第5話 星の予兆と、僕の推測
「――と、いうわけだ」
僕が語り終えると、少年はひどく沈痛な表情になった。
眉を下げ、僕は静かに苦笑する。
「さすがに寝覚めが悪いだろ? なんの用事で二階に来たかは知らないけど、兄が僕を起こさなかったのは、昼間の喧嘩が気まずかったからとしか思えない。もしあんな喧嘩をしていなかったら、兄は僕を起こしていたかもしれない。もし僕が起きていたら、兄は死ななかったかもしれない。そうしたら喧嘩や樫の枝のことも謝れて、僕らは仲直りできたかもしれない」
「〝もし〟と〝かもしれない〟ばかりですね」
「後悔って、そういうものだろ?」
苦い気持ちで、静かに笑う。僕は口の端を歪めたまま、続けた。
「だからバチが当たったのかな。僕のノートは、兄の亡きがらが発見された朝、雪まみれの地面で見つかった。針金がゆるんで落ちちゃったんだろうね。それ以来、僕は二度と物語を書いてない」
「そう……だったのですか」
「まあ、それからだね。僕が眠ることが嫌いになったのは」
僕の言葉に、少年が痛ましげに目を細める。整ったくちびるから、かすかに息をつく音がした。白い指先が、真鍮製の眼鏡をそっと外す。
かちり、と澄んだ音を立て、少年がカウンターに眼鏡を置いた。端正な瞳がゆっくりと持ち上がって、透き通った虹彩が僕を見る。
「とりあえず――お話はわかりました。それから、あなたが思い違いをしているということも」
少年の静かな断言に、僕は片眉を持ち上げる。
「……思い違い?」
「ええ。お兄さんの死にまつわる一連の事実について、あなたは間違った解釈をしていらっしゃる」
涼やかな声に、僕は思わず腰を浮かせた。
「もしかして、わかるのか? 兄がなぜ、僕の部屋のベランダで亡くなっていたのか」
「ええ、全てわかっていますよ」
少年は、まるで真冬の空気が鳴るような、シンとした声で告げる。僕は身を乗り出して、少年に顔を近づけた。
「教えてほしい。僕はなにを勘違いしてる?」
僕の迫真の問いかけにも、少年は動じない。ただ静まり返った表情で、僕を見つめている。
その美しい瞳が、ふっ、とやわらかく細められた。
「では、あなたにヒントを差し上げましょう」
「ひ、ヒント……?」
答えを教える気はない、ということか。拍子抜けする僕に、少年は優雅に人指し指を立ててみせた。
「ヒントは、日付です。お兄さんの命日は、十二月十四日でしたね。なんの日だと思いますか?」
「え? えーっと……待ってくれよ、検索する」
スマホをフリックして、検索フォームに文字を打ち込む。たちまち暦の紹介ページが表示された。
「うーん、南極到達の日……忠臣蔵の日……どれもピンと来ないな」
「ふふふ。まあ、日付だけで検索しても出ないかもしれませんね。変動がありますから」
「変動?」
首をかしげる僕に、少年は優美に笑った。
「その日はね、星が降る日なんですよ」
「星……流れ星?」
「ええ。ふたご座流星群の極大日。だいたい毎年、そのあたりですね。日本でもっとも有名な二大流星群のひとつで、よくニュースにもなっていますよ」
思わず背後を振り返り、星型の天窓を見上げる。青い明かりを落とせば、ここからでも星が良く見えそうだ。
「そういえば、来週がちょうどその日ですね」
「来週……」
星が降る夜。兄の命日。
僕は苦い気持ちで眉を寄せた。そのとき、少年がすっとカップを引く。
「冷めてしまいましたね。おかわりを淹れましょう」
「あ、いや……もういいかな」
僕の申し出に、少年は視線を上げる。僕はちらりとスマホの時計を見ると、眉を下げて笑った。
「そろそろ、帰って横にならないと。朝イチで会議が控えてるんだ。どんなに寝不足でも、さすがに遅刻はまずい」
僕の苦笑に、少年も苦笑いを返す。
「今夜は、眠りたくなりそうですか?」
「いや……わからない。でも、長い夜のあいだ、考えるべきことはできたかな」
兄はなぜ、僕の部屋のベランダで死んだのか。あの写真はなんだったのか。落ち着かない冬の夜には、お誂え向きの謎だ。
僕はダウンコートを羽織って、ポケットから財布を出した。支払いをしながら、ふと尋ねる。
「そういえば、きみの名前は?」
「名前、ですか。うーん……」
少年はなぜか考え込むような仕草をした。首を傾げる僕に、端正な瞳が持ち上がって、困ったような笑み。
「スイ、といいます」
「そうか。スイくん。今夜はありがとう」
笑いかけると、スイは嬉しそうに微笑んだ。レトロなレジの蓋を閉める、チン、という音が心地よく響く。
「謎が解けたら、また来てください。今度は、星が降る夜にでも」
「うん。ごちそうさま」
そう言い残すと、僕は真夜中カフェ:星月夜の店内を後にした。
路上には青いランプの光が伸びていたが、何度か振り返るうちに、その青色はふっと消えてしまった。まるで、夜空の中に溶けるように。
※
それからも、眠れない、いや、眠りたくない夜は続いた。布団の中で、僕は兄の撮った写真を見つめながら、その死にまつわる謎を考え続けた。
けれど、そう簡単に十五年越しの謎が解けるはずもない。僕はいつものように寝不足に陥り、それでも必死に日々を送っていた。
寝付けない夜を何度も越え、ようやく朝日が訪れる。ある朝、僕がテレビをつけると、明日に迫るという流星群のニュースがやっていた。
「ふたご座流星群……そうか、もうそんな日なのか」
ぽつりと呟く。
そのとき、テーブルに置きっぱなしだったスマホが震えた。母からの電話だった。
『もしもし、トーマ?』
「おはよう、母さん。なにかあった?」
『ううん、大した用事じゃないの。元気にしてるかな、って……』
「……うん。元気だよ」
母の声で、なんとなく心情を察する。兄の命日が近付くと、母はいつも僕に電話をかけてくる。そして毎年かならずこう言うのだ。
『ねえ。トーマは、無理しないでね。良く寝て、しっかり食べて、元気に過ごしてね』
「わかってるよ。僕は大丈夫」
嘘だ。本当は、ちっとも大丈夫なんかじゃない。僕は鈍臭くて、何もうまくやれなくて、あの日からずっと、下ばかり向いている。でも、母の前で、そんな素振りは見せられなかった。
「そうだ、母さん。少し聞きたいことがあるんだけど」
『なあに?』
僕は少しためらって、でも、聞いた。
「兄さんのことなんだけど……」
「っ――」
電波の向こうで、母が小さく息を詰めるのが聞こえる。僕は遠慮がちに切り出した。
「あのとき、兄さんはなぜか、僕のベランダで倒れてたよね。それが、今でも気になってて」
『……そうね。あの子の部屋は、一階だったから』
母の言葉に、そういえば、と思い至る。
「そもそも、どうして兄さんの部屋は一階だったの? 僕の隣の部屋でも良かったのに」
『ああ、それはね。いざという時、担架がスムーズに入れるようにって』
「……そういうことか。兄さん、心臓が弱かったからね」
僕が言うと、母は『そうね』と相槌を打った。けれど、思い直したような声が聞こえてくる。
『でも……おかしいのよ。アキトくんの心臓は、そこまで切迫した状態ではなかったの。真冬の深夜にベランダに出たくらいで、発作を起こすはずがない』
「え、そうなの?」
電話越しに母が頷いた。僕は眉を寄せ、考え込む。だが、十五年も経っているのだ、答えなど見つかるはずもない。
数秒、沈黙が落ちる。
僕は気持ちを切り替えて、ねえ、と別の話題を持ち出した。
「そういえば、さっき流星群のニュースを見たよ。明日がいちばん観測しやすいって」
『ああ、お母さんも、今見たところ。ニュースを見てると思い出すわ、アキトくんのこと』
「え?」
なぜそこで、また兄が出てくるのか。
母は電話の向こうで、ぽつぽつと思い出を語りだした。
『アキトくんが亡くなったの日の朝にもね、流星群のニュースが流れていたの。あなたはまだ起きてくる前だったから、知らなかったかもね』
「うん……知らない」
『アキトくん、家族みんなで見られたらいいねって、笑ってたわ。その晩にあんなことになるなんて、誰も知らなかった』
「……そうだね」
『たしか、流れ星に願い事をしたいって』
「願い事? どんな」
『それは……』
母が言い淀む。僕はじっと黙って、母の言葉の続きを待った。
数秒ののち、母が涙をこらえたような声でささやく。
『〝トーマくんと、仲良くなれますように〟って』
「っ……」
ずきん、と胸が痛む。
兄の願いは叶わなかった。まさにその日の夕方、僕は兄とひどい喧嘩をしてしまったのだから。
罪悪感がこみ上げる。僕はぐっとくちびるを噛むと、兄と流星のことを思って――はたと思い至った。
兄と僕の部屋の位置関係。流星が降る夜、願い事をしたいと言った兄の言葉。初めてのひどい兄弟喧嘩。樫の枝に吊るされた白いノート。起きるはずのない心臓発作。
(もしかして――そういう、ことだったのか……?)
僕はようやくひとつの推理に辿り着き、そして――愕然とした。




