗い写真が表示された画面をとんとん、と爪先で叩いた。


「あなたのノートは白かった。いくら十五年前のガラケーとはいえ、真っ白なノートが地面に落ちているのなら、ぼんやりとでも写り込んだはずです。それに街灯の問題もある」

「街灯……?」

「ええ」


 つうっ、とスイの指先が動き、画面の右下に移動する。


「角度がおかしいんですよ。民家の二階のベランダから、地面に向けてカメラを構えたとして……街灯の光がこんなに下に見切れることはありません」

「じゃあ、この写真は一体……」


 うろたえて呟く。

 スイはふっと僕を見つめると、ひどく柔らかな笑みを浮かべた。


「この写真はね。空に向かって撮られたんですよ」


 ――空。

 思わず上を見上げる。星型の大きな天窓を透かして、外の星がちらちらと瞬いていた。


「もしかして、兄は流星を撮ろうとした……いや、それはないか。だってあの晩は雪だった。星なんか見えるはずが――」

「――正解です」

「えっ⁉」


 驚いて、思わずスイの方を振り返る。

 スイは穏やかな表情で、天窓を見上げていた。整った横顔の稜線がひどく綺麗で、でもどこか寂しそうにも見える。

 僕は困惑したまま尋ねた。


「流星って言ったって、厚い雪雲の向こうだろ? 撮れるわけがない。まさか、兄がそれをわからなかったとでも?」

「いいえ。でも、彼には見えない流星を撮らざるを得ない、大事な理由があったんです」


 雲の向こう、見えるはずのない流星を、それでも撮らなければいけなかった理由。それは一体なんだろう。

 考え込む僕に、スイはどこか寂しいような、悲しいような瞳で微笑んだ。


「もしあの状況で、お兄さんがノートを手になくなっていたとしたら……幼いあなたはどう思ったでしょうか?」

「え、それは……」

「きっと『兄は自分のノートのせいで死んだんだ』と思ったでしょう。今のあなたのように」

「え……じゃあ、もしかして――」


 じわじわと、ひとつの予感が込み上げてくる。

 なにもかもわかっているとでも言いたげな目をして、スイは静かに頷いた。


「発作が起きた瞬間、お兄さんは悟ったのでしょう。自分はもう死ぬ。時間はあと、一分も残されていない。この状況で死んでしまったら、弟はきっと自分を責めてしまう」

「だから、兄は……」

「ええ。やむにやまれず、ノートを階下に手放して……そして、見えもしない流星の写真を撮ったんです」


 ――僕は流星を見るためにベランダに出たんだ。

 ――弟は関係ない。


 他でもない僕に、そう信じさせるために。


「……っ、そんな」


 喉の奥がツンと詰まった。なにか言おうとして、でも、声がうまく出てこない。

 スイがゆっくりとこちらを振り向いて、にじむような笑みを浮かべる。穏やかな、なだめるような声。


「そんな顔をしないでください」

「……でも」


 美しいスイの顔、それを見つめている自分が、どんな表情をしているのか。ぐしゃぐしゃの感情を抱えた僕には、もはや全くわからなかった。


 スイが微笑む。


「……皮肉なものですね。あなたを守るために、ノートを手放してまで写真を撮ったのに。結局あなたはまだ、不眠にとらわれている」

「スイ、くん……?」


 カツ、カツ、と靴音が響いて、スイがカウンターを回り込んでくる。すらりとした少年らしい体躯が近付いて、椅子に座った僕の頭を、スイがふわりと抱え込んだ。


「え――」

「昔から、あなたは眠りが浅い子どもだった。少しでもよく眠ってほしくて、だからあの夜、僕は足音を殺したのに」

「待っ、待ってくれ、きみは――」


 抱きしめられた襟元から、ふっと澄んだ香りがする。深い夜のような、流れる星のような、ひどく懐かしい匂い――。


 そのとき、僕ははっとした。

 十五歳で亡くなった、僕の兄の名前はアキト。

 翠人あきと――翠。スイ。


(――まさか、)

 ばっ、と勢いよく顔を上げる。


 目の前にいるのは、美しい顔立ちの、どこか覚えのある香りをまとった――そう、まさに兄が亡くなったときと、まったく同じ年格好の少年だった。


 スイがにこりと微笑む。


「あんまり下を向いていると、人の顔を覚えられないよ。トーマくん」

「え、あ……うそ、だろ……?」


 零れそうなほど目を見開いて、僕は呆然とまばたきを繰り返す。

 そのとき、スイの身体がすうっと光を纏いはじめた。


「うわ、えっ、なに」

「どうやら、閉店時間みたいだね」

「閉店、って……」


 スイは寂しげに笑うと、ことりと小首を傾げた。


「最初から、そういう決まりだったんだ。このカフェは、長夜を必要とする、選ばれたお客さまの悩みを昇華する店。役目が終われば、あとは閉店するだけ」

「そんな、でも、だって……!」


 表情が歪む。喉の奥が苦しくて、心臓がすごく切ない。

 だってやっと会えたのだ。十五年間、兄のことを忘れたことなどなかった。夜が来るたびに後悔に苛まれ、物語のことを考えるだけで死にたくなり、前を向くことなど二度とできなかった。それなのに。


 泣きそうになる僕に、スイは小さく微笑む。スイの指先が、そっと僕の目元をなぞった。


「ほら、トーマくん。そんな顔しないの」

「っ……」

「もう、謎は解けた。一人でも、ちゃんと眠れるでしょう? おやすみなさいの時間だよ」


 どこからともなく、ボーン、ボーン、と時計の音が聞こえてくる。本当に、時間なのだ。

 スイは僕の頭をやわらかく撫でると「いい子」と笑った。細い指先が僕の前髪を整えて、ふわり、と辺りに光が満ちていく。


 ぱきん、と硬い音がして、星の天窓が割れ落ちるのが見えた。澄んだ音を響かせて、硝子の破片が降ってくる。


 いや、あれは硝子じゃなくて――星だ。

 崩れ落ちる店内の中、流星が、雪崩れのように降り落ちてきた。


 僕は手を伸ばす。やっと再開できた兄に、すがりつこうとする。


「待って、スイ――お兄ちゃん‼」

「……スーツ、良く似合ってる。大人になったんだね」


 やわらかな微笑み。兄がこんなに美しい人だったことを、僕は今まで知らなかった。

 きらきらと音を立て、いくつもの流星が降り注いで――



「トーマくん。きみは、いっぱい長生きするんだよ――」



 それきり、僕の視界は、真っ青な光に包まれた。



        ※



「あ……」

 ぱちぱち、とまばたきをする。

 気が付けば、僕は真夜中の道端に立ち尽くしていた。びょお、と寒い風が吹き抜けて、街灯の明かりが心もとなくアスファルトを照らしている。


「お兄、ちゃん……?」


 辺りを見回す。さっきまでいたはずのカフェは跡形もない。ただの、見慣れた帰路がそこにあった。


(夢、だったのか……)


 そう思って、呆然とポケットに手を突っ込んだ、そのとき。

 指先に、かさりと何かが触れた。反射的に掴み出す。


「あ……」

 それは、一枚のショップカードだった。青と金の箔押しで、繊細な店名と、短いフレーズが添えられてある。



【真夜中カフェ:星月夜

 ~ 眠りたくない夜に、一杯のコーヒーを ~】



「……っ」

 そのカードを見た瞬間、僕はじいん、と目の奥が熱くなるのを感じた。ずっ、と鼻をすすって、ショップカードごとポケットに手を入れる。


 思わず下を向きそうになって、でも、僕はぐっと顔を上げて、涙をこらえて夜空を見上げた。


 きらり、と星が流れていく。そういえば、今日はふたご座流星群の極大日だった。


 目を凝らせば、きらっ、きらきらっ、といくつもの流れ星。

 その美しい星空を見上げながら、兄の香りを思い出して、僕は。



 ああ――今夜は、よく眠れそうだ。

 心から、そう思った。






真夜中カフェ:星月夜

~ 眠りたくない夜に、一杯のコーヒーを ~

  《FIN》


 

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