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【ミステリ】真夜中カフェ:星月夜 〜眠りたくない夜に、一杯のコーヒーを〜  作者: Ru


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第3話 兄の思い出①

「十五年前、十二月十四日の深夜。僕の兄・アキトは、自宅二階のベランダで亡くなっていた」

「亡くなっていた……ということは、見つかったときには、すでにお亡くなりに?」

「ああ。発見は朝だった。可哀想に、兄の亡きがらにはぼたん雪が積もって、ぐっしょり濡れて冷え切っていたよ。死因は心臓発作。兄はもともと、心臓が弱かったんだ。寝間着のままベランダに出て、発作を起こしたらしい」

「真冬ですからね。深夜ともなれば、寒かったでしょう。心臓には良くない環境です」


 そうだね、と呟いて、僕はことりと両肘をつく。組んだ指の上に顎を乗せて、どこか遠くをぼんやり見つめた。


「ただ、不思議なのは――兄が死んだのは、他でもない、僕の部屋のベランダだったんだ」


 少年がかすかに眉を上げる。


「僕の部屋、ということは……お兄さんは、別に自分の部屋を持っていたんですか?」

「そうだよ」

「お兄さんの部屋とあなたの部屋のベランダは、隣同士で繋がっていた、とか?」

「いいや。兄の部屋は僕の部屋の真下、一階だったんだ」


 少年はわずかに目元を伏せて、考え込むような仕草をした。ちらり、と美しい視線が持ち上がり、彼は言う。


「つまり、お兄さんは深夜に二階に上がり、あなたの部屋に侵入した。そして眠っているあなたを素通りして、ひとりでベランダに出て、発作を起こして亡くなった――ということですか」

「そう。でも、兄がなんでそんなことをしたのかは、誰にもわからなかった」


 ふう、と息をつく。コーヒーの湯気が、ため息に揺られて空気に散った。


「それに、兄の死には、他にも不可解な点があってね」


 少年が、視線だけでこちらを促してくる。僕はポケットからスマホを取り出して、少年のほうにカメラのレンズを向けた。


「兄の手には携帯電話が握られていた。亡くなる直前、兄はベランダで写真を撮っている」

「写真には、なにが?」

「それが……なにも写ってないんだ」


 少年は小首を傾げて「なにも」と復唱した。僕も「そう。なにも」と復唱を返す。


「ただの真っ黒い画像などではなく?」


 少年の問いに、僕は首を左右に振って、スマホに写真を表示させた。


「ほら、これ。十五年も前だから画質はかなり悪いけど、よく見ると右下にぼんやり明かりのようなものが見えるから……間違いなく写真だと思う。ベランダの位置や高さから考えて、うちの隣にある街灯の明かりが写り込んだんじゃないかって」

「ふむ……たしかに、そのようですね」


 少年が僕のスマホを覗き込む。さらりと流れる前髪が、端正な目元を隠した。少年の襟元からふわりと澄んだ香りがして、なぜだろう、ひどく懐かしいような気持ちになる。


 僕は静かに目を閉じて、その香りを吸い込んだ。深い夜のような、静謐な香り。どこかノスタルジックな匂い。

 ぽつり、と呟く。


「本当に……あのとき、兄の身に一体、なにが起こったんだろう。兄はなぜ、僕の部屋のベランダで亡くなった? 最期に撮った写真はなんだったのか?」


 それはほとんど独り言だった。返事などあるはずもない。死者は黙して語らない。それが現実だ。


「僕があのとき起きていれば……兄は死なずに済んだかもしれない」


 押し殺した呟きに、少年が宥めるような声を上げた。


「でも、子どもだったのでしょう?」


 僕はそっと目を開くと、小さくため息を漏らした。


「僕はとても眠りの浅い子どもだった。兄が部屋に入ってきたとき、僕は起きるべきだったんだ」

「眠りが浅い? 子どもなのにですか」

「ストレスが多い生活だったからね」

「ストレス」


 少年が復唱する。僕は頷き、その瞳を見つめ返した。


「よろしければ、どんな生活だったか、詳しくお聞かせくださいますか? つらい記憶かもしれませんが……」

「構わないよ。全ては、僕が眠ってしまったせいなんだから」


 消え入りそうな声で、苦く呟く。

 僕はそっと目を伏せて、十五年前に思いを馳せると、少年に向けてぽつりぽつりと過去を話し始めた。



        ※



 僕の家族が今の形になったのは、兄が死ぬ一年前のことだ。


 兄・アキトと初めて出会ったのは、僕が七歳のとき。母の再婚がきっかけだった。

 新しいお父さんとお兄ちゃんよ、と言われても、僕はずっと下を向いていた。両親の突然の離婚と再婚は、幼い僕の心に暗い影を落としていた。


 父と兄の顔を見られない僕に、兄は腰を屈めて背の高さを合わせたようだった。静かな声で「トーマくん」と僕を呼ぶ声は柔らかく、穏やかだった。


「きみに触れてもいいかな」


 そう前置きをして、僕の頷きを待ったあと、兄はそっと僕の頭を撫でた。温かい手だった。

 僕はますますいたたまれなくなって、ぎゅっと背中を丸める。兄は小さく笑うと、


「きみと家族になれて嬉しい。よろしくね」


 そう、やさしく囁いた。それが、すべての始まりだった。


 今思えば、父も兄も、とても良い人たちだった。でも、当時の僕はどうしても、新しい家庭になじめなかった。


 母と僕は、父と兄が暮らしている一軒家に新しく迎え入れられた。だが、どうしても他人のテリトリーという意識が拭えなくて、家にいても全然落ち着かない。いつも息苦しくて、僕はずっと床ばかり見つめていた。


 そもそもこの一軒家は、兄と父と、亡くなったその妻が暮らしていた家だった。僕は自分のことを、家族の中に入り込んだ異物だと信じていたのだ。


 そんな環境のせいだろう、当時の僕は、子どものくせに眠ることがとても下手だった。両親が離婚してからは寝付くのに時間がかかってしまい、夜中に何度も目を覚ますこともしょっちゅうだった。


 たしか、母の再婚と引っ越しから、数日が経った頃のことだ。

 真夜中に、僕はトイレに行きたくて目を覚ました。自室のドアを開け、二階の長い廊下に出ると、不慣れな家がとても恐ろしい場所に感じられた。


 それでも生理的欲求には代えられない。僕はおそるおそる足を進め、なんとか用を済ませた。だが、トイレを出た瞬間、『もういやだ』という感情が強烈に込み上げてきたのだ。


 今から、このがらんとした廊下をひとりで歩いて、あの落ち着かない部屋に行かないといけない。眠れないベッドに入らなければならない。朝が来て、母が起こしに来るまで、息を潜めてじっと横たわっていなければいけない。


 たぶん、ずっと耐えていたストレスが、そのとき初めて形になったのだと思う。当時の僕は子どもで、自分の痛みを表現する方法をなにも知らなかった。


 耐えきれなくなった僕は、ずび、と鼻を啜ると、その場にずるずるとしゃがみ込んだ。廊下の壁にぺったりと背をくっつけて、膝を抱えてじっとしていた。すん、すん、と涙をこらえる僕の声だけが、真夜中の廊下に小さく響いていた。


 そのとき。


「――トーマくん?」


 兄の声がした。びくっ、と背を丸める。階下から、人が上がってくる足音。どうやら、廊下の明かりが一階まで漏れていたらしい。


 兄の気配は僕の側までやってくると「眠れないの?」と声をかけた。僕はますます下を向き、ぎゅっと膝に額を押し付ける。


「寝たくない……」

「うーん。じゃあ、せめてお部屋に入らない?」

「やだ……」


 呟くと、小さく苦笑する気配。


「そっか。ちょっと待っててね」と言った兄は、静かに階段を降りていった。


 数分して、静かな足音のあと、僕の目の前がふっと陰った。

 ふわふわと、甘いような苦いような、いい匂いがする。そろりと視線を上げると、目の前に白いマグカップ。その中には、乳茶色の飲み物が入っていた。


「これ、なに?」

「ミルクコーヒー。寝たくないなら、これ飲んで、あったかくしてよう。ね?」


 そう小首を傾げられ、僕は渋々マグカップを受け取る。コーヒーなんて大人の飲み物、飲んだこともない。恐る恐る口に運ぶ。こくり、と一口。すると、やわらかな甘みと香りが、ふわり、と口内に広がった。


「……おいしい」


 思わず口に出ていた。兄は嬉しそうに「そう」と言うと、僕のとなりに腰を下ろした。


「そうだ、これも」


 その言葉とともに、ふわり、と温かいものが僕の身体を包みこむ。毛布だった。下を向いていたせいでわからなかったけど、兄が自室から持ってきたらしい。


 兄は僕を毛布でくるんだだけで、それ以上なにを言うわけでも、なにをするわけでもなかった。僕はなんだかひどく落ち着かない気分になって、ひたすら無言でミルクコーヒーを飲んだ。


 マグカップがすっかり空になったころには、僕のまぶたは半分以上落ちかかっていた。兄は黙って立ち上がると、僕の手からそっとマグカップを取る。そして兄の手が、さらり、と僕の髪に触れた。とろりとした僕の視界が、ゆっくりと陰っていく。


「……ほら、おやすみなさいの時間だよ、トーマくん」


 何度かそうっと僕の頭を撫でて、それきり、兄はとんとん、と階段を降りていった。僕はぼんやりしたまま頷くと、兄の毛布にくるまったまま、ぱたん、とその場に横になった。やわらかな毛布からは、夜のように静かな匂いがした。



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